0352話:2018年02月24日

第七種神拝作法伝授での代表挨拶(前半)

◇神人一如となる十種類の作法

本日は第七種神拝作法伝授にお越しいただきまして、ありがとうございました。
公家の白川の言葉、祝詞の言葉は、もともと宮中で使われていた言葉です。例えば、修行で終わる時には、「まず~」とか言うと、「どういうことですか?」と色々と聞かれることもございましてですね。要するに、そういうような宮中の言葉がたくさんあります。

その内の一つで、種(しゅ)ということを言う場合がありまして、それが十種から一種まで、だんだんと下がっていきます。尻手に切るというような区切り方でしょうけれども、今まで民間では、三種までということで、三種、二種、一種は天皇陛下がなされる神拝作法となっていたわけであります。この辺りが、開放されていくのではないかと。三種までは、今のところ、開放されております。ですから、順調に、お祓いと修行をされると、三種あたりまで視野に入ると思うんですね。

三種というのは、日本、大八洲といって、64州といいますかね、国が分類されているところなんですけれども、そういう64という国のですね、一宮というものが必ずありますけれども。そういう64の一宮の神様を迎える作法になります。

白川の神拝作法とは、神様に失礼のないようなお迎えの仕方です。神人合一するというような神秘的なことではないんですけれども。どちらかと言いますと、神人一如といいますかね。神と共にといいますか、神様を共有すると言ったら失礼な話ですけれどもね。神様を手の内にすると言ったら、もっと失礼になりますけれどもね。神様にこの手に乗っていただいて働いていただく、そんな意味での様々な作法が、十種類あると思っていただければ良いかと思います。

◇生まれて初めて息をいただく時が、最初の「十種」

それが、神様の働きといいますかね。無神論で神様はいないと哲学的に言う方もいらっしゃいます。「神は死んだ」なんてニーチェは言っておりますけれども。

色んな一神教の神様の呼び名もあれば、様々な多神教の神様もいます。神道は、祭祀に関わる用語が1万語以上ありますから、今も、そういうコンピュータのソフトの中で使われる言語と同じくらいの数に匹敵する沢山の神様に関連する用語があるわけですね。

そういうものを、全て学ばないと審神者ができないという訳ではありませんけれども。大まかに、十種から三種までの流れをまずは知っていただいて、その後で、また入門の七種がどういうものかということをご説明しますね。さらに、六種鎮魂に是非とも参加してくださいというお願いのようなところも出てくると思いますけれども、ご容赦願いただきたいと思います(笑)

十種というのはですね、人が命を受けたときに授けられます。民法上では、人格上どの生命段階が、人として認められるかというところは、未だに議論が残るところではありますけれどもね。胎児の時から認めるという人もいれば、母親から生まれた時であるという人もいれば、呼吸と食べるところがわかれた時が人類として始まった時なんだという人もいます。それは2歳6ヶ月くらいで、そういうことを言う先生もいるくらいです。たまたま、その先生と10年以上そういう免疫病治療研究会で、学ばせていただきました。西原一成先生なんかは、そういう説ですね。ですから、どの段階で、人になるかということには、色々と説はありますけれども、白川では、どういう捉え方をするとかというと、「息をいただく」というか、息は吸ったり吐いたりすることで、白川の用語ですと、突く息と吐く息(引く息?)と表現しますけれども。実はこの突くという上代語では、吐く息を突く息と言います。引くというのは、息を引き取るという場合もそうですよね、亡くなる時に、息を引き取るというわけですけれども。

そういう呼吸を、突く息と引く息というふうに表現しています。その息をいただく時が、人として最初の十種伝授となります。白川では、それも一つの神の一つの証といいますかね・・・。最初の始まりの時に、吐いて吸うわけですけれども。

これは、息ということは、敏感な人は、お母さんは、赤ちゃんが生まれる時に、御弊が立つのが見えることがあります。この御幣、すなわち祓串は、父母、祖父祖母、曾祖父母、高祖父高祖母ということを表しています。真ん中の自分を入れると、5層になって存在するということを象徴しているわけですね。

◇「七種」我々は生きた遠津御祖神である

祓戸四柱の神様も、象徴していますけれども、これはまさに、色々な意味が畳みこまれています。神道の極意というのは、畳む、包む、それから結ぶという、大原則があるんですけれども、それに則って、畳まれるんですね。DNAもそうですよね。畳まれるわけです。ですから、150ナノメートルの一つの細胞の中に、更に、DNAというものがあるわけですね。それが、情報として、畳まれているという捉え方をしておりますけれども、DNAも、まさに遠津御祖神になるわけですね。

