0338話:2018年02月11日

建国記念祭での代表のお話

◇時間を「畳む」と見えてくる

我々の方法というのは、「畳む」「包む」「結ぶ」というような古神道の原理に立ち戻りますと、要するに、歴史、時間というものも、畳むというふうな発想でいくと、今、起こっていることが過去のことであり、また、すぐ未来のことをするという通時性、共時性という捉え方の他に、通世性、共世性というところがあるんじゃないのかなと、ずっと感じていて。古神道あるいは「おみち」というものをですね、学ばせていただいているわけですけれども。

特に、東アジアの情勢というものをみると、ある面で、スポーツという形で争いというものを象徴的にしていますけれども、実際は、国と国の取るか取られるかということが底にはあるわけですね。例えば、朝鮮半島と日本との関係でいえば、三韓征伐なんて、あまり言わないのですが。

これも歴史論争の中の一つになっているわけですけれども。三韓ということであり、「戦争しますよ」ということの御神示を得たのは、何というか、中興の祖というのか、神代の代表的な方である、気長足姫(おきながらたらしひめ)、すなわち、神功皇后の神示ですね、仲哀天皇のお妃であるわけですけれども。この方が、白川の神代の代表者であるということで。我々は、その辺もいろいろと聞かされているわけですけれども。ですから、葛城氏の出身であるわけですね、気長足姫は。それで、我々も一言主神社とも関わりが深いわけですけれども。

「吾(あ)は悪事(まがごと)も一言、善事(よごと)も一言、言離(ことさか)の神、葛城の神なるぞ、一言主の神なるぞ」という神示で始まった神様、神社です。たぶん、現代と三韓の頃と地政のことを考えると、一つの歴史のアナロジーといいますかね、類比すると考えるところが沢山あるのではないかなということを感じます。

◇気比の神示が発端にある

特に、今の状況というのは、ある面では北朝鮮と向かって戦争状態になっているのと同じことが起こっているわけですね。それで歴史を辿ると、三韓征伐というか、朝鮮半島における支配権をめぐる争いで周りの国々と争うという意味では、日本も当事者でもありますけれども。

そういう意味では、包囲されているといえば、包囲されているんですけれども、ある面では、争いにもなっているというか。それはアメリカと日本からみると、北朝鮮のやり方は、ちょっと問題があるのではないかということで、経済的には封鎖ということをやっているわけですから。これは、実質的には情報戦や、実質的には戦争状態ということになるわけですね。そういう中で、今、オリンピックということも行われるわけですけれども、オリンピックもまた、一つの戦略の一環というんですかね。

平和というのも、戦争の為の一つの戦術という捉え方もありますけれども。そういう目で見ると、周りのものを巻き込むことが出てくると、そして、自然現象をも巻き込んで一種の戦争になるんですね。例えば、日本海の福井というところに、あれだけの雪が積もるということは、神功皇后が、最初に、筑紫の国から出て来るんですけれども、その前の段階では気比の神示というのが、発端にあるんですけれどもね。まさに、今も福井に祀られているわけですね、神功皇后も、仲哀天皇も祀られているわけですけれども。

◇「今」、「未来」ために「過去」をお慰めする

そういう、対峙しているというか、ある面では、神示のもとのところではないのかなということもありますけれども。神示としては、「征伐しなさい」というものが下るだけですね。ところが、「そんなはずがない」ということを、仲哀天皇が言われるわけですけれども。それで、神の底筒男命、中筒男命、上筒男命が、今は住吉大社に祀られていますけれども、その神々が、「征伐しなさい」という神示を下すわけですけれどもね、神功皇后にですね。その神示を従わないということになって、仲哀天皇が亡くなってしまうということが起こるんですけれども。たぶん、これも、今風にいうと、朝廷の中にも、和合派と主戦派というものがあって、そういう争いがあったのかもしれませんね。ということは、当然考えられるんですね。

それはさておき、仲哀天皇が亡くなってしまったから、神功皇后は、姫天皇、女性の天皇として、まだ応神天皇を身ごもっていた時でしたが、姫天皇として出陣することになるわけですが。

攻めていく時に、神からいただいたものが、言霊ですね。言霊というものを、日本海ですか、海の底から玉をいただいて、言霊の統合者スメラミコトになられて勝利するということがあるわけですね。そして、帰ってこられてから、応神天皇がお生まれになるということがあるわけですけれども。

