0372話:2018年03月14日

【七沢代表】
どうぞ何か。

●Fさん
今日の祓戸四柱の神のご修行の仕組みが、どうなっているのかを伺いたいです。一番端っこの速佐須良比売のところに来た時に、さすらい失っている感覚というか(笑)、その時に、気吹戸主などの吹き送り方など、どうなっているのかと思いましたので伺いたいです。

【七沢代表】

◇祓戸四柱の神

結局、ご修行のお祓いは、清める為のものと、神をお迎えする為のもの、その両方を満たせる為の神様となると、祓戸四柱の神様ということになります。また、自分を清めてくれるという事が、結果的に神を迎えるということに繋がります。
元々は、その四柱の神の中でも、天照大御神の和御魂の神としての気吹戸主神、荒御魂の神としての速佐須良比売の役割をしています。
なので、Fさんがお祓いをあげていると、担当場所によっては、強くその祓いを感じることもあります。瀬織津姫や気吹戸主の時には、強くなったり、あるいは柔らかくなったりしています。Fさんは、声が一番はっきりしているから、よく分かるんだけれども(笑)。それぞれ受け持つ祓戸の神々の働きで違いが出ているということがあります。

◇遠津御祖神を祓い清める

今回、初めての方が4人で、2回目の方もいらっしゃいますが、そういう方々は、どうしても遠津御祖神という神様を、自分自身がお迎えする修行があるんです。自分自身が、生きた遠津御祖神なんだけれども、自己の存在する中にありながら、遠さなのかもしませんが、何万年か前の先祖までの全てが、DNAに折り畳まれているわけです。ですから、先祖の悲しみもあれば、楽しみもあれば、ちょっと足りないところもあったり、あるいは出過ぎたところもあったかもしれません。そういう感情を、祓い清めるという意味を含めたご修行になるということです。清めるということだけをテーマにするという方法もあるんですね。
ただ、その場合には、このようにして目を開けて、後ろからお祓いをあげてもらうという方法になります。特に、遠津御祖神を清めると、色々な体感が出てくるということもあります。ですから、そういう意味で、お清めが重点的になる場合には、強くなったりする場合には、天照大御神の優しさと強さ、両方の働きといいますかね。それでもって祓うということが行われます。そんなことでよろしいでしょうか。
他に、何か。

●Aさん
ご修行の時に、印を組むと、その瞬間に、すっと芯が通るというか、体感が変わる感じがします。なので、印を組むというのは、何かあるのでしょうか。

【七沢代表】

◇この印の指はアンテナみたいなもの

印というか、インドのヨガとか、ヴェーダ哲学とか、密教の真言とか、そういうものには、非常に精緻な印の体系があって、それぞれの仏様に対応した印と音があります。仏様のお名前が違うように、それぞれに組む印があるんですね。
ただ、白川では、印は外結(がいけつ)といって、鉾(ほこ)の形と、こういう形の神の働きを止める働きの印があります。あとは、右手で親指を掴むのを、高御産巣日の印、逆に、左手で親指を掴むのを、神産巣日の印といいます。印はこれくらいで、殆どないんですね。ですから、神道系の新宗教運動なんかでは、こういうふうにしたり、こうしたりですね。色々と他の宗教の印と違う印を考えて、教えた時期もありました。
それくらい、白川には仏教でいう印というものは、ほとんどないんですが、この印だけは雷が落ちても、ただ、「雷も、神鳴り」だからね(笑)。この印の指は、アンテナみたいなもので、離しちゃいけないんですね。修行中は、絶対に指を離さない。もちろん、色々な所作がありますから、指が折れそうになったら離してもいいんですが・・・ただ、殆どの場合は、こうやっていて問題ないです。ですから、基本は、この指を離さないで修行をするわけです。
神の迎え方というか、イスラム教のアラーの神様だったら、「アラー、ハクバ、ビスミラヒーム、ラフマーン」という祈りの時の呼び方もあります。あと、白川では、直接、迎えるという迎え方も、田んぼの神様を迎える時は、山からこうやってお迎えしてですね。これは、民俗学、エスノロジーの世界です。

