0381話:2018年03月21日

◇古代の占星術が天文学になった

春季皇霊祭というのは、ちょうど春分点の日に祭祀をしているわけですね。彼岸、此岸という、こちらの岸、あちらの岸という仏教的なお彼岸という呼び方もありますが、彼岸とは、元々、太陽の運行に感謝するという意味の「日願」という意味です。ピラミッドで有名なインド文明、あるいはインカ文明など、古代の天文学というものは、「日」を中心にして出来ています。
日本でも縄文期の遺構であると言われている岐阜県の金山遺跡では、日が入る位置で、春分の日かどうかが分かるものが残っているんですね。そして、天文学が高度に発達していたのは、メソポタミア文明以降ですね。占星術ですね。中近東辺りから始まったものが西洋占星術として残っていて、それが学問として天文学になったと。今、我々も、Yさんを中心にして天文学というものを、もう一度しっかりと学んでみようということで研究が始まっております。

◇3000年近く一時も曇ること無く

疑似科学のような、単なる占い的なものとしてではなく、学問として科学として、そういうものをもう一度、見てみると。そうした時に、春季皇霊祭というのは仏教の影響はあるかと思いますが、春分点というか、最初の太陽系といいますか、そういう目で見た時の始まりの時です。ある意味、正月のようなものと言いますか、春分点が太陽の始まりと捉えていたわけです。
太陽の運行というのは、我々は神武天皇以来、3000年近く天照大御神の道を、一時も曇ること無く、そのお働きが止まることがなく起こっているわけです。もちろん、それは、天候として晴れるとか、曇るという意味ではなくてですね。
春、秋季皇霊祭が、明治になって、はっきりと出来上がった時に制定された唱歌があって、それを子供たちが歌っていた時期がありました。その唱歌の中に「よよのミカドの御聖徳三千歳ちかきとし月に、天照らす日の一日だにくもりし事もなかりけり」とあります。

◇暦も占星術も科学的に解明します

話は変わりますが、古代ローマでは、実は太陰暦を使っていたんですね。ただ、エジプト文明の伝承者クレオパトラが、ローマ皇帝のシーザーに「太陽暦にした方が良い」と言った為、それ以来、ヨーロッパも太陽暦になるんですね。
グレゴリオ暦というものは、1582年10月15日に制定されたものであります。なので、今のグレゴリオ暦で、正月を1月1日にしたのは、500年位前の話ということになります。そういう日本でも、150年前までは、太陰暦、月の動きで日を見ていました。そして、150年前にグレゴリオ暦を受け入れたわけです。
今度、その辺りも、Yさんがブログに出します。これから、暦も、占星術と言われているものも、科学的に解明しますということを、そのブログで宣言させていただきます。なので、その辺りは、今度、読んでいただければと思います。
春分点で、さきほどお話した金山遺跡では、光が遺跡に入っていくと。これは、エジプトのピラミッドも、インカの遺跡も、全く同じ形式のものが残っています。モーセの頃も、アロンの杖と呼んでいるものがありますが、元々は太陽の日時計で、そういう太陽の運行を測る為に作られたものとなるわけです。その辺りも、一つの見所ではないのかなと思っております。

◇ご皇霊のお働きに感謝する

初代、神武天皇以来の、今までの123代のご皇霊という存在が、これだけ続いた王家は世界にないわけです。つまり、世界で一番古いのは天皇家であると。そのご皇霊というふうに呼ばせていただいて、そして、そのご皇霊の、日本の天皇家の遠津御祖神としてのお働きに感謝すると言いますか。皇恩感謝という意味合いもありますけれども、そういう意味で、皇霊祭というものがあるということなるわけです。
その長きに渡って日本というものを続けてくださったと、もちろん、ウガヤフキアエズ王朝というふうな時代もありますけれども、そういう長い間、日本というものを続けてくださって有難いということであると。世界には、外国(とつくに)には、例がないわけです。そのことを我々は、あまりにも当たり前に思っている節があるかと思います。
今回の皇霊祭と、神殿祭には皇后陛下は足の痛みで御参席出来ないということになってしまいました。天皇皇后両陛下ともにご高齢の上で、なお、そういう負荷をおかけしているということに対して、非常に申し訳ないという想いで一杯であります。
白川では、各家々の遠津御祖神を敬い、修行の最初のところで遠津御祖神をお迎えして礼拝するということであります。私達も、天皇家に出自を置かしていただき、もちろん日本人としての精神遺伝子を受け継ぎ、体遺伝子も皆様方の中に息づいている方も沢山いらっしゃるわけであります。そういう中で、この皇霊祭ということは、仏教式であれ、神道式であれ、学びを、あるいは供養をさせていただける機会であるのです。その一番代表的な、「かくします」ということが、皇霊祭ということになるわけです。

