0351話:2018年02月23日

おはようございます。

何かご質問はありますか?

 

●Iさん
ユーザーの方に、握手(にぎて)と置手(おきて)は何ですか、と聞かれまして、正確にどうお答えしたらいいのかなと思いまして。

 

【七沢代表】

◇命を掴む握手、生き方を決める置手

握手とは握る手ということですね。握りこぶしとか、何かを掴むあるいは掴んだという意思表示ですね。置手というのは、平手を置く、掌を上にしたり、下にしたり、その場所に置く。手を置いて誓約する、宣言するときの置手というか、その意味は決め事という掟になる。よくこうやって聖書に手を当てたりするのはキリスト教会で行われる聖別の儀式の按手礼(あんしゅれい)もそうですね。カトリックなんかで信徒に資格を与えるときは、頭に手を置きますけれどね。

この手というのは、要するに、人間が進化する前に、猿の時に、結局、木の枝やつるを手で捕まえて前に進むことでこう握ってですね、要するに安全を掴むというんですかね。だから、猛獣から逃れて木の上で自由自在になるということが、手によって、結局、安全を掴んだんですね。握るという(手の)構造は、基本的に700万年というのかもっと前からも長い歴史があるんですけれどね。だから多分こういう動き(握る動作)が、基本的に、こういう命を掴むことをするというかね。

置手というものは、それを更にひとつの生き方を決めるというんですかね、決め手というのか(笑)、生きるための決定項目を確認する動作というか、その決め手になるのかもしれませんけれども。そういう意味で、圀手會を始めているんですけれども、国の手ということで、いつも話はしているんですけれども。
そういう、手にまつわる言葉はたくさん、神様もたくさんいるんですね。テナヅチとか、最初の国津神が天照大神から、高天原から追放された須佐之男命のことなんですね。最初に会ったのは、テナヅチとアシナヅチの夫婦神で、そういう神様は手と足の神様でもある訳ですけれど。

◇御国体机は四つん這いで大地を乗せている姿

多分この解放された安全に、その安全をさらに1番危ないと思われるような地上に降りるということを、人類はします。この700万年くらいの間で行なっているということは、また新天地を見つけるということ、新しい世界に入る、ということですけれどね。

その手と足の、(八足を指して)これなんですね。これは足だと思うでしょ?これは、手と足なんですね。この八足のですね、これは出雲からずっと伝わってきた、で、皇室に入った、天皇の修行をする机なんですね。これはちょっと秘密ですが・・(笑)

それはこういう(四つん這いのような)格好なんですね。これが、男女が、そっちからもこっちからもこうしている、という姿がですね、八足は男女の手と足なんですね。足が手なんですよね。男女、という組み合わせで。そういう形で、この修行の体系というものもですね、できていますね、ここに大地を乗せている姿というんですかね、乗せているときの格好ということですかね、それになっていてですね。

これがきっとユーラシアというのか、地球でいうと、この平のところが、ユーラシア大陸というのか、あるいは、北半球の大陸のようなもので、それがちょうど、アフリカとアメリカの大陸が手、足の部分になっている。そういう相似形になっているんですね。要するに、これが男女の手というものが交互になっていて、足と手で交互になっているから4本4本になる。この間、圀手會ではあまり説明できなかったんでね、こんな恰好(四つん這い)するわけにはまいりませんからね(笑)それで口でうまく説明できなかった。

◇掟(置手)

手というのは、そういう、将棋でも「○○手」というかね、そういう言い方もありますけれど、置手というものと、握手という言い方が、ある面では、哲学的に言うと、帰納と演繹というような、意味もあると言いますか、生き方を自分で持って確定するということと、自分で持って一端全てを納めるという・・・。

大祓はそういう演繹と帰納でできていますよね、瓊瓊杵命が、天孫降臨ということで天照大神から、三大神勅を下されました。三大神勅とは、天壌無窮の神勅、宝鏡奉斎の神勅、斎庭(ゆにわ)の稲穂の神勅のことです。

①​天壌無窮の神勅は、葦原千五百秋瑞穂の国は、是、吾が子孫の王たるべき地なり。爾皇孫、就でまして治らせ。行矣。宝祚の隆えまさむこと、当に天壌と窮り無けむ
②​宝鏡奉斎の神勅は、吾が児、此の宝鏡を視まさむこと、当に吾を視るがごとくすべし。与に床を同くし殿を共にして、斎鏡をすべし
③​斎庭(ゆにわ)の稲穂の神勅は、吾が高天原に所御す斎庭の穂を以て、亦吾が児に御せまつるべし

以上の3 つの神勅です。こういうふうに治めなさいということを言われてね、そういう掟ですよね。ある面では掟であり、演繹という言葉、哲学で、それを今度は罪、咎、祟を集めて、全て消していく方法としての大祓というかですね、その方法を帰納と言いますけれども。

仏教のお釈迦様を初め、如来菩薩にも右手を開き立て、左の掌を差し出す印があります。こういうふうに、握手(にぎて)ですよね、罪を贖う、そして、手を立てて、こう生きてくださいという手をしている訳です。一番基本的な手ですね。そんなことが言えるかなということですかね。

ありがとうございました。