0312話:2018年01月10日

全体会議(午前)でのお話

どうも、おはようございます。
なかには、あけましておめでとうございます、の方もいますかね。

◇脳の中で未来を創造している

今、鎮魂をして・・・我々は神話とかを、この身で読むというか、身読(しんどく)というか、そのようなことで、昔の話だと、実際、昔に書かれたものですが、それを今、起こっているかのように読んでみるというか。それはそのまま、ある面では読むことが大事なのかと思います。そのまま読むということは、まさに、文字もそうですが、そのままというか。

旧約聖書によると、神は七日かかって世界を創造をして、そして、七日目に休むということですかね。その旧約聖書をそのまま読んでみるとどうなのかなぁと・・・。昨日、杉山さん達と話していましたが、人間はちょうど七日前に、すでに全部、脳は次に起こることを考えて対応しているというか、あるいは、もうそのことが起こっているんだ、という物理学の理論が出てきていて、まだ誰もそれに反論していないという話をしていたのですがね。確かに修行すると未来ということが、三日先とか一週間先のことなど、大体わかるようになるんですがね、そのようなものがビジョンとして、あるいは概念として出てくるということですね。

何を言わんとしているかと言うと、要するに、神話の創造、神の創造ということをそのまま解釈すると、実はそのような単位で起こっているとすると、人間の脳の中で未来を創造しているというふうにも捉えることが出来るのではないかと。
ですから、その自分自身の脳が・・・個人として、私ということで始まる未来もあれば、公という形で、沢山の人ということもありますが、多分、それが要するに、宇宙論のまた階層性というか、地球の中にいるところでの出来事、あるいは太陽系の出来事、それから銀河系の中の出来事、星雲というか、さらに大宇宙、そのような階層で、段々、意識というか、概念が広がっていくということで・・・。

それを一種の公転軌道とも言いますが、惑星の平面にある軌道も、黄金比で精緻に作られているということもあるのですがね。そのような公というところに行くということが、一つの公の中に、それぞれ階層の中に、神があるわけですよね。創造の一つの意志というか、あるいは創造のものが出来ていくということになると思うのですが。

◇未然法の祓い

そうした時に、創造と意志をどこで感じるかということは、それぞれの場合によるというか、その為に一つの鎮魂も・・・。

鎮魂は、多分、七日目に休んだという、神が休んだという感じのはじまりでもあるし、一つの休息でもあるし。休息であると同時に、次のところに入っていく、そのようなもの、そのような世界なのではないかと思います。そうした時にお祓いが何なのかと言うと、未然法の祓いということを我々は言っているのですが、要するに未来を思考の中においても、あるいはこれからはじまる具体的な行為の中でも、それを未然に防ぐというかね。だから、自分の中に未来があるわけですね。

今の一番新しい理論というか、そこから考えると、一週間前に、もう現在がはじまっているという、その結果が、今このようにして皆さんと集まっているということであるとすると、祓いというものが、未然法の祓いというか。ですから、これから起こる一週間の、あるいは今日であれば、昨日考えたことに、今日の部分を足して、ということになりますが、それが毎日、祓いの言葉で未来が一番良い状態になるようにという言葉を発していくというのが未然法の祓いですね。

◇神話を記憶に残してくれた

我々の発する祓詞はわずか2700語ぐらいですね、一音一音を数えると、そのぐらいの音を発しているわけですね。それから一日が始まるということになるわけですが、それが神の名前を呼んで、朝の祓い、鎮魂、それから言霊を発することで、その一日をまた安全にいくという、その確認のようなものだと思うんですね、毎日毎日が。七日先なのですが、またその日になれば、一日加わった七日先ということになるのですが・・・。

我々も古事記の神話に基いて、そのまま読んでみるというところで見ているわけですね、過去に起こったことだけではないわけですね。もちろんすでに七日前ということであれば、それも過去ですよね。七日前に意図された未来が、現在になってきた時に、それがまた過去になっていくというか。自己また過去時間になるのですが、その過去も同時に、今の瞬間に祓っていくというか、そのような時間というものが、一つの主観的な、今の話も主観的なものというか・・・。

