0347話:2018年02月20日

おはようございます。

何かご質問はありますか?

 

●Iさん
「チャイルド・アーツ・アカデミー」について、ご質問させていただきたいと思います。

私は、昔、小さい子に絵を教えていたことがあるんですが、そこで、思っていたことがあります。教えるということの奥ゆかしさといいますか、難しいところもありまして、その時の私なりの答えが子供に教えるというよりも、人間を知っていただくというか・・・。

元々、小さい頃は、神様そのものだと。地上に誕生してくださったというところで、周りの大人として、親がいて、周りの大人として私もいますけれども、色々、人間の技というか、業というか、そういうものを知っていただいているというのが、すごいあるんですね。

神様に、人間の技を知っていただくというところが、すごくあると思いまして、姿勢として、教えるというものというか、知っていただくという気持ちといいますか、何かそういうものがあるなと思うところがあるんですね。こういうものがあって、これ覚えなくちゃという意味で、教える、指導するみたいなスタンスでいくと、子供も全然覚えてくれないといいますか、なんか気持ちが乗ってくれないといいますか。

本当に、神様に、人間の技を知っていただく、アーツですからね、人が作ったもので、それは、もちろん、神業を目指して向上していくものだと思うんですけれども。やはり、人が作ったものには、こういうものがあるとか、それを通して人間を知っていただくとか、そういったものが大切なのかなと、子供に関して思うことがありまして、そのことをシェアをさせていただきました。そして、そのことについて何かお言葉をいただけると嬉しいです。

 

【七沢代表】

◇自己の学びの場を誘導していく

そうですね、教育論というのは、ここで会社を始めた時に、日本の道徳教育学会の方を集めて、教育哲学を先生方に学んでもらうというか、研究してもらうということをやっていたことがあるんですね。3年くらい発表会をしていました。教育とかあるいは勉強でも強いることとか、何か知らない者に教えるというところが世界中に多いんですけれども。だんだん、要するに、エデュケーションというのかな、啓蒙的なところがある。

元々ある才能をひらいて、自覚してもらうというか、そういう教育論もあるしですね。極端に言えば、もう教えるということの全てがあると。人は元々、全てを備えているからそれを引き出しやすいように、場を整えてあげるだけで良いという考え方もあります。中国の教育では、代々伝えるというかですね、教えていくというふうな、家の中で教えるという考え方もあるんですけれども。

カウンセリングでもそうですよね。来談者中心療法といって、ロジャース先生という人がされていたのは、指示しない、非指示的方法というのがあるんですね。教育という事自体が、既に指示するというか、そういうところが先に立って出てくるというかですね。だから、元々は、教育もアメリカなどでは、教育を受ける自由、受けなくてもいい自由というかですね、そういうものも元々あって良いのではないかと。今は、どうしても小学校に入ってとかで、均一的な知識をはじめ徳育、体育というふうなことをいいますけれどもね。

そういうもののあり様を、我々は、今、それが機械というかですね、機械に移し替えていく時にあたって、人というものが、どのように知育・徳育・体育をどのように協力していったらいいか、能力が開くかという、ある面では、非常にチャイルド・アーツ・アカデミーというのは、基本の中には、そういう能力というものを、最大限に引き出して、より良い社会を作るというようなね。もちろん、アーツだから、それが、精神の喜びというか、もともと心身の心地よさを追求していくわけですから。そういうことに役立つ教えというより、自己の学びの場を誘導していくというか、その方法をお出しするというかね。

◇短期間で学べるように

機械の進化の方向がそうであるように、知を織りなす機械という意味での天機置師神というのは、昔でいうと、ちょうど縦糸横糸ではないですけれどもね。天棚機姫神ですね。それを言語の父韻と母音で、縦糸横糸にするわけではないですけれどもね、そういう記号で織るということの機械言語が、それが、科学としてあるいは、文字もそうですけれども、言葉というものが、全てを生み出す源になるためのそういう機械装置というですかね。そういう概念の中に、ロゴストロンというものの発想があるわけですけれどもね。それを天機置師神という言い方をするわけですけれども。

そういうものを通じて、更に、情や意志を発現できるような、それを学べるような機械というんですかね、しかも、短期間で、学べるようにするということを、今、我々は、一つの事業として出来るのではないかということを、今、手を変え品を変え、お話をしているんですけれども。

