0363話:2018年03月05日

おはようございます。
もう一ヶ月が経ちましたね。皆さん、お元気で何よりでございます。

◇予祝の時が来ている

土曜日に、ひな祭りで、子供向けお祓い会がありました。日に日に、参加した子どもたちが大きくなっているなと感じて、その子どもたちに、なるべく早く能力開発の中身を完成させて提供しないといけないと感じた次第であります。
3月3日は、元々はこどもの日なんです。段々と武家の作法が入って、5月5日を男の子の節句にしたので、3日3日が女の子の節句、ひな祭りの日になったのではないかと。
そういう草木の芽も伸び始める時期というか、1月1日は元朝祭、2月2日がなくて、3月3日がひな祭り、4月4日がなくて、5月5日こどもの日、6月6日がなくて、7月7日が七夕、8月8日がなくて、9月9日が重陽の節句ですね。これは、中国の節句という風習から来ているところもあります。そういう節句ということで、1つの節目ですね。2月の節目というものもありました。3月になって、いよいよ予祝の時が来ているわけであります。

◇「国引き」という技

これから、会社として、発展しようかという時に来ている。ちょうど、古代の神話の中に、こんな話があります。出雲の国が、小さな国として作られてたと。「初国小さく所作れり」ということがございます。出雲の国も最初は、小さかったんですね。それで、次第に、小さすぎるのではないかということになり、国を広げようということになって、その時に、国引きという話が出て来るんですね。網に掛けて国を引いてくるという技があったわけですね。小さき国が、大きくなったり、あるいは活動的になる時に、国引きという技があったんですね。
それが、現代において、小さな会社が、大きくなる時の技が、ネットワーキングだと思うんですね。ネットワークができた時に、網の目の文明と言われていましたが、そうやって広がっていくものなので、本来は、どこにいても網の目で繋がるわけです。
今、我々が、直面してくることは、小さき国、稚き国というものから、いよいよ、発展する国あるいは会社として、一つ広がっていこうということであるわけです。そして、そのところを共にしましょうということでございます。
また、出雲の国というのは、日本中の情報網と繋がっていたと思うんです。11月には、全ての神々が、出雲に集まって会議をするということが行われています。先般の圀手會でも、そういう祭祀を執り行わせていただいたわけです。各国々が集まって、各国々の情報を伝え合うということをされていたわけです。本来は、神様なので、集まらなくても良いでしょうけれども、神様同士が、顔を見て、1年間の国の方針を立てて帰っていくということが、未だに神話として伝わっているわけです。

◇器の教え

白川の教えでも、国という概念を、隅切りの八角の机を、御国体机として捉える、器の教えがあるわけです。そして、それを、国と見立てていく。今は、それが、ユーラシア大陸であり、南北アメリカ大陸であり、アフリカ大陸、オーストラリア大陸、南極大陸が、それぞれが足のようになっている。そんなふうに世界の五大陸を捉えているわけです。
今の時代まで伝わっている、この器の教えを、どのように捉えていくのかということも、一つの世界を見るという意味で大切なことではないのかなと。大八州という国の概念がありますが、少なくとも、そこに国の理念というものがあって、それを受け継いでいくということが、代々、縄文からの国体というものに繋がっているものではないのかなと、非常に感じるわけです。
何が世界のために1番役に立つのか。今の時代の中で、国というか、世界のために役に立つのかということを考える時が、今ではないのかなと思うわけですね。

