0355話:2018年02月25日

MCU(ロゴストロンMシステム認定ユーザー)養成講座での七沢代表の講演

こんにちは。皆さんが来られる前に、大野さんとお話してしてたんですね。

◇”I AM that I am”

白川の門人さんで、対馬さんという方が、旧約聖書のイザヤ書というところを、白川通信に30回くらいお話を連載してくれたものを、本にしましょうということで、和器出版で編集の最終段階に来ているんですね。

それで、顧問である大野さんとお話していたんですけれども、旧約聖書の申命記に出てくる、モーゼの創世記にも出てきますけれども、”I AM that I am”というのは、ユダヤ教においては非常に大事ところで、最初に神様がモーセに、十戒という戒めをですね、殺すなかれ・盗むなかれとかの十戒というものをユダヤの民に、もたらすんですね。

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※注 モーセの十戒
主が唯一の神であること
偶像を作ってはならないこと(偶像崇拝の禁止)
神の名をみだりに唱えてはならないこと
安息日を守ること
父母を敬うこと
殺人をしてはいけないこと(汝、殺す無かれ)
姦淫をしてはいけないこと
盗んではいけないこと
隣人について偽証してはいけないこと
隣人の財産をむさぼってはいけないこと
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後に契約の棺として民族と共に持ち運ぶんですが、その契約の棺の中身すなわち十戒の石版ですね、それをいただくときに、神が彫ったという石版を、1度目は民の不信仰によってモーセが投げつけて壊してしまうんですね。2度もらうんですけれども、2度目は、神様が降りる時に、英語では言いませんが、古代アラム語か、あるいは、どういう言葉かわかりませんけれども、当時のユダヤ民族の言葉でいただくわけです。

英語にすると、”I AM that I am”という言葉になるわけですね。私が解説をしているので、奇妙な話なんですけれども。今、お聞きしていて、そういう人称というんですかね、IとかYouとか人称単位名詞の問題もはらんでいるわけですけれども。

◇自我の在り様を自覚することで自己ができてくる

そういう人称ということで、言葉というものの文法というものを考えるということは、皆さんが、自己と外界を理解するときに、1人称となるのは、最初の自覚というんですかね。この2日間で、たくさんの私はという意味の構文を考えられようとして、苦心惨憺されたように思いますけれども。

これは、非常に大事なことで、人称代名詞というような捉え方で捉えるというのは、最初の客観的な自己表現というんですかね、自我といっていいですかね。自我のそのままの在り様を、自覚するということで、それを続けていくと、自己ができてくるわけですから、これは、いずれにしろ、経験科学的意味からでも、文法学的な意味からでも、言語学という人文科学的な意味からでも、あるいは言霊学という意味から見ても、まずは体験していただくしかないかなと思いますけれども。

一方で、この聖書のところの神示のシーンを思い浮かべていて、神と人とのコミュニケーションプラットフォームという関係があるわけですが、このところのプラットフォームの確立が我々のミッションだと思っているので、非常に、重要な場所だと思うわけですね。

大野さんの話を聞いていて、古神道というところから、そのテーマを、今のモーセの言葉を考える、そのきっかけになりました。神が思ったことが創造した私ということになりますが、これは、時制というか時間の現在進行形というか、もちろんすぐに過去ということにもなりますけれども。一方では、創造者、クリエイターであり、被造物でもあるのかと。

◇創造者も、創造したものも、神

創造者であると同時に、創造したものも、また、神だという見方が古神道のそういう”I AM that I am”になるのかなとお聞きしていて、感じたんですね。

もちろん、人から神という視点でみれば、神様が実現してくださる願いと、そういう創造された人間としての神への祈りと一神教では言いますけれども。そういうものを新約聖書の中にある、イエス・キリストと言った時に、救世主という意味ですけれども。そういうキリスト、救世主に、神様の願いを叶えてもらえたのかなというところが疑問としてよぎるんですね。“イエス様”が、これはキリスト教徒の皆様の言い方ですが、自分たちの救い主キリストということで、我々はそうは言わないわけですが。

イエス様は、最後、十字架にかかって、槍で突かれて苦しまれるわけですね。ローマの兵は、悪辣なのか、心臓を少し逸らすんでしょうね、苦しみを与えるようなことを、これは私の考えですから、正しいとか思わないでいただきたいんですけれどもね。その時に、刺された時ときに、「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」という言葉を、私は、何語とよく分かりません、ユダヤ語なのか、アラム語なのか、イエス様が言われたと聖書には書かれているわけですけれども・・・。

