0327話:2018年01月30日

おはようございます。
何かご質問はありますか?

 

●Kさん
最近、鎮魂ということをよく考えるのですけれども、過去の古典とか読んだり、あるいは省みたりする場合に、それが過去の人に対する鎮魂になるのか、そういったことがあるのかなということ、自分に対してではなく、過去に亡くなった人にする鎮魂になるのかなと思ったので、お聞きしたいなと思いました。

 

【七沢代表】

◇鎮魂は二通りある

鎮魂は2つあると、よく言うんですよね。レクイエムというか、慰霊というか、そういう意味と、五魂を六種鎮魂の方で、五魂を活性化するというか、そういう2通りあって。

今、言ったのは、過去のものを今蘇らせるというか、蘇らせて、過去を今にして、そして、慰めるというかね、そういう方法もあるわけです。うかばれていない存在というのは、実際にあるんだけれども・・・。

魂というものが、バラバラになっているということですね。ちょうど、魂(たま)というものは、五魂からできていると言っていますけどね。生きている時は五魂が働いているけれども、亡くなると一旦、バラバラになって、それが、また、再結合して然るべき場所へ帰っていくというか、その時の働きが可能かどうかというのは、皆、違う訳だけれども。

要するに、魂の人間の中の構成要素というんですかね、DNAであるんですが、それも体遺伝子と精神遺伝子という分数もあるわけですけれども。生まれて成長して構成されて、意識になったり、魂になったりして、それが、また、亡くなっていく時に、元に還っていくんだけれども、その分かる時の要素的なものも、バラバラになって元に還るんだけれども。その魂というものも、しかるべき所へ還っていくということになるんですね。全部、還れないものが残っていくというか、そういうものをどう表現したら良いか分からないから、霊と言ったり、霊体、霊魂としていたんですね。だから、霊魂という捉え方もあったり、霊と魂が別にあったりとか、色々、有史以来、全然バラバラで、同じなのはエジプトと日本くらい、それは非常に近いんだけど、あとはバラバラで、魂ということも、バラバラになっているんですね。

◇生きているものが死者の五魂に力を与える

だから、そういうものを想起したり、思い起こすことで、荒魂というものが、特に中心として残っている、そういう地球に残っているものに賦活する、エネルギーを与える、すなわち、生きているものが死者の五魂に力を与えてですね、残っている荒魂に亡くなった方の存念とかが入って、それに与えて元に還っていただくというかですね・・・。それも鎮魂の役割です。

だから、十分に戻っていないというんですかね、そういう魂というのはですね。それをもう一度、賦活して、然るべきところに、宇宙というんですか、五次元と言いますかね、全体に還していく、そういうことをすることが白川です。

亡き人を思い出して差し上げるということは、そういうエネルギーを与えて御魂をあげるというかですね、そんなことになるのではないかと思いますけどね。それは、神の働きということになる訳ですね。人間が、神に代わって、そういう働きをするというか、魂の次元では、共鳴、共振、同調し易いわけだから、そこでエネルギーを与えて、然るべき所に昇っていただく、そういう意味の慰霊というところにも繋がるのではないのかなと思います。

◇左右両方の回転で神を迎える

例えば、人間の身体の要素でも、ミネラルとかアミノ酸とかタンパク質とかで、出来ているわけですけれども、そういうものにも巡りというものがあって、左巻きの螺旋で動いて回転しているものにアミノ酸各種があり、右巻きで動いているのが、グルコースというか糖質が回転をしているんですね。その動きとしては左右両方の回転で、神を迎えるということを、人間はするんですね。そういうものの働きがあって、その上で更に五魂が影響を受けている。その働きで魂も左に回転するものと、右に回転するものがあるわけで、荒魂・和魂・幸魂・奇魂は右回転、精魂は逆で左回転する、DNAの影響があるということですね。

ですから、祝殿講習のご修行では、我々の身体がその働きを持っていて、その働きの右旋・左旋の渦のところで、神を迎えるというか、その働きを六種鎮魂では再現してやっているんですね。なので、身体と魂が相似形になっている。

