0341話:2018年02月14日

おはようございます。

何かご質問はありますか。

 

●Mさん
2月の全体会議で、4月から体制が変わって、新体制で始まるということで、私も、自分自身を見つめ直すというか、これから、どうしていきたいのかとか、何をやっていきたいのか、ということを凄く考え直していまして。

そういう時に、例えば、今の自分の日常業務を、中今の意識でやるという認識というか、意識はありつつも、何というか、意識が先にいったりとかしまして・・・。そういう時に何というか、自分のやることを確信を持ってやれるような、その為にどういう意識でいるのかなど、上手くまとまりませんが・・・。

なので、例えば、先生は、どういう状態や意識で、毎日を過ごされているのかとか、どういう心掛けで過ごされているのかなどを、ちょっとお聞きしたいです。

 

【七沢代表】

◇遺伝子として捉える

結局、統合したら、みんなが輪になるというか、集まりというのは一つの協同作業、何を一緒にするかということですね。それは目に見える場合もあれば、はっきりと目に見えない場合もある。要するに、一つのベクトルというか、目的というか、何かあるわけですね。そこで会社の一員として、この目標が自分もできそうだなということを、皆と同時に感じると良いわけですね。自分が「できるかな」という情動から、「あーできるな」ということで、共感するわけですね。それで、初めて、何かが始まるわけです。こんな理屈を言ってもしょうがないんだけれども(笑)

要するに、そういうものが、我々人間に元々備わっている存在としてですね、まずそういうものを遺伝子として捉えると、例えば、信原さんがやっている音楽では、絶対音感という遺伝子があるんですね。みんな、何かを発した時に、音色でね、それをしっかり聞き取っているから、当然、それが分かるわけですね。今日は、非常に、ハーモニーがいいねとか。そういうことを一緒に感じるわけですね、それで、さらに、気持ちが良くなるとか。

言葉もそうですよね。言語遺伝子と言うんですか、FOXP2という、言語の母音は人間の左脳と右脳の両方に存在する、言ってみれば、あいうえおを理解するような遺伝子が組み込まれている、あるいは、そういう一音一音が、脳のウェルニッケ野、あるいは49野ですか、そういう部分で、言語というもの、全く違う音を出しているようだけれども、そういう言語というものも、遺伝子としてあったとか。

◇共に感じる遺伝子

昨日、石原さんと話したら、最近、「ミーム(meme)」(文化遺伝子)の研究が進んだんですという話があったんですけれども。それは、文化遺伝子とか、我々がよく言っている、精神遺伝子にだんだんと近づいてきたわけですね。そういうものが、だんだんと存在しているんではないかということは、心も魂も精神も、同じことの意味ですから、そういうものを共に感じる遺伝子があるというかですね。今、我々は、異種間コミュニケーションというものを、Tさんに創ってやってもらっていますけれどもね。

要するに、その生きている存在を生類というのは、この間、石牟礼道子さんが亡くなって、あの人も、生類という言い方をよくされていた方です。金さんも影響でそういう言い方をするんですけれども。生きているもの、生きとし生けるもの、これは我々の企業理念でもある、「共に」ということで、宣言しているわけですから。

七沢研究所の企業理念
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生きとし生けるものの全てのより良い存在と、その生命意志を実現するための研究を行い、地球全人類が、豊かさを分かち合って、共に生きていく新しい社会システムを創造することに貢献していきます。
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当然、我々が縁で集まった中で、その出会った瞬間に、「共にした」ということで、これが、ミラー遺伝子ということになるんですね。要するに、共感するという遺伝子というのがあってですね。それが、みんなで、一つの目的に向かって行く時に、辛さとか悲しいとかを感じるわけです。しかし、怨嗟(えんさ)というんですかね、怨嗟の声が聞こえたら、それは、共感と正反対で話にならないんですね。

もちろん、人間は共感するものを持っていながら、自分勝手に生きるということもできるんですね。これは利己的遺伝子という言い方もありますように、自分で勝手に考えて、どんどん進んでいくというところもあるんですね。自律を振り返る、そういうことを人間は出来るということで、また原点に戻ってくる。そういう自分勝手なことがありながら、一方で、みんなで、目的に向かって共に行くということに、それを仲間、同志ということになるわけですね。悪いことをする時にもできちゃうから、それが宇宙というか地球に広まっていくと大変なことになるというかですね。