そういう過去の歴史と現在、あるいは未来における東アジアの様相というものを、今の時点で、未来をより良くする、過去をお慰めするというふうな、そういう三世といいますか、三世にわたって、時間軸ですね、過去、現在、未来にわたって、祓い、鎮魂、言霊を発することで未来を安泰にするということをするということが、祭祀に繋がるわけですね。

◇武術が踊りのようになる

これが、甲野君が、武術のところで、絶対に勝てるというふうな方法を、バリに行った後、日本に帰ってきた関空で、そのことが分かったということで、すぐ連絡をいただいたんですけどね。

先週、直接、お聞きすると、自分以外の霊団を、自分の手中にして、その武術というものを出来るようになったということを言われたんですね。そういうものは、一種の眷属という捉え方をして、眷属を使うというふうに捉えていたようですけれども。私は、その時に、過去世と現世と未来世を、それを使う術ということが、すぐわかったんですけれども。それは、踊りのようなものだといっていて、武術が踊りのようになるというのは、一つの究極の技術なんですね。

まるで、踊りのように見えるんですね。神楽踊りも、巫女舞も、そういうところから来ていますけれども、合気道のなかでも、まるで植芝盛平さんが、あるいはその甥の井上鑑昭(のりあき)、この人の技は、直接、観たことがあるんですけれども。まるで、踊りのように、相手が何十人いても倒していくというふうなことをされていましたのですけれどね。

◇三世を使う術

それは、たぶん、時間軸を操作するということだと思うんですね。

ですから、過去の時間、過去世というもの、自分にカルマがあるとしたら、それを使うといったら、おかしいですけれども、それを解決するという意味で、それが、もし左手であるとすると、それを今に持ってくるというかですね。未来世ということだったら、右手でそれを今に持ってきて、その瞬間を中今として使う時に、その時の術といいますかね、かけるということをするということですね。

そういうものを戦争というものに例えると、それが呪詛合戦とか、集団戦が起こる前に、必ず昔は、呪詛合戦をするわけです。王を呪詛する、祈り殺すことで、もし負けたら、軍を引き上げるということが、中国でも普通だったんですけれども。たぶん、今の時代に、現在、戦といったらおかしいですけれども、そういうものが既にあって、時間軸を現在に、中今で解決するように変えていくような技術が発達すると、局地戦というものは起こりにくくなっているわけですけれども。

◇オリンピックも戦いの舞台になっている

もちろん、その結果として、世界戦争というものをいくら起こそうとしても、なかなか起きないというのは、一つの解決方法として、浮かび上がってくるわけですから。そういうものを、どんどん使うことができるようになってきた時に、既に、戦争があっても、「大陸間弾道弾でいくぞ」といっても、いくら作っても、結局は、あまり意味がないんですね。役に立ないというか脅しにもならないということがある。それは、凶器は使わないと、戦争にならないわけですから。凶器を見せるということも、一つの戦略として見せるということも起こるということで、そういうこともやっていると。

一方では、平和ということも戦略という、戦術になるわけですね。そういうものも硬軟織り交ぜるというか、両方を使うと非常に強い戦いになってしまうというか。今、ちょうど、今のオリンピックも舞台にして、戦いが行われているというか、それ自体が所作というか戦いになっているというか。我々は、それを神事としての神拝作法として、そういうことをやりますけれども。

実は、それを外交とか、みんなが見えるようなところで、そういうことをやっているし、その一つひとつが「勝負あり」ということが、色々なところで、この数日間でも起こっているわけですね。

◇国の安泰のために神祇をしっかりと踏まえておく

そういうことも含めて、国ということの安泰されるために、そういう神事ということが、大切になるということですね。ですから、そういうことをしなくなると、日本の国というものが危うくなるということですね。

国が滅びたりする場合は、必ず、神事というか、どんな民族でも、そういうものが行われなくなるんですね。行なわれなくなる様子というのは、各民族の末期をフィールドワークしたものが、人類学とか民俗学、エスノロジーという学問ですけれども。そういうものでみると、この間の「精霊の守り人」というNHKの番組の中にもはっきり出ていますけれどもね。そういう神事ができないと、敗れてしまうということが描かれているわけですけれども。まさに、そういうことが起こるわけですね。