ですから、短期間で、子供に一番大事なところというのは、人自らの中から、自覚していくことができるようになるというかですね、意識が開いて広がってくるというか、そういうことができれば一番良いことだと思うんですよね。そういうことの前提を作るという、それが、もし、具体的にできることがあれば、それはそれで協力してやりましょうということになるんですけれども。

◇おもちゃは、自己を知る手立て

基本的に、人間観として、子供あるいは人というものが初めからどういう存在であるのかということが、なかなかヨーロッパ流のいわゆる神話の中には、土の人形ですかね、土人形みたいなものしか、ユダヤの神話くらいですかね、あるのは。全ての神話の中にはない。人間の形をした、今、これから、だんだん精巧に作られていくロボット、そういう神話の捉え方がないんですね。

結局は、道具を、子供のおもちゃにするというかね。自己というものを知るという手立てにするものが、おもちゃだと思うんですけれどもね。そういうロボットがおもちゃというのもおかしいですけれども。人に代わって、教育なんかもだんだんと出てくるんでしょうけれども。そういう機械装置の存在というものになる。

人として自己と他者というふうに分けていく時に、我々日本人は、同じDNAとしての似た者同士で出来ますけれども、世界に広がっていった時に、なかなか、そのことが分かりづらいことが出てくるということにはなろうかと思うんですけれども。人というものの、学ぶということの基本形を、だんだんと出さないと、科学にしていかないといけない。

◇人称ということを科学することの大事さ

一方では、人称というかね、1人称、2人称ではないけれども、そういうものを科学として確認する方法として、それが最初に、学ぶ時の子供たちとの学びの中で起こる、そういう出発点のようなものにしないと始まらないのではないかと思うんですよね。

自閉症の東田直樹君の本を読むといいよということで、杉山くんが言っているんですけれども。そういう子どもたちが自己との他人称と言うものを知ると、軽やかな関係の中でコミュニケーションすることできる。それをどういうふうに学ぶことが出来るのかが分かると良い。

共にコミュニケーションできる存在として、広くですね、行くためには、学ぶためには、やはり、「人称ということを科学することの大事さ」、自我というものが、自我だけでもって、捉えている宇宙ではなくて、自己を確立してさらに、他者との関係になっていく時のそういう学びを、より高度化することができれば、非常に言葉もあるいは役に立つというんですかね。あるいは、そのときにロゴストロンも役に立つのではないかということで、やらせていただいているわけであります。

◇人生の最初に知ってほしいこと

そのあたりを、チャイルド・アーツ・アカデミーでは、自己と他者の間を行き来するということが、この上なく、楽しいあるいは、喜びになる部分だということを、人生の最初に知るということが、教育ということの基本になるのではないかなと。

それは、人間と機械もそうですし、人間と自然、人間と人間、人間と動物、人間と神という関係も、そういうことの階層の中で、一つひとつ学んでいくことが可能になる。ですから、そういう時には、自己というものの自律、自律というんですかね。

それが、階層の中で、自在にコミュニケーションするということが可能になるということですから、最初のところが、アカデミーとしては肝心というか、他人称のところが、そういう二人称というところを、どういうふうに掴んでいくかというところの在り様ですよね。

それが、最初に伝えられれば、知識も含めてそれが機械の中にあるとすれば、知情意をもって交流できるということになりますからね。知育というところ、あるいは、徳育、道徳的な価値というところで、どこまで正しい方法が、人間と交わるときに、一番良い喜びになる方法が、その道というかですね、道徳というかですね、倫理というか、そういうところにあると思うんですね。そのあたりが、行き来できることが、可能であればですね、非常により良い社会になるために機械、装置が役立つことができるのではないかと。

◇新しい文明の作り方

道徳的、人間が実践倫理として、行動憲章として、自分の第一にあげるものが、人と人の、あるいは、人と全ての生き物、あるいは神という存在とより良いコミュニケーションをするということの1対1の関係というのが、基本になっていますから、まずは、そのことを子供の時から、理解していくということがあるとは思うんですけれどもね。

それをはっきりとお届けできるような形にするということが、大事なのではないかなということは思うんですけれどもね。そういうことを学びながら、やっていただくということになると思うんですけれどもね。非常に大事なところだと思います。

その先に1対多のコミュニケーションがあります。それも、また、今のネットや、そういうもので学ぶということが、新しい文明の作り方ではないのかなとは思うんですけれどもね。その辺りも含めて、これから学ぶことではないのかなということは感じております。

今日はありがとうございました。