一応、物理学とか、そのような理論を使っていますが、非常に特殊な概念のものを使っているから、一種の主観ですよね。主観というもので、捉えていく概念物を作り出すわけですが、そのようなことをあまり広げても何ですが、少なくとも、そこに物語があるということが大切で、人類がそのようなものを記憶に残してくれたというか。ですから神話がある民族は根拠があるから残りうるというか、そのようなところが人類としてあるのではと思います。

◇言葉を織る

現代というものが、一番最近の神様では、私が勝手に作ったわけではないのですが、一つのハタラキが、一つの概念というか、文字というか、天機置師神(あめのはたおかしのかみ)、機械の「機」に、それから装置の「置」ですね。機械と装置をくっつけたものを、一番、神話知の元にある古事記の中の、天照大御神が機織りをするわけですね、それにちなんで、皇后陛下がマユを取って、それで機織りをするわけですね、今でも皇后陛下はされていますが・・・。

昭憲皇太后ですから、明治天皇のお妃は、それを和歌にして、要するに言葉を織るということを提唱されているんですね。それはちょうど、明治天皇と昭憲皇太后は、五万首とか三万首とか言われる大量の和歌を作られていたんですね。短歌を作って、国民を教導というか、教え、導くということをされていたわけですね。すなわち、言霊を使って国を治めるということをされたわけですね。もちろん白川も学んでおられますが、そのような言霊を使って、それが和歌であり、その言葉の元が、天照大御神が織られていた機織り機ですね。

◇「天機織姫神」

機械の機を「はた」と言うんですね。それを忌の機屋(いみのはたや)、忌は上下を分解しますと、己の心となりまして、機械の「機」に、家の「屋」と。そこで機織りをされるということですね。機織りは確かに、衣食住の中の衣という大事なところでありますから、そのような役割でありますが、その機織りというものに、機織り機に、実は神様の名前が付いているんですね。それが「天機織姫神(あめのはたおりひめのかみ)」ということになるわけですね。ですから、機械というか、機織り機が機械であり、それが神というか。

今はもちろん、複雑な機械ということになってきたわけですね。特に産業革命を前後して、蒸気の機関が動力となって、機械としては大型化してくることになって、そのようなものを使って、機織りも自動的にやるようになっていって、一つの豊田自動織機という会社が出来るぐらいが、そしてそれが豊田の自動車の会社になり・・・。

そのような変化していくというか、機械も非常に・・・今は50%ぐらい人力がいらなくなってきて、ですからマルクスの経済理論、労働力を貨幣に変えるということが、あまり意味がなくなってきて、これから大きな転換期に向っていくわけですが・・・。

◇資本主義を超えていくには・・・

ですから、正月のBSのNHKの番組で、「2018年欲望の資本主義」ということで議論していて、結局、欲望というのは限りがないから・・・シュンペーターという経済学者の「創造的破壊」というか、要するに、資本主義というのは人間に欲望がある限り、何回も概念も制度も作り直して、新しくしない限り資本主義を超えていくことが出来ないということで、創造的破壊ということしかないね、その方法しかないねと言っていました。

創造的ということは、クリエイティビティというものとしては良いのでしょうが、所詮、破壊をしないとしょうがないから、多分、それはわかっているから、完璧に壊さないで、資本主義の一番の先鋭的な部分というか、貨幣に関わることは、要するに、貨幣を、今は投機目的で、色々なものが出てきているのですが、ビットコインなんかもそうですが、投機としては、破壊するということもわかっているから、初めは破壊をコンピュータがいかにも防ぐかのように、破壊していくということが見えないようにしながら、沢山の人達のお金を吸い上げる方法が、今、すでに始まっているわけですね。