それが、人類学の学問の中に、記録としてたくさん残っているわけですね、フィールドワークとして残っているわけですね。それは、いわゆる、その民族の危機を知らせようとする神々の発狂と、滅びてしまうことの予言のようなものが、何千とあるわけですね。特に、アメリカのインディアンの記録もそうですけれどもね。必ず、そういうものがあります。恨んで呪詛して亡くなっていった場合に残っているのが、歴代のアメリカの大統領を、代々呪詛するということも残っていますけれどもね。呪詛合戦というものが始めにあって、そして次の形が起こるというか。

ただし、同一民であれば、一騎打ちではないけれども、より多くの人の命を守る為の手段としてあったということでもあるわけですけれども。少なくとも、全て滅ぼそうというそういう争いが、歴史の中で沢山あったと。ですから、神祇というか、そういうものをしっかりと踏まえておかないと、民族が滅びてしまうと、そういう問題があるということですね。

国を建てて繋げていくことは、そういう意味でもあると。もし、建国ということの意味を、我々がもう一度、思い起こして学ぶとすれば、神武天皇の時に、こうしたら出来たということもありますけれども。その後に、それをどう維持したかというところも、また、大事な道ではないのかなと。

◇全て我家「大宇宙の家」の中で起こっていること

今、我々は、宅理学ということをいうんですけれども、一種の地球という存在の太陽系の中での生きるという道を、より良く探すというものもありますけれども。要するに、八紘一宇というのは、簡単に言ってしまうと、「全て我家(わがいえ)だと、国というものも、我家だ」という、天皇の意志というか、それを我々が、どういうふうに情緒としても掴むかということが大事なところですね。それも、公に繋がるところだと思うんですね。

それも、宅理学というところで、家という学の根拠ですから、ある面では、建国の精神というものが、宅理学の源だというところにあっても良いと思うんですね。そういう家とするというところから見ると、今、自然現象も一つの家の中で起こっている現象というふうに見たときにですね、雨も風も雪も、あるいは太陽もあるいは太陽系の運行も、一つひとつが太陽系の家といえるというか、太陽系の家というふうな捉え方あるいは、さらには銀河系の家、大星雲も家、そして、大宇宙も家というふうな次元としてのところの、「宇宙の家」ということだと思うんですね。そういうふうなところに繋がっていくんだと思うんですけれども。

◇宇宙の御国体机になっていただく

もしも、その観点を、「天(てん)」とするならば、天というものの全体を一つの地に下ろしてくる時に、「天に一陽、地に一王」という標語のようなことがあるんですけれども。

そういうものを、地の王の一つの印というものがあるんですね、御国体というか、身体になるというか。国の身体になるということが、白川の教えなんですね。その御国体の行が、種類が沢山あるんです。それを、お教えするということが帝王学の一つである、白川学であるというふうに思うんですね。

それは、今、みんなが、このネットワークの時代に中心になって、国あるいは宇宙を支えるという、そういう公の精神になっていただくということが、これからのなかでは、非常に大事な修行であるというか。もちろん、それぞれの方が、みんな天皇になっていただくということではございませんけれど、少なくとも、そういう概念として学ぶ。行として学んで、精神も情緒も、しっかりとお掴みいただくということが、社会のお役に立つ為の白川の教えではないのかなということを感じておりまして。

その意味で、昨日、圀手會の国の手になる人、国の手になるということは足になるということでもあるし、その御国体机になるということでもあるわけですけれども。

◇触らないで治す技は白川から出たもの

それも、秦の始まりの頃の王様が、隣の王様を助ける時に、医師を送って、隣の王様を治してしまうということで、「医師が王を治すということは、国を治す」ということであるということで、「圀手」という言葉が出来たということであったんですね。まさに、手当というものも、基本的には、白川のご修行の中から出たものであるわけですね。

要するに、天皇には、脈も含めて触って治療するということが出来なかったわけですから、手かざしというものがあるわけですし。あるいは遠隔で御霊を迎えて、治療するというものが白川に伝わっておりますけれども。そういうものから出たものが、日本の明治、大正、昭和でもって、非常に盛んになって、手かざしや整体法というものが広がるわけですね。その方法も、山梨の場合だと武田家の兵法というものの中にも、術が中国から伝わったものがありますから、そういうものも含めて、研究をしたこともあります。

我々は、和整体として、世界に広めるということで、国際整体協会としてその普及をお願いしているわけでありますけれども。そういう修行の中に、手かざしというふうな技もあるということであります。ですから、そういうものによって、発達したということですね。健康法もそうですね。

