0384話:2018年03月23日

おはようございます。
Sさん、久しぶりに来られていて、最近のはふりめくはいかがですか?

●Sさん
おはようございます。毎朝、はふりめくを読むのを楽しみにしていて、だんだんだんだん溜まってきて、多分400くらいあると思うんですけれど、この膨大なデータベースというか、知のデータベースをどうやってオープン化して共有化するかということを色々とこれから考えていきたいと思います。
はふりめくは、あれだけ数があって、同じことをほとんど仰らない先生の知識に唖然とする思いです。本当に、毎朝、いいお話をありがとうございます。

【七沢先生】
何かご質問、ありますか?

●Iさん
ここで、祝殿でお祓いしている時なんですけど、先生がいつも一番後ろにいるので分からないんですけど、時々立っておられるような時があるみたいなのですが。あれは何か意味があるのでしょうか?

【七沢先生】

◇共々、一生修行

気まぐれですよ(笑)。いや冗談ですけれど(笑)。祓いの方法というのは、今日も工夫をしていたんですけど、やっぱり、一生修行なのかな、というか。皆さんにお祓いをあげさせてもらうという意味もありますし、自分自身がどういうお祓いがあげられているか、両方共々、修行というか、一生修行なんでしょうね。
今日思い出していたのは、奈良毅先生が目白の十三間通りにあった先生の昔のマンションに書生として一緒に住ませていただいていた頃、屋上で、世界の罪穢れというんですか、それを一点に全部集中して、消してしまうという大胆なことを毎日されていらっしゃる先生だったんですけどね。
そういうことを思い出していて、自分もそういう意識で毎日を過ごしているかな、ということを考えた時に、やはり、なかなかね、先生が今の自分の歳から見て、半分にも満たないくらいの頃のことですからね。まだまだ修行の途中なんだな、ということを感じながら今日もあげさせていただいたんですけども。

◇大祓の素晴らしさ言葉のお働き

やはり、大祓という素晴らしいですね、最近は、契約の柩の中身だって、私とOさんで二人でもって言っているんですけれどね。なかなかそんなことは聞いてくれないけどもですね(笑)それくらい大事なものだってことを言っているんですけれども。
その言葉の持っているダイナミズムというんですかね、強さといようなもの、お働きのようなものをどれだけ実感できているかな、ということをいつも思いながらお祓いをあげさせていただいているんですけれど。
やはり、自らの身体を使って、そういう全てを消してしまうというんですかね、罪穢れというものを、先生はそれを地で行った訳ですね。ほとんど言葉でその通りに表現されている大祓というものを、それをそのまんま、その通りに、祓い、清めるということを必ず出来るっていう確信と、それを自らの身を持ってそれがどのように、言葉として、言霊(げんれい)として、あるいは、お働きとして消していけるんだろうかというような、そういうことが、一方では、この大祓をあげるということは、そういうことを絶えず、こう、確認させられるという、そういうけっこう大変な言葉だと思うんですよね。
真に受けるというのもおかしいんで、そのまま大祓の言葉を聞いたら、それは相当これはとんでもないことというか、それができたらまた、大変なこと、もちろんそれができるまでは、口祝詞でもなんでも構わないから、それが実現するようなところまで持っていくということが、日本民族の使命、この大祓というものを、教えられた者の宿命みたいなものかもしれませんけれどもですね。
そういう意味で、これをあげて、もちろん、たくさんのみなさんが、そういう想いでもってあげられているということは承知していますけれどね。それがこの社会で、実際それが実現されたらどのようなことになるのか、ということを鑑みますと、時々、ロゴストロンに頼っている我々もいるわけでありますけれども。

◇銀河系に広がった意識として確かにその中に住んでいる

そういう意味の、アナログとデジタルというようなもののひとつの統合というんですかね、そこも、芸術と機械や装置も、ある面では時間が経てばそれは一種の芸術のように受け止められる時も来ると思うんですけどもですね。
今は、そういうデジタルというものが、高機能というようなところでもって推移してますけども、やっぱり、ある時期に高品位なんていうそういう言葉が、機械、テレビとかそういうものにも表現された時もあったんですけども、やはり、もう一度、アナログと、芸術というものと、メカニカルなものも、アーツに、芸術になるんだというところで、この統合された時に初めて、命というものが輝くし、科学というものが統合科学になった時なのではないのかと。非常に難しいテーマをもらってやっているんですけれどもね。
その中でこの大祓というものが、一種の美しさと、上代語ですから非常に美しい部分と、あるいは、文法的には、人間の言葉になってないようなところもありますけどもね。そういうものが、実際のロゴストロンという形で、どこまで美しく、あるいは高機能に働いてもらえるのか。ということは、非常に、今、最先端な概念ですとかね、理論とか、仮説も良いんですけれど、そういうものを使って、人類が進化し続けるというかですね。
ですから、装置や機械の中に自己増殖というような考え方も取り入れて、そのことができるのかということまで問われているのでありますからね。もちろん我々が、生命、命というものを、宇宙創造から、創造、維持、破壊、帰趨という部分を、138億年のような、時間のタームというんですかね、それを自らの瞬間の中に置けるような、そんな技をどうしたら実現できるかなという、そういう一種の、ほとんど誇大妄想狂的というかですね。少なくともそういうことが、機械と芸術というか、科学というものを扱っている時に、そういうテーマが我々の上に降ってきているんだということ、そういうものを克服することが、また新しい時代の人間としての在り様なんだということがいよいよ大変なところにきていると思うんですが。
そういう中で、この祓いと鎮魂と言霊というものが、どこまで可能性があるのか、やってみるだけの価値があるのかというところも、見極めながらやらないといけないというようなですね。
人類がひとつの意識進化というところに来た時に、やはり銀河系の中を2万6千年の時間でもって動くというそういう観点。それがまた太陽という、天照大神というそういう働きですね、神の働きを、銀河系の中における天照大神と言うような、働きのところが天之御中主神じゃないのか、というそういう一つひとつの予測としてもってですね。
我々が少なくとも、この宇宙外に、銀河系に広がった意識として確認できたりですね、確かにその中に住んでいる、という、あるいは働きによって生かされているというようなことを、感覚として掴むというようなところまで、今の時代に要求されているんだと思うんですね。
勝手に要求しているのかもしれませんけれど(笑)そこで共に学び合うものが、納得できるようなものになればですね、非常にこれからの、人類の未来というものがまた明るくなるというかですね。

◇意念言語は科学になる

本当に平安清明ということと、誠というような、そういう、この1万5千年ぐらいの幅で持って、人類、特に日本人が受け止めてきたものが、もう一度、確かにその通りだということで、まずは神話、あるいは縄文の時のアーツに帰ってですね、今の、それが、確かに、その時に使っていた意念言語というものが、今も確かに使えるんだと、そしてそれが役に立つし、それが科学になるんだという、そういうところまでいければ、今回のひとつのプロジェクトが、大成功になるんじゃないかなと思っているんですね。
そういうことがあまりにも荒唐無稽とは言えないところにきて、世界に問うてみて、そしてそれがどういうふうに可能かどうかということも、これからの統合の科学にするということはそういうことだと思っておりましてですね、どうかその辺りで、共に体感の中から、そのあたりを、一つひとつ、一緒に証明していただく、それが皆さんのお役なんではないのかな、ということを思っています。
また、桜も咲きましてですね、いよいよ4月になっちゃうわけですけども、性懲りものく、また新しく始めていきたいと思っておりますので、どうぞ、よろしくお願いしたいと思います。
今日は、ありがとうございました。