ですから、今年は相当、色々進みますので、それが、まだみんなは早いのではと思いながら、ドンドン出していくわけですね。そのようなことで、みんなそれにハマっていくわけですが、一気に崩壊しないように、徐々に落としていくような手法があるんですね。リーマンショックという十何年か前に、大破壊というか、失敗があるから、それを防ぐ為に、徐々に落としていきますが・・・。多分、今年は、金融経済は、なかなかわかりにくく、上手くやりますが・・・。多分、今からやっても手数料や、手数料自体がそれこそ50%になったり、最後に替える時に、税金を払わないといけない時に無くなってしまうということになると思うんですね。良くてゲームに参加して、儲かる人、差し引きゼロになる人、ほとんどがマイナスになる人、と分かれてくると思います。

これは投機という一つのことで、貨幣経済、あるいは資本主義というものの根幹が先鋭化してくるというか、見えてくるということで、このようなことに繋がると思います。そのようなことが今年の一つのハイライトの部分、大きく変わってくるところであると思います。

◇どのように次の新年号に繋げていけるか

もちろん、天皇の御退位が決まって、来年になるという、その手前の一年ということですから、いよいよ、そのような意味では、年号も変わって、日本が一新するという、その手前の一年ということで、平成30年を、どのように次の新しい年に繋げていけるかということが大事なところになるかと思います。

ですから、それが新しい年号を迎えるという・・・これも何千年というか、中国であれば、何千年もやっている方法論ですよね。昭和とか、大正とか、明治とか、色々な年号を付けて、人心を一新しようという目的でもあるわけですがね。
ある面では、それは人為的なものではあるのですが、それによって時代が変化していくということは、それが神話由来の建国の精神に還るということでやるわけですね。

あるいは古典から文字を拾ってきて・・・長くやっているから、なかなか同じような、あるいは難しさはあるわけですね。今なんかでは、Mを使わないとか、明治とか、昭和とか、Sですか、省略記号が同じだったらダメとか、そのようなことをやるんでしょうが、それで出てきた言葉と大体、反対の時代になるということに・・・きっと暗くなることがないように、明るい年号にしたり、文字で・・・それは難しいんですね。文字だけで変えようということは難しいということは十分にあるということですね。そのようなこともあるので、必ずしも出てきた文字で、それは反対の事が起こるということも見ておいて、それが反対にならないようにするという、そのような捉え方をしないとけないこともありますけれどもね。

◇祭りをしっかり行う

たまたま世界が大きく・・・祭りというものも、絶えずそのようなものも用意しないと、みんなの心がまとまらないというところもありますから、そのような意味の、要するに、通過儀礼以外には、そのような祭りをするということが、古来からの習わしであったのではないのかと。そのような意味では、祭りを復活させたり、あるいは新しい祭りを考えることはよくあることですが、そのようなことがあるにしても、我々の祭りの話しになりますが、ロゴフェスという形でお祭りをして、一つの喚起するということもしますが・・・。

その最たるといったらおかしいですが、白川は、まさに祭祀を作る方、やってきた方ですから、その効果たるや・・・去年も一年かかって証明したものも幾つかあるわけですね。世界も一種の祭りというものをベースにするというか、人が一つの統合する時に、そのような方法がよく使われるわけですね。ですから、ちゃんと続く王朝というのは、大概、祭りをしっかりしているということですね。

ですから日本の天皇制が、世界の王位では一番長いわけですね。それは必ず、自ら進んで祭りをされるところにあったということ。その祭祀中心として祭りをするのが、天皇の大事な国事行為となっているわけですね。ですから、そのような事を、もちろんその司る最たるものが白川なんですが。

◇新しい宣言をする臨時祭

要するに、その祭祀は、通過儀礼、年間を通じた決まった祭りと、それ以外の臨時祭があるのですが、臨時祭が一つの効果をあげるということは、その時の祝詞は通常の定型文ではなくて、全く新しい形で読むということになるわけですね。これは一種の神に向かった新宣言になるんですけれども。そういう宣言の言霊の効力というものは、新しい宣言をする臨時祭が一番発揮されるというになるわけですね。

ですから、今回、2日目は、スーパームーンということで、今年一番大きい月の軌道が地球に近づいて来たわけですね。そして、大きな満月になりましたけれども、2日の正月の祀りもありますけれども、それ以外にスーパームーンということの臨時の祀りも、一方でしている訳ですね。その時のこれはまあ色んな所で満月というのは、いわゆる、願いが叶うというようなことも言われるんですけれども。

