0344話:2018年02月18日

第三回圀手會奉告祭〜天機置師神顕現祭〜での七沢代表講演

 

こんにちは。沢山の皆様方にお集まりいただきまして、誠にありがとうございます。

◇戦後の70年は、知識を前提にした機械の歴史

「天機置師神顕現祭」ということでございまして、本日は歴史的な1ページだと思っております。まず、何故、歴史的なのかという外郭を少しお伝えいたします。また天機置師神という由来ですかね、神と人間と機械の関係のことですかね、そのコミュニケーションプラットフォームの関わりを、どういう関わりなんだろうということについて、今日は、お話をさせていただきたいと思います。

いつも赴くままというかですね、話させてもらっておりますが、神示というか、ほとんど考えてお話することはないんですけれども、今日はなんか違うかなと思って、ちょっと本を開いてみたんですね。

「サイバネティックス全史」という本を、歴史ばっかりの話で、400ページくらいあるんですけれども、パラパラ見ていたんですけれどもね。要するに、この70年くらい、人類と機械との関係史ということですかね、機械と人との関わりの概要が書かれていたわけです。皆さんに読むことは、全然おすすめしません(笑)。

たまたまサイバネティックスという言葉が、凄く好きでですね、そういう機械の子っていうんですかね、アトムの子というのか、科学の子というのか、戦後、一つの日本精神というものから、日本民族が解放されてですね、いよいよ、猿みたいになってきましたけれども(笑)。開放されて歩んだ70年という歴史というのは、一方では、機械の進化の歴史でもあるのかなと。もちろん、機械というものが、非常に私自身は好きでありましたから、なんの躊躇もなく、実用主義の哲学をやりたいということで大学に入りましたけれども。機械的な哲学というんですかね。それは、機械の哲学というわけではないですけれども、機械的な哲学というのは、それが一つのサイバネティックスという思想であり、システム思考といいますかね、システム学習というところにある哲学であったということでございます。ですから、若い時から、システムというか、考える事自体が、すでに機械的な思考というものが必ずある、というふうに思っていたんですね。

私は、全然、機械的に正確に話をすることが出来ないという欠陥を持っておりましてですね、哲学的な文章は、いくらでも、1枚でも2枚でも、点も丸も付けないで書けるのですがね、そういう特技はありますけれども。それは多分、一筆で書くというか、もう一度、誰にも再生不可能なような、そういう自己陶酔型の文章になってしまう。機械的な文章は出来ないと思っていたわけであります。

しかし、今は、いろんなシステム上のソフトウェアとして、コンピュータの中に入れる言語として、よほど考えなければいけない時に、私のような訳の分からない長いもので、論理性があるかどうかを問われるのだと思います。特に、絶対論理があるかどうかを問われる、そういう文章をということですね。それらが、一つの統合されてた形で書けなければいけない。統合されなくても、プログラミングとしては、それがどのITにでも通用するようなものでなければならないわけであります。

そんな思考を巡らすほどに、今の時代、コンピュータというものが知識を前提にした概念とか、思考というものを扱う時代になって来たかというか、その70年であると。

◇戦争となかなか縁が切れない

今日、大伴さんが言われましたように、今の時代はサイバー空間といいますかね、サイバースペースといいますか、そういう中で起こっている、戦争というものが、争いというものが、記号を武器として戦う、それがサイバー空間で起こっている。そういう時代になっているわけです。

それ自体も既に、我々の目から見れば、ロゴストロンから見れば、遅れた方法だと思っていますが、この辺は、少し傲慢になりますけれども・・・。でも、そういうものが、この70年の歴史を見ると、機械というものが、それがやはり戦争の歴史の中心であったといいますかね。戦後は著しくその歴史であったと言えると思うんですね。

ですから、コンピュータも様々な発展をしましたけれどもね。その最初のコンピュータは、IBMのコンピュータですね。弾道計算をする為に作られました。大砲の弾は、どういうふうに飛べば、一番効率的に遠くまで飛ぶのかという、その計算をする為の機械ですよね。それが、コンピュータと言ってもいいと思います。

