0319話:2018年01月18日

おはようございます。
何かありますか?

 

●Iさん
はい、では、すいません、お時間いただきまして。今、恵果ちゃんの声がしましたが、お祓いをしていて思ったことが、自分が正に、赤ん坊になる感覚といいますか、今、ここで話していることが、正に、ご指南いただいていることが、まさに、赤子に戻っている気持ちといいますか、この緊張感とかもあるでしょうけれども、賢治先生を親と見立てて、自分が赤子になった気分で話させていただいています。

恵果ちゃんと毎日、毎日ではないですけれども、恵果ちゃんがきた時に、遊ばせていただくというか、ふれあいがあったりするんですけれども。その中で、笑っている時もあれば、物凄く怒りだったり、泣いたりということもあるんですが、生まればかり頃の感覚というそういうものが、今話している感覚が本当にこう赤子にもどったような感覚で、少し話しが戻ってしまいますが、今、そういう感覚で話させていただくことが、有り難いことだと思っていまして・・・。

また、このお祓いをすることで、初心といいますか、一といいますか、赤子になった、生まれたという所に戻ることができるのかなと。あまりまとまっていないのですが、そのように思っておりまして、お祓いをした時に色んなテーマが出て、色んなシュミレーションをしてしまう頭なので、お祓いをしながら、色んな人と会話していたりするんです。

例えば、それが、賢治先生だったり、妻だったり、智樹さんであったりと、こういうことが同時並行というか走っている感覚があって、ここで賢治先生にお話したい別のテーマもあったんですが、とにかく、赤子になって、賢治先生と話させていただくといいますかね。

そういうことをさせていただいているということが、これから新しいテーマについて話させていただくということもあるかもしれませんが、今、そういう機会をいただけるということがとても有り難いと感じてまして、それをお伝えしようと思いました。以上です。

 

【七沢代表】

◇天雷无妄

聖書をよく引用すると、キリスト教徒ではないかと言われるんですが(笑)、やっぱり、マタイ伝にも書いてあるんですが、「幼子の如くあらずんば神の国に入ること能わず」と幼子の如くということですよね。初めは天衣無縫というか、何も悪いということを知らないんですけれども、人間関係、社会関係の中で、身につけていく訳ですけれども。元々は、空というかですね、人をお創りになった似姿になるんですけれども、その前は、何もないというか、学んじゃうこともあるんですけれども。まあ、段々、経験を積んでいって、自分の都合のいいというか、社会での共同の主観を作らないと暮らすことはできないんですね。ですから、一人で自然の中で住むという不可能なことしか考えられなくなるんですけれども。

神道では、特に、言霊と白川というのは、天津菅麻音図というか、誠とかそういうことを中心に置いて学ぼうというか、そういう境地を作ろうということが多いと思うんですね。そのところにいくことは、結局、悟りというんですかね。いつの時点でも、幼子のようになるというのは、一種の危険ではないかと思うんですね。

確かに、そういう問題もありますから、騙されたり、色んな洗脳も受けたりすることも起こってきますからね。それでもなお、そういう幼子の状態のほうが、有利というのもおかしいけども、力になるということは、易の卦の中にあるんですけれどもね、天雷无妄という。

◇純粋に生きる

そういうことを、文学上に実現した人が、武者小路実篤さんという、白樺派の小説家・文学者は、そういう世界を追求していてですね。山梨にもそういう白樺派の美術館がありますけれどもね。歴史上にない、その共同体の“新しき村”を宮崎で始めました。非常にこう、新しい学びというものを作ろうとしたんですね。

それは、ある種、理想形を実現するということは、難しいとこもあったんですけれども。ただただ、純粋にやるということが、強いことだということを証明することは、難しいことだと思うんですよね。人生において、そのことが本当に良かったということを掴んだほうが、幸せかもしれません。余計な心理を使わなくて済むし、少ないエネルギーで、その神というか純粋の世界に入れる方法を掴むと、易でいう天雷无妄、そういう世界もある訳ですからね。

そういう純粋に生きるということが、全てを経験し知った後でという、その上でということもありますし、その上でなお、純粋に生きるという方法もあれば、最初から、子供の幼子のように純粋に、ずっと純粋に生きて、幸せだという場合も、色々とケースはあると思うんですけれどもね。若い時には純粋だけで生きざるをえない時もありますが。

◇神魔人獣を網羅する

良いも悪いもそういうものの、運行方法があるのではということで、今やっているわけですね。今年、目指そうというのが、神魔人獣、メンタルプロセッサー、情緒のマンダラというか、そういうことで、良いも悪いも全ても網羅して、何と言うかな、心というんですかね、良いも悪いも様々な人間に出てくる情緒を、解剖あるいは解体しますという、それを体系化するということまでやるわけですね。

ですから、神魔人獣を網羅するなんていうのは、尋常なことではなくて、悪巧みも全部、一旦観てしまうというか、その時には、自分がその気持ちに、嫌だという場合は凄く反発したりすることも起こるし、運行法則を見るということは、ある意味では自己の良い夢の解体でもあるし、悪というか、もしも、そういうものがあるとすると、そういうものを解体することでもある訳ですね。それは、良いところもあるし悪いところあるんですけれども。

ただ、一度しないと、回心が滞って安心できないというかですね。それが科学的なであろうが、宗教的であろうが、道徳的あるいは、文学的であろうが、芸術的であろうが、そういう追求の所の手を休めたら、ある面では、非常に世界の意識進化というところには、なかなか行きづらいと。

