0382話:2018年03月21日

◇親父の話

今日は、ありがとうございました。いつも、直会は、月次祭の時もそうですが、本当に、間近にというか、白衣でいる時と普段着でいる時の違いもあるとは思うんですが、一層、心が近づくというか、親しく魂が触れ合うと言うんですか、そういう場としての直会というものもあると、いつも感じるんです。その感覚というのは、ご飯を食べた後だからというだけではなくて、心地の良い一時ですね。なので、私の楽しみの時間なんでございます。
特に、皇霊祭という意味もあるのですが、ここにいる皆さんは、基本的に、戦後の生まれとお見受けしますが、私もそうです。たまたま親父が、二年位、戦争から帰って来れなかったから、若干、生まれるのが遅れただけで、戦後の生まれですね。
父は、もう殆ど、栄養失調でニューギニア島から帰ってきました。父がいた部隊は、400人位いて、2名しか帰国できなかった、ほぼ全滅だったようです。ただ、父は、家のすぐ近くに堀があって、そこでいつも遊んでいた素潜りの名人だったんですね。なので、アメリカの機銃掃射の時は、8mくらい海に潜って、何度も助かったと言っていました。さらに満州から転戦したみたいですが、ニューギニアでは殆どの人が飢えでもって亡くなってしまったと。飢えでもって亡くなった方の中には、安楽死をされる方もいたようですね。殆ど、戦後のことは、話してくれないですよ。
ただ、ご修行をやっていたら、その方々が出てくるんですよね。それで、親父に聞いてみたんですね。「千年針の下着を着て、こういう顔の人はいなかったかと」と聞いたら、ようやく白状してくれました。実は、その人のお骨を父が持って帰って来たんだと。そして、その方のお兄さんに渡したというんだけれども、どうもその魂までちゃんと渡っていなかったようなんですね。その人は、親父が一番可愛がった部下だったんですね。

◇御魂を鎮魂するということ

少し話が逸れますが、私はどうやら名古屋の人と関係が深いみたいでして、会社でも名古屋の人が一番多いんですよね。井坂先生とか、Hさん、Yさん、他にも沢山ですね。そして、親父の部隊長だった方が名古屋大学の医学部の教授だった、市原先生というんですが、その市原先生と父は部隊の中で一番仲良しだったらしいんです。ただ、その人が、「変質したものは食べるな」と言って、「変質したものを食べたら死ぬ」と言うんで、父は全く食べなかったらしいんですね。それで助かったと言っているんです。
その亡くなった人が、ご修行の中で出てきたんですね。そして父に聞いて、その全容がわかったから、その御魂を鎮魂して、お送りしたんです。それ以来、そういう色んな問題が解消したということもあったんですね。
親父が戦争から戻って、60歳で免許を取って、色んな車を1ヶ月毎に変えてですね。これは、病気じゃないかなと、こっちが狼狽えるんですね(笑)ただ、今は、私が周りにそういう気持ちをさせていますが(笑)。そして、この行動の原因が、先程お骨で帰ってきた方が自動車を一番好きだったらしいですね。それで、「戦争が終わったら、自動車を買って乗るんだ」ということを言っていたと。そのことも、お慰めして旅立っていただいたんです。
鎮魂ということの意味は、これは結構、難しいというか、聞いてみないとわからないところもあるんですね。そういう心残りがあると、あの世に行く時の妨げになるので、今、リインカネーションとか、ライフチェンジとして講義しているわけです。

◇施餓鬼供養

もちろん、施餓鬼供養というものもあります。飢えと渇きでもって亡くなった人たちをお慰めするということを、甲府では、毎日、食事の前に、その施餓鬼供養をやっております。
昼間でも夜でも、そういう役の方がいるんですね。もちろん、餓鬼というのは飢えと渇きで、いくら与えてもダメという状態で、「まだ足りない、食べたい、飲みたい」ということになるんです。そして、その飢えと渇きを解決する方法とは、その餓鬼を超える、意志で「何度でも差し上げるよ」という気持ちで供えることをするということです。そういう「何度でも、あげましょう」という気持ちになると、少しでも楽にしてさしてあげられると。だから、餓鬼として満足できないという想いを超えるには、何度でも良いよ、ということを心から満たしてあげるという心をもって行うことが供養じゃないのかなと感じるわけです。
禅宗でも、色んな施餓鬼供養というのがありますけれども、やはり、そういうことが、色んな場面に通用するということです。そして、鎮魂というものは一番心残りにしていることをお慰めして、満足に変える心の処方というんですかね。それがまずは一番の施餓鬼供養というか、鎮魂になるのではないのかなと思います。そのことを、特に感じているわけです。

