0361話:2018年03月02日

◇一年三ヶ月かかって隕鉄の太刀ができた

本日、一年三ヶ月かかって、稀勢の里の太刀が出来上がりました。明日、大阪の住吉大社で、その太刀で土俵入りをすることになりましたので、今朝、刀工の伊藤重光さんと齊藤さんご夫妻で大阪に持っていきました。朝7時にようやく出来たと言っていました。なかなか、門人の皆さんにお見せする時間がなくて、申し訳ないです。いずれ、博物館かどこかに飾られるかもしれませんけれども。
その太刀は隕鉄で出来ているので、46億年くらい昔に、太陽系の星が粉々に砕け散った際の真核、中心の核になる部分の鉄を使って出来ています。本来、隕鉄では、ニッケルと鉄の融点が違うので太刀は作れないと言われています。溶ける温度と固まるまでの時間が違う為、割れてしまうので出来ないと言われていたんですけども。

◇太刀には天龍が再び天に登っていく姿が・・・

この太刀の作り方は、古神道でいうと、畳む、包み、結ぶ、ですね。隕鉄を叩いて折り重ねていく、畳む。そして、芯になる鉄を、質の違う金属で包んで、さらに、もう一度叩いた後に、水で結ぶわけです。そうすると、それがピタッとくっつきます。隕鉄の場合は、主に鉄とニッケルとクロームという3つの組み合わせで、それが起こるので、大概は割れてしまうらしいんですね。
伊藤さんも、隕鉄で30本くらい練習したというのもおかしいですが、剣を作りまして、今回、太刀として結ばれました。今回、甲府出身の伊藤重光さんという刀匠に作っていただきました。
その太刀の模様を見ますと、天龍という言い方もありますけれど、まさにその天の龍が現れて、再び天に登っていく姿が出来ているんですね。
日本を守る、あるいは天皇の名代として国土を守るという横綱、日下開山の働きに繋がれば良いなと思っております。動画と写真を撮っておきましたので、また見ていただけばいいなと思います。

◇神籬になる

ちょうど、我々の白川の修行の中にも、最初に後ろに倒れる遠津御祖神があって、その後、自然の五行、木火土金水の神の修行があって、国津神・天津神という順になっております。なかなか、一度に沢山の神々をお迎えするわけにもいかないので、若干、時間がかかるところもあるわけですね。もちろん、白川のご修行の場合は、自分であげるお祓いの修行と、お祓いをあげてもらう修行と、両方があって、それが両輪のようになって進んでいきます。
お祓いをあげていただくご修行の場合には、どうしても身体が動きます。この修業の要点を端的に言いますと、「神籬になる」というんですが、榊に神を迎えるように、人間の身体が榊になって、神を迎えるということですね。普段やっている、神拝作法でも、両手で榊をえがいて、自らが榊になって、そして、神を迎えるという技であるわけです。
出来る方もいらっしゃるし、まだの方もいらっしゃいますが、その辺りが、まずは、国津神、天津神をお迎えするということで、五種の修行の要諦になります。榊になって、神を迎えることが出来ると、第五種というふうになるわけです。今は、先に教えていますけれども、本来は、修行と神拝作法は、本来は一体になっているわけです。

