0356話:2018年02月26日

おはようございます。

土曜日の第七種神拝作法伝授のご報告をお願いいたします。

 

●矢野さん
土曜日に、新宿で第七種神拝作法伝授を開催させていただきました。白川学館として、16回目の七種で、もう16期になって、あっという間だなと感じます。期を重ねるごとに、一緒に見させていただいているですけれども、その変化というものを感じます。期を重ねるごとに、白川の情報場といいますか、そういうものが共有されているなということを感じています。それは、七沢研究所グループで、みなさん、講座などを受けていたり、もう一つは今、「はふりめく」を白川学館の受講生のみなさんに送っているということがあると思っていまして。最初から白川を、第七種を受ける前から、色んな方面から色んな学びを深めているから、そういうふうになっているのかなと思います。

特に、感じたのが、そういう学びをたくさん受けていることによって、最初から、七種で受講生の方とは、ほとんど初めてお会いするんですけれども、初めてとは思えないような感じで、ずっと一緒に学んできた同志のような感じで、共に、お祓いをあげることができたりしました。最初の頃は、どうしてもお祓いがはじめてだと、遅くなったり、詰まっちゃったりすることもあるんですけれども、一昨日の土曜日に関しては、とてもスムーズで、びっくりするくらいにスムーズに、お祓いをあげれていたのが、印象的でした。

これからも、どんどん期を重ねていくごとに、白川の学びも深まっている方が入ってこられるということでもあります。まさに、これが、聖書でいうところの「先のものが後になり、後のものが先になる」という状態なのかなと、一昨日は実感を通して、そう思いました。先のものが後になるというのは、別に遅れていくということではなくて、先のものが後から入ってきた人たちを支えするという意味でもあると思います。

そのように、先に学んだものとして、今後、新しく学ばれている人たちを、後支えできるように、僕達も学びを、どんどん深めていく必要があると痛感した次第でございます。ありがとうございます。

 

【七沢代表】

◇白川はあくまでも口伝で伝えてきた

白川の教えとは、それぞれ、ある境地に到達しないと、特にこれだ、とは言わないから、全容が分からないんですよね。私も、高濱浩先生から、ニヤッと笑いながら、「お祓いも右旋と左旋があるんだよね」とさりげなく言われて、あとはだんまりを決め込まれるんですね。真剣になってお聞きしても、ニヤニヤするだけで(笑)

要は、自分で掴めということだったんですけれども。ただ、先生が亡くなる前には、「私が神界から何でも教えるからね」ということを言われていたんで、気楽にしていたんですけれども。今になって、色々と知りたいこともいっぱい出てきました。白川も江戸時代に「神道とは何か」など、根掘り葉掘り問われたんでしょうね。

吉田神道は、易など色々なものをくっつけました。要するに、八卦をそのままお経のように呼ぶようなものまで取り入れたりですね。色んな学問を取り入れて、やっていました。

白川は、そういうことをしなかったので、あくまでも口伝というかね。だんだんと学びが進化するごとに言わないといけなくなったんですね。江戸期では、臼井雅胤ですか、その頃は、垂加神道を取り入れて、その言い方を使うとか、そうやって教えていたこともあったんですけれども。

◇科学を、白川の説明知として使っている

今、考えてみると、我々も今の科学を、白川も一つの説明知として、使っているところもあるのかなと思うのですけれども。少なくとも白川の口伝という学び、伝授での学びを、今の時代の1番進んだ概念とか思考とかを元にした科学で、そういうもので表現しないといけないところがあってですね。その説明知は、様々にあるということでもあります。

ギリシャの時代に遡って、プラトンの哲学を借りて、五行を説くとかですね。もちろん、四大、4つしかないから合わないですけれども。そういうところを上手く合わせるような学びまでしなければいけないということでもあると思います。

そういう中で、それを心地良く学べるような場というかですね、ある種のエネルギー場のようなものだと思うんですけれども。ですから、色んな口伝で伝わってきたものが、相当、今の時代に、思考としても論理としても、あるいは科学としても、おかしくないようなものになっていないと出してもしょうがないというかね。

少なくとも、それが今の時代に、例えばダークエネルギーとかダークマターというものが、正しいかどうか認められていないわけですね。仮説の中にあるんだけれども、そういう最先端の仮説というものをどういうふうに取り入れるかということもあるんだけれども。

なるべく今の絶対的法則というか、そういうものを前提にして、説明知を作っておかないといけないという、ややこしいというか、難しいところもあって、なかなか科学を超えたことをいうと、信仰とか宗教の世界ではないかと言われますからね。