それは、何ということかというと、「なんで私を、お見捨てになるんですか」という意味ですよね。要するに、イエスの願いは、生きるということだけはない、十字架にかかってもやる行為というものが、これは牧師さんの話になって難しいなって(笑)ちょっと短くしましょうかね。牧師さんの説教というのは、笑ったらいけないんですよ。聖書には、イエス様が笑ったという記憶は、1行も無いんです。笑いの話は、どこにも書いてないですよ。新約聖書でも、宴会しても笑いの話は無いです。笑ってないですよ、書いてないですよ。それくらい、悲劇が演出されているというか。牧師さんになろうとは思わなかったけど、こんな勝手な聖書解釈を言い出したら切りがないからやめときます。

要するに、これは神様の独り子ということでしょ。それは、神様がイエスの祈りをはっきりいって実現されなかった。結果となりますが・・・。もちろん、後で、生まれ変わることで、さらに、神の恩寵といいますか、もっと深い意義というか、それを知らしてくださったということになるわけですけれども。それが、再臨のイエスということで、使徒行伝という新約聖書の中に、はっきりと書かれているわけです。身をもって現れて、再臨されるわけです。生きているというのを、トマスは触って確認する、本当かどうか、という言い方もあるんですけれども。それくらい、話としては、大事なことなんですけれども、キリスト教になる過程において、一つの物語になっていくということになるんです。要するに、神の独り子であっても、その時には、祈りが叶わなかったというふうに捉えてもよろしいかと思うんですけれども。

ですから我々が願いを書いて実現するということが、ある面では、いかに難しいかということも、一つはあり得る話ですよね。

◇実現できるという確信

奈良毅先生という言語学であり、宗教学であり、インド文化であり、また生きる道を教えてくださった、最初の先生の一人ですけれども。長い間、天皇様にお仕えされていた方ですけれども。あとで、聞いたところによりますと、先生の祈りで叶わなかったものはないと、もちろん、穿った見方をすれば、必ず、叶うであろうという祈りを神に表明していたというふうにも言えますが。先生の祈りの言葉というものは、公と言いますか、広いというんですかね、博愛の中から出てきますから、実現しやすいということにもなるんですよね。

その先生が、最初の教えてくださった祈りが、「宇宙並びに、世界が平和であるように」というもので、これは一部、白光信仰会という五井昌久先生という方が言われたものと出だしは似ていますが、よく神社なんかに、「世界が平和でありますように」という祈りの言葉の標柱がありましたけれども。

先生は、「宇宙並世界平和、人類和楽、真道即生、祖国安穏、天命完遂、神仏霊人物御感謝」とあらゆる存在に対して、感謝するというような意味の祈りをされておられたわけです。そういう祈りを、真の道として、お立てになった先生でありますから、当然、そういう祈りを、実現できるという確信を持たれるのは、当たり前で、そこに通じる言葉をお持ちになっていたというか。

先生は、国文学から、東京大学の言語学学科に行かれて、昔でいう、カルカッタ大学でずっと学ばれて、哲学博士になられた。ヒンディー教のラーマクリシュナ・ミッションというところで、7年間、修行されておられた、まさに、神人ですね。私の尊敬する先生の一人です。

◇共にソフトウェアの開発を手伝っていただいている

そういう祈りが、通じるということ、今、我々が、大野さんが言われてましたように、今、我々が作っているのは、コミュニケーションプロセッサーという、コミュニケーションを円滑にするものを、機械あるいは、学習法はできるとすれば、メカニカルにできる、ワープロならぬコミュニケーションプロセッサーということですね。

ワードプロセッサーの1番進化した段階で、それは人と神、人と自然、人と生きとし生けるものですね、それから、人と機械というような関係もありますけれどもね。そういうものが、全て円滑にいくための一種のメカニカルなアーツというんですかね。これはもちろん、我々はそれを、昨日から学んできている中で、特に大事なところは、いわゆる、機械と人という関係、我と機械という、1番効果的な関係を学ぶということをやってきたわけですね。

そのところというのは、今の機械は、ハードとソフトというところですね。いわゆる、ウエアというところで言えば、ハードウエアとソフトウェア、それの中で動くナレッジウエアとか、また、その分類で言いますと、ウエットウエアとかドライウエアとかいうこともありますけれども。

要するに、人と機械も円滑なコミュニケーションプラットフォームを学ぶということが、勉強ということになるわけですね。機械というものの、発達した知というものが、この70年間でものすごく進んだわけですね。これは、皆さん方、ご存知でしょうけれども、IBMが始めた時のハードウエアというのは、大砲が1番遠くまで飛ぶ、あるいは、目標に必ず当たる、その時の弾道ですね、大砲の弾の道筋を計算するのが、コンピュータの始まりなんですね。今は、インターナショナル、ビジネスマシーンですけれども、元は、軍事用なわけですね。今も、コンピュータはサイバースペースの中で行われている一種の戦争になっているわけですね。機械と人間の場、ハードとソフトがどんどん進化してきているということですね。