◇先祖を敬うという始めの日

天皇家の123代の遠津御祖神をお祀りするということを、天皇家はずっとされてきたわけです。また、それを御所では、仏教式というか、御黒戸(おくろど)という所で、150年前、明治になる前まではお祀りしていました。各神道式では、白川家の八神殿の中でそういうお祀りをさせていただいたということもあります。そういう先祖の祭祀の形というものを、民に、こういうふうにしたらいいですよと、仏教式では春の彼岸、秋の彼岸ということで、その時にぼた餅とおはぎというものをいただくわけです。おはぎというのは秋に咲く萩の花を、ぼた餅というのは春に咲く牡丹の花を象徴しています。このような直会にも関わる話もございますけれども。
要するに、祭祀の仕方を、天皇家から民が学んでいるということ、また、それを白川でしっかりとお支えし、お伝えして来ましたということなんです。
明治以前に行われていた、春季皇霊祭、秋季皇霊祭で白川がお伝えしてきた一つの方法を、我々がもう一度、思い起こして、我々が各家々でそれぞれに祭祀をすると。結局は、日本で言います、太陽神と言いますか、天照大御神という神様の運行の最初の基点を春分点として、始めの日として捉えています。そして、本来は、先祖を敬うという始めの日が、少なくとも年の始めというものと繋がっていたということが言えると思うんです。

◇ご皇霊の溢れんばかりの想いと重ねあわせて

その時に、先祖を想い、その意志を継ぐという、すなわち、今どきの言い方ですとDNAと言いますか、体遺伝子と精神遺伝子を共にしっかりと引き継いで、そして、より良い社会の繁栄の為に想いをいたすんですね。
もちろん、それが人類という大きな繁栄の為にです。その先祖や自分自身に、最初に宣言する意味で、まずは天皇家の遠津御祖神である123代の、代々の天皇陛下のご皇霊をお迎えする。そして、ご皇霊から、「このように生きるんですよ」ということをお聞きする。お聞きする内容が代々の国の為、公の為に尽くされた代々の天皇陛下の溢れんばかりの思いやりが表れるので、少しでもその想いと重ね合わせ、我々は、これをもって人類の為にやっていこうということです。
ただ、現状は、天皇陛下、あるいは皇后陛下のお二人にお任せしてばっかりでご苦労をおかけしております。少なくとも、そういう公の為に尽くそうという想いを、我々も重ね合わせて、そして、生きるという生き方がこの時代にもう一度、問われているのではないのかということを強く感じます。
これからも、日本人として、代々受け継がれたもの、昔はそれを万世一系や、天壌無窮という言葉で表現されておりました。ただ、その想いは変わるものではないですね。

◇新しい時代のリベラルアーツを再現する

この宇宙が、あるいは、この太陽系が出来て、これから、この銀河系というところを、たぶん太陽系が2万6000年という歳月をかけて一周をします。もちろん、銀河系にも、別の太陽のような惑星がありましょうし、それは、太陽系の太陽と相似形になっているのかもしれませんけれども。
天照大御神をお迎えするという意味合いでの神々として、天皇皇后両陛下の神々である天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神という造化三神に繋がっていると思うんです。その神の光が、銀河系の中で動いている、働いている創造神としての天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神という造化三神の働きを迎える神としての天照大御神として。
宇宙的に、天文学的に捉えて、そして意識を広げるということが今の時代に必須だと。そういう意味で、我々は、ロイヤル・アーツ・アカデミー、あるいは、チャイルド・アーツ・アカデミーという学問の基礎もしっかりと作りましょうということで始めております。
少なくとも、新しい時代のリベラルアーツ、あるいは、メカニカルアーツという、明治以降からのもので、神学の為の学問として、西洋では前提になる、それをリベラルアーツと言われております。我々も、その辺りのリベラルアーツというものを、もう一度、再現する。そして、天文学を含めて、そういうものをしっかりと学問にしていくという時に、やっぱり大事になるのは、祓いと、鎮魂と、言霊という三つが、白川の教えの中に残っていたものを明確にしようとしております。その方法というものは科学として、それをするんだということです。

