0320話:2018年01月19日

おはようございます。
何かありますか?

 

●Rさん
お祓いが始まった時に、パイプオルガンの音が聞こえて、私は生で聞いたことは無いんですけれども、両親がクラシック好きなので、サン=サンーンスという方だと思いますけど、交響曲でパイプオルガンをメインでやる曲があるんですけれども、聞こえたんですよね。半年くらい前にも、幼稚園で先生が演奏されるようなものが聞こえて、影響されているのが信原さんが一度、第九、あの交響曲のですね、ベートーヴェンの。これが、意識に凄く残っているのかも分からないですけれども、まれに今日も、凄くパイプオルガンの感じに聞こえたというのは、新鮮な体験でした。

ちょっと話は全然変わるんですけども、昨日、Iさんが赤ちゃんの話をされていて、ちょうど智樹さんの席の近くに、哲学事典というものがあったので、最近、読ませて頂いているんですけれども。そこで、赤ちゃんに関する哲学的な命題というものが、人間の赤ちゃんが生まれた時は、白紙かどうかというもので、イギリスのジョン・ロックという哲学者が、弁護士の家に生まれた方なんですけれども、政治家になって。タブラ・ラーサという表現を使って、赤ちゃんは白紙で生まれるのか、それは経験論、人間が色んな概念を、後天的に経験的に得るんだという主張なんですけれども。

それに、一方、同時代に、ドイツの数学者のゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツさんという方が、微分法・積分法を発見した方なんですけれども。そのライプニッツさんの意見では主張では、そうではないということで、生得的な観念というものがあって、生まれ持っていて、赤ちゃんは白紙ではなくて、色んな並行の概念とか神の概念とかも、全て含まれているに違いないという主張をしていたんです。

未だに、その論に関しては、決着は着いていないようなんですけれども、僕の中のロゴストロン理論の中では、明快な答えは出ていると思っていますし、最近の2000年に生物学で、ゲノムが解析されて、これだけショウジョウバエと人間も殆ど遺伝子が同じだけれども、なんでこんなに違うかということに関して、ジャンクDNAの部分も影響しているというのが今の現代の意見なので、いわゆる精神遺伝子というものも当然あるでしょうというのが、生物学の世界でも殆どそういう強いので。

そう考えれば、ジョン・ロックさんの意見は、やはりその違うという言い方はいけないですけれども、生得的な観念はあると考えたほうが、世界中の人は、そう思っているのかなと思っていまして。

ただ、ジョン・ロックさんも、全部その概念を無視した訳ではなくて、ただ、神の概念に関してはあるに違いないと、そういう空想や思考を超えている部分、それは、教えることや、そもそも経験をしてもないのにその概念を、全ての人間は知っているわけで、それは、イギリス経験論からも大きく説明出来ない所なので、それは認めていたそうなんですね。イギリス経験論者の他の方々もですね。そう考えると、ロゴストロン理論では、当然そこに答えを出していますので、非常に先進的というか、やはり、今、やっていることは、本当に最先端の中の最先端だなと感じました。

 

【七沢代表】

◇釜鳴りの神事

まず、色んな音が聞こえるというは、昔からあって、色んな音に聞こえることもあるし、どっちの方角から聞こえるかにもよって、それは神事というか、白川ではそういう方法があるんですね。

どちら側から、一緒に上げている祓詞の声がどの方向から聞こえて来るように感じるか、色々とありまして、それによって、占というのもおかしいんだけれども、元の釜鳴りの神事なんかもそうだけど、ここ祝殿が釜のようなものですよね。それで声が、みんなの声が、蒸気のそれというか、ピッタリと合うと、その音が釜の音が家ごと揺らすくらいの大きな振動になるんですね。

釜に水を入れて、沸かしたり蒸したりする時に起こる振動、昔の家は、竈(かまど)なんてありましたけれども、それが鳴ると本当に、2階建ての家が大きな家だったんですけれども、よく振動していましたから、そういう経験があるんですけれども。

その小型のものが、釜鳴りの神示ですね。白川には伝わっていて、今、東京の御田八幡神社御田に、白川で使っていたものが、納めてあるんですね。そういうお道具で、釜鳴りの神事といって、白川にはあるんですね。一部、吉備津彦の神様ではないですけれども、岡山の吉備津神社にも、そういう神事がありますけれども、どっちから音が聞こえてくる、どういう音が出るかということで、吉凶ということを占います。

今日、たまたま、R君に聞こえたと言われたのが、パイプオルガンの音だったと。そういうことというのは、言葉で感じる人もいれば、音で音楽を感じる人がいたりですね、音の方向で感じたり、色々と白川にはあるんですね。そういうパイプオルガンあるいは合唱とかね、幾つかのバリエーションがあると思いますけれどもね。そういうことが確かにあると言えると思いますけどもね。だから、あまり気にしないでも良いし、自分がそういう耳というか、そういう傾向がある、音で分かるというかですね。段々それが、どっちの方角から聞こえて来るかとかで、そういうことによって分かることもあると。ご修行の中にもそういうご修行があるんですけれどもね。