ですから、七種の場合は、天津神、国津神、遠津御祖神、産霊幸倍神と唱えます。あとで皆様方にお教えいたしますけれども、この七種は遠津御祖神のところが肝心で大事な学びなんですね。しかも、後ろ手で叩くというか、これは、世界には全く無く、日本の神道の中にも無いですね。

これが、1番古い古神道の中の、先祖といいますかね。これも、仏教が入ってきて、仏教の中には、先祖を奉るというところに繋がっていくんですけれども。元々は、神道の、我々一人一人が、生きた先祖の神でもあるということですね。
先祖というものは、もちろん亡くなっていて、それは遠く離れているということの意味もあって、遠津御祖という表現になるわけですけれども。少なくとも先祖というものが、今は、DNAの中に体遺伝子として精神遺伝子として、全て畳み込まれているということが言えるわけでございますね。

特に、体遺伝子は、山中先生が切ったり貼ったり色々とiPS細胞ということで研究されていますけれども。本来は、なかなか変えられないものが、体遺伝子なわけであります。一方で、精神遺伝子について、「人のために生きる」というふうなものなどが、実は遺伝してあるのではないかと。そういうものが、自分の代で、いくらでも変わるわけですね。それは、宗教をする、しないにかかわらず、あるいは、道徳や哲学を学ぶということがあろうがなかろうが、DNAやRNAの世界は瞬間的に変えられるというかですね。そういうことも、いよいよ、はっきりしてくる時代になってきたというかね。そういうことも、どんどん変わってくると思います。

最初に、DNAを持った先祖というものが、これは、端的に言えば、それは人類というものが、どのような形で進化してきたというかね。ネアンデルタール人かクロマニヨン人が、ハイブリッドとなってですね、今の我々はあるんだと思いますけれども。

そういうDNAというものが、連綿と繋がっているところに、一つの命というものがあって、それもまた神と呼びます。そして、我々は、生きた遠津御祖神であるということを自覚する。それが、本日の七種の最初のテーマです。

ですから、六種の時に経験をしてもらうわけですけれども、ご修行をするという課題が出て来るわけですね。遠津御祖神の修行を、皆様でしていただくということなんです。それは、非常に面白い修行で、誰もが自然に、錐体外路系といいますか、右脳の働きを自覚できます。遠津御祖神を、みんな誰でもが体感できる神拝作法の伝授というものもあるわけですね。とりあえずと言ったら失礼ですけれども、神というものの存在は、天津神、国津神、遠津御祖神、五行の自然の神で、神様は殆ど網羅されるわけです。遠津御祖神から、自然の神という五行の神を、自分に迎えるということが、鎮魂という六種鎮魂という作法ですね。

◇全てが神であり、旋回として現れている

どうも宇宙あるいは神という世界を、物質のレベルの量子スピンという形で旋回するというんですかね、そういう概念があって、1番小さな物質から、この大宇宙まで、星雲なんかの動きも、もちろん、太陽系も含めて、基本的には、旋回が基本になって、存在している。ミクロコスモスからマクロコスモスまで、その全ての存在が、旋回していると捉えているわけですね。

ですから、自分以外の存在というものを、優れた存在というか、自分自身が出来ないことが、全て自然も含めて、人も動物も存在してるから、それが神だというところが、基本的な古神道の考え方であるわけですね。なので、みなさん、ずっと、水を手で掬っていることはできないですよね。ですから、水を入れる器も、これもまた神なんですね。これは、アイヌでも、そのように言いますけれども。まさに、器も神なんだと。

そういうことから言えば、「全ての存在が神」なんですね。その特徴というものが、神の特徴でもあるというんですかね。それが、一つの旋回というのか、そういうものに現れているということであります。天津神も国津神も、旋回をする方向が違って、回転する右旋左旋ということで、違いがあります。今の我々も、神というものを迎える時の技も、前提条件みたいなものとして、そういうものを学ぶということになります。

今の生物学とか、分子的な医学あるいは、遺伝子もそうですね、まさに、DNAも旋回しているわけですけれども。基本的には、タンパク質の最小単位のアミノ酸は、左旋しているわけですね。糖質は、右旋なんですね。そういう身体の1番基本になっているものが、右旋と左旋になっておりますけれどもね。