もちろん、身体から魂が離れる時のスピードが問題になる。じっくりと還るというか・・・。そのエネルギー場を生命が亡くなってから使うのがミイラとかですね、土葬にすると、そういう働きが起こるというかですね。魂がゆっくりとエネルギー場になっていくと、そこに、即身成仏とか、亡くなってからのエネルギー場を形成して、生きている者が利用したりします。我々は、肉体と魂の両方で神を迎えるというか、神を迎えるためにご修行というか、そういうことがあるんですね。

神を迎えるということで、今後は身体というものが構成している自我、さらに精神を構成している五魂とか、そういうものが神を迎える動きをして、その上で神を迎えて、その渦の中に入って、神と自我が共振するわけです。だから、我々が思っている神というかですね、「なんで、神を迎えられるのか?」というか、今はまだ、そのことは世界で解決していない訳ですね、一部、神秘主義者を除いて、世界のあらゆる神を扱う宗教も分からなかったし、できなかった。

◇神と共振した自我が自己になって・・・

そのことは、白川だけには伝わっていると言ったら高慢になるけれども、だから、我々は、自我がありながら、もちろん、一つの自我がというものが、そのままの状態では、神に近づけるわけではないけれども、神を迎えるわけにはいかないですね。自我が迎えるんだけれども、その時には、自己というか、それは神と共振した自我が自己になってと言っても良いと思うんですよね。そういう存在が迎えていく、ここに神を迎える時に、なかに入っていく時の仕草というか、そういうものがDNAの性質として、先祖という神を迎える。

そして、次に、ここに迎えたら、動きが起こるんですね。動きが起こるということは、旋回というかですね、渦、天鈿女命ということで、渦の目になって、いよいよ、本格的に、次の段階の神を迎える。

それで、アミノ酸と糖質が回転方向が異なるように、魂の回転も違っていく、右回転する神を迎える、そして、左回転をする神を迎える。それが、国津神、天津神の修行にはあるんですね。そして、次第にそういう状態が出てくると、魂がしっかりと見えてくる、五魂がしっかりと整ってくる、右巻きと左巻きの両方が出てきて、そして、その上に、次の神を迎えると・・・。もちろん、国津神・天津神もまた回転の方向がある訳ですね。

◇神の世界はアナロジーで出来ている

そういう相似形のアナロジーで出来ているのが、神の世界というか、今、皆さんは、神の魂ももちろんそうですけれども、神の世界と人が繋がることをやるわけですね。それを、簡単に言ったらおかしいけれども、そのところが残っているのが言霊であり、白川であると。

だから、どうしても世界にお知らせする必要があるのだと思います。神を迎えればみんなが平和になるわけでして、もちろん、荒ぶる神もあるから、五魂との兼ね合いで出てくる、荒魂なのか和魂なのか、そういうことによって、荒魂とそれを鎮める神というか、そういう両方の働きがあるわけですね。

そういうことで、ご修行というものも、祓いもそうですね、祓いも自然に、右回り左回りということが、言葉でできるようになる。もちろん、お祓いの言葉と両方ですね。自然の運行というんですかね、神の運行というものが繋がっているのが、ちょうど五魂で、その繋ぎ目が解けたり、その動きが悪いというのが、五魂のいわゆる、そこに鎮魂をしないといけない理由が出てくるわけですね。それは、亡くなってもそうですし、生きていてもそうです。それで、六種鎮魂ということをする訳ですね。

◇鎮魂というエネルギー場

そういうふうに全て繋がっているのは間違いない。それを、今は、やりましょうということで、鎮魂というものが、ちょうど境目みたいなもので、神を迎えるというところから見ると大変、大事なところでエネルギー場を作って、そこに五魂の働きが、人間だけではなくて、亡くなった人や生きている人でも、あるいは自然でもですね、鎮魂するということをするわけです。ですから、慰霊だけではないんですね、慰霊の根本にある六種鎮魂で、自在になっていくというか、その為の一つのエネルギー場を与える、そういうような意味で鎮魂というものがあるんだと。ちょっと難しくなってしまいました。

今日もよろしくお願いいたします。ありがとうございました。