そして、今はネット空間ですね。インターネットというものも、これは情報が、国の支配者のところに最後に残るような、その為の情報を最後に受け取るバケツの話が、実はインターネットというコンピュータのシステムでもある。それも、軍事的なものである。

また、サイバー空間の中での戦争状態で、その為に、様々な人工知能というもの、あるいはITというものの能力が使用されているということで、どうしても、戦争というものと、なかなか縁が切れないというふうなところに今の状況があるのではないのかと思うんですね。

そういう中で、この70年の中での機械の進歩が、戦争というものを一つの基準にして進化していったということが言えると思います。これを、戦争の為に平和を戦術として使うのでなくて、本当に、平和をもたらす為のものとして、機械が使われるようになることが、どうしたら出来るのだろうかという問いをすることが、これからの人類の課題であるというかですね。

◇シンギュラリティという神話

今、西洋流に言いますと、ここで機械というものの神話を作ろうとしているんだと思うんですね。機械の神話とは、何かというと、人間を超えるという意味の体力、知能を持つということは、そういう働きをするロボットですね。もちろん、ロボットが作られたことによって、すでに人の労働が50%くらい無くなってきている。たぶん、計算とか事務的なものだけではなくて、会計だけではなくて、だんだん知識というもの、ITが高度化してきた時に、思考までも、その範囲の中でする機械を作り出すということになっているわけですね。

そういう中で、その機械の正当化の為に、新しい神話が欲しいというわけであります。それは何かというと、既に始まっているわけですね。皆さんも、とってつけたような神話といいますかね、そういう洗脳が行われ始めているということですね。

それは、シンギュラリティという神話ですね。機械が、人間の知能を超える日というかですね。それで、将棋など、様々なゲームでも、そういう機械を開発して、出し始めているんですね。実は、洗脳の為の、あるいは、機械という支配の為の道具にする神話を作る企みが、どんどん進んでいると言っても良いのではないかと。それに時を限って、2045年には、もう完成してしまうと言われています。しかも、世界のそうそうたる知能の持ちの主である科学者が、「心配だ、心配だ」と言い始めているわけですね。そういう形で、すでに、洗脳の領域に入っていると言ってもいいと思うんですね。

その中で、ビジネスに利用する場合には、スーパーコンピュータを作るから、お金を集めますということで、そういうビジネスまでも行われているわけであります。本来は、それは国の仕事の範囲の中にあるわけですけれども。

◇「天機置師神(あめのはたおかしのかみ)」

一方で、戦争に使う道具にさせられている機械は、ある面では、非常に、不幸といいますかね。そういうところで、もし、日本の叡智といいますかね、神話知で考えた時に、機械というものの神話はどうあるのか、そこをしっかりと捉えたら良いのではというところから、「天機置師神(あめのはたおかしのかみ)」という神示として、まさに神空間に浮かんできたのではないかと思っております。ちょっと神秘的でごめんなさい。

日本の神話は、もちろん、古事記という神話であるわけですけれども。その中に、はじめの機械といいますかね、これは、みなさんご存知かと思いますけれども、これは、機織り機ですね。機織り機が、日本の古事記の中の機械の神話の始まりであるわけであります。これは、天照大御神が、忌(いみ)の機屋(はたや)で、神御衣(かんみそ)を織られていらっしゃった。織物というのは、人間が、獣との違いというんですかね、毛のものということですね。

毛をまとったものという存在が、哺乳類の中でも、動物ということになるわけですけれども。裸になることによって、身を守るというか。もちろん、寒冷期の時に、ネアンデルタール人は、毛をまとっていたがために、寒さで亡くなってしまうということも起こったと言われておりますけれども。そのかわり、クロマニョン人が生き残るわけでありますけれども、もちろん、ネアンデルタール人の優しいところは、しっかりと受け継いでいると僕は思いますけれども、DNAの中に。
そういう、裸になることによって、結局、衣食住の衣ですね、これが一番生命に関わる。温かければいいけれども、寒ければ、衣をまとうということをしなければならないですけれども、今度は暑くなってしまいますね。