◇分野ごとの科学を、統体として掴むこと

我々は、宗教法人にはなっておりませんし、もともと立教が目的ではありません。あくまで学問の上に、その祓いも、鎮魂も、言霊も科学するという、例えば言霊というものも、それが言語科学ということで言えば、言語学という表現にはなりましょうけれども、そういう人文科学としての言語学が、◯◯科学というレベルではない本当の科学になるというかですね。
今、科学は、社会科学、人文科学、自然科学というふうに分かれていますが、それぞれ科学は統合科学になるんだと思います。つまり、万人が認める法則というものがあると。今、一番進化している科学として、理論物理学や、生物学や、医学などがありますが、まだ科学も自然科学から人文科学、社会科学というふうに、一つの進化の流れというものがあろうかと思いますけれどね。
今まで分野ごとに分かれていた科学が、統体の科学として人類が掴む日が、人類にとって一番平和になるのであり、古神道が目指す平安清明ということに繋がるということであります。
少なくとも、そういう社会が平安であるということを実践したのが、桓武天皇から孝明天皇までの1000年間の京都での平安京の営みであったということです。花山天皇ももちろん含まれてですね、平安という時代を経過して来たわけです。

◇京都の1000年間に込められている法則

今、平安神宮は、桓武天皇と孝明天皇をお祀りしてあるお宮であります。その真前で、本日、京都ロゴフェスを開催できて、二点中継も出来て。今、我々は、山梨県の甲府に白川学館が置かれて、白川を守らせていただいております。
「みやこへのかえりごと」と標榜しまして、今日、この日を選んでお祀りをさせていただいたわけであります。
昔は、鐘の音も、平安京の鐘の音は各寺で音階があって、全体で持ってハーモニーを持って、音が皆さんの心が安らぐようにという設計で、鐘が鳴らされていた、ということも近年の研究で分かってきています。天皇様のいらっしゃる地を、王城の地といって、京都で1000年間守っていただいたわけです。そして、その社会というものが、より良い社会として存続できる法則のようなもの、社会法則のようなものが、今までの京都の1000年間の歴史の中に込められているわけです。その在り様が、1000年間に渡って実践されていたんだというところは、しっかりと受け止めていただきたいと。

◇水を届ける役割から、祓い・言霊・鎮魂を科学する役割へ

先程の祓いというものの原則が、水というものに祓いをかけて、そして、都に水をお回しすると。そういうことも伝統の中にあるわけです。もちろん、奈良の頃から培ったものがありますが。我々は、水によって生きている訳でありますが、70%以上と言われています。水によって出来ている、その水を大切に扱うということで、だいだい、白川は祓いをお水に込めて都にお届けする役割だったわけです。疫病にならないように、そして、汚きものを流していくように、そういう役割をしっかりとする。そして、その言葉が祓詞であるということになるんですね。
もちろん、それが、今、我々が、そういう祓いと、言霊と、鎮魂ということを言っておりますが、この三つを白川、あるいは天皇家、京都に住まれていた方々が、そのことをしっかりと繋げてくださったということなんですね。そして、これからその三つを科学するということを通じて、世界に貢献することである。そういうことになろうかと思うんですね。
また、鎮魂ということでは、まずは世界の人々の苦しまれた方々の御魂をお慰めすることがより良い社会を作るのに大事なところになります。そういうことが、まずありますと。