◇ご修行はやった分だけ保持される

また、一人ひとりの皆様方は、修行の度にその過程を進んでいきます。どんなことをしても、その一回分の修行の成果が落ちるということはありません。やれば、やっただけ修行になって進んでいくというところが、白川の特徴です。
悟りということが出来なければ、ダメということでもありません。例えば、久米の仙人みたいに、綺麗な女の人が居たら、修行の内容が落ちちゃうようなことは無いです。そこは、非常に有利な修行というか(笑)。男性にも、女性にも、同じように全く平等です。ただ、どちらかと言えば、女性に有利に出来ています。「原始、女性は太陽であった」なんていう意味でいけば、女性は天照大御神であったという意味ですよね。なので、修行の進捗が早いというところもあろうかと思います。
一方で、男性がご修行をするということは、審神者という役職がありますから、その為の修行でもあります。特に、男性は概念が好きですから、そういうものを見分けるという技には、優れていると思うんですね。
人それぞれ、右脳優位、左脳優位ということもありましょうけれども、本来は、縄文とか、アイヌとか、日本の古来の女性優位な社会の流れがあると思いますので、どちらかというと女性向きの修行になっています。そういう点では、女性が、生理的な問題があっても全然構わないわけですね。今の神社はダメなんですが、白川は全く問題がないです。
例えば、榊の葉っぱを包んで、一枚を懐に入れてご修行するくらいです。体調がすぐれない時などは、ご修行しなくて良いんですね。榊を入れておけば、それでいいという、平等感といいますか、そういう世界であります。
要するに、一つひとつご修行はやった分だけ保持されます。水前寺清子の365歩のマーチにある「三歩進んで二歩さがる」ということは無いんです(笑)。そこは、非常に良い修行かなと、いつも思っています。

何か、どうしても聞いてみたいということがありましたら、3人くらいご質問受けますが、どうでしょうか。

●門人さん
こちらの幣は白くて、あちらは幣が黒いのは何故でしょうか。

【七沢代表】

◇「魂」と「魄」両側面の象徴

この両方の幣を魂魄(こんぱく)というんですね。魂は黒ではなくて、紺です。魄は白です。魂魄とは、神々の2つの性質という意味です。神様も、基本的な働きとしては、色んな分類があります。
例えば、伊勢神宮だと、天照大御神を荒魂と和魂という分け方をしています。大きくは、抽象的ですが、魂魄という2つの神の働きが分かれていますということです。陰陽とか、負と正とか、色んな二項対立がありますが、特に、どちらかというと陰陽に近いような働きがありますということを、2つの御幣でもって象徴的に表しています。これも、そんなに古いものではないと思います。
江戸時代のおばけが出てくるという時も、「魂魄この世にとどまりて、怨み晴らさでおくべきか」なんてことで、人間の魂を、魂と魄と分けるような表現が出てきました。それは、きっと、神の魂の働きの両側面を、2つの性質を表している。そういうふうに捉えていただければ良いかなと思います。
他にも、白川には、色んな象徴的なものがあるんです。例えば、真菰(まこも)を敷きますよね。色んな祭祀があるんですが、川原でやる祭祀には、真菰を敷きます。起源は、おそらくエジプトなんかでも、そういうふうなことがあったんでしょうけれどもね。そういうもので、やんごとなき人の道を作ったりしたんでしょう。今だと、まつりごとでは、絨毯なんかで、パッと敷いたりすることもありますよね。一般的には、川原で行う祭祀には、真菰を引いて、必ず、石を1つ置きます。そういう象徴的にやるわけですから。そういう意味で、魂魄も象徴的な働きを表す為に、2つで出てきているのではないのかなということでございます。

●門人さん
以前に、「情報を瞬時に掴む」ということを、お話されていたと思います。自分が、最近、関連付くかと思って「呼吸の仕方と情報の触れ方」について考えています。身体を動かす時も、呼吸は重要だと思いますが、例えば、本を読む時のように、新しい情報を取り入れる時に、こういう呼吸をしたら良いとか、気をつけられていることなど有りましたら、教えていただきたいです。