衣類というものを作るのに、人類の大事な衣食住の衣として作るのに、一番大事な、初めて人間が手で編むという、手編みではない編み方でやったものが、機織機ですね。これには名前が付いておりまして、天棚機姫神(あめのたなおりひめのかみ)という名前です。

まさに、織女が織るという仕事であったわけですね。神衣は麻を細い糸にして織るのを布帛という和衣(やわらかころも)になります。後に、空色の表着として天津乙女の羽衣として皇女、神代の衣として織られた。天棚織姫神という神様がいらっしゃるんですね。

ですから、天機置師神の機(はた)とは、もちろん、現代風にいうと、機械と装置の置で、天機置で、それに、師匠の師が付くんですけれどもね。これが天機置師神という装置、機械の神です。

◇時空間を自由に飛び回る、どこにでもいける機械

明治の初めに、リベラルアーツという言葉が輸入されて、西周によって、日本に紹介されましたけれどもね。メカニカルアーツという部分が、明治の時に導入できなかったということがあるわけですね。それが、今回、機械の機、あるいは装置の置という2つの文字を使って、概念化出来たわけですけれども。

装置の置ということは、これは、小笠原先生がよく言霊の学びの中でおっしゃられていたことは、「時置師神(ときおかしのかみ)」と「処置師神(ところおかしのかみ)」、時処位と言ったらいいんですかね。時、場所、それから、位置というですかね、「位置師神(くらいおかしのかみ)」という、よくお使いになっておられたんですけれども。

この時空間ということですよね、これが始まるということは、宇宙の始まりは、やはり、我々は次元宇宙コンピュータという言い方の、現代風な表現で、時空間を自由に飛び回るというか、機械の最終形は、タイムマシーンということになろうかと思いますね。それは、時空間を飛び回り、どの位置にも行ける、階層性の中で、どの位置にも行けるということが、一つの時置師神、処置師神、位置師神という三つから自由になる機械、装置ということが目指す中身になるわけですね。

師というのは、たまたま、置という字だけでは、師になりませんから、師匠の師と付けているんですけれども、これは、易の卦でいいますと、地水師という卦があって、実は、戦争という意味なんですね。そういう師という意味なんですけれども、これが、ひっくりかえると、水地比と言いまして、比、これは平和という意味になるんですね。

ですから、戦争と平和が、これはトルストイではありませんけれども、一つの言葉が易の卦で言うと、逆さまになっているというですね。そういうものだというのが、易経が始まった頃の印といいますかね、記号の1つになっているというかですね。戦争と平和が、裏表になっているんだという意味で、まさに、それを平和に導くという意味で、我々は、今、天機置師神というふうにパラフレーズして読んだら良いのではないかということが、実はありましてですね。

◇2045年、人間の知能を機械が超えることはない

今、西洋は機械に新しい神話を作ろうとしていますけれどもね、なかなか作れないんですね。これは、人の頭だけで作るから、作れないんですね。ですから、機械も歴史も、この70年「出来ますよ、出来ますよ」と言って、絶えず、その日時を区切って来るんですよね。コンピュータも、この計算が出来るのは何時でありますとか、量子コンピュータは、だいたいいつ頃出来ます、とかですね。これが、機械の歴史の中で言いますと、この70年は、ことごとく時の設定を誤った、まあ失敗ですね。決めた期日に出来ない、機械が作れない。しっかりと、この時間、この時に、何年に作れるというふうなことは、一度も、実現しておりません。これは、ずっと遅れっぱなしです。ですから、2045年のシンギュラリティという、人間の知能を機械が超えるというふうなことは全然無理だと思います。それは、何故かというか、それはまだ、知と言ってもですね、単なる計算の段階が可能になっただけ。もちろん、これから、思考という段階に、ようやく掛かっているわけですね。