◇器としての剣に神様を迎える

ただ、白川では、印は基本的に神器の形をとっているんです。白川の元の中臣というのは、神と君、神と民のなかとりもちをしてくれる役ですね。それで、大中臣、中臣、藤原、白川という流れがあるんです。
言ってみれば、直接、お迎えするというよりは、一つ間を置いて中をとりもつ臣という形で、一度、剣に神様を迎えるわけです。そういう意図で、剣の恰好をした印で、自我は完成された人間としての自己ではないけれども、宗教的に、自分が完成された人間でなくても良いんだということが、白川の神をお迎えする時の特徴でもあると。だから、自我は、自己ほどの完成感はないわけです。
印を組むことによって、神様を迎えて、神人合一するわけではないんです。神をお迎えする場所は、あくまでも、ご神体の器としての剣、鉾であると。ちょっと質問の趣旨とは違うんですけれどもね・・・
でも、この指先に神をお迎えするという自分の意識と神の働きを、この一点で結ぶというか。古神道には、畳む・包む・結ぶという三原則がありますが、その結ぶということですね。神と人を結ぶ。そういう一つの象徴といいますかね。今の日本国憲法では、天皇も、象徴になってしまいましたけどね・・・
ここに神を迎える、鉾というものを形作って、その先にお迎えすることです。まあ、奥ゆかしいといいますか。決して、自分が神と一体になるということではないんです。この一点で、神と人が一如なんです。共にあるということですね。そういう状態で、この一点で神の働きを迎えるということをする。その鉾の姿を、印として組んで、この祝殿でお迎えするということを、このご修行ではやっているわけです。奥ゆかしいというか、神様を尊く思うということです。この印をしたことで、「身体が神の社である」という認識となって神様をお迎えするということです。

◇天地空、赤白黄の三色

ちょっと余談ですが、この前作った、稀勢の里の太刀なんかは、宇宙の気の流れが、剣先から、ずっと流れているんですね。しかも、刃先だけではなくて刀身のところに、天地空、赤と白と黄色の三色の色が畳み込まれているんですよ。これは、あり得ないんですね。
これは、46億年前に惑星の核が散らばった時の隕鉄で打った太刀なので、模様というか色が出来たんですね。
これまで中心的な祭祀では、必ずお餅を献饌していますが、その時も、赤色・白色・黄色で作りますが、その刀身にも、同様に、はっきりと3色の色がついています。ミネラルとの関係で色々なことが起こったんでしょうけれども、そういうことは、地球上の鉄では起こらないんですね。
殆ど、隕石で刀を作るのは、上手く出来ないと思われていたものが、我々は、30本以上そういう剣を作ってきましたので、それが初めて、今回の稀勢の里の太刀に活かされました。その気が、太刀に、ちょうど上がっていくように刻み込まれていたというか、刻印されていたということであります。

◇「集中するのは指先ですよ」

ちょうど、我々がこうして印を組むと、この指の先に光が出るんですね。その光に神をお迎えすることに繋がるんですね。
ですから、こういう恰好で間違うと、これでも人を殺すことが出来るようになります。だから、この印を人に向けると嫌われますよ。これは、ちょうどピストルを人に向けたのと同じようなものですから。だから、印を組んで指先を人に向けるのは良くないです。気が出ているので、そういうことにも繋がるということですね。一番良い気で神を迎えるということをしているわけです。
なので、緊張しても、あまり良いことがないんです。緊張している場合には、指先を触らしていただいているわけです。「集中するのは、ここですよ」と。そして、ここに意識を集中していくと身体が柔らかくなります。どうしても、肩や腕のあたりに意識が行くと、緊張してしまうんですね。なので、指が開いていたら、いけないけれども、軽く下が閉じていた状態で、この指先に神様においでいただくと。
自分で、手の平どうしで強く抑えて構えると力が入って固くなって、そのお働きが出にくくなることがあるんですね。ですから、お働きが起きづらい人は、両手を強く合わせて、手の平が緊張し過ぎているんです。だから、柔らかくすると、その働きが出てくると。
これがご修行で、一番大事なことかも知れないですね。「一番最初に伝えなきゃいけないことを、後になって言うな」と言われるかもしれませんね(笑)。謝っておきます。すいません。
あと、緊張すると脳の血流を妨げます。鎖骨下動脈という脳に入っている左側の動脈があるんですが、緊張しているとここが圧迫されてしまうんです。そうして脳の血流が、若干変わると、軽い発作のようなことが起きます。ですから、それを防ぐ為にも、柔らかくする必要があります。

