0386話:2018年03月27日

おはようございます。
何かご質問はありますか?

●Iさん
最近というか、ずっとそうかもしれませんけれども、脳について考えることがあります。
デザインの仕事もそうですが、脳を使うことで身体とは別の疲れ方をするというか・・・。凄い、疲れるんだなと思っていて、クリエイションをしていくという意志を発動して、同時に、色んなことを網羅して考えていった時に、とても脳を酷使しているというか、疲れを感じていたのかなと、自分では思っています。
なので、脳をどう制御したらいいのかとか。色んなことを、ワッと考えてしまう時もあるので、脳をどう使ったら良いんだろうというのが課題というかテーマだったりしています。
あと、お祓いをしている時の拍手も、右脳と左脳のバランスを矯正するような動きに感じる時があります。例えば、七種で、後ろで拍手するような脳の動きって、日頃あんまりしていないので、気を抜くと、拍手の手の位置がズレて、ちゃんと拍手の音が出なかったりした時は、この領域の脳を使っていなかったんだなということを感じたりしています。最近は、脳と自分みたいなことをよく考えています。

【七沢代表】

◇脳の機能と階層性

脳も、機能が働く部位が、松果体とか海馬とか大脳新皮質とか間脳とか、それぞれあるんですね。その部位よって、記憶を司ったり、言語を司ったり、感情や直感を司ったり、様々あります。また、抽象的な概念や思考をしたり、数字や数式を扱ったり、その中でも、実数と虚数ではないけれども、その使い方も色々とあります。
そういう脳の機能とさらに階層性を、我々は、お祓いを通じて、神とか霊とか魂とか感情とか身体というふうに、大まかに、五階層に分けているんですね。そして、本当は、五階層と脳の働きが、1つひとつが有機的に働いて、1つの行為をしています。それらが、うまく機能しなくなると疲れたとか、病になって、色んな症状が出てくるんだけれども。

◇結合していく時の情緒を大元から掴もうとしている

デザインの仕事をしている場合は、具体的に線を描くこともあるし、元となる、ひらめきを得る時には、別の次元というか、階層の違うところから、気付きをいただく、あるいは、もたらされるというか。井坂先生は、「色と形が降ってくる」とよく言われますよね。きっと、芸術家の人たちは、その働きが極端に、はっきりと感じるんでしょう。信原さんの音楽も、そうだと思います。
いわゆる、神の次元というのか、出処は、みんな同じところからのものであると思うんです。ただ、どのくらいの頻度、あるいは、時間で、そういうことが起こるかということがあるにしても、見えない幽のところから、概念が、形式が顕になってくるかということですね。
その1番端に繋がるところが、五魂になりますが、降りてくるというのか、あるいは結合していく時に、どういう情緒になるかだけれども、深い気付きとか、色んな感情が起こってくるんですね。そして、そのことを確認することが、実証することになるのです。
その始まりの神の世界、その波動が音の神であり、美の神であるとすると、ビーナスの世界が降ってくるような感じ、掴めるような感じが、きっとあるんですね。それが、下から湧くのか、上から湧くのか、どの辺から降ってくるのか、色々と違いはあるんだけれども、そのことを実証するということを、我々は、仕事や芸術の世界もそうだけれども、その大元から掴もうとしているということです。

◇酷使される脳に栄養を

なので、デザインの場合は、単なる、抽象画を描くということとも違うわけです。違った脳の部位を使っているとは思うので、酷使すると、疲れる場合もあるかもしれませんけれども・・・。そのことを一日中やっているわけではないから、たぶん、色んなことで、悩んだり考えたりするから、必ずしも、そのことだけとは言えないけれども、非常に脳を酷使するということは、色んな職業でもそうだけれども、あると思います。
特に、今の時代は脳自体が、たくさんの刺激を受けながら、働いているわけです。それから見ると、全て、唯脳論というか、養老孟司先生が言われていたけれども、「全て、脳に帰着するような考え方」というものもあるとは思います。そういう意味で、脳が疲労すると。
そのための栄養も、ビタミンもアミノ酸もミネラルも、ブドウ糖も大量に消費します。そういう意味で、特にビタミンのB1,B2,B3やビタミンCとかは、大量に、消費するから、足りなくなると脳の疲労ということで、危機に瀕してしまう。要は、脳の栄養が足りなくて、脳が、あっぷあっぷしているような状態になっているということになるんですね。

