0368話:2018年03月09日

おはようございます。
何かご質問ありますか?

●Hさん
明後日、3月11日で東日本大震災から7年となります。何か一言、いただければと思います。

【七沢代表】

◇放射能の耐性遺伝子が出てきている

ちょうど、東日本大震災の一年後の3月11日に孫の彦太郎が生まれました。3.11の日は、悲しみの日とおめでたい日、公と私ということでも、悲喜こもごもということになるのですけれども。
一番感じるのは、放射能の後遺症があって、そのことがあんまり言われないということに危惧がありますけれども。あるのに言わないというのは、それを肯定するということではないのですけれども。天災と人災ということで振り返ると混じっているから、一概には言えませんけれども。忸怩たる思いはあります。
人間の一番の強さというんですかね、人間が生きるということで何はさておき、強さというものを感じるというんですかね。それは環境に適用するというんですかね。放射能に対して対応していかなくてはいけなくなって、たぶん逃げて遠くに行ってしまうということもあるんでしょうけれども、その場で起こってしまったということで、逃げるわけにはいかないというかね。
そういうときに、体の中から必要なものが、阻害因子からそれに対応するためのものが出てくるというかね。それがいよいよ出始めているというのかね。特にDNAで言うと、放射能の耐性遺伝子みたいなものが出てくるというんですかね。
我々もそういうことで3.11の直後、耐性遺伝子の内の、こういうものは抑制して、こういうものは活性化して、放射能に対抗するようなものが出てくるといいなという意味での構文を作って発信したんですね。それはひとつの願いでもあるし、祈りでもあるということですけれども。既にそういう放射能耐性遺伝子が出て来ているのではないかというのが、1つの期待というか、祈りのようなものですけれども。
地球の生命史の37億年の中で一番影響があって、それに対抗してきたものが宇宙の放射能だと思うんですけれども。今は身近なエネルギーとして使おうとして、事故になるわけですね。それもまた越えていかなくてはいけない。越えられるから許されるとか、そういうことでは全くないのですけれども。そういう誤りは誤りとして、これから起こらないようにしなければなりません。
一方で、放射能耐性遺伝子というものが活発に働きを始めているのではないのかなというかね。そういう強さというかね、起こったときに諦めるということではなくて、必ずそれが進化学的に言えば、人間にとって、放射能耐性遺伝子が必要であればそれも更に活性化するというか、そういう構文の通りに・・・。
命のサイクルの短い生物では既にそういうことが起こっています。放射能が多い水の中で生きている生物がたくさん出てきたということが分かってきています。数百シーベルトの中でも、そういう生物が生まれ出したということでありますけれども。もちろん、人間には世代を超えた時間がかかると思いますけれども、実はそういうものが放射能耐性遺伝子として出てくるのではないのかなということを感じます。

◇生命をあらしめるための、命がけの祭り

それは楽観主義といえば、楽観主義かもしれませんけれども、よく神道では、一番の和学の祭典は、我々の生命の存在をあらしめるための食べ物の祭りというのか、それが直会というんですね。祭祀で献饌した食べ物を食べるのが直会という祭りなんですね。献饌ということは、もちろん、神々に一番良いものをお出しして、そして、それを撤饌して、人間が相嘗、食するわけですけれども。
昭和の頃くらいまでは、ある面では命がけで食べていたんですね。そういう意味では、今では当たり前に食べられるということで、変なものを食べないようにはなっているんですけれども。この辺りだと鯖やタコなんかは、食べるのに命がけだったんですね。海辺から運んできて、日が経っているので、食べて食中毒で死んでしまう場合もあったと思います。僕らのおばあさんの言い草を聞いていると、命がけで自分が食べて2時間後で食べなさいというかね。お毒見役みたいなものですね。本当は美味しいものを、先に食べてしまうことができたからかもしれませんが(笑)。
要するに、その食べ物が体に合っているかどうかということですね。それが大事な直会というか、祭典が和学であり、祭りの重要な内容でありました。
放射能の問題もそうですけれども、そういうものを食べないようにということでずっと今も問題になっていますね。ちょうど、先週、タイの国が福島の魚を認可したというニュースになるくらいでありますけれども。いわゆる、神道の祭祀の根本のところにあるものが、食べるものを直会のときに、食べられるかどうかということで、命がけの祭りであったわけです。