◇ご修行は主に錐体外路系を使う

先日、Sくんが、ライフチェンジという講座で、二百人の方に講義していたのは、体制自律神経反射についての内容でした。皆様方が緊張しているということの中に、意識的に身体が緊張するということと同時に、絶えず身体のどこか、腰や背中や肩などの筋が緊張していることもあります。その部位の緊張を取るには、様々な方法がありますが、それぞれを見直して、今、健康学のセミナーでやったりしています。
だから、昔は、七沢研究所では、整体術は必須科目だったので、この白川をやっている人は、整体か武道を実践された方々が多く、Sくんなんかも柔道整復師の免許を持っています。ここに来て、もう6年もやっていませんが。
ただ始めの頃は、ご修行でも緊張してしまうので、それを取る為の方法も、精緻に研究され尽くしておりますから、そういうことも公開していこうと。そして、身体を動かす体制も、錐体路系と錐体外路系があります。普段は、錐体路系で身体を動かして神経を使っています。
左脳は右身体を、右脳は左身体を、それぞれ動かしています。ただ、白川のご修行では、主に錐体外路系を使うので、なかなか慣れるまで、その感覚が分からないんですね。ちょうど武道の名人芸のような動きなので、どうしても、その感覚に身体が付いていけない時もあるんです。その場合は、一気に高速になって、倒れちゃったりする。どうしても高速で身体が動いたりする時に、その動きに身体が付いていけなくなることが注意点です。おそらく、そういう理由で、江戸から明治の頃の白川のご修行は、40歳くらいで定年でした。だから、今のご修行では、動きに付いていけなくなりそうだったら、錐体路の意識に少し戻して、座ったりしていいんです。
以前、私も足腰を強くしようと思って、1年半くらいの間に、3000キロ歩いたこともあるんですね。あんまり意味なかったですけども(笑)。ただ当時、20人位に、一人ひとりにお祓いあげていましたから、殆ど19時か20時くらいまで、月次祭が終わってからやっていたので、立ってなきゃいけなかったので、足を強化してやっていたこともありました。
なので、今は、神代の人が動き出したら、回りが立ったり、男性に来ていただいたりするので、大丈夫なのですが、それでも怪我をしないことに越したことないですから。

◇神器を通じて神様を知っていだたく

そういう意味では、少しくらいは足を鍛えていただくといいです。あとは、ずっと、目を開けずにやれたらいいかと思います。大事なところはこれくらいです。
なので、剣の恰好で、一旦そこに迎えるということで、直接迎えるということではないですね。例えば、祝殿に入ってくる時でも、「彦狭知神(ひこさちのかみ)、手置帆負神(たおきほひのかみ)どうぞ、造化三神、あるいは白川の祀っている五神とお繋ぎください」という意識でもって、入り口でお願いして入ってくる。なかとりもちをしていだたける神様がいらっしゃる。
古神道は、全て、なかとりもちをしていだたく器の教えと言ってもよいですね。榊も、お国体机も、この三種の神器も、そういう神器を通じて、神様を知っていだたくということが、一番大事なところになります。それで、指先を意識しただけで、そこに神様が働くと。
つまり、印を組んで、ここを意識したら、気が上がってそこに降神していだたき、お働きが起こる。そういうことでよろしかったでしょうか。

●Bさん
今のお話を伺っていて、もう一つ思ったのが、古事記を読んでいて、不思議だなと思ったところが、一ヶ所あるんです。それは、瓊瓊杵尊が天孫して来られる前に、建御雷神(たけみかづちのかみ)と経津主神(ふつぬしのかみ)が降りてこられてから、帰られるという時に、稲佐の浜に、建御雷神が降りて来られる時に、「剣先の切っ先に降りてこられる」という表現があったんですね。それが、「なんで、剣先の切っ先に降りられるのだろう」というのが、分からなかったんですね。だけど、今のお話で凄く納得がいきました。つまり、切っ先の前に、ここに神をお迎えするということなんでしょうか。