◇神をどのように魂に結びつけていくか

そのために、脳がダメージを受ける、その場合、体の感情の言葉は少ないけれども、ある面で、深く傷ついたり、あるいは、トラウマになったりすることもあるわけです。それを、いかに、解決していくかということも、非常に大事なことです。
それを、階層のど真ん中にある霊の世界ですね、我々は、荒魂、和魂、幸魂、奇魂、精魂の五魂ということで、そこを調節するわけです。ただ、魂の調整というのは、なかなか解りづらいところであるので、情緒プロセッサというものを作って、それで感情を理解したり、制御すると。
そのためには、自律神経の交感神経優位と副交感神経優位の情緒を、自分で転換しながら、感情を解放していくということを、今後、心理学の深沢先生のところで、新しい学会を作ってもらうかということも、出てくると思います。そういう心理も必要だし、五魂の調整も必要になってきます。
元々、布斗麻邇も布留部からくる、父韻と母音と子音という言霊というのは、ある面で、非常に抽象的な概念であるわけですね。そういうものを使って、魂というものを確定するというか、どういうふうな働きが起こるかということを、我々の意識や情動の中でやっているわけですね。そういう研究をしているわけです。
もし、その大元が神という存在であるとするならば、その神を、どのように魂というものに結びつけていくかということが、霊という結合エネルギー場の中身なわけです。

◇布斗麻邇と魂を結びつけるような記号論

ですから、その時に、ちょうど、神というものの起源を、我々は布斗麻邇とも言うんだけれども、そういうものは、ある面では、抽象概念のような、実体をもたないというか、それは物理学と数学の始まりみたいな話です。
具体的に、どのように、魂というものに結びつくかということの細かい操作というんですかね、やっている先生が、殆どいなかったから、東先生のところに行ってもらったんです。
この方は20年前に、見つけた方なんですけれども。その方は、細かいメッシュで、捉える捉え方というのがあると。霊と魂のところを、超能力から捉える捉え方があるんです。
そういうものを、1つの例として、それを、魂に結びつけるようなところの記号論として、これから進めるわけです。そういうことを通じて、いわゆる、布斗麻邇という非常に抽象的な概念を、具体的な感情のところで動くようにするということは、「人間が感情の動物」と言われるくらいに、感情に大きく左右されるんだけれども。そういうものに、結びつけていく時に、どんな結果が起こるのかということを見ることが、階層性の中で、神や魂や人の感情や体、意識というものを掴んでいくことに繋がると。そうすることによって、人類の1番基本的な問題になっていることの解決の糸口になると。
そして、持続可能社会を考える元を作ろうということを、今、やっているわけです。ですから、一朝一夕に出来るものではないけれども、その辺りを、共に、どこまで出来るかというのは、非常に大事なところです。
もちろん、そういうものは、人類が長い時間をかけて、色んな天才たちが、何万年、何千年に渡って、やってきたことだから、そう簡単にはいかないとは思います・・・。ただ、時代がそれを要求しているので、我々が、そこで何か実証することができるのではないかというのが、1つの感覚なんですね。
そういうことを通じて、我々が今、生きている中で、実証できていくところは実証して、それが、社会貢献になれば、1番良いということをやっているわけです。

◇脳の中で禍津という働きが絶えず起こっている

ですから、単純に、情緒も、同じ人間の情緒ということではないんですね。
今、あらゆる手法、狡猾な魔というか、そのような手法が溢れ返っているような状態ですね。カーニバルも、魔というものをテーマにしてやるくらいに、派手にやっているわけです。そういうものが持っている、魔性のようなものを、人間が、どこまで神の感覚の中にお返しするかということの方法論が、白川の中にあるわけです。
禍津という悪魔を、禍津日という神に変えるという技を持っている、それを白川というか。ですから、脳の中も、ある面では、禍津というか、そういうものの働きが、絶えず、何%か起こっているわけです。
それを、脳の中で変換しながら、次第に、神という世界に、自分自身の脳の全体が、そういうところに行けるような自分になることを実証するということなんです。そのことが、だいぶ見えたから、我々が、そんな問題なく、ある程度は行けるだろうとふんでいる。もちろん、今まで、色々と人類がやってきた、あるいは、民族がやってきた、あるいは、家族がやってきた、そういう癖がへばりついているものもあるから、少しずつそれらを解消しながら、神の世界に一歩一歩近づいていくということを、やろうとしているわけです。

◇神の世界を上り下りできるような階段を作ろう

そのことは、きっと、今の世界の学問も、宗教も、それから、芸術の世界も、必ず、そういうものが問題になっているわけですね。そこを、しっかりと身に受けて、それを解消するということをしていくと、必ず良かったなというふうに思えるような時が来るんだというふうに思っているわけです。
メッシュを細かくして、上の端と下の端を橋として立てて「天橋立」にするというか。今は、倒れている橋を見ているのだけれども、それを浮かせ立てて、天橋立にするといいますか。国御柱、天御柱を浮かせて、立てて、神の世界を上り下りできるような柱、あるいは階段を作ろうということがあります。そういうことが、白川の修行の中に、全てあるわけです。その辺りを、修行していただいて、更に、掴んでいただくと、良い結果が得られるのではないかなと。
ですから、脳のことも、栄養のことも、1番我々が知っているというくらい、得手というか、傲慢になることもないんですけれども、そういう中身も、健康セミナーの中で提供できるようにやっています。そのところも含めて、また必要であれば、そういうものも、やっていただくということであれば、いいのかなと思いました。
ありがとうございました。