今はそういうことは、全く言わないけれども、放射能に被爆した時にその問題が起こった。もちろん、それは検査するわけですけれども。そのことも色々と関わりがありましたけれども、お米でも。そういうものは食べないということで、国で規則を決めてやっています。少なくとも、食の命を祀るというんですかね、食の命を元気にする、食べ物を祀るということ、そして、その働きを身に受ける祭り、直会という祭典が和学の中の和学ということを言われていたんですね。明治の頃もそうでしたけれども。そういうことがあって、食べるもので身を守るということが非常に大事なところになると思うのですけれども。

◇身体は立ち向かっている

そういう時に生きるということを諦めないというんですかね。今は様々な意見があるから、病気になって、今困っているんだからということでもあろうかと思いますけれども。
ある面では、時間がかかることでもあります。その時にどういう態度、スタンスで生きるかということ、そして、その時間を経過していくかということが大事なのではないのかなと。その時に言えることは、意志から決めていくというのは、そういうレベルからみると、決して諦めないというかね。そういうことが今までは日本人の「待てば海路の日和あり」ではないですけれども、ある面、そういうところがあり、時間をかけるというところがあります。その時にやはり待つというかですね。
もちろん、ただ耐えるということではないと思います。逃げないということですね。逃げたら犬ではないんですけれども、逆に追いかけてくるというか、ひどい目に会います。困難な時に、逃げたらある面では終わってしまうというかですね。ですから、この今の一年の中で、非常に辛いというか、結構、体力のいる時期に辛いからということで、逃げないでいるということは非常に大事なところであると思います。
放射能から逃げないということは、それこそ、ドンキホーテのような話になってしまうかもしれませんけれども。みんな不思議に思っていると思うんですね、日本人はなぜ、逃げないのかということを。それが1つのそこからこれ以上いけないという世界があるかもしれませんけれども、一方では、逃げないで立ち向かうというんですかね、少なくとも身体というものは、立ち向かっていくというかですね、そういうことを自然にしているのではないのかなと思うのですけれどもね。

◇行き場のないところで生きるという覚悟

ちょうど、環境的に言うと、ある面では、どこにも逃げられないような時代ですね。そんな時にどういう生き方が必要になるかというと、当然、世界がどうしたら良いかということに関心を持つわけですけれどもね。日本の古神道というんですかね、世界の一番果ての果ての国でもあるんですね。パチンコの玉が全部落ちてくる場所みたいな底の底かもしれないし、根の国底の国という表現になるかもしれませんし、ある面ではそういう場所なのかもしれません。そういう場所で清まるということも起こるのかもしれませんけれども。もう行き場のないところで生きるという覚悟というものが、世界に役立つ何か、生きるということの中で、どう生きたら良いかということが神道の中にあるのではないのかなと。
世界がこれからそういう意味でも必要として注目すると思います。日本人は馬鹿なんではないの、というくらい逃げないで、解決を図ろうということですね。
一方では定住して、そこでもって、最後の人類が逃げ切れないという場面になったときに、役に立つ生き方が古神道の中にあるのではないのかなと。これ以上、妄想を抱かないで、ひたすら祈りと言いますかね、試練から逃げないでやっていくということをする。その中から、更に生きるということが可能になる時が来るのではないのかなと。

◇自然の神示を信じ、学んでいく

確かに、今回の放射能の問題というのは非常にテーマが大きいですね。放射能の作用を武器にしている人類が直面している大事なテーマであると思います。世界戦争の成り行きを妄想しないで、この事態を見つめて、対応するというかね。
そのところはやはり、人間の心というか、意志というんですかね、祈りの意志が構文となって作られていく。それを確信して、生きるということをやるというところに落ち着くのではないのかなということですね。
もう7年が経ってしまいました。日本人にとって、人類にとって試練と修行の期間のようなものでもあるのかなということを感じます。もちろん、犠牲を出さないでいければ一番良いのですけれども、少なくとも自然というか、日本の自然を、神示を信じるというのか、そこに神の働きを映して、その神と共に生きるという和学であるというところで、そこから学んでいくということができれば、世界に役立てるのではないのかなと思います。あるいは、自分たちの遺伝子もより強いものになって、また残っていくことができるのではないのかなと。
こういう楽観的な捉え方で発言することにいささかの抵抗を感じながら話させていただきました。3.11でお亡くなりになられた御霊達に鎮魂を捧げます。
今日はありがとうございました。