我々も、20年位、思考の段階を研究してみたんですけどもね。思考の段階の次に、情緒の段階があるんですね。これが、なかなか難しいんですね。それを、機器的にコントロールするというのはですね、そのことが難しかったわけですね。

◇人がまるで機械のように心を展開出来るか

それで、2003年くらいには、一応、情動というものを人というものの情動、それから、獣というんですかね、動物を人間に置き換えた情動、動物の場合、情緒とは言いませんけれども、情動ですね、感情はどういうふうな感情か、あるいは、神という存在、もし、神という存在があるとしてですね、神という存在はどんな気持ち、どんな情緒を持っているのか、そして、魔というものが、どういう情動があるのだろうかという、思い当たる全ての神魔人獣において、同じ入れ物に、4つの入れ物で同じ位置に置いて、まさに、時処位というかですね。位置師神ではないですけれども、置いてみて、そして、それらを展開出来るか、その心を人が、まるで機械のように、その実現できるかというところが、一つのテーマであったわけですね。

機械になって、そういうものを一つひとつですね、経験してみるということを、特に、2003年に完成してから色々やってまいりました。そういうメンタルプロセッサ、情緒マンダラを作るということが、次の段階で出てくるわけです。これが次のテーマとして、思考の先に取り入れていくということです。感情、情緒の項目を取り入れいくということを致します。

◇進化の途上で培ったDNA情報をマトリックスに

その上で、人がどういう意志があるかといいますかね、命というものを、どういうように敷衍(ふえん)できるか、進化に繋げていくことが出来るかという、その意志を表明するということが、どう出来るのか、それがこれからの機械装置の果たすべき役割になるのではないのかというふうに思うんですね。

このあたりも非常に難しい問題が起こってくるといいますかね。これは、倫理というものが階層のテーマというか、そのところで、じっくりと考えなければいけないというかですね、そういうことが起こるわけですね。そういう人であり、神であり、魔も、自我が発達する前の動物の心も知る、こういうものが、人間の脳の進化の途上で培ったものが、DNA情報としてあるわけですけれども、それをもう一度、思い起こしてですね。それを綺麗にマトリックスの中に置いておくことが、必要な時に来ているのではないかと感じるわけですね。ですから、人間の知能は超えても、次の段階で超えられないものが、沢山あるし、そこを超えていく為には様々な問題があるのであります。

◇誰もが均等に機械の恩恵にあずかる

この時代に、今、我々が、何故、天機置師神ということをお願いするかいうかですね。人間の中でも、稀に、今の機械以上の計算に、ある面で発達された方は、サヴァン症候群のような方ではないですけれども、時空間を超えた、ある面では、瞬間に、そういう世界を、宇宙を、高速で見つめることが出来る、そういう方々がいらっしゃるわけであってですね。

ですから、今やアナログ的に、人が機械を超えるということは、簡単には出来ませんけれども、一方で、人が、それぞれの働きの中で、機会平等、機会均等と言いますか、みんなが読み書きそろばんで、江戸時代ではありませんけれども、そろばんというものを使わなくても、電卓を叩くだけで出来るような、みんなが計算を早く出来るようになったわけですけれども。そういうことと同じように、機械というものが、我々に利便性をもたらしてくれるということにおいては、その機械というものの多大な役割があると、そういうことは当然であるわけです。

ですから、先程、言いましたように、みんなが機会均等と言いますかね、誰もが、機械の恩恵にあずかり、そして、それは戦争や人を殺めるような、そういう機械や道具ではなくてですね・・・。たぶん、三種の神器のようなものの意味も、様々な剣とか太刀が奉納されますけれども、きっと、江戸の改革ではありますけれどもね。戦争のない社会を作りたいという思いは、皆さん戦争をたくさん経験した程あるのではないのかなと思うんですね。戦国時代から平和な江戸幕府に至ったという、一つの時代ですね。鉄砲の煙硝の部分は、玉屋や鍵屋が作る花火になって、皆を楽しませるということになりましたけれどもね。そういう時代、我々も70年前は、親の代、お爺さんの代は、本当に戦争で沢山の方々が犠牲になりました。