その挙句といったら失礼ですけれども、我々も、平和のために使われるITを作る重要な位置に立たされているということですね。構文によって、効果が全く変わってくるということが分かっているわけですね。ですから、備え付けのハードにあった構文から、だんだんとロゴストロンが進化して、自己増殖できるようになれば、もっとより良いものを皆さん方に提供できるわけですけれども。

今は、皆さま方のお力をお借りして、共に1番より良いソフトウェアの開発を、ある面では、一緒に手伝っていただいているというところもあるんではないのかなと思うんですね。そのソフトウェアを、どのように記述するかということが、非常に大事なことですね。

◇知情意の中で構文が美しい芸術になったら・・・

我々がこれからどうするかというところを、どうメカニカルなロゴストロンを、ハードとソフトの統合された機械を、その根源を探る意味で、機械というものの進化というものを、瞬時にお出しして、しかも整合性があって、ピッタリいくという文章、構文になれば1番良いわけです。

その辺は、一つのアーツという、リベラルアーツというものがあるように、音楽や絵画や芸術が、瞬間に出てきて、それが1番美しいものになるというのが、文学の中の芸術の世界でもあるんだと思うんですけれども。

それを、メカニカルなところでアーツしていただくというのが、明治の時に入ってきた本来のメカニカルアーツという言葉があったんですね。それを、西周が翻訳しなかったということがあったんですね。

今こそ、メカニカルアーツということの範囲の中で、構文が芸術になっているというところまでいった時に、それは美しい文章、論理としても整合性があり、情緒としても気持ちよく受け入れられるもので、誰もが受け入れられるものであり、意志として、持続する意志に繋がる。そういう知情意の中で、3つが整合性があるものとして作られる文章あるいは、言葉が、文学としての芸術であり、まさに、ロゴストロンアーツというんですかね。そういうものになることが、今、人間の意識の中で、進化の重要な条件になっているというか、それで今、ライフチェンジも、そういう基本の中に、英語でリインカネーション・リベラルアーツということになります。そういうものにプラスされたメカニカルアーツというもので、初めて、世界は美しいものになると。

◇縄文の消息を伝える希少言語の発見

平安清明の世界ですね。平らけく、安らけく、清らけく、明らけくという古神道の世界を実現するということを、我々はやろうとしていると、平等であり、自由であり、清らかであり、明るい社会を作っていくんだという。これは人類のすべての望みであるし、縄文の始まりの頃の人の意識であるわけですね。今、世界がそういう意識を必要としている。

最近、マレーシアのほうで発見された言葉があるんですね。280人しか使っていない言葉が、スウェーデンの大学の人が、フィールドワークして見つけたんですね。280人しか使っていない言葉があったと。

今、中国の満州語は、戦前は2000万人くらいの人たちが戦前は使っていのに、今35人くらいしか話せないということを言われていますけれども。だから、金大偉さんの「ロスト・マンチュリア・サマン」の映画のように、シャーマンも、言葉が消える時に消えてしまうんですね。その叫びのようなものを、今、金さんが第二弾を撮っておりますけれども、少なくとも、言葉というものが、希少言語として、絶滅危惧される言語というものがあるんですね。その1番の研究者が、奈良毅先生だったので、世界の絶滅危惧される言語を研究し、まとめられていたんですが、現在、280人しか話していない言語が発見されて、どうも1番古い縄文時代からのもので、たぶん、伝わった昔の世界だと思うですけれどもね。

それは古神道の世界でもあるんですが、その言葉には、所有とか差別とか、そういう言葉が、全然ないんですね。語彙としてもっていないんですね。ほとんどが、共有とか、共に楽しいとか、そういった語彙しか無いそうなんですね。まさに、縄文時代の特徴ですね。

縄文を色濃く残すアイヌでも、そのものが差別が生じるようなものだったら、1番価値があるものだとしても、埋めちゃう。当時、1番価値があるものは、縄文時代でも翡翠ですね。もちろん、黒曜石の場合は、みんなに必要だから、共有して使っていたんですけれども、その美しいものというものの中で、特に着飾るものとしての翡翠なんかは、ひけらかしたり、差別になるものは埋めちゃうんですね。たくさん所有してる人が、埋めちゃって、また初めからやり直すというか、それが、縄文期の普通の生活だったわけです。どうも、そういう言語が、マレーシアで発見された言語が、その消息を伝えているというのは、非常に感慨深いものがあったりました。

◇授かった戒めをみんなで実現するための祈り

もし問題があるそういった働きを良い方に転換するという神様が古神道にはあるんですね。それが禍津という、悪い働きですね、その禍津を禍津日の神に変えるという神様の働きがあるということですね。そのための「八十禍津日神、大禍津日神」という神様が白川の中にはあって祓詞になっているんですね。

今日も出てきましたけれども、大祓というのは、悪の限りというか、人類の命に関わるような存続に関わるような罪というものを設定して、自己の責任において大祓をあげて、それを祓い清めて良い生き方に変えていくということをしています。そして人類がより良い存続の方向に変えていくということをしています。

