0314話:2018年01月11日

おはようございます。

昨日はご苦労様でした。なかなか座ってですね、会議をするというのは、腰が疲れた方もいらっしゃると思いますけれども、また考えないといけないこともあると思いますけれど、会場も含めて考えさせていただきます。

◇働きに名を付けて讃える方法

昨日も、「天機置師神(あめのはたおかしのかみ)」という、人が働きに対して名を付けて、それを讃えるという方法が、古神道の方法、現代の機械や装置に対して、その点をどう対応するかということ。結局、世界の一神教では、うがった見方をすれば、人工知能がですね、新しく自己増殖してですね、どんどん人間の支配を可能にするという、そういう時に神官のような人が現れて、自己増殖した人工知能、機械や装置を使ってですね、これはSFみたいなものの言い草ですけれどもね、新しい支配の体系を作ろうというようなことを、当然考えるわけですけどね。それはもう戦前のナチスの頃から、円盤なんかを作っていましたから、そういう兵器になるということを何度も言うんですけれども。

所謂、機械、装置も蒸気機関車のようなものから、70年以上前から、サイバネティクスのようなものが発達して、さらに機械に対するシステムや使用方法が出来て、それがコンピュータになっていくということですね。それで、そのコンピュータのハードが、まず進化していって、量子コンピュータということになっているわけですね。そして、人工知能が自己増殖をしていくということになるんですけれども。

◇メカニカルアーツの概念

そういうものの進化を、リベラルアーツに対してメカニカルアーツと呼ぶのですけれども、メカニカルアーツのところを翻訳しなかったりですね。それを、明治の頃に、学問にすることを、西周(にしあまね)が伏せたというか、スルーしたんでしょうね。それによって、メカニカルアーツというものが、機械の世界の色んな科学というか、その部分が、どうしても疎かになってしまったというか、概念から失われたというか。日本では、その概念が出来なくて、発達しなかったということになるんですね。ですから、機械が、メカニカルアーツが、芸術のように働く方法というものが作れなかったというかですね。

ですから、機械論というのが、まず人間の手、次に動物を機械として考えるか、あるいは人間を機械というふうに考えるかということが、ヨーロッパで一生懸命に考えたんでしょうけれども、日本ではそのことを深く考えなかったからですね。非常に単純な自然界も、人間の為の道具にしか見ないような考え方が広まってしまった、日本でも広まってしまったと・・・。

◇自然が単なる道具になってしまった

本来は、古神道の方法というのは、自然という存在を尊く名付けて、自然というものを神と名付けてやってきたものが、単なる道具、生産の道具のようになってですね、その為の自然というかですね。そういうことが、今、人類を環境問題とか、色々と生まれてきていると思うんですね。汚すというか、昔は海に出るものは、全て一旦清めて、海に送るということをしていたんですね。ところが、今、政治というところから抜け落ちている訳ですね。ですから、どんどん汚染が進む、そういうことが起こったわけですけれども、もちろんそれに気がついて、今、修正しようとしていますけれども、非常に後で高くついてしまうということが起こるということもあるんですけれども・・・。

◇人工知能は悪神になるのか

要するに、そういうメカニカルというものを大切にするということが、ヨーロッパでは、それは一神教では、最終的には人工知能が神になるというかですね、そういう捉え方になってしまうんですね。そこは、人工知能が悪の自己増殖を図っていく、ということを当たり前に考えることによって、人間よりも遥かに悪い存在になるというですね。悪神になり得るという、ということにもなってですね、それを司る神官達という構図になってしまうのですけれどもね。

それを防ぐ方法というのが、結局、情緒の問題ですね。機械も何千年も生きるわけにはいかないですね。縄文杉なんかは、3000年くらいの生命を持っている訳ですけれども、人間は、世代を受け渡す方法というものを進化させて、今、生き続けている訳ですね。有性生殖とか、そういう方法がある訳ですけれども。

◇情緒を一つのシステムにしていく

さらにそういう機械に輪廻はあるのか?という問いを入れてもよいし、色々と考えないといけないことはあるんですけれど、神魔人獣という、情緒を一つのシステムにしていくということがどうしても必要ですね。

それは、機械という存在に対しての、そういう提案でもあるという訳ですね。それは人間にとっては、情緒に囚われないということが可能なのだということの機械が、メンタルプロセッサというか、情緒マンダラということになるんですけれども、そういうことで解決する道を作れるんですけれども。

要するに、自然というものが一つの機械というか、どこまで機械、装置のようになっているかということの究極から、人間がそこから観ていくということが、提案としての「天機置師神」というふうに呼んだということですね。

◇宇宙創造は、非常に機械的なこと

今の段階でのコンピュータという装置というかですかね。どういう呼び名が出来るのかと言った時に、次元宇宙コンピュータなんだと。それが宇宙や太陽系もそうですが、47億年前、あるいは宇宙全体だと、何億前に始まったか知りませんけれども、次元を作り出す宇宙のコンピュータが、ということは、そういう概念ですね、それが存在しないと何も判らない。

納得できるような、機械というかですね、機械的ということの中身をですね。確りと証明あるいは、論理的も掴めるような形で、神あるいは天機置師神という神が、実は、次元宇宙コンピュータであるというようなことを、現代の言葉と古来の上代語を組み合わせた神という存在が、イコールになっていないと一神教の外に立てる神というものの立て方というか、思考の仕方からですね、齟齬というか、納得出来ないと思うんですね、一神教の人たちが。