その中でも、人類というものは、みんな持っていると思うんですね。こんなに地球上に広まって進化したということは、単なる目的ではなく、持続するということがあって、その持続が可能になるような場があるということですから、そういう遺伝子もきっとあると思うんですよ。それが、共通のものになってくるんだと思うんですけれども、その時に・・・。

◇縄文から続く「祓いと祈り」

要するに、共にという気持ちは、毎朝あげるお祓いの中に含まれていると思うんですよね。私だったら、みんなが元気で、共に目的に向かって、一日の仕事を、学びを共にして、良い結果が得られるようにと祈っていますけれどもね。そういうことを、朝から、共にして、しかも祓った後、決意表明をする。1ヶ月に1回は全員に向かってやっているわけですね。このお祓いと祈りというものは、はっきり言って、縄文からの歴史があるものである。そういうものを我々がやる。

今、社会が世界が、一番望んでいるのは、持続可能社会ということで、その原動力は、祈りであるんですね。昔は、人に会った時に、手を打って祈りの挨拶をしていたということもいわれますけれどもね。

そういう挨拶が、一本締めということで、今では、斉藤さんといえば、一本締めということになっちゃってますけれども(笑)「ヨーッ」と言わずに、今では、「中今に」と言ってやりますけれども。あれも、心をここに合わせて、鎮魂して中今に共感しあって、「よし、やりましょうね」という意味ですよね。そういうことが、自然のうちに、長い縄文以来の歴史の中で、やってきたと思うんですけれども。それを、新たに、もう一度、世界の持続可能社会を創る、そのための大きな源になるのではないかと、一種の雛形かな。

◇確認してから、始める

今、日本では、食事の作法を色々と聞かれたり、一神教の、特にキリスト教では、主の祈りというのがあって、「天にましますわれらの父よ、御名があがめられますように。御国がきたりますように。みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。」など言って、長い祈りをやる場合もありますけれどもね。

我々は、ある面では、確認してから、始めるということで、共鳴、共振、同調する方法を持っているというか。宇宙もまた、そうだということの確認なんですね。今、一度、宇宙が自身から、飛んでいって、また戻ってくるということを、毎回、言語もあるいは他者というものも、そういう存在としての神だということは、そこに根拠があると思うんですよね。一人ひとりが、宇宙そのものであるということを、確認する。その一人ひとりの想いがあると、そこを中心にして、始まるというかですね。

朝が始まって、夜は寝るときには、高濱先生は、よくやっておられたけれども。火打ちを打って、休むということをされていましたけれどもね。それも確認ですよね。自己というものが、一日の確認をしているということをされていたというか。それは、我々もそうで、だから、一日の仕事を終えたと、会社もドアを締める時に、そこに仕事は置いてくるということですね。はっきり分けるというか、それができると非常に、一日を生きるということの中で、達成感ができるというか。カルマ・ヨーガなんて、よく言うんですけれども、仕事の中に、朝から寝るまでの中に、あるいはドアを閉まるまでの間に、全てがあるんじゃないのかなと。

それを確認していくということで、十分に同調できる。そして、同調できるということが、一緒にやれるということで、その気持ちが無いと。要するに、個人だけの問題で、いくらやろうとしてもそんなことは長く続かないですよね。集団の中で、個人だけをシャット・アウトするということは、病気があるかないかは別にしても、成り立たないというか、そんなことはあり得ないですね。

ですから、一旦、みんなでやりましょうということで、良いということになれば、それを続けるということが前提で、こういうものがあるというか、言葉が足りたり、足りなかったりしますが・・・。それで、全てのコミュニケーションを取るということは、もちろん、難しいことであるわけですけれども、そういうものが前提にあるというかですね。

共感していくということがあって、初めて、その用意がみんな整っているんだと、その人間のね。もう遺伝子構造から宇宙まで整っているんだから、一緒にやっていきますね、という事の確認ということですね。

宜しくお願い致します。