◇人と機械は一体ではない、人機一如である

この間、天機置師神という、これから始まる、ITや人工知能の展開も急速に進んでいる中で、そういうものを使って、人類がよりよく発展進化する。よりよい社会にするということが、この時代の大事なテーマになるわけです。もちろん、それが、機械と人間が、どのようなコミュニケーションをしたら、より良い持続可能社会になっていくのかということが、大事なところであります。
もちろん、その時には、人類の脳が、ある面では、70億人の脳が、テレパシーならぬ、そういう情報の交流が出来て、共によりよい社会ができるという方向に、機械あるいはITが使われていくようになることが非常に大事だと思うわけですね。しかし、トランスヒューマニズムとか、人体と機械の融合の様な方向に走っていく気配も無きにしもあらずですね。ただ、それは、きっと、身体との整合性の中で不都合を起こすのではないかということが言えると思うんですね。元々これは、19世紀20世紀にはびこった神秘主義から来ていて、人と機械が一体になるという誤った考え方の背後に、そういう神秘主義的な観点があるのではないかと思います。
しかし、あくまでも、人と機械は一体ではない。人機一如というか、共にある。共有というか、共通項を持つというか、その働きを人に漂わすというふうなところでは、大事な役割があります。それを一つにするのは、大きな過ちである。
また、それを社会の中に組織的に入れてしまうという人工知能であっては、結局は、害になる。人類の自由、平等、博愛というところは、実現出来なくなる可能性がある。その辺は、非常に考えないといけないところがあろうかと思うんですね。そういう意味で、天機置師神というふうに、一旦、機械を人から離した上で、役に立っていだく。そこに、本来の人と機械のより良い関係があるので、一旦、機械を人から離して見るという客観視するところに、大事なところがあるのではないかと。
また、人と機械を一体にしてしまうと、今度は、脳が不都合を起こしてしまうと思われます。その上でできる社会というのは、当然、異常な社会になってしまうわけです。その辺りも、非常に気をつけないといけないところになろうかと思います。
今、我々がやっている、機械や装置としてのロゴストロンというものは、あくまでも、一体になるということではなく、切り離して効果を掴むものです。そして、それが、人間の生体にとっても精神にとっても、優しいもの、心地良いものでないと受け入れられないのではないか。

◇理念や憲章を持って機械や装置を使っていく

これから、ロゴストロンも、システム的には、Mシステム等など、一段と進化して、様々な場面で使えるような、人の役に立つようなそういう装置として、これから広がっていく時期にさしかかっております。
ちょうど、会社がより、しっかりとした基盤を持って、やっていかなければいけない。確固たる信念と、確固たる人の輪によって、これが広がっていかなければいけない。それが、ネットワーキングの使命でもあると思います。そういうネットワーキングを悪用しないような形でいく。
当然、経済でも使われようとしている、仮想通貨のこともありますが・・・。何が必要なのか、あるいは、何が我々にとってやるべきことなのかということをわきまえて、この事業を進めていかないといけない。
それはあらゆる所に、機械としての、装置としての働きが、人類の知能をITが超える、特異点(シンギュラリティ)を迎えるにあって、ますます、はっきりと、人と機械を分けて捉える。解るということが、分けるの語源であるように、解る、判るということは、一回分けてみるということをする。自分自身が、パソコンと一体になってしまっては、しょうがないわけです。そのあたりを、我々が、機械や装置というものを、どのように使っていくのかという理念や憲章というものを持ちながら、これから働いていくわけです。そういうことが、必要になろうかと思います。

◇人が一音一音の言葉で生きるところまで、進化させていく

それから、布斗麻邇という一つの概念を、創造主の宇宙創造とリンクさせて、創造の概念をはっきりとして、それが被造物としての人間であっても、神ということを今しようとしているわけです。
その時にあたって、どのような形で、創造の意志を、創造の概念や創造の理念というものに結びつけて、その世界を掴んでいくということをすることによって、初めて、神々の働きを人間に迎えて、本来の創造の目的であった、よりより社会を作るということになります。
そして、これからが、新しい新新人類かもしれません。
機械と人間の、よりよいコミュニケーションができた上で、自然と人間とのコミュニケーションも、しっかりと掴み、その上で、よりより社会を作るための神を迎える。
そして、天津神としての最終形の神話、つまり、神の創造のストーリーというものを人間が掴んで、その創造のストーリーの元にある、布斗麻邇という、人間でいうと言語の元に至るということです。それが、一音一音が神であるというその50音を迎えて、人が一つひとつの言葉で生きるというところまで、昇華させ、進化させていく。
そこに、日本語と、その中心にある布斗麻邇、言霊、そして、神を迎えるということの白川学、祓い、そして、宇宙の創造の瞬間を掴むための技としての鎮魂というふうな。