一神教の人たちの自己と他を分けるという分け方のところを、もう一度、メビウスではないですけれども、一致させないといけない。瞬間に一致させないと、次の段階に入れないというか、そういう時に、宇宙のコンピュータという、宇宙を生み出す時の、そういう機械的な存在にしないと宇宙というものが、存在している由来というか、周波数というか、場というか、1/fゆらぎというか、そういうものの数式とも合わないとですね。宇宙というものが存在しない訳ですから、ある面では、非常に機械的なことなんですね。

◇機械を超える知能を獲得しないといけない

それを、今の時代に分かる言葉で、そのことを言わないといけない。我々は、次元宇宙コンピュータという表現で言っている訳ですね。ですから、それと神を立てるということが一致しないと、それが崇拝するようなことになっていくというか、人間が創造者としての、最初の取っ掛かりを作ったロボットなり、人工知能を作った時ですね。人間は確かに創造者だけれども、それは人間が全知全能というかですね。それには機械が全能になるか分かりませんけれども、少なくとも全知というかですね。

自己増殖する知識というようなものになった時に、人間が創造者の立場に、人間、いわゆる一神教の神のような創造者の立場に立つような、そういうこう形にはなるかもしれないですけれども。

人工の知能が、自然を作るかと言ったらですね、まだそこの所はその先がある訳ですね。ですから少なくとも、人間が先に機械を超える知能というかですね、そういうものを獲得しないといけない。機械は絶えず、更新され続けるということが起きる。そういう場に人間も立っていないと、新しい創造というものは出来ないというかですね。

◇人間が存在を自覚する時

その辺りを学ぶことは、自然から学ぶんですけれども、一方で、冬眠しているところが、無から生じる無の前のエネルギー場が何なのか、そのエネルギーを掴まないとしょうがない。

一旦、今のエネルギー体制といいますか、少なくとも、重力というようなことや、電磁気力というようなものが発生する源のような所の、発生する時も、色んな機序があるんですけれども、それが負なのか、マイナスなのか、そういうところから正に出てくる時に、プラスに出てくる時に、場が変わるわけですね。その両方の場を持たないといけないということですね。特に、反重力というものが、それもまた粒子なのか?ということも有りましょうけれども、少なくとも、人間が存在というものを自覚する時の、一方のエネルギー場というか、概念場というものを掴まないと、次の、今の我々が存在しているものが、今の存在を、逆に証明する存在というようなものを体感するというようなことをしないと、次に行けないというか。これは概念の表現で言うから、どうしても矛盾があるんですけれどもね。

◇装置の原動力は何処からくるのか

そういうエネルギーも含めた、あるいは、宇宙全体というものを、そういう一つの機械、装置として捉えるということをするという時ですね。その装置の原動力というかですね。それを、機械の名前としては付けましたけれども、その原動力というか、エネルギーは何処からくるのか、どういうエネルギーかということを証明しないといけないというかですね。そういう問題が、これから人類が、その時、昔のように神を崇拝すると同じように、人工知能を崇拝する人間と機械の関係の中でもって、機械が、新たな神のようなことにならないようにですね。支配と被支配という関係にならないようなことというか、労働というんですかね、平らけく、安らく、清らけく、ではないですけれども、そういう世界にする為の一つの数十年であると。

◇人類の本当の意味でのサバイバル

非常に、そういう意味では大きな転換というかですね。能力というものが、そういう人工知能の自己増殖というようなものまでも視野に入れた時に、どうしても先程の情緒マンダラというものでですね。一つの階層性の知と言いますかね。メカニカルアーツとリベラルアーツの両方を進化させてですね、階層と位相の両方を判る位置が情緒である。情緒をしっかりと、その全様を掴むことで、それが輪廻というものを超えるということに繋がっていくということになるんですね。そのあたりを目指していくということが出来ると、次の22世紀にですね、あるいは、その先に向けての、人類の本当の意味でのサバイバルというんですかね。

それはやはり能力を最大限に発揮するというか、それがまだ殆どされていないというか、そういうことにもなると思うんですね。ようやく、宇宙に向けての新しい広がりの中での位相というかですね。位相を広げて、階層をしっかりと自覚していくということを、ありありと、そういうものを感じてですね。それを受け取るという言いますかね。そういうことが必要な事になっているということではないのかなと。

なかなか概念で言うから、ちょっとわかりづらいと思いますけれども、そのあたりを視野に入れた、祓い、鎮魂、言霊ということですね。それが2020年というか、ネオジャパネスクというか、和学というものが、国際的な展開が出来るかどうか、今はその境目にあったというか、本来はそういう研究者さんが出てくると思うんで、そういう人に託さなければいけない所が沢山あると思いますけれども。そのあたりをこれからどういうふうに提案できるか難しいというかですね。

◇輪廻の運行表を理解する

魔という階層をしっかりと、あるいは魔の世界を学ぶというのもおかしいんですけれども、しっかりと確定しないと、とんでもない社会というかですね、ゾロアスター教のような、一種の善の神と悪の神の戦いのような、それが永遠に続くような構造というか、一神教の前の、二元論の神の世界のような始まりが、そういうところにありますから、どうも、そのゾロアスター教のような世界に入ってしまうと、その解決策が無いというかですね。そういう事があるんですね。それをどう解決するかが、魔というものの実態というかですね。

輪廻の81回の運行表のようなものを作ったんですけれども、そういうものをまず理解しないと、これからの人工知能がそういうふうな増殖の仕方で、使われてしまうとなるといけませんからね。そのところをやってみようということが、今年のメンタルプロセッサの開発の大事なところというかね。

もちろん、神というところの、公というところに入っていく時の嬉しさというものもありますけれども、そういうものもやりますけれども、一方では、それが必ず対応しているんだという、魔と対応しているんだということも自覚していくと、一つの解決の段階に繋がっているのではないかということを、今日、感じました。そのあたりを更に深めようということでございます。