0332話:2018年02月04日

2018年2月4日立春祭 直会での代表挨拶

◇形で残している

作法で残すということは、形で残っていると言えるんですね。形に残るということは、元々、内容があって形で残しているんですね。逆に、形から入って本質に入るということも可と言いますか・・・。

もちろん、最初から本質だけを掴もうとする方、あるいは掴む方もいらっしゃるんでしょうけれども、大概は一度、形から入って本質を掴むということが、作法の良いところですね。これは、日本の特徴でもあると思うんです。 作法は、公家の作法と武家の作法とがあって、白川の作法は、公家の作法の代表的なものということなんですね。混線しているところもあって、正月のお供えの勝栗なんて、勝つということで武家の作法が、逆に、公家の方に入り込んでいる場合もあるんですけれども。基本的には、平和的なものというんですかね、公家の作法とは、平和的というのは間違いないんですけれども。特に、そういう神様を迎える作法ということが、白川の神拝作法です、神を拝する作法ということですから。

◇一つひとつの所作が理に適っている

これから柏手も、なんで合わせるのかということも、科学でも段々と分かってくる時が、もうじきなんですね。これは、ゼロ磁場ということにも繋がるんですけれども。白川なんかに残っているのは、指の指紋ですよね、これが渦巻紋とか、流紋とかあるんですけれども、この指紋のところから気を出すという図も残されています。 要するに、柏手を打つとか、第6種鎮魂のような作法とか、一つひとつの所作が全て、今の言い方でいうと、理に適って伝えると言いますかね。理学という言い方をされていたんですね、明治の頃は。実験祭祀学は、私が名付けたんですけれども、そういう祭祀の実験みたいなものですね。それが、神拝作法の中に、別に何種をお伝えしたって、別に、天皇陛下は柏手を見えたり聴こえたりしないでされる方法もあるわけですね、二種一種という柏手は。 神拝の趣旨は、三種の中に全て含まれているということですけれどもね、そういう作法もあると。

◇形に表さない作法

逆に、作法にならない作法もあるんですね。無い作法というのも、おかしいのだけれども、形に表さない作法もあるんですけれども。その精神と意味と事実ということですかね、それらを十分に理解し、出来ないと意味が無いから、全てお教えしてもよろしいんですよ。 例えば、第三種作法では60数回打つわけですね、それが、64州(国)とプラス天地というか、一つひとつの国の一宮の神様を迎えていく訳ですね。それで天と地を、そういう66というのは、基本的に天皇の作法の数があるんですね、88と66なんですね。それに基づいて、八咫烏も部族長というんですかね、決まっていて守っているわけですね。

したがって、そういう霊団が昔からあったんですね。特に、光格天皇というのは、私の姉のところに光格天皇がお使いになった茶碗ですね、これは本当に素晴らしい茶碗があるんですけれども、それをいつも見せていただくんですけれど、光格天皇の時にも、守る霊団グループがあって、名前が付いていたんですね。これは、その名前が付いて守っていたわけです。

これから、大嘗祭という時に、きちっと結成しないといけないわけですけれども、その辺は口を濁しておきますけれども(笑)そういうことの展開がいよいよ起こります。 歴史的なもので、平家も平清盛なんかもそうですね、そういう守る部隊がいる訳ですね。 平家も源氏もそうですね。ましてや源氏の総大将のところに、明日はお参りに行かないといけないので、明日は失礼させていただくんですけれども。

そういう白川も、源氏という姓をあげる役だったんですね。 ちなみに、私は、源の政一位 七沢の賢治という、その前に、白川の朝臣というのもあるんですけれども、だから、戒名にすると相当長い(笑)正一位ということで、神社の稲荷大神なんかは、正一位をもらったりしているんですね。だから、最終的には源の政一ということになっています。まあ、そんなことは大したことではなくて、偉そうに言っていますけれどもね、先生からいただきました。

◇祝詞は守る人たちの為に・・・

昔から、元々は、守る人たちの為にあげていたのが、大祓の祝詞で。ですから、斉藤さんも守る人たちの為に大祓をあげてもらう役なんですね。今後は、国を守るという為の祓いに、しかも毎日皆さんであげていただくということが、非常に大事な役割というか。皆さんで、あげているんですね。 国を守るという意識でもって、だから、白川では、一宮の全ての神々をお祀りしているということは、そういうことなんですね。

それで、こういう役割があると、柏手があるということなんですね。そういうものを合わせながら、皆さんが一緒にお祓いをあげてですね。それが、憲法を超えるような、自分自身が生きるということを当然のようにすることが、祓いによって、毎回毎回、宣言するというか。 我々の会社でも、1月に1回意識進化に向けて宣言するということもありますけれども、大祓というのは、まさに憲法より上位概念での祓いであり、宣言なんですね。それを、天皇がされるのが宣命、神からいただいた言葉として、それを百官の人たちに神事の内容を宣言されているわけですね。

それが、次第に、神主さんが、民間で民の為に、神社であげるようになった歴史があるということですけれども。 我々は、原点に還って、宣命から、政(まつりごと)をやる人たちにお祓いをして、正しい大祓をあげて、日本の国を守っていただくということをやるということが、本来の大祓の役目であるというふうに思います。ですから、これから立春を迎えて、変えていく所がありまして、今度、詳しくお伝えしますけれどもね。

「天津祝詞の太祝詞事を以て宣る」と言った時に、普通は、そのまま行ってしまいますけれども、今度から、一拍置いて、頭を下げていただくというか、そこで鈴を鳴らして休んで。これは、本来、神示というものの出て来る場所なんですね。 深く研究された方々が「あそこは何を言っているんだ」ということを、皆さんからよく質問を受けたこともあるんですが、そこは曖昧にしていたんですけれども、実はそこで神示が降りる場所があるんですね。 ですから、そういう意味で、これからは皆さんも、神事を受ける、受けないにかかわらず、今後は、ここを少しあけて大祓をしたいと思っております。その辺が少し変わるところで、今年の初めから変わるところであります。

◇自律するという意味を掴む

春を立つのが立春で、立つということはコンピュータの世界で言うと、自律分散型と言いますけれども。自律するという意味を掴むということが、今年のテーマではないのかなということを思った次第です。自律してそれぞれの役割に行きますけれども、そこでまた本来の役割を果たしていただくこということが、あるいは、そのことが分かるような祝殿と、各家々との関係性が自律分散ということで、単にコンピュータのスキルやシステムだけではなくてですね。我々の生き方の中で自覚するということも、非常にいいかなと思っておりますので。 今月もあるいは本年度も、二十四節気の始めになりますから、どうぞ宜しくお願い致します。

今日は、ありがとうございました。

 


卵を祀った理由について 中国の風習で、立春の時に卵を立てるということをやっていて、小笠原先生が、立春の日に行くと、卵を立てていて、「立てるんだ」と言われていたということがありまして。 そういう始まりという意味と、哲学、あるいは神話でも、インドでも宇宙卵という、宇宙は卵という意味もありますけれども、中の黄身と白身の関係なんかも、色んな科学も有りますけれども、今日は、それは抜きにして。 要するに、始まりの時に始まりの時を意識する中今の生き方というふうな事で、今日は、あげさせていただきました。これを作った方は、西村さんのお父さんで、養鶏場をやっているわけではなくてですね、今の子供達の栄養の為に、ちゃんとした卵を作って差し上げたいという心意気を感じたこともありまして、献饌させていただきました。 ※言霊開眼P14~参照