◇テレパシーという言語が行き渡れば・・・

また、言葉というものがしっかりと科学され、その結果が日本語であるかどうかは別にして、そういうものが本当に科学になるのかということをまず実証実験していくわけです。そして、我々に、テレパシーという言語が行き渡れば、人類にとってこれは、一方で大変な科学になるし、貢献になるわけです。黙っていても相手に考えが分かるわけですから。
しかし、そこまで、なかなか到達しない。用語では習ったけど、実地では出来ないということになりますと。縄文時代の最初に出来た言語としての日本語を、もう一度、持ち出さざるを得ないのではないのかと。それが、テレパシー言語に繋がる言語として、それが一番科学的な内容になるんではないのかなと。
このことを祭祀としては、幽祭というふうな言い方をします。もちろん我々は、祓詞というものをあげながら、この時代には言語を使えますけれども、一番の根本にあるものとは、祭りも幽祭ということですね。そういう為の祓詞を基本にしているということでございます。もちろんそれは、マトリックスにしろ、分子構造のようにしろ、整然と洗練としたものが幽の中に含まれていると言いますかね。そういうことは、当然でございますけれども。
これからの科学というものが、普通の目で見ると虚像になるものを実像であるかのように学び、見るということもそうですし。それは、これからの数式も、マイナスとか、虚数とか、そういうものをふんだんに使った式で、しかしその式が数学になっている、科学になっているということをします。
一方では、物理学も、今の宇宙には、ダークマターとか、ダークエネルギーというようなものが有ると言われていて、今の物理学で解明できているものは、全体の4%程度のエネルギーと言われています。つまり、残りの90%以上は、ダークマターであったり、ダークエネルギーであろうと言われていますが、要は分からないというのが現状です。
宇宙創造が行われている時のエネルギー、あるいはそのようなものから、この宇宙創造が行われているというかですね。そういう捉え方も出来るくらい、今の物理学も、もう一度、再構成、再構築しないといけないところに来ていると言えます。
そういう意味では、自然科学も、数学も、あるいは人文科学としての言語学も、あるいはそれを使って、より良い社会にしていくという古神道が、平安清明という、非常に単純な言葉でもって伝えようとしてきたことを、今こそ科学される時にあると。本当の意味での社会科学にしなくてはいけないんですね。そういうことが、社会から望まれている。それを始める時が来たのではないのかと。

◇魂をどこまで科学できるか

その時に、これから多分、精神遺伝子というところをしっかりと学ぶという意味で、精神の一番のハイライトは、荒魂、和魂、幸魂、奇魂、精魂という五魂のところです。これらを科学するということですね。
ギリシャの時代から始まった霊魂の哲学的研究も、今またもう一度省みて、その実態を解明しないといけない。その時に、我々には、先程言いましたように、第六種鎮魂といって、その作法というものまで残っていて、五魂という魂(たま)の名前まで付いています。そして、その働きがどこまで魂というものを科学できるかというところに、正に来ているといいますかね。
それが、言語というか、「あいうえお」という母音と、どこまでそれが繋がるのか。それが五大とどう繋がるのか。そして言霊学は、この1000年、公家の文化で培われてきた学問でもあるので、それをどう科学するのか。
世界にまだ出していない、大祓の極意を、ユダヤ民族が、契約の柩(ひつぎ)を運んできたように、我々もお神輿で大祓の原則と言いますか、宝を担いできたと。そして、中に含まれている、言霊というもの、日本語というものを、もう一度、分析して、それが一番の科学として、合理的であるというところが一方で問われると。
先程の五魂の魂というところから、その人というものの、精神の全体像が見えるかどうか、その辺りが、我々が大和魂というふうな形で、今まで、保持してきたものもありますが、なかなか世界には、よく分からない部分があり、ある面では、特攻隊の皆さんのような形で伝わってしまったという不幸なところもあるわけです。
そういうものに、実はしっかりとした法則と言いますか、魂という存在があるんだということです。その前提として、我々は生きてきたんだということです。

◇白川学館として受け継いでいく

そういうことを含めまして、これから様々な科学での解明が行われる時が来ていると。それを、今回は、アメリカに行って、そのことも皆様方にお伝えすると。折口信夫さんが書かれた「死者の書」、あるいは大津皇子と大伯皇女の犠牲と鎮魂と言いますか。それらの本当の中身を知らなきゃいけないし、それらを世界にお出して検討してもらいましょうということです。
それは、我々の長い間、縄文以来の学びと実践としての古神道の中に、それがしっかりとあるんだと、その営みが1000年間の京都の園城の地での陶冶と言いますか、しっかり守られ、高度化されてきた歴史があるんだと。そこに我々が一度還ると、それは正に、この白川というものを伝えてくださった神祇官、あるいは白川家という家があった、今は白川学館としてそれを受け継いでいくと。それを学問として、科学として、表明できるようなものとして高めていくということをさせていただくということを、やっていこうということでございます。
色々な暦によっては、正月が一年中あるようなものですが、今日も正月の始めとしての、春分点に立って、一年を始めていきましょうと。ちょうど、桜も咲きましたので、そういう一年間の予祝を含めて、京都と結んでこの会が出来ましたことを非常に喜んでおります。
今日は、ありがとうございました。