0328話:2018年01月31日

おはようございます。
ご質問はありますか?

 

●Kさん

最近、意識していることがあって、答えがあるとか無いとか思っているわけではないんですけれど、別に答えは無いのかなと思っていて。この日本語がどのように作られているのか、子音が作られているのか、父韻と母音があって、それらを繋げていて、それが宇宙の法則に則っているというふうに解釈しています。

銀河系を動かしている、太陽系を動かしている、私が唱えることによって、地球で唱えることによって、太陽系の運行が正しく運営されているというか、運行されているのかなとずっと思っているところがあります。そういうことをお祓いの時に考えながら、宇宙を思い浮かべて、「今日も運行できたな」と思っていて。

この日本語も消えていって、言葉さえも無くなってしまったらどうなるのか。私達が地球で何かやることによって、太陽系がちゃんと動いているのかなと勝手に考えている感じです。だから、日本語が無くなってしまったら、この太陽系も動かなくなって、滅んでしまうのかなとか思ったりしています。

 

【七沢代表】

◇意識が広がるにつれて分かってくる時代

太陽系の創造ということが、47億年前に始まるんですけれども、その見取り図みたいなものがあって、それで始まっているというか、それが今も維持されているということが、奇跡と言ったら奇跡ですね、それに人の働きが関わっているということなのかもしれません。

そういう見取り図を、感知できるというか、そういう存在が人間でもあるというかね。だいぶ、その辺りは、主観的というか、宇宙というか地球の創造の研究を、物理学とか天文学とかの応用で宇宙天文学とか、そういう学問で、どこまで解明にもっていけるかというところでありましょうけれども、そういう自己意識を広げた人間主義の宇宙をつくりあげるということですかね。

そういう人間意識が広がっていくというか、例えば、この太陽系も銀河系を二万六千年くらいで、往復するのか一周するのか分からないけれども、回っていると想像することは、空間的な意識も時間的な意識も広がっていくわけですね。時代というんですかね、今、無重力あるいは科学的には反重力ですかね、言われているということは、地球から毎秒2キロメートルで引力圏を抜けると無重力というか、重力が無いような状態に、反重力ではなくてね、そういう状態になるということで、そういう宇宙飛行の追体験を概念で考えるとかね。

ちょうど、地球から人間が意識で抜けていくというか、星の神様とか太陽の神、月の神もそうだけれども、星もそれが何処にあるのか、今まで分からなかったんだけれども、意識が広がるにつれて分かってくる時代になっているというかね。
そういう意味では、その時代の宇宙観というのは、身の丈に合った宇宙観というのが、段々と出ていく、作られていくということは、間違いないから。そういう流れにあったような自分の空想でも、あるいは科学でも良いんだけれども、そういうもので捉えるということは、悪いことではないと思うんですよね。

今週の話は、今までなかなか言えなかった様なところを言っているから結構、面白いところに差し掛かっているんで、ちゃんと読み返した方が良いですよ(笑)

◇みんな回転している

大事なことは、あの生命の魂の、神の回転の話ですね。それは地球も太陽系を、ある方向で回転しているわけですけれども、そういう回転が、ちょうど神の技と言いますかね。神をお呼びするというのか、あるいは近づく、そういう技となっているということをですね。いよいよトータルで人間の身体から、五魂、宇宙、それから神、天津神・国津神という存在が、みんな回転しているんだということを言っているわけですね。

当然、太陽系も、普通は、太陽の周りを回っているけれども、力学的には、飛び出してしまうはずなんですね。次第に、楕円形になっても飛び出さずに、元の軌道に戻ってくるということが、エネルギー場としては、分からないところがまだあるわけですね。そういう回転という様なところから、神を感じるというかね。
要するに、神に近づく知恵は、神智というんですかね。人智ではなくて、人の知識ではなくて、神智ということですね。19世紀、神智学協会というものもできましたが。マダム・ブラヴァツキーという人が、そういうことを言い出したんですけれどね。そういうものが、シュタイナーなどとかも、「神智学から人智学」なんて言ってですね、変えてきたりしたんですけれども。神を知覚するというか、神を自覚しようとする学問が、白川学であったり、白川なんだと、そういうふうに私は言っているんですね。

◇「神知覚学」

「神知覚学」、神智学ではなく、神知覚学というふうに言っているわけです。我々は、神という存在をどう掴むか、もちろん神を掴んだ方が、結局、人間としては、人を超えるから、得なわけですね。得というのもおかしいですけれどね(笑)

「神を知ったほうが、お得ですよ」っていうことを、みんなにお伝えしている、まぁ、余計なお節介と言ったらお節介で(笑)それが役立ちますよということで、お伝えしてるわけですね。もちろん、普段、我々は人間同士で、自然の中で暮らしている、動物とかも暮らしているわけですけれども。実は、神とも暮らせるのではないのかということがあるということですね。もちろん、神と一緒に暮らすということは、なかなか慣れないというかね。尊いということで、神話にのぼるような神様だけではないわけですけれども。尊い存在と一緒に色んなことを考えるというのは、それは遠いのではないかと思うんですけれども。でも、そういう存在でも、そのまま迎えるという、神を迎えるあるいは神と住みたいということになれば、神と近くなるわけですね。そう思っただけでなります。実際、ここで、お祓いをあげているわけだから、毎朝神様に「おはようございます」って、こういう神様、ああいう神様って名前を呼んでいるわけでしょ。

