0383話:2018年03月22日

おはようございます。
京都ロゴフェスの報告をどうぞ。

●Sさん
おはようございます。京都ロゴフェスのご報告をさせていただこうと思います。
昨日は、甲府と京都を繋いでの中継の春季皇霊祭と、京都ロゴフェスをやらせていただきました。今回、新しい取り組みが出来たのではないかと思っています。
まず、京都と甲府を繋いで、中継することによって、賢治先生もおっしゃっていましたけれども、今回の京都ロゴフェスのテーマでもある、「みやこへのかえりごと」ですね。京都で、ずっと守ってきたものが、甲府にあるということを、中継ではありますけれども、実際に繋いで京都にお戻しできたというのは、甲府で息づいているということをお知らせすることとなったのではないかと感じることができました。
あと、祭祀の中の信原さんの奉納演奏の中で、僕は爽やかな風のようなものを感じたというか、それまで、現場に、重い感じがあったんですけれども、信原さんの演奏になった時に、周りの空気が軽くなったと少し感じました。なので、信原さんの演奏というのは、そういう力があるのかなということを、実際に感じることができました。これは、僕の中で、3月21日で深い気づきがあった瞬間でした。
中継が一時、繋がらないという瞬間はありましたが、それ以外は、大きな混乱もなく、怪我人も出ず、うまく運営できたのではないかと思います。今後、色々と課題とか、こうした方がいいのではないかとかありましたら、ご意見あれば、また改めて、ご意見を聞かせて頂ければと思います。よろしくお願いいたします。私からは、以上でございます。

【七沢代表】
Iさん、色々と裏方での感想をお願いいたします。

●Iさん
おはようございます。昨日は、裏方ということで、甲府側から京都側に、中継配信をする担当を務めさせていただきました。
先ほど、Sさんからあった、中継が止まったというタイミングは祭祀の後のOさんの講演が始まる、まさに直前という時でした。京都側のいわゆる通信のトラブルで、なかなか、発見するのも難しいですし、対処するのも難しい状況というのがありました。私は、その時、甲府にいたので、手が出せないわけです。トラブルが京都側のことということもあって何も出来ないという状況でした。京都にある現状を、Oさんに、甲府スタッフのKさんに伝えるという状況でした。京都の配信に関わってくれたIさん、プロジェクター担当もして、中継にもご協力いただいた、Tさんと、会場の担当さんのところで、非常に頑張っていただきまして、10分位で復旧としたという運びがありました。その間も、私が聞いた話では、久子先生が、場をつないでいただいたりとか、みなさんの頑張りによって、難を乗り切ることができたかと思いました。
実は、甲府側でも、祭祀の前の7時過ぎくらいですか、昨日は動いていたのに、何故か、当日、全く動かないというトラブルもありました。最悪、2画面の片側1画面しか映らないかもしれないという状況が、その時ありました。私も原因が分からないので、アナログに、コードを繋ぎかえたり、パソコンを少し動かしてみたり、火打をしてみたり。本当に、そういう世界になって参りまして、やれることをやるしかないと。そして、やっと、映りまして、何とか、春季皇霊祭に間に合いました。
なので、2重の経験をさせていただきました。甲府でなんとか直ったと、今度は、京都で、自分の預かり知らないところで、止まってしまったという状況もありました。この中で、一番感じたのは、何というか、我々の中継をやったスタッフも、このイベントということを通して、中今の学びといいますか、本当に、この瞬間でしかない学びをさせていただいたと。しかも、お客様に状況を提供させていただくという中においても、また、自分たちに学びを得ることができたと思います。
本当に、みんなで乗り越えることができ、京都のお客様、そして、白川の門人さん、みなさんの力があって、成り立ったイベントであったと、私はそのように理解しております。以上でございます。