それで我々のですね、ネパールの密教の釈迦族の坊さんたちといつも毎月満月の時に願い事を、30年くらい前のことですが、書いて向こうの古代タミール語というですね、それに翻訳して、それを音読するという、満月のお祈りを下請けしていただいたこともありました。自分たちでやっているんですけれども、そういう非常に効果的なんですね、そういう月もそういうふうにやることもあるんですけどもね。それが、まあ臨時祭という事になりますけれども、その時に、そういう、願い事といいますか、それを表現して、祭祀をするようなことは、今でもやっている訳ですけれども、特に、白川では平和ということを念頭に置いてですね、平安清明というか、それをみんなも、気持ちにしてやってですね。

◇2020年まで世界平和が組み込んである

また、そういう臨時祭を、音楽の形にしたりしていますね。金さんに、鎮魂組曲のパート2を作ってもらったりしてですね。今、パート3をやっておりますけれどもね。そういうことが、祝詞そして、音楽、実践という所をやっていただいて、その通りのあるいは、その文言通りになったということが、去年もありました。
今年は、ちょうど冬季オリンピックということでありますからね。これもちょうど、束の間かもしれませんけれども、そういう時に、世界平和が、しっかりと祈念することは大事なことではないのかなと。2020年までの間に、スポーツと称してますけれども、世界平和が組み込んであるというかですね。

これも、クーデンホーフですかね、そのお妃さまの光子さまですかね、日本人ですかね。オリンピックを考え、もう一度、復活させたなんてね、そういう方の影響もあるかもしれませんけれども、そういう平和という所に、少しでもこう、意志するということは、大事なことになっているというかですね。

一方で、もちろん、先程の資本主義な経済的な一番ベースになる所の創造的破壊なんてですね、まあ、物理学の力学でもカタストロフという突然の大破壊というようなことを言いますけれどもね、そういう所が一気にくるように思うんですけどね。

◇創造・維持・帰趨

そういう破壊というと次の何というか創造を生み出すような、創造・維持・破壊というような、インドの宗教でも、そういう所がありますけれども、それを創造・維持・帰趨というかね。戻るというか、同じ概念ではありませんから、言葉を変えただけではしょうがないんですけれども、創造・維持・帰趨というかね。それをまずは概念として、そういうものを破壊ということが入ってもいいんですけれどもね、宇宙創造の始まりに戻すと言ったらおかしいんですけれどもね。それが次元というものの重なりを、もう一度、畳返す、即ち重畳というかですね、そういう作業が必要じゃないかと思うんです。

それが、今回、ゼロという所に戻るという意味の休むというふうな、そういう事にするというような鎮魂ということも、空や無や、そういう概念を自分自身の中で新しい創造に向けるというようなことをすることになるというか、散らばっていくということ、離散は、宇宙の創造ということの説明のような、一つの広がりを無限の広がりにするものだと思うんですね。

それはちょうど、命の繋がりというようなものが、ちょうど、芥川かなにかの小説の中にありますけれども、明治の頃に外国人が来て、隅田川かどこか忘れましたけれども、花火を見て、それがまるでそのフランス人だったので、「laVie(命)だね」」と、花火のことを言ってますけど。花火というは確かに、下から見上げると、こういう平面で見えるけど、上から見たら、完全に八方に360度、ある面では割れて光が散らばっているんですね。

◇メビウスという作法を表明すること

命というものの、ほとばしりを畳み込むそういう広がっていったものを一旦、意識もそうですけれども、それをもう一度、畳み込む、3次元というか、あるいは4次元というか、それを畳み込む時の技というか、それがメビウスですね。

創造ということと同時に、また、元に戻していかないと、限りなく散っていって、ずっと無限に広がっていく、無限地獄に陥る訳ですから、そうではなくて、戻してくるという、そういうものが自分自身にあるという、その時の作法というのが、メビウスというね、方法であると。

それを、我々はそういうものを地場やコイルにしてですね、こういうふうにすると働きが出来るんじゃないかということを、表明することが我々の概念における仕事でもあると、それは実際に、磁場として、電磁場として、働くことができれば、それはさらに、皆さんに効果をいただけるというかですね。