◇ご修行で神を迎えると、旋回が起こる

我々は、鎮魂ということで、五魂も、右旋の魂と左旋の魂があるんですね。もちろん、天津神と国津神も、左旋と右旋にわかれているわけですね。そして、ご修行で旋回することによって最初に共振が起こる物質が「水」なわけであります。人も70%は水ですからね。なので、水を神様に、献饌したり、水を掬ってお祓いをあげていきますと、手に入れた水が回っていくわけですね。これは、北半球と南半球では、全く右旋左旋が違いますけれども、掬ってやると、そういう技が現れているというわけですね。

また、自然という五行も、そういう動きをしているということになります。ですから、神を迎えるということは、基本的に、旋回を起こすことでもあるわけですね。旧約聖書の中に、その専門家である対馬さんという方が、今度、新しく本にするんですけれども。白川通信に30回くらい連載いただいたんですけれども。

実は、旧約聖書の中で、神が現れる時のシーンはどう表現されているかというと、それを見ますと、神様を花に喩えたりすることもありますけれども、竜巻に喩えることもあります。「竜巻の中に私は、神を見ます」ということを、旧約聖書の預言者が言っているフレーズもありますけれども。そのように神を迎えるということは、基本的に、旋回なので、目をつむってお祓いをあげてしまうと、ぐるぐると頭の中が回り始めます。外側が回らないので、中が回り出して、なんかおかしいじゃないのかということをよく聞くのですけれども、もちろん、その実験の為にわざわざ、目をつむってあげる必要もないんですけれどもね(笑)そういう修行はいくらでもありますからですね。それを祝殿でしていただくということが、1番安全ということが言えると思います。

◇1億年前の右脳の動きを体験できる修行

ただ、脳の関係でいいますと、普通は我々は、右手を上げるというのは、左脳の領域ですよね。それで、この右手をあげているわけですね。これは、錐体路といいます。交差している、そういう言い方があって。これを、右側は右、左側は左というやり方があって、歩き方も、江戸時代では、こうやって(ナンバ歩き)歩いていたんですね。だから、なかなか、走ることができなかったようですね。

飛脚みたいに、手を使わないで、今の走りのように腕を振るということはしないで、それをナンバ歩きといって、私の親友である甲野善紀くんが、よくナンバ歩きを推奨して、それが力があるんだとということを言っていましたね。ある種、錐体路ではない、錐体外路系を使った動きだと感じておりますけれども。我々は、修行という白川の祓いと鎮魂との修行があるんですけれども、元々、錐体外路系で神を迎えるということをやっていたのではないかと。

だいたい、1億年くらい前は、最初は右脳ができたと言われています。これは、ホヤとか、今の生き残りの中にもある生物でしょうけれども。これは、右脳だけで存在している。その動きだけで、1億年、命を繋いできたということなので、右脳の方が、そういう意味では、神に近いのかもしれませんね。こういう働きだけで、生きるということは。

ですから、我々も、もちろん、蓮の花もちょうど1億年の生命だと言われていますけれども、仏教だと蓮の花の上に、我々は、ホヤの上に、右脳の上に、白川の教えがあったのではないのかなと。1億年という期間をジャンプして、その動きはどういうものかということが体験できる、そういう修行と言ってもいいかと思います。

◇ひふみよいなやことだま

その1番の基本が、旋回。あと、旋転というものもありますからですね。言葉も、天津神の一部といったらなんですが、古事記の中では言霊暗号として、解読できるわけですけれども。言葉もですから、右旋と左旋を、両方を意志として使えるということが、これは言霊の世界になりますけれども。言葉で相手を倒したりするというか、気合でびっくりするから、倒れるわけではないんですね。

気合術みたいなものもありますけれども、言葉が癒したり、あるいは、防御したり攻撃できるということですね。それは、生かす言葉もあれば、殺し文句というか、これは意味が違いますけど(笑)きっと、殺し文句もあるんでしょうね。

心理学でも、そういう方法がありますけれども、アンカーの言葉を入れてやる心理操作もありますけれども・・・。言葉というのは、ある種、悪用すると色んなことができますけれども。白川では初めに神様からいただいた言葉を「ひふみよいなやことだま」と言って感謝を捧げます。

一方で、数も言語だと言っていると思うんですよね、数の言語というか。今、数の言語として、数学あるいは記号というものと合せて、たくさんの法則を、あるいは数学の方程式を作りますが、これによって宇宙が出来ているといっても良いかと思います。

そういうふうにサヴァン症候群の方でも、全ての現象を数式でもって、全て書けるという方も出てこられております。あるいは、一瞥の瞬間で、全ての風景を、頭に入れて、全て描けるというか。それは、今、カメラでも何百万画素ということでやっておりますけれども、それを人間の脳でも可能だということもありますから。

(後半へ続く)