【七沢代表】

◇理想は瞬時に伝わるコミュニケーション

どうも、ご苦労さまでございました。私も、昨日は、声が出なくなって、急に寒くなったからかなと思っていましたが、どうも、あまり言ってはいけないことを、言いそうになっていたからかなと(笑)
外に繋がっているような状況で、Oさんが言ってはいけないことを言おうとしたんじゃないのかって、人のせいにして(笑)それで、中継が止まってんじゃないのかなと。悪いことなんてことは、ほとんど考えない癖がありますので。合理化といいますか、何でも、その時に、そうなったのはしょうがないというか。まあ、最善は尽くしますけどね。そういうこともあっていいと思うんですけれども。
結局、今のお二人のお話の中で、アナログということ、そして、1つの音、声ということですね、声を出すということ、そして、それが機械として、歌になったりもしますけれども、それが、機械としての楽器を使って、音が出て、さらには、装置を使って、音を出すということですね。
装置の部分が、人やアナログ的な楽器の大事な表現が出来なければいけないところを、装置の中にも、使って表現できるということが、ロゴストロンを含めて、既に、そういうことをやっているわけですね。それを、今回は、京都と繋いでやったわけです。
元々、アナログ的に考えると、1番いい状態というのは、集まって意念言語のようなテレパシーでもって、瞬間に、情報や情緒が伝われば、一番いいコミュニケーションなわけです。まだ、現状の人間界はそういう状況には至っていませんが、縄文時代には、そういうものがあったのかもしれませんけれども。今の時代では、逆に退化したのか、そういうことが必要でなくなったのか。言語というものの発達によって、あるいは文字というものの発達によって、段々と、そういうものが退化したということもいえるかもしれません。
そういう理想的なコミュニケーションというものは、結局、瞬時に、伝わるというんですかね。知も情も意も伝わって、同時に、それが納得できる。そして、次の行動に移れるというか。
それが、昔は阿吽の呼吸という、「あ~うん」という言語を使うことをしなくても、全て、通じるという意味のものがあったんですね。そういうことも、ある面では、これからの理想というか、どういう社会に、あるいは、そういう人間の意識進化になれば、1番良いのかということが、テーマとしてあるんだと思うんですね。
それが、1つのテレパシーのようなものや、一種の体遺伝子や精神遺伝子ということから見ると、今までジャンクDNAの中に隠れているのか、あるいは、精神遺伝子の先に、瞬時に理解するという構造、あるいは、情報が入っているのが発現したら、納得いくところかと思います。

◇コミュニケーションのプラットフォームを明確にする

今、五感、六感までしか立ち現れていないけれども、そういうものが、だんだん、昔からあったもので、もう一度、復活するようなDNAが発見されたり、そして、その使い方がわかるようになる時が来る。その時には、そういう社会としてのイソノミヤとか、あるいは、テレパシーという意念言語というものも、より使いやすくなって、現実に、そうなんだということが、はっきりと分かってできるような時代に移行するのではないかと思います。そういうことを感じるんですね。
ですから、その辺りをうまく使えるようになると、更に、高度化した社会、理想的な社会が出現できうると思います。そういうものが出てくるということを、前提にした1つの我々の学び、それは、コミュニケーションのプラットフォームというものをより明確にする。機械と機械、人と機械、人と人、人と自然、人と神、あらゆる考えられうるコミュニケーションのプラットフォームを、充実させ、しかも、その内容が進化していくと。

◇「御魂のふゆ」

今、機械や装置で直面しているのは、慣れてしまうのではないかと、人間と機械との関係の中では慣れてしまって、うわの空になる。そして、肝心な高度化というところが、進みにくいということです。その1番の原因になるであろう所が、言葉をどういうふうなソフトとして、出したら人が慣れないで、次々と進化できるのだろうかということをやろうと。
我々が、アナログとデジタルの部分と、デジタルとデジタルの部分というふうに、自己増殖と機械の中では言われておりますけれども、知識というものが、あるいは、科学というものも、情緒というものも、どんどんある面では増えていく。そういう中で、心地よく、美しく、品位のあるものに、情報も、これは写真でもそうだと思いますけれどもね。
より高度化していくということが、ある面では、人間の宿命みたいなもので、そこのところを、突破するということを、テーマにして生きるということをしないと、人間は飽きてしまうんですね。それが、1番困るというか。まだ、たくさん、3次元、4次元、5次元という高度化できるところまでまで増やしていくといいますか。それが、魂というか、あるいは、それが様々な沢山のそういう精神というか、高度化すべきことが沢山あったし、それを人類が何万年という単位の中で、何千年という単位の中で、既に、獲得してきた節もありますし。
そういうものを、今、もう一度、掴むというか。それが、たぶん、古代の言葉でいうと、「御魂(みたま)のふゆ」といいますかね。恩恵という意味もありますけれども、御魂というのは、精神という、より心地の良い人間のプラットフォームが、たくさん広がるということを増やすということが、大きな人間の目的として、あったのではないかなと。そういうふうに感じるんですね。

◇意念言語を科学する

ですから、我々が更に、高度化したコミュニケーションのツールと、それが科学であるということの自覚に至るようなものですね。今まで、過去にあったであろう、今は失われている、退化している部分を、もう一度、復活させていくような意味にあるものが、意念言語を科学することではないのかなと。
そういうテレパシーのような言語というものも、実は、DNAの中にあって、そして、それを更に、解読を進める。高度化していくための装置を作り、それを通じて、さらに、より高度化したものを掴むということが、たぶんあるんだと思うんです。
この辺りを考えて、日々のイベントもそうですけれども、仕事の中に活かすということが、昨日の教訓ではないのかと、今のお話をお聞きしながら、自分の声が出なくなったということも、いろんな情報があったということで、当面はそれはそれで良かったと。明日は明日の自身が思い煩うと。そう、今日、また考えるということでいいのではないかと思います。本当に、ご苦労さまでございました。