◇先天と後天を使い分ける

先天の気というかですね、あるいは後天というようなこと、これは創造者から被創造物、創造されたもの、あるいは、創造されたものが、同じように創造したことと同じようなことをするという意味でのそういう構造があろうかと思います。哲学的には、それを先天、アプリオリという言い方をするんですけれども。そういう先天というもの、中国の哲学的にもそういうものがあるんですけれども、それが一つの先天が始まるという、先天の気というものも、中国的な言い方であるんですけれども。

白川あるいは言霊というものは、先天というものと後天というものを、使い分けるということが、一つの言霊や布斗麻邇ということの中身である訳ですけれどもね。ポイントは、そういう、昨日は新しい本を作りたいということを提案しているんですけれども、水に関して、新しい本を作りたいと思っています。

◇ウォーターデザイン

白川の神話とか、祝詞とか中臣寿詞とかありましたけれども、水の主は御中主ですからね、水の中の主ですね。そういう書き方もあるくらい、始まりに関わる神は水の神様と言ってもいいくらい、それがエーテルかどうか、あるいは水がどういうふうに、この宇宙に出ていくのか、水の神というのは、化学的には酸素と水素が出会って、ある面では、燃えてと言ったらおかしいけど、水になるでしょ。

はじめにある存在としてのそういうものが、ちょうどデザインされていくというか、宇宙創造のところがデザインされていくというような所で、「ウォーターデザイン」、水のデザインという表題、これは久保田先生の会社の名前なんですけれども、昔から20年以上前に。そのウォーターデザインという言葉が凄く好きです。今度は、久保田先生のウォーターデザインという本を、今年の6月くらいで作ってちゃおうということで、昨日、和器の皆さん、会長も来られましたので、一緒に話をしたりしたんですけれどね。

◇先天の布斗麻邇を追体験する

要するに、創造のデザインということですね。布斗麻邇が、先天ということで繋がるということで、我々はやっているわけですね。創造というもの、宇宙創造ということのデザインということ、その先天の気であり、先天の布斗麻邇という意味です。

天の始めからあるというか、そういう存在というか、それに創造の先天にある、創造をまた繰り返していくということが、それを起こす最小単位ということを、言霊というふうにですね、あるいは一音一音の古事記の中に隠されている神の名前が、一音一音であったと。また、その一音一音が、太陽系の中では父韻と母音と子音というような、父韻にあたるものが、惑星であるということを、創造の最小単位が、宇宙の一つの単位でもあると、そういうことの一種の証明を追体験することですね。

これから色々とそういうことが、周波数で分かってくるということを、我々は言っているわけですけれども、そのあたりがこれからミクロコスモスとマクロコスモス、小宇宙と大宇宙、そういうものが先天の宇宙と後天の宇宙と言ってもいいと思うんですね。そういうふうなもので、一つの類比というか同じ広がりを最初の創造の源があって、広がっていくんだということを体験しましょうということが、普段、我々が使っている言葉、あるいは神という働きというんですかね、そういうものを使わせていただいて、元にある宇宙創造の源の布斗麻邇という所に還っていくというかですね。全て余すこと無く、宇宙に全てに見事にはまるように還るというかですね。生と死もそういうことですね。

◇余すこと無く元の創造の姿に還る

もちろん、我々は先天を獲得した後のというか形質というか、DNAとしてあるいは遺伝子としてあるわけですけれども、ある意味では素粒子のレベルからの意味では、そういうものがみんな存在しているといっても良いと思うんですけれどもね。全てが元に分解してというのか、広がってもう一度、余すこと無く元の創造の姿に、始まりの所に還るということが、一つの輪廻といういうことにつながることを確かめる方法というかですね。そのことを確かめる術なんだと思うんですね。

そういう意味では、何も輪廻を悪いものにする訳ではなく、その輪廻というものを通じて、最終的には、戻ってこられるというんですかね。たまたま、今は、何回かスルーすることができるような、そういう知恵というんですかね、取り決めではないですけれども、そこに飛んでいく、そういう意味の我々の命の蔵というか、その生命の蔵が飛ぶんだというようなことですね。それは、宇宙に満遍なく飛んでいるというイメージで広がっていくというかですね、そういう存在なんだ、そういうふうなことですね。

それが、先天と後天の話に繋がるかどうか、わからない所もありますけれども、時間というものの中で、時間というものも、人間にとっての楽しみといいますかね。あるいは神にとっても楽しみの部分なのかも、時空間というものがね、そうなのかもしれません。

答えられたか分かりませんけれども、この辺で、終わります。ありがとうございました。