我々は、明治天皇の衣装を白鳥先生のご配慮で、ここでお祀りさせていただいていますけれども、そういう天皇陛下が着られている衣類なんかを揺らすことの健康法があった、それによって病気を治したり、健康にするという儀式まで伝わっておるわけですね。接触しないで治すという方法まで、たくさんあるんですね。

今、我々は、ネットを通じて、そういうことをやろうということで、昨日、初めて、ネットを通じたものをですね、まあ、すでにやっている方もおられますけれども、我々のロゴストロンITを使った、本格的な治療方法を、テクニックとして出すというか、メカニカルアーツとして出すというところも、いよいよ、始まります。

◇「見える」「聞こえる」ように実証する役割

ですから、我々は、古代の神話とか、伝承を現代に、そのまま活かすというか、より一層活かして、そして、その恩恵を伝える。そういう神話知、伝承知を、現代に出して、それを役立たせていただくということをしようということが、我々の学びであり、また、それらを芸術にまでに高めていくというのが、これからの世界であると。

決してですね、何か、新興宗教のような、誰か、創始人の名前をですね、あげつらうわけではなくですね。そういう宗教というふうな西洋の定義ではなく、古神道の道をですね、文化あるいは文明として、それをそのまま提案して、それが今の世界に役立つかどうかをしようということが、我々の役割ではないのかと。

そういう面で見ると、鎮魂も言霊も祓いも、この三本柱が、いよいよ、節(ふし)、節分ですね、節を通して、開けてですね、いよいよ、春の、立春の日を境にの温かくなると、同時に、これが更に高度化して、世界に提案する。そのための我々の、日本中、世界中から集まっていただいておりますけれども、みなさんと共に、その辺りを学び、あるいは研究し開発し、そして、それを一つの学びとして学問としての、実証する世界として見えるようにする、見える化技術、聞こえる化技術というか、そういうものにして、実証していくということが、たぶん、我々の役割なんではないのかなと。

◇「八紘一宇」そのまま然りという決意

そういう面から見ると、この白川の祓いというもの、あるいは鎮魂というもの、そして、言霊というものがですね、たまたま、日本という国に、博物館学的に、残っていてですね、それを、今、棚卸しといったら、おかしいですけれども、お出ししてですね、それを、役立ててもらう。それが、また、世界から来たものでもあると思うんです。それを、日本でそれが充実して、世界に、またお返しすることが出来るものとして、お渡しできれば、それが1番の我々の喜びのところではないのかなということを感じています。

八紘一宇というのは、一つの家なんだと。その中で、争いを鎮めていくというところの技を使いながら、皆が仲良く、平安清明というか、平けく、安らけく、清らけく、明けくということを実現する為の誠、真の精神というんですかね、これを露わにして、お役立ち出来るようにするというのが、今日の斉藤宮司の祝詞であると、そのままであるというふうに思います。

ですから、我々が、祝詞として、そのままであると、然りであるということを、しっかりと一年の一つの建国祭として、あるいは月次祭として自覚していただいて、また進むということが、今日の2月11日の決意なのではないのかなと感じております。ある面ではまた、この1年間ということでございますけれどもね。

◇日の下開山としての役割を果していただく

たぶん、これで、ようやく神功皇后の時の底筒男命、中筒男命、上筒男命という、毎日のようにお祓いの中であげておりますけれども、その住吉大社の神の予言である、神功皇后への神々の働きを。また、横綱の太刀もようやく2月21日にできまして、それを使った一つの祓いが出来るようになるのではないかと。

今度、皇太子の時には、つぶさに行程表をお作りすることを、今、始めていますから、Sさんも、ヒヤヒヤしないでですね、しっかりとやっていただけるのではないかと思っておりますけれどもね。住吉大社でしっかりとした、天皇の名代として、国を守る技、あるいは日の下開山としての役割を果していただけるのではないかということで。

今年の夏あたり心配な震災というか、大地震というものを、少しでも和らげることができるように。あ、こんなことを言ってしまったら、あれだな、まあ、こう明言すれば起こらないですからね。言っちゃいますけど、非常に危ないんですね、今年の夏は。天災は、忘れたころにやってくるといいますけれども、東海地震というのは、今、忘れているようなところもありますから、危ないんですね。

ちょうど、それがこの雪の降り方と類比しておりまして。今度は、裏のことが表に現れますので、非常に要注意することで、それを今、未然法の祓いで鎮める為、横綱の日の下開山としての役割があるのではないかなと思っておりまして。今から、注意深く、その操作をお願いしたいと思っております。

今日は、ありがとうございました。