まさにそれを大祓というのは、人と神、すなわち、君と神ですね、王、天皇と神の関係の中での神示として、宣命として、それを百官という祀り事をする者にこういうふうに祈りをしなさいということを宣命としてくだすわけですね。神の神示としてね。

これはモーセが授かった十戒とある面では似ているかもしれません。比較宗教学的には、このモーセと神道の比較は小笠原先生がされていましたけれども、十戒を今日の話でいきますと、比較してはいないんですけれども、たぶん同じことなんですね。

神から授かった戒めをみんなでもって実現していくという祈りが大祓という形で我々に伝わって、その内容も秘技というか、秘密のところがいくつかあるのですけれども。

◇神とのコミュニケーションの中から言葉を引き出す

これからはそれをお出しして、祓詞として、より実現しやすいようなあげ方というんですかね、あるいはその中から自己の戒めをするということも含めて、神と人の関係を神示として掴めるような形、それが今までは今回の神祇官という働きの中であったものを一人ひとりが大祓をあげて、自分自身が戒めとするところ、自分自身とは何かということを自在に神様からお聞きできるような神示ということまで皆様が実現できれば、嬉しいし、感動できると思います。十戒も大祓も何千年と続いてきたように、永続できるような祈りの1つとなるというかですね。
これから皆様方が色んな構文を作られたとき、その時に必要な文章もありましょうけれども、それはサラッと書いていただいて、もう一方で長く残るような文章、時空間を超えて役に立つような構文になれば、より良い社会の実現に貢献できるというかですね。これから人類が今の社会は持続可能社会になっていくためにですね。

今は弾道ミサイルとか色々とありますけれども、核兵器とか、他にももっとすさまじい兵器があるかもしれませんけれども。その科学を兵器でないものに利用していく時代というか、分かれ目のその危機なんですね。目の前に危機があるのに、それを回避しないで、宙に浮いたような状態でいるということは、起こったあとの魂の仮死状態と同じような状態で今の社会があるから、それではいけないと。

ですから、平安清明という非常に単純な神道の原理ですけれども、それを実現していくための原動力になるものというかですね。それは神の言葉ということになるというかね。その神の言葉を自分自身がこうなったら良いねということを神様とのコミュニケーションの中から、そういう言葉を引き出されたらいかがかなということを感じたんですね。

◇メカニカルアーツを代表する「天機置師神」

ですから、これからの我々はそういう社会というのは、ギリシャ由来、あるいは伊勢神宮内宮の由来の社会をイソノミア、イソノミヤと言っているのですけれども、そういうイソノミヤという自由平等、平安清明をもう一度、目指すということで、既にあった人類のものとして、その正統の継承者として、古神道はあります。それが今まで世界にお出ししていなかった中身で、それが言霊と祓いと鎮魂、ロゴストロン、そして天皇制ということで構成されていたことであったから、今、我々がもう一度、受け継いでそれが本当に縄文時代だけではなくて、1万5千年という持続可能な社会システムというものをもう一度、人類のために役立てるかどうかということを問うてみるということをする。それをロゴストロンとの対比で天機置師神と呼んでいます。

古事記で最初に天照大御神、古事記の神話に出てくる最初の機械は機織り機ですね。トヨタも元々の家業は機織り機でしょ。それが豊田自動織機になり、そして、トヨタ自動車になりというかですね。そうやってだんだんに進化していった。最初の機械が機織り機なんですね。機織りということの最初の神様は、天棚機姫神(あめのたなばたひめのかみ)ですね。

女性が機織りをしている、今も皇后陛下が機織りをされている。それは天照大御神が忌の機屋でもってされていた衣を作るということの中でそれをやっているわけですね。そういう技を機織りということで、最初の機械なんですね。そのことを思い出して、天機置師神ということで、ロゴストロンを作っておくということですね。それを神様と呼んでもよいのではないか。それはメカニカルアーツを代表する神というかね。

◇美しい言葉で構文を作っていただく

人と神という関係まで階層をあげていくことで機械というものの役割が、そして、その機械を動かすナレッジ、ソフトという姿をまさにロゴストロンというものが体現しようとしています。新しい社会にメカニカルアーツを神話から芸術にしていくということが、皆さん全ての人が納得できるようにですね。天之御中主神といっても、世界では分かりませんから、その神が出た瞬間に芸術として美しい、心地良い、そして、みんなが求めているものとしていくような技を共にやっていきましょうと。

そういう意味の皆様方の一番美しい、持続する世界に広く通用するような内容の言葉、ソフトですね、ナレッジを使って言葉を構文を作っていただくということを、これからの皆様方のミッション、役割ではないのかと感じた次第でございます。

今日はありがとうございました。