◇確認してより良く生きることを決意する

今、やっている仕事もそうですけれども、この中での祓い、まさに大祓による問題意識といったらおかしいですけども、そういうものを呼び上げて、それを綺麗に解体する作業でもあると思うんですね。それが、命の、生きるのを煩わしくするためではなくて、よりよく生きるために、そういうことをするということを、仕事や人生の中でやっていこうということを宣言し始めているわけですね。

ですから、当然、この大祓というものは、解体していくということは、その結果、そういう悪いことの確認もそうですけれども、なお、一つひとつを自分に入れたくない、聞きたくないということではなくて、それを自分自身に宣(の)るというか、祝詞して、確認しながら、「あ、そうか」と納得することで、マトリックスの上において、それでもなお、より良く生きるということを決意するというのが、大祓の題目だと思うんですけれどもね。

そういうものを、信仰でなくて実践するということが大事な所で自分自身のしっかりとした確認にする作業というんですかね。自己自身のそういう精神の場を、綺麗に見据えていくというか、その上で、それが死んだものにしてしまったら、しょうがないんですね。

マトリックスにするって、磔の刑にするようなことでですね。色んな情緒をですね、昆虫採集するようにしても、意味はあんまりないんですね。やっぱり、人は生きているものだから、その生きている動きを確認するけれども、それを人間関係の中で、自己の中で解決していかないといけないということを、我々は、これを構文でもって自己と向かい合って作っているわけですね。

◇複合一人称構文から優先構文へ

一番酸いも甘いもやってきた、Iさんが中心になって、皆さんの色んな文章を集めてもいるわけですけれども。これは、文章になっている、テキストになっているものを解体して、もう一度、観ても大丈夫というかですね、そういうことをするというのが非常に大事な作業と言うか、我々のそれが一つの大きな仕事にもなると、どんどん大きくなると思うんですね。

これも始めていただいているわけですね。こういうものは、構文にする時ですね。一人称でもない、二人称でもない、複合一人称構文という、これは三人称ともいう、人称でいうと三人称みたいなもので、自己の中における、他者がいて、またその自己の中で、他者と自己との関係性の良し悪しをもう一度また、それがどういう気持ちになっているかを見るというか、自分が見るというか、自分の中を観察する訳です。

これは一番新しい科学的な手法になりつつあると思いますけれどもね。心理的にみますと、自己自身の中に、他者がいて、二人称になったり、それを三人称と言わないで、複合一人称といって、自分と他者との間に、二人称の間における、そういう自分がそれをどう感じているかということを発見していくということを、複合一人称構文としている訳ですね。

昨日、たまたま、Oさんと話していたら、西洋占星術を客観視する方法というものを、今回の次の講座でやろうとしているわけですけれども、この時の内容を検討していたんですけれども。我々が、構文としてやっているものを、内部で観察するということを通じて、その客観視をした時に、何が次に優先されるか、その構文になるのか、どういうふうに書けば納得できるのかということが見えてくるということですね。自己の中で二項対立して、自己の中の他者を攻撃するということだけでは無いわけですね。

◇幼子のごとくなることが気持ちいい

Iさんが感じた子供のような感覚というのは、実証実験みたいなもんですね。お祓いを、大祓をあげてみて、どんな感じになるのかという実証実験みたいなもので、そんな中には、自分の中にある子どもじゃない、大人の感情もある訳ですね。それも対象化して、それが自分自身の中にあっても、幼子のごとくなるということが気持ちいいんだなということが感じられました。

そういう意味の一種の複合一人称構文から優先構文になっていくというか、テキスト的にそういうものを掴んでいくということが、それが我々の実証実験みたいなもんだと思うんですね。そういうことを通じて、実証をしていくということが、それをビジネスや色んな場面で、仕事の中で、それがカルマ・ヨーガになるか知りませんけれども、少なくとも、今年の教育という事業に邁進することもありますから、綺麗なマトリックスにしてですね、確かにそうだ、ということを確認することが、非常に大事なことになるかと思っています。

◇節分で大きく変わる

三嶋大社に行ったりしてですね。昨日帰って来て、昨日の神事と言ったら、あれなんですけれども、通過儀礼あるいは、臨時祭ではないですけれども、どうも、節分で大きく変わるかなと。今、冬至~節分にかけて、節が変わるわけですけれども、いよいよ、本格的な平成三十年という事になっていった時に、そういう時に、我々の真価を問われる時でもあるんですけれども。多分、その時に、自己自身に問うことになるであろうかと思うんですね。

そういう面で、自己の中の色んな意味の精神の中をですね、綺麗にまとめるというのか、本当に、平安清明な気持ちでもって、その新しい節分を迎えるという。それまでは、寒さもありますけれどもね、若干こう、あと節分の2月3日くらいまでは、ご苦労あるかと思いますけれども、物凄く大きく変わりますので、そのことが分かったというか、今更、分かったというか、7日前に分かったから良いかとも思うのですが(笑)

少し早く分かって、きっと良い節分というか、平成三十年を迎えられるんじゃないかと思っておりますけれども、毎回、正月を迎えるような感じで、また2月になりますけど、大きく展開を始めていきます。そのちょうど、今、寒い所も耐えていくというかですね。その割には、非常に明るいものも、いっぱい出てきているので良いと思いますけれどもね。

そういうところも大きく展開してくるのかなと、もう少し暖かくなって節が変わるまでもう少しですから、もうちょっと我慢していただいて、良いところにいくと思いますので、スッキリとした平安清明な幼子のごとくなっていくというのは、非常に良いことだと思っておりますので、よろしくお願いいたします。

ありがとうございました。