◇花山天皇の残したいという想いが・・・

皇霊祭の場合にも、悲劇の天皇様や上皇様とかいらっしゃいます。もちろん、白川を立てる原因になったという花山天皇なんかは、この白川のおみちというものが出来る前の神祇について苦心された方です。白川が、おみちというものだけの時代もあったのですが、花山天皇は、それを残そうとされました。
天皇家の作法というのは、基本的には、神道ですが、それが今から900年以上前の平安時代に、仏教だけになって無くなってしまうのではないかという花山天皇の想いがあって、そのお孫さんである、延信王とかに託されて白川家というものが出来るわけです。
ですから、足りないという想いは、良い面として働くこともあるわけです。やはり、皇霊祭ということでいうと、一番のご修行ということも、皆さん受けられているわけです。そのご修行を残したいという想いが、ご皇霊の中では一番大きなウェイトになるんではないかと思うんです。
ですから、白川に求められているもの、それは天皇家にも求められているものではありますけれども、やはりこれを天皇家の為でもあるし、何とか残して役に立ってもらいたいという想いは、存念という風に捉えてもいいと思いますが、そういうところは、しっかりと受け止めていくということが必要かなと思います。

◇ご皇霊のお力をお借りして

三種、二種、一種の神拝作法を、歴代のご皇霊は受けたわけです。天皇様のことを、「お上」と尊称して言いますが、本当に神様になっていらっしゃいますので、その方々が一柱一柱の神として、我々が学ぶ時の助けをしてくれるわけです。その内容を思えば、本当に学びたいということであれば、去年の秋季皇霊祭ではご皇霊がお教えてしてくださると。
私も、ご修行の中で別にお呼びしたわけではないですけれども、孝明天皇が出てこられたり、花山天皇が出てこられたり、様々な天皇が、そういう修行の中で現れて、色々とお教えていただいたということがあります。もちろん、白川の歴代の王の人たちからも学べるんだということですね。
先程の「聖書は我にかく語りき」を書かれた、対馬栄逸さんが言われているのが、神様に聞けるということが白川の一番大事な点ではないのかと言われていたんです。正にその通りで、神様にお聞きすることが出来る方法を持っているのが、この白川の祝殿で行うおみちの修行でもあると。みんな、天皇家との具体的な繋がりが必ずどこかにあります。これは100%あるんですけれども、そういうものと同時に、我々が遠津御祖神としてお迎えしている神と近い関わりといいますかね。我々の力になっていただけるんじゃないかということであります。歴代の天皇のご皇霊のお力をお借りして、更に、修行を進めていくということが出来ればいいんじゃないのかなと。

◇神人一如で日本と世界のために

元々、白川の八神殿の中に歴代のご皇霊はお祀りされていたんですね。そして、約150年前の明治の始めくらいからですか、白川の八神殿から、東京に皇霊殿を作る時に移されていったわけでありますけれども。やはり、神様は非局在と言いますか、どこにでもいらっしゃるというふうな観点からしますと、そういう神様を祝殿でもう一度、白川の八神殿でご皇霊をお祀りしていた時のようにお祀りすると。共に、お祀りするということを財産として使わせていただいて、より良い日本、より良い社会、より良い世界ということを作る為であれば、それは多分、許されることじゃないのかなと思うんですね。ですから、その辺は、独占するということではなくて、参加して使わせていただいて、世界の為に役立てるような生き方になれば、いいのではないのかと。
そういうことでございますので、今後とも、どんどん御皇霊様だけではなくて、各神様をお迎えして皆さんも神力をつけていただいて、これからの日本と世界の為に働いていただく縁(よすが)に、神様を縁にしちゃいけないかもしれませんけどね(笑)。神人一如でやっていきたいなということを今日は感じた次第でございます。
今日は、色々とありがとうございました。