とりあえず、意識というか意識進化ですから、そういう意識というものを感じられるようにするという所が、まずは大事な宇宙論の現実化というか、そういうものを自分のものにするという時の、それは今ある、最先端の、まだ十分に証明されていないものもあるでしょうし、まだ充分に練上がっていない所もあるでしょうけど、そういう新しい機械装置がここで一気にこう加速度が付いてくるきっかけとなると言ってもいいと思うんですね。

概念もそうですけれども、ということは機械という装置から概念を作る、それは概念の実験といいますか、思考実験ということになるし、遡っていくと、意識の実験ということもなると思うんですけれども、或いは概念の実験というですかね。

◇概念や思考で実験してみる

所謂、人間の思考というものが、行きつ帰りつではないですけれども、創造と帰趨というんですかね、その戻ってくるという、そういうことを同時にこう、考えるというようなことをしないと追いつかない、そういう意味での概念実験というか。創造的破壊とは、創造と破壊の両面を、一つの方法論として持つと言ったと思うんですよ。創造・維持・帰趨とは、戻る時には一旦、破壊でもいいんですよ、破壊もあって帰趨してという、そして、こう戻ってくるということが出来ないと、無限地獄という罠に陥ってしまうと。

ですから、それを、概念や意識や思考で、実験してみるというか、実験しているのが皆さんの営みというんですかね、中心にあるんではないのかと、それをですね、信仰で、信仰の実験とは、人類がもう3000年、あるいは人間の脳でやってきていると思うんですね、右脳左脳の問題でやってきていると思うんですね、人類は信仰の問題も非常に沢山やってきてますからね。

◇信仰ではなく、確信まで高める

それは信と言うものが、生きる上でですね、信を生く、行くというようなこと、あるいはそういう意味の信仰ではなくてですね、確信まで高めてですね、響かせて、自己が生き行くということを、確実にその通りだと感じる。もちろん、宗教でも、そういう話があれば、聖書の中にそういう言葉があれば、「然り然り、アーメン」と言うんですね。「その通りですね、その通りですね」というんですけれども、その積み重ねというものが、論理性というか或いは、整合性がないと、要するに、信仰というか単なる、信じていけばいいんだという他人事になって、投げやりになってきた歴史であって、それが今、問題視されている訳ですね。日本では、それをオウムの事件の後に、そういう心理操作が行われて、そういう信仰というものが一気に、下火になるというのもおかしいんですけれども、問題視されるようになった訳ですけれども。

そういう確信という所に違いがあるというかね、宗教を使って、ビジネスをするということは信者を作るということですね。人編に信と書いて、信者で儲ける、儲けることは信者を作るということなんですね、漢字で意味付けするとね。そういうことではダメだ、真理の言葉を確信に、納得して確信いただけるようにするということが、この時代の言霊の使い方というかね。ですから、そこに重点を置いてやるということが、誰からも後ろ指を刺されないというかね。今は、ネット指というのかな、今は、ネット指を刺されると大変なことになりますから、ネット指に刺されないように、誤りのない道を歩んだほうがいいんじゃないかと思うんですね。

◇メビウスの原理で強引に戻す

話が、宇宙に広がったりしてますので、遅まきですがまた戻しますが(笑)

要は、戻してくる時の方法論が、メビウスということになるんですね。メビウスになったら、今度は、メビウスの原理も、ある面では、エネルギーの場が強引に戻すというか、そういうふうな所も無きにしも有らずで、それもまた1次元から4次元の時空の中にあるというか、自在に5次元以上のところに行ってですね。

また、戻ってくるという所ができないというか、もちろんですね、5次元に行って戻ってくることが出来ないというのは、わだかまりですよね。情緒でも、わだかまりがあると、一旦、出てこれないし戻ってこれないんですね。それが、今の資本主義の陥っている所もそうです。欲望というもののわだかまりなんですね、それを、どういうふうに解決するかという所がないと戻れないですね、解決しないですね。