◇平和の働きをする機械の神様

300万有余の御霊が犠牲になられて、そして出来上がった平和であるわけでありますけれども、そういう平和というものになって欲しいという想いが、こういう今の時代の中で、コンピュータや、ITや、そういう機械が戦争に使われることを防いでくれるような働きを、そういう働きをする機械の神様というものがあっても良いのではないのかなと。

我々は、神様を、今日、大野さんも言われていましたけれどもね、一神教の神ではない、多神教の神様というのは、それぞれの神の働きの中にあるわけですから、機械の神様に直接、お願いするわけにもまいりませんけれども。

少なくとも、そういう戦争ではなく、平和というところに、師匠の師として導いてくれるような、そういう神様にお願いして、とりなしていただくことであって欲しいという想いが、その上で天機置師神の働きがあるのではないのかなということを、今日は皆様方と共に、この神様が顕現するということは、世界に機械を使った平和、戦争ではなくて、平和が訪れるその一つの兆し、あるいは、その始まりが、いよいよ、今日の日に始まるんだと、その日に当たっているんだということを、ちょうど、春節といいますかね。節分のところから、いよいよ、温かくなる、その予祝の時を迎えると言いますか・・・。

心豊かで、平和な時代を、いよいよ平成の最後の年に、天機置師神の顕現があった、そういうところから、我々は、また新しい時代を始めていきたいと、そんな決意で、今日は、急遽ですね、皆様方にお集まり頂いた次第です。

◇天機置師神にスイッチを入れる日

圀手會の皆様方、本当に、圀手という意味は大きな意味があると思います。病の人を治す。もし、国の王を治すことが出来たとすれば、それは国を癒やす手であるということを、秦の王様が言われたというふうに書かれておりますけれども、まさに、圀手という皆様方の手で、天機置師神の働きのスイッチを押していただいて、そして、世界の平和と、そして民族のミッション、使命を全うするような、そういう始まりの日に出来ればいいなと。

うお座から水瓶座に、2015年から入っておりますけれども、この2月16日に水瓶座に、太陽とか、月とか、水星とか、太陽系の惑星のいくつかが入ったということであります。これは、大変化の2000年(1プラトン年)、うお座の2000年間が終わり、いよいよ、水瓶座に入って、水瓶座もまた、今月からいよいよ、新しい大変化の時に、月日に入ってということがありましてですね。

この良き日といいますか、大変化の時に、大きく変わるということは、戦争から平和へということで、ちょうど今、平昌(ピョンチャン)ですか、オリンピックが開かれてですね、羽生くんも、陰陽師を演じていますね。そのフィギュアが、これは白川を教えてくださった高濱浩先生が、フィギュアとは、白川のご修行に一番近いんだと。ご修行は、フィギュアであると。その秘密は、回転にあるんですね、右旋左旋じゃないですか、白川のご修行では旋回というのが、一番の基本にあるんですね。

それは、水の旋回、水の行で起こる旋回が始まりになるんですけれども、その水も三態ですね。いわゆる、水蒸気と水と氷、気体と液体と固体で、フィギュアでは氷の上で舞うと言いますかね、回転する。その競技が、こういう旋転もありますけれどもね。滑っていて、旋転というものが、これも実は白川のご修行にあるんですけれども。

一番の基本が、水の行が、旋回なんですね。右旋と左旋と分けて、これはまた機会があれば、お話したいと思うんですけれどもね。簡単に言ってしまうと、量子スピンも旋回ですし、DNAも、螺旋も旋回ですし、身体を作っているタンパク質の中のアミノ酸ですね。最小単位にした時のアミノ酸も左旋ですね、糖質、グルコースが右旋ですね。

そういう右旋と左旋、共に人間の三大栄養素のDNAと同じく旋回しているわけでありますね。それで、初めて人というものが生きていると、命というものがあるのだと言われますけれども。