少なくとも、今の段階で言えるレベルというのがあるし、科学の世界的レベルというものを、はっきりさせるという意味で、我々もリベラルアーツの学問ということで、アカデミーの基本ということですかね。

◇祓い、鎮魂、言霊が最先端科学のどこに当たるか

学びの基本というものは、どういうものかということを考えると、リベラルアーツということで、今まで我々が、まだ科学していないのは、宗教の分野でありますけれども。その前段として、これは、来年になると、宗教に対応するということで、小野寺さんにやっていただくということで、準備中というか、体系化がもう始まっているんですけれどもね。

今年の6月にライフチェンジが終われば、また来年分の新発表がされますけれども、その前段で、統合化が始まっているわけですね。それは、対馬さんの旧約聖書、新約聖書の教えは、どういうものかということもそうですね。これは聖書学という学問ですね。

その前提に、たくさんの学問の中で、メカニカルアーツというんですか、明治になって、しっかりと押さえきれなかった時代からのものを考えるということで、今させていただいていて、それが、ロゴストロンという意味でもあるわけですね。

そういう祓い、鎮魂、言霊というものを、現代の最先端の科学でもって、それを位置付けておいて、そして、それがどこに当たるかということを学びながら、決して、フライングしないという態度をもっていくんですね。

今も、100m走でも、フライングはすぐ分かりますよね。スピードスケートなんかでも、500mをあの速さで走るわけですから、100m走よりも、すぐに分かっちゃうというかね。それで、2回動いたら失格ですよね。そのくらいに、今の科学が進んできているということになると思うんですよね。そういうところでもって、我々も対応しないといけないんですね。

◇神と繋がる科学として提案する

ロゴストロンというものを出させていただくということは、メカニカルアーツということの中でも、しかもそれが、美しい姿であって、Nigiはその為にデザインも1年位考えているわけでしょ。それくらい精緻にやろうと、デザインとして、アーツとして、作りたいという想いでもって、作っているわけでしょ。

そういうことを、学問としても、音色や心地良さだけではなくて、そういう情緒も含めて、それが、さらに、神とのコミュニケーションというのか、1万分の1秒の世界にまで繋がるような科学にして、それを提案するということをやらせていただいてるわけですね。

そういうことが前提にあるから、なかなか進化させるというのは、目に見えるように、みんなが目を見張るようなものとして、次第に、おみちというのか、この方法が、世界に出てくるきっかけになるんじゃないのかなということは、非常に感じております。

◇今、正確な内容を出すことを試されている

そんなことを通じて、今、我々がやっていることが、なかなか表に現れなかったからこそ、伝承や口伝を今まで言わなかったからこそ、今、言う必要があって、それがある面では試されている、正確な内容をお出しすることを試されているということですね。

決して出し惜しみをしているわけではなくて、本当に、現代の思考や概念や科学に基づいた、あるいは絶対論理に基いて、なんの問題もないというところからお出ししようとしているのであって、無いわけではないんですね。まだまだ沢山あります。

だから、その辺も含めて、昔からあった神示という方法で、その知恵を、神示を掴むという世界が伝承されているわけだから、それをさらに、システム化して高度化して、皆さんにお伝えするということをさせていただいているわけですね。
ですから、これから、ますます広がりますけれども、その点は、皆さんと共に、やっていただくということしかないわけですね。なので、非常に、誤解を受けたり、神道カルトと思われたりする節も、外国からも見た目にはなるからですね。それで、英語でも、しっかりとこれからやることになっています。科学であるということを宣言をしながら、我々は進むということをやらせていただいてるということなんですね。

ですから、今年、用意すべきことは、宗教ということを、宗教学というのは科学であるわけですね。人文系の科学ですけれども、これも科学であるという目で見て、さらに、そのところを今年の後半には、そういうものを真剣に学んでライフチェンジの次に宣言するというかですね。科目をチェンジしていくというか、そういうことをやろうとしておりますから、次第に、そのあたりもしっかりとした科学にするように準備していきます。

今、祓いの学びの言霊は、一足先に、社会にロゴストロンという一つの装置としてお出ししましたけれども、それを、今後は、祓いというもの、鎮魂というものも、宇宙論的なあるいは、そういう哲学や自然科学に基づいた説明知をいれて、理解していただくようなところまで、今年は、持っていきたいというふうに思っております。