要するに、知ることは出来るかもしれないけれど、5次元というか、次元を超えた所に行くことは叶わないというかですね。所詮、その魂も、魂という段階では、何ナノという、僅かな重さであっても、それは意識でもって重くすれば、次元を超えられないで、残ってしまうんですね、この宇宙にですね。

まずはこの地球から、無重力を体感して、真空の宇宙に出ていかなければしょうがないんですけれども、それが三途の川から死後の世界に行く、その辺に先祖さんなんかもいらっしゃるんでしょうけれども。そういう世界ですけれども、欲望というもの階層が書かれているのが、仏教の法華経なんかに説かれている、六道輪廻、地獄の五階層みたいなものであるし、あるいは、人間の五階層の所もありますけれども、足して十階層になっていますね、そういうものを超えていかないといけないという事になるんですね、仏教においてもですね。

◇欲望を決める

自分で決めた欲望というもの、欲望を決めるということが、その欲望というものを、コントロールする、その解決に繋がっているんですね。一番欲が深いということは、自分の欲を決めないで膨らます一方にするということが、どんどん広がって無限欲求や無限欲望になって、無限地獄に陥る訳ですね。ですから、欲望の範囲をまず決めて、その中では行えば、大した問題にならないんですけれども、すなわち、それは宇宙をあるいは命が出ていく時には、そういうことが肝心ですよね。

ある面では、私たちは、インドで修行したこともあるんですけれどもね、結局、宗教を通して仲良くなった人もいましたけれども。インドで修行なんかしても、どんどん無限に遠ざかっていく、自己から遠ざかることで亡くなる人もいたんですけれどもね。最初に、そういう注意を受けるんですね。色んなヨガやなんかもそうですけれどもね、その悟りたいという欲求がですね、その欲望が、地獄に誘ってしまうとことにも繋がるということなんですね。

ですから、そういう欲望というものを、コントロールするということは、禅でいうと十牛図ですかね、禅なんかの悟りの方法の中に、書いてありますけれども、丸、円相という空を体験した、悟ったという方法論としてありますけれどもね。悟りも方法論として、いっぱいありますけれどもね。

自分で今世における欲求欲望というものを、明確にするればいいんですね。最初から、阿弥陀如来のようにですね、全ての地獄に居る人を、救い出してから、自分が最後に出るという、そういう菩薩さんもいるんですけれども、非常に素晴らしい境地ですけれども、あるいは、虎に自分の命を投げ出すという、そういうお経もありますけれども、究極の所で考える願も、願いというものもありますけれども、そういう広い範囲でやると、そうすると何回も生まれ変わらないといけなくなるんですね。

◇パンが必要なときはパンを

今回、リインカーネーション・リベラルアーツというか、転生自由七科という題でやるわけですけれども、そういうものです。逆に不自由になってしまうということがですね、ある訳ですね。その為には、生まれ変わらないといけない。ですから、それが生まれ変わらなく悟りを達成することにすると、永遠の命も持たないといけない。

それでも、やるんだという意志ですね、その意志は良しですけれども、少なくとも今、みんなが当面している、困難に出会っているな所は何かという所を、まずはしなければいけないと、間違ってもパンを欲しがっている時に、蛇をやることないんじゃないのっていう内容が、聖書にもありますけれども、パンを必要なときはパンをってことですよね。

そういうことが、今、必要なことを必要な時にお出しする、それは会社でも一つの製品でもそうですね。あるいは今の社会に必要な製品を、商品にして出すというか、その時に必要なものが有ると思うんですね。

そのあたりが、ちょうど、それが我々の仕事というか、そういう所が肝心な所かなと、要するに、我々も元気に生きて、今、必要な時に必要であろうと思われることで、お使い下さいというようなことが言えるということは、そういうことが、宇宙全体というか、階層全体から戻ってきて、そういうことを考えられるような、そういう意識が必要というかですね。それで、いくというか、いけば、今、お出しするものも魅力あるものであれば、それを共に喜び合うというか、祈りというかそういうものは、非常に広い意味でやるんですけれども。