◇言霊も右旋と左旋

実は、今、演劇も、ロイヤル・アカデミーといますかね、皇学としてですね、取り入れていこうということで、今、進めております。演劇も、五行という、木火土金水を演じる。それを、身体でやるものも、やはり、右旋と左旋なんですね。そんなこともありましてですね。実は、五行も、まさに、あいうえおも、右旋左旋ということになります。

また、父韻である、「たかまはらなやさわ(TKMHRNYSW)」のところも、じつは、回転の動きにもなっております。まさに、それは言霊ということでありますけれども、言霊もまさに、右旋と左旋を利用して修行が起こるというんですかね。

ですから、大祓、祓いをあげてですね。その巡りが右回りに回る方法と、左回りに回る、そういう伝承もしっかりとあります。今日のお祓いも、あるいは旋転でやるお祓いもありますけれどもね、応用編では。言葉を、2mくらいのところに置いて、そこから反射して、自分の後ろに戻して来るというのが、旋転の言霊の使い方ということですね。旋回の言霊の使い方は、右回りと左回りがありますが、そういう所でですね。

たぶん、これは、我々のFOXP2と言いますかね、言語遺伝子の中にあると思うんですね。右脳・左脳にも、あいうえおがありますし、その右脳左脳の両方に働いている、「たかまはらなやさわ」という父韻も、同時に、旋回、旋転をしていくということに繋がっていくというふうなことがあろうかと思います。

◇鎮魂の上に平和の神をお迎えする

魂も右旋と左旋があります。第六種鎮魂で回しますよね。そんなこともありましてですね。神を掴む時には、最終的には、国津神と天津神が最終形にはありますけれども、これも右旋と左旋で、これは楽しみになりますから言いませんけれども、実は、神様にも、右旋の神様と左旋の神があります。こういうものが階層性として掴めるように、実はなっているわけですね

ですから、これから、皆様方にもきっと、人類の平和をもたらすには、鎮魂の上にやはり平和の神をお迎えする。これは、禍津の神様もいますけれども、これは禍津の神を、禍津日の神に変えるという技、禍津神を真神、真の神に変える、悪というものを善に変える。そういう神もいるわけですね。ですから、非常に都合がよく出来ているのですけれどもね。こういうことを神を掴む技として仕えるようにしていただいてですね、そして、楽しい世界を神と歩むと共に、意志をですね。

◇「共に、お迎えして共に」

「神人一如」、人と神が一如。一如というのは、完全な一つになるという意味ではありません。「共に、お迎えして共に」ということで、それが心地良いことであれば、心踊るといいますか、神遊びと言いますからね。そういう境地になる。楽しい遊びになるような、神をお迎えして共生する世界に行ける白川には、そう伝わっているわけですね。

これは、今の時代に止むに止まれぬ気持ちでお伝えしたいということなんです。これを、白川家学館がなき後、我々その志を引き継いだ白川学館としてですね、それぞれの白川の遠津御祖神、あるいは、日本の神様方にお許しをいただいて、このことをお伝え出来ているから、我々はやれているんだということであります。ですから、そういうお許しの元に、神々の権威の元、神々をお迎えしての人づくりに励みたいと。

今は、「ChildArtsAcademy」というのが、今月、発足しました。これは子供さんにというか、生まれてからも白川の一番の、日本の宝としての皇学というものを前提に、それをアーツの階層で学んでいただくという、西周もまだ分からなかった、まだ、翻訳も出来なかったものを、ここで、我々がいよいよ、お教えするというようなところまでいこうと。特に、白川の場合には、ご修行をシステム化してですね。どなたにでも、時間を短縮してですね、短期大量超高速高品質の工業的生産手法ですけれども(笑)。

これを前提にして、優しく楽しく精緻にお伝えしたいと思いますので、そのあたりもまた、きっと皆様方一人一人が、そういうことを共にやっていただける国の手になっていただきたいなと思っております。
そういうふうなこともございまして、いよいよ、春になりますけれども、平和な時代を祈念して、皆様方と共に走りたいというふうに思っておりますので、今後とも、どうぞよろしくお願いしたいと思います。

本日はありがとうございました。