【七沢代表】

◇非線形なものに繋がる時の一つの技

そうです。その通りです。それが、神器というものの役割といいますか。
それを、結合エネルギーや霊という言い方をしますが。そういう結びつく時に、媒介になっていだたく。化学でいうと、触媒という感じですかね。触媒として、神を迎えて、神と繋がる為の一つのフラクタルというか、非線形なものに繋がるという時の一つの技というかですかね。それが、科学的にもあるし、言霊からの文法構造、あるいは器の教えとして、それがあって、それでもって繋がるということをしているということです。

◇白川は宗教では無い

この本の著者は、対馬栄逸さんという門人の方です。白川は宗教じゃないので、何を信じていただいてもいいのです。ただ、私も、どっちかというと聖書派で、白川流聖書派の部類かもしれません(笑)新旧聖書、好きなんですよね。
この間も、阪急百貨店や宝塚歌劇団を作られた、小林一三さんの姪御のご子息に当たる方が、物理学三兄弟と呼ばれているんですが。その物理学三兄妹の二番目に当たる方が、70何歳で、ポルトガルの神父さんからキリスト教の洗礼を受けられまして、先日、ご夫妻で来られたんですが、その時に、その話を伺って、良かったですねというお話をしたんです。
もちろん、一方では、仏教の真言が好きで、ギアナ・マンダラ・ビハーラ(知識山曼荼羅寺)というお寺をネパールに寄贈しているんですよ。そこには、その釈迦族が1,000人も満たないくらい残っていて、その坊さん達と、非常に親しくしていました。
話は戻りますが、対馬さんは、立派なキリスト教徒です。そして、白川の門人でもあると。そういう点で、白川は宗教では無いです。審神者と神代でいうと、審神者のお仕事で、国でいうと昔は神祇官の事です。なので、それは、宗教ではないですね。私に、「白川を宗教にするな」というのが、高濱浩先生の亡くなる三日前の遺言でした。ですから、もちろん、白川を宗教にはしませんけれども。

◇「竜巻の中に神を見ます」

ただ、これは、こういう宗教に関わられて、白川門人でもある方の本です。元々は、白川通信に30回くらい連載してくれた内容を、Kさんが進めて、和器出版で作っていただいたんですね。私も、後ろの方で、何ページか書かせていただきました。
そして、「神様とは、どんなかたちで存在(臨在)されるのか」ということが、旧約聖書の中にいくつか出てきます。私の中で、「竜巻の中に神を見ます」という、非常にいい表現があります。ただ、本当は、「この本が出来たので、みなさんにお配りします。」という話をしたかったんですけれど、また話がそれていって(笑)。
ただ、大事なところだから、もう少しだけ話しておきます。要は、回転するようになるのです。「全てが、旋回してる」と、地球の水を中心として、それが言えるんです。
天宇受売命(あめのうずめのみこと)ですよね。弥都波能売神(みずはのめのかみ)の元のような神様というか、天宇受売命だというんですね。宇宙とは、最初に出来る時、渦のように出来できたんだと思うんですね。ですから、神というものを感じる時に、我々は、普通に旋回をします。右旋と左旋をします。
それが旧約聖書の中の、竜巻の中に神を見ます、です。竜巻ですから、低気圧ではないかなと思うんですよね。たぶん、反時計回りに回っているんですよね。低気圧と高気圧は、全く正反対に回っていて、どこからが低気圧で、どこからが高気圧というものもあるかと思いますが。そして、竜巻だから、荒ぶる神様なのじゃあないかなと。さらに、竜巻の中に、ユダヤ人は神様を見ていたみたいだと。そういうふうに、預言者は言っているんです。ただ、このことは、今回の本には書いていないんですが(笑)。
今日の「はふりめく」には、旋回の話が出ていますから、もうお帰りの時には出てくると思いますので、よかったら読んでいただければと思います。
聖書は、あんまり分からないという方でも読みやすい内容です。是非、読んでいただけたら良いかなと思います。今日、着いたんで、是非どうぞ。
今日は、そんなところで、ありがとうございました。