◇喜んでもらえるという所から始まる

一つひとつは丁寧に、今必要なものを、皆様が必要なものをお出しする、そういう意識でそういうやるということが、一番役に立つのではないかということを感じまして、そのあたりが出来ますと、人が喜ぶ姿を見るというのは今の対面販売や、そういう販売方法は変わっていますけれどもね、でもそういう喜びの声というか、そこから提案したり、そういう商品や情報に、喜んでもらえるという所から始まるというかね。そういう笑顔をいただけるような、あるいは嬉しいということを、心のありがとうということが感じられるようにするのが、仕事をする上でいいと思うんですね。

インドの人たちは、東インド会社という、イギリス人たちが入ってくるまで、「ありがとう」という、「Thank you」という言葉が無かったんですね。私も、インドのベンガル人に七年くらい一緒に暮らしていましたらかね、「ありがとう」って、中々言わないんですよ。

こういうふうに首を横に振るんです。何か、嫌なのかなと、気に入らないのかなと最初の頃思ったりしてたんですけども、仕草だけでありがとうと言わないんです。逆に、日本くらい、「ありがとう」「ありがとう」と言うありがとう叔父さんもいるくらいで、本当は有り難いですよね。めったに無いということですね、それを言葉でもって、いつも言ってしまうと折角の有り難みの効果が無くなっちゃうのかもしれませんけれどもね。

◇情報や商品を通じて返事がかえってくる

少なくともそういう想いが伝わるような、ネット、あるいは商品がどういう方が使うか分からなくても、皆さん商品を発送する人たちの伝統でですね、Kくん、あなたからの伝統で荷物が着いた時に外から見ても、丁寧に扱っていることが分かるようなそういう送り方をしている、ということを前に聞いたことがあるんですけれども、これは大事なことですよね。

同じようにやっても、中を開いたら、ますます丁寧な包装がされていた。そういう想いがあるといいと何よりと思いますけれどもね。少なくとも、ありありと見えるような、情報あるいは商品として出した物を通じて、相手の心から返事がかえってくる、そういうコミュニケーションが、人と人という中では大事なことではないかなと思います。そんなことが、頭で理解するような、これだけやったから、良いということではなくてですね。我々が、そういうコールセンターを大事にしているということは、そういう所にあろうかと思いますけどもね。

その中でも、黙っているということの中にも、電話が掛かってくるということは、もっとその人達の要求水準が高ったり、あるいは出来ないことをしたいということもあると思いますけれども、もちろん可能な限りのことというですかね。そういうコミュニケーションのもっともっと良くするための、ですから顧客知を100%を実践するということは、もちろん、その範疇から出ている部分というか、関西風に言うと因縁つけてくるという、その違いは、はっきりとあると思いますけれども。

そういうこと以外だったら、100%沿っていくということが、資本主義を超えるということは、多分そういうことが、テーマにあるんではないかと。ですから、20年前ですけれども、顧客の満足度100%を実現するというようなことを、会社の理念として、あげたことがあるんですけれども、引っ込められてしまいました、そんなこと不可能だと。

◇顧客知の共有

今は、細かいメッシュで見れば、分かってくれると思うんですよね。それが法外なことなのか、それとも必要な意見ということか、満足度の所に入るのか、それを勝手に決めないで、みんなで共有しながら、顧客知の共有という所をやっぱり大切にしていくということが、大事な所かなと。

先端的に走る時に、だいたい、我々がやっていることは、進んでいるんだから、そこのところを分かってくれ、なんてことは考えなくていいと思うんですね。まあ、そこの所は、慢心するという所に繋がらないように、やっていく方法があろうかと思うんですけどね。資本主義の悪口を言うわけじゃないですけれども、我々も今生きている訳ですから、恩恵に預かっていたり、その方法論に乗ってやっていますけれども。

これからの資本主義をどう克服していくかという所を、今年の感じた所で、ここはもっとこうではないかということを、皆様方からも、もっともっと出していただいて、そしてそれが皆様の生き方に繋がるような1年であれば、すごく充実していくのではないと思った次第であります。

すいません、少し長くなりました。ありがとうございました。