呼んでいれば来ちゃうわけですよね、当然、近づいて来られて、その結果、自分も神に近づくというかですね。そういうことをやっているわけだけれども、それが今の時代では、出来そうな時代になってきたというか。それは、宇宙というもの、地球というものを創られた神が、きっと人間に近づいているというようなことで、今は、そういうものを神智というところまで、人が知るようなことが可能になってきたということでもあるわけです。

◇言語という客観視する周波数を授かった

昔は、言い伝えとか神話とか、白川なんかは、特にそうですよね、古事記でもそうですけれども、皆、隠されていました。襖の中に埋め込まれたりね。あんまり知らせないようなことで、江戸時代になって、いっぱい色々とそういう神話も出てきているんですね。

だから、神の技というものを、今の時代で受け取ることができる。科学でも、その中に、太陽系の仕組みというんですかね、完全な規則性で出来ているわけですね。平面に、全て惑星が並んで、太陽の周りを動いているわけですね。それの比率というのは、全て黄金比で出来ている、そういう意味では完全な数学ですね、物理学でもあり、数学でもあるというふうな、そういう正確なものが出来ているということ自体が、もう奇跡というかね。

そういうことを人は学んで、それが神の技ではないのかということで、しかも、それが言葉とも繋がっている。言葉というものが無ければ、この神智も知る余地もないわけですね。ただ、自然の中で運行していた、動物と同じように人間もただただ、神と一緒にいたというあるいは、その中で暮らしいくという、恐怖もあれば安心もあればというような形で。

だけど、人間は、たまたま神の技に近いところで、それを知るということを、言語という客観視する周波数というか、音というかそういうものを授かって、特に、日本語は、そういうものではないかと言っているわけですね。そういうものを掴める時が来たということで、その内容を精査していくと、宇宙の惑星の周波数と言葉が、どうも使っていたんではないかと、だんだん分かってきたということですね。

「言葉が神である」ということは、「神を言葉でもって迎える」ということで。江戸時代には、とほかみ講というものがあったということも言ったんですけれどもね。「とほかみえみため」を唱えるだけという。実は、天皇の賢所(かしこどころ)という、賢所(けんしょ)というところで、40回言うだけなんですね。「とほかみえみため」だけなんですね、最終形は「とほかみえみため」だけを唱えています。

40回にも意味があるんですね、母音と半母音を除くと40なんですよね。だから、40の数を目処にして、「とほかみえみため」ということが、一番伝わっていた、本当は凄い秘伝というかですね。それを江戸時代は、普通の庶民がやっていた時があったということですね。とほかみ講というのはですね。白川では、3回を前後で言っているだけですけれどもね、これを40回言うというね。だから、何か困ったことがあったら、「とほかみえみため」を40回言ってですね(笑)

◇太陽系の惑星の周波数

だから、人智学のシュタイナーのシュタイナー農法は、金星のエネルギーとかね、土星とか木星とかのエネルギーを農業に、種から芽が出てくる時に、それに合わせて蒔いたりするということもあるんですけれども。それは、少なくとも惑星のエネルギーを、物事が出てくる、創造する、種から芽が出て花が咲いて実がなっていくところに、エネルギーが働くということを言っているわけですね。もちろん、シュタイナーが間違えたのが、惑星を五行に、あいうえお、あるいは五行に置き換えたことが間違いだったというか。

もちろん、水金地火木土ですから、そういうことで惑わされたんですね。惑星と五行が、地球の五行の展開を、ただ、太陽系の惑星に当てはめただけなんだけれども、それで、そこから出てくる周波数みたいなものを捉えるのに、アイウエオの母音にした。結局、農業をやるのには、それも役立っていたんだけども。それが、まさか母音だと思ったんだと思うんですね。そもそも太陽系の惑星はそれぞれ父韻だから、多言語には父韻という概念がないから、母音以外は全て子音だからですね、理解できなかったんですね。

日本語は、明治以降は、ローマ字がヘボン式で入ってきた時に翻訳した時に、ローマナイズした時に、TKMHとかそういうものであるということが見えて、それで父韻というものを自覚するようになって、それにも、周波数と言うものがあるということが分かって、そして、それが太陽系の惑星の周波数ではないのかということを、我々は言っているわけですね。

そういう周波数というものが人間にとって、言語とも繋がっている。そういうもので構成されたコンピュータ、太陽系の一つの精緻に動くコンピュータのように機械的に、ある面では動いている存在としての太陽系を自覚する為に、数の論理だけではなくて、言語が人間に用意されていたんではないかということです。

◇意識を拡げていこう

そういう意味合い、そして、そういうものに感謝するというか、情緒が出てくるわけですけれども。そういうことを通じて宇宙創造とかですね、神というものを理解することで、神智を更に知覚する、自覚する、そういう学びをしたら良いかなということですね。そういうところで、やっているわけでですね。

そういうことを、脳が自覚したり、知情意で知るということが、学びになっているということの一貫というか、だから、そういうことを感じたりすることで、意識を拡げてですね・・・。それが、意識進化に繋がるんだというところまで拡げていこうということを、ここではやっているということですね。そんなことですから、何も白川の門人さん達だけはなく、これは当然、皆さんも読んでいるわけです。ですから、皆さん方にも言っているんだけれども、見えないというか、今ここにいない白川の人にもお話しているということなんですね。

何故、こんなことを、毎日、1年間続けてやっているかということはですね、どうも、そうしたほうが世界も一人ひとりも良いんじゃないのかなということで、言わせていただいているんですね。そういう発想になるということは、非常に大事なことではないのかなということでございます。

よろしくお願いいたします。ありがとうございました。