◇コミュニケーションを前提とした機械が出来上がる

言語というものが、一体なんなのかという、言語の本質を掴むことが、最優先の科学でありますが、まだ、人文科学としても、議論されていないわけです。なので、言霊学会というものを作りました。そして、我々が、住みよい地球環境というものを作るために、宅理学という学会も作ります。そして、異種間コミュニケーション、まさに、機械と人、機械と自然、自然の中の、動物など全ての生きとし生けるものとのコミュニケーション、神とのコミュニケーション。
そういうコミュニケーションプロセッサを前提にした、一つの機械が出来上がることによって、それを自分の身に結びつけるということを、光や音や匂いでもって、やっていきたいと思っています。
特に、匂いと味覚というものは非常に近いので、相関関係によって、味というものは食というものになっています。例えば、古神道の直会とは、一つの食の世界が神の世界になっていて、「神を食うてみよ」という意味は、食物が神で、それを食べるということを通じて、神と人がコミュニケーションする、交わるという世界もあるわけです。
高濱浩先生は、「神をこの手で掴んでみなさい」といわれました。触覚として神を掴める、神というものを、ありありと掴むということが、我々の手中にあるということですね。3000年、6000年間、神というものが分からないから、神を掴むための、あるいは知るために、信仰体系として、神を掴もうとしたということにあるんですね。その最終形が、19世紀20世紀に、流行った神秘主義の中にあったわけです。それは、一種のオカルトと呼ばれ、今の科学の中では否定されています。まさに、神秘ではないものでありながら、ほとんど掴めない、代表的なものが、神であったと。
それを、デジタルに掴む、そのための装置としての働きを天機置師神と称して客観視することであると。そういうところから、解き明かしたものが、古神道における社会であり、人と神の関係であるわけです。

◇全ての人々のための持続可能社会

そして、それを前提にした社会構造というものが、天皇制の中に残っているわけです。
ですから、今更、右翼左翼を超えていかないと、新しいものは掴めない時代になっているわけです。
ですから、国会の議論を見ていましても、攻撃のための攻撃とか、単なる言葉尻を取ったものとか、あるいは、自分の支配のための言い訳とか・・・。今、社会が進化している時に、1番みっともないことをやっている可能性が高いわけですね。そういうことを知りながら、今、我々は新しい時代に行かなければならない。
もちろん、そういうことを演じていただいている、演劇かもしれませんけれどもね。ただ、そういうところを超えて、新しい社会の枠組みも自ずから、作られていくのではないのかと。その同じ意味では、持続可能社会というものが、単なる支配者のための持続可能社会ではなく、全ての人々のための持続可能社会にならないといけない。そうでないと、折角、人が生きてきた証が立たないわけであります。そのところが、いよいよ始まる時が来ているのではないかと。

◇ネット社会の、理念としてのインフラを整える

そして、これからのネット社会では、一人ひとりの脳にテレパシーとして繋がっていく、それが、一部の人の利益のための洗脳や情報ではなく、全ての人々の利益になるような、よりよい社会ができるようなそんな想いを伝えていく。
その為の機械に進化することが、機械が天機置師神になるということではないかと。人間が作ったものであっても、概念としての自己増殖というものを始めていく時に、その増殖の仕方が、植え付けられた奇っ怪なキメラのようなものや、限りなく増殖する癌細胞のような増殖の仕方であってはならないわけであります。
その辺の取り決め、理念というものが、はっきりと規定されないといけない時に来たわけですね。自分たちの憲章として、憲法として、それを持たなければいけない時が来たのではないかと。
そういう意味で、非常に大切な時に来ている。政治のレベルでも、しっかりと民意を組んで決めらないといけないようなことが出て来るのではないと思います。そういうことを含めて、これからの社会が新しい時代に向けて、用意を整える始める。そのインフラとして、ネット社会における知識政庁というものが、作られないといけない時です。ようやく、この70年のサイバネティックスの進化が、いよいよ始まっているんだと。我々が、やるべきことは、そのインフラを整えるということです。

◇「生きとし生けるものの全ての生存に対して、責任を持つ」

しかし、企業として、一つの企業理念を持つならば、生きとし生けるものの全ての生存に対して、責任を持つ、あるいはその為に生きるという決意を持って、これから共に進んでいきたいと思っています。
そして、日本も新しい年号に橋渡しするような、大事な1年になっております。その点で、何が、新しい社会の為に貢献できるかというところを考える、またとない、その1年になるし、その為の学びでもある。ちょうど、今、リベラルアーツ、メカニカルアーツがあって、今度は、チャイルドアーツということも行っていきます。新しい社会に役立つ新しい学問を、学びを共に習うんだと。それが、神に習うという世界があるんだということでございます。
そのあたりを、一つひとつが大切なところになっております。ともに、やっていただくということでございます。一つの小さき初国、稚き国が、いよいよ、大きな国として、大国主の働きとして、多くの人を助けることができるような、一つの集団として成長できれば、越したことはないのではないかと感じております。
ありがとうございました。