【七沢代表】

◇神を迎えれば、自ずとその情報を受けている

寝てる間に、本の中身が全部入るようにと思って、解剖学の本なんかを枕元に置いて、寝ている間に記憶するようなトレーニングをしていたこともあります。効果ありますけどね。
俗に言う、宇宙の記録というアカシック・レコードとかが、3次元の境界面に、全ての宇宙の記録があるのではないかと言われていますが・・・。たぶん、神の情報と人という関係でいうと、神の情報というのも、おかしいですが、神が持っている情報というものも、多分あるんでしょうね、それを、受け止めるというか。
我々は、多神教の神様で、神様の一つひとつがその情報を持っています。例えば、五行でも、久久能智神(くくぬちのかみ)は木の情報とか、土の情報とか、水の情報とか、そういうものが、神様として、それぞれに存在しているわけですよね。ですから、水の情報も、ミズハノメの神として、それを迎えることが出来るわけです。たぶん、神様を迎えることによって、その情報を受けているということです。
そして、内と外の関係でいうと、脳の中にその情報を刻み込むのか、あるいは、外にあるものを、リレーショナルデータベースとして、それを受けて感じるなど色々と方法はあります。外にあっても、中にあっても、どっちでも良いと思います。要は、神と人間が一体になるのではないです。最近、「神人一如」だと、共に、ということを言いますが、情報もそれを共にするということです。
高濱浩先生が、「神様のことで知らないといけないことは、神を迎えれば自ずから出て来る」というふうに、よくおっしゃっていました。その責任を取ると言ったら失礼ですが、先生は、分からないことがあっても、私が教えると言われていました。それは、高濱浩の命、あるいは高濱の大神が、必要な神情報を伝えるということです。

◇願いを表明して学ぶ

神を迎えるということが、一番能力を開発するということに繋がる。良い運もそうですよね。神が持っている情報というものは、業(ごう)とか、罪というものを消していくわけです。そういう神が、殆どでしょ。だから、神様を迎えるということが、一番の能力開発になって、幸せになる道でもあるということです。
これは、論理的にもそうですが、実際にもそうだと思います。健康にも繋がっていく、大巳貴命、少彦名命という医学の神もそうですよね。今朝も、能力開発というか、高速学習についての質問があったので、本日、はふりめくで出ますが、高速学習という意味で、神を掴むというのは、それぞれの場面での違いはありますが、その速度が早いわけです。それを知ることが可能ということになっていますから、神を迎えていくことが、自在に出来るようになると、どんどん能力の開発が進んでいきます。ですから、人の心を理解するなら、八意思兼神とか、知恵を拝借するなら、仏教なら文殊菩薩さんですが、古神道では、久久能智神などの知の神様をお迎えして、「今、読むもの、学ぶものが自分の身につきますように」と願いを表明して、宣言して、学んだら良いのではないかなと思います。

●門人さん
初めて、ご修行を受けさせていただいたので、分からないことだらけだったので質問させてください。今、大祓をあげる時は、目を閉じて、奏上するようなイメージが何となくあったんですが、今日のご修行では、神代になっている方を、みんなで様子を見ながら、奏上するような雰囲気だったのですが、あっていますでしょうか。ご修行の説明には、心構えというか、どういう手順でやるなどの記載が無かったので。

【七沢代表】

◇お清めとご修行は違うもの

今度、その辺は、その紙に書かせます。基本的には、審神者と神代という形で、一対一でやる場合もあったり、御簾(みす)の外で8人が同時に上げたりします。祝殿は、御簾みたいなものですから、この中で、神代になる方に向かって、お祓いをお上げするという形を取っています。だから、お清めということと、ご修行ということは、本当は違うですね。
これも、今は、一緒になっているような所もあります。例えば、遠津御祖神でも、五代前までの間で、無念な亡くなり方をされた場合はお清めということも出て来るんですね。遠津御祖神になって、はじめてご修行ということが可能になるわけです。あるいは、自分が遠津御祖神をお迎えした際に、不都合な場合があったら、お清めということをすることになります。そういうことも含めて、皆様でもって、共にお助けして、ご修行を進めましょうということです。
また、皆様が、その場面を見ることで、我が身に振り返って、お清めやご修行が出来るような、一つのシステムとして高度化しようという側面もあって、今のご修行の方法を取らせていただいております。
今日は、ありがとうございました。
また、よろしくお願いいたします。