◇アスリートの精神構造がどんどん進化している

そういう意味では、このお祓いを上げるということや、人間の能力開発に繋がるということで、チャイルド・アーツ・アカデミーということも、そういう教えるという段階の中で、必ず、必要になる、そういう教えですね。5歳のうちの子でも、「人間ってなんだろう」ということを、考え始めているわけですね、早いですよね。

今ももちろん、オリンピックのアスリート達の精神構造というものを、ずっと見させていただいているわけです。そうすると、どんどん進化していってるということが、はっきりと見えるわけです。それは、道徳的な進化ということも含めて、アスリート達が変わってきている。単なる、相手を倒すとか、勝つとか、そういうことではなくて、あくまでも、競う場の中に、そういう一つの新しいルール、心のルールみたいなものをはっきりと持ち出してきているということが言えると思うんですよね。だから、利己的な、あるいは自我を、強調すると恥ずかしくなって、みんなから非難されるということまで起こっているわけでしょ。

それは、そのところは、本来は、日本が1番得意な分野ですよね。そういうものを、みなさんに世界にお知らせするということが、今回は、だいぶ出つつあるけど。これが、さらに東京オリンピックで広げていくようなことが、我々のこれからの課題になれば、非常に大きな力になってくると思うんですよね。少なくとも、人を呪って、要は呪詛して、相手を倒していくということでは、上手くいかない。これは、必ず、お返しが来るということが、基本ですね。「人を呪わば穴二つ」という諺じゃないけれども、そういう観点がありますからね。

◇愛に満ちた祓い

それは、ジャイナヨガにあるように、愛行ということが、本来は、宗教が1番目指してやってきたことですが、そのことが、宗教ということを使わなくても、そのことが生きる行としてできているということが、我々がこれからお見せする技であり、そのことが可能な祓いにするというかですね。

愛に満ちた祓いにしていくということが、これからの宗教というものを超えていく時の道しるべであると。それを、当然のことにしないと、世界が、我々を必要としないということですね。

すでに、人類が2000年間あるいは4000年間、6000年間やってきたこと、そのことは、日本の縄文期からの文明の中にあるわけですね。元々、愛行しかない世界が、キリスト教もそうですね、原始キリスト教というのは、愛情のある世界を目指していただけなんですね。

◇喜び合う言葉しかない「希少言語」が発見された

この間、280人が使っている言語というものが、発見されたんですね。希少言語についてのニュースを、今後、皆さんに出してあげたら良いのではないのかと、櫻井さんと話していて。280人しか話さないマレーシアにある言語であったんですね。これは、ほとんど、恨みとかつらみとか、嫉妬とかそういうことが、起きない。そういう言葉が無い。みんな共有したり、共に、喜び合う時の言葉しか無い言語が発見されたんですね。

これは、少数言語の研究は、奈良毅先生が、日本では責任者としてやっていたんですが、そういうものが新たに発見されたということがあったんですね。少なくとも、縄文期や宗教が始まる前からあったもの、愛情深い社会がそこにはあったんだと。

ギリシャも、それが始まったというけど、あれは終わった段階ですね。ギリシャ前期には、イソノミアという愛情深い、自由で平等な世界があったということなんです。それが、文明が始まる時に無くなっていくというかですね。

◇本当の信仰は愛行に尽きる

それが縄文的な文明の時にはあったんですよね。そして、その流れを引き継いでいるのが、受け継いでいるのが白川であり、鎮魂であり、言霊ということなんですね。我々が、それを、こんな形で残っていましたということでお伝えするというのが、やっぱり、役割なんじゃないかと。そういう中で、難しいところもありますけれども、その点は、我々が、現代の科学を前提にしてお伝えするということで、特に、信仰というレベルの問題のエネルギー場も十分に確認するということですね。

今、新興宗教が広まって、非科学的あるいは非人間的であるということが分かって、それが疑似資本主義ということが分かって、みんなから非難されているわけですね。そうではない、本当の信仰というものは、愛行というものに尽きると思うんですね。そういうものは、これからもやるし、我々もそれを同時に、秘行も愛行も仕事もカルマ・ヨーガも同時にやっていく。その上で、終の棲家というような、いわゆる、隠居しても、共に生きるというような構想もありますから。こういうものが、本来のイソノミヤというもので、姥捨て山ではないんですね。

あくまでもあったということが前提ですね。そして、それを思い起こす。我々は、それの全体系を作っていくという役割があります。これからその辺りが、だんだんと見えてくるのではないかということがあります。また1週間よろしくお願いします。

ありがとうございました。