0389話:2018年03月30日

おはようございます。

◇五本の指を合わせて・・・

昨日の話のちょっと足りないところ、結合エネルギーのところを、我々はそれを霊の階層と呼んでいるんですね、五霊という言い方でしているんですけれど。そのところの説明がちょっと足りなかったからこれからお話しいたします。
「むすび」(産霊、結霊)というのは、おにぎりのおむすびと一緒ですね。ですから、ここの五本の(指を指して)、これが五霊というか、五霊が右左があって「むすび」ができるわけですけれども。むすびということの、日本の独特の文化というんですかね。手を結ぶということの語源にもあるようにですね、仲良くなるということですけれども。左右の手は、ある面では反対の方向ですね、右と左と。それが、やはり、五霊というかですね、
中指は生産霊(いくむすび)、
人差し指は足産霊(たるむすび)、
薬指は玉留産霊(たまつめむすび)と、
親指は高御産巣日(たかみむすび)、
小指は神産巣日(かみむすひ)ということに、
ちょうどなっているわけですね。
生産霊(いくむすび)、足産霊(たるむすび)、
玉留産霊(たまつめむすび)と、
高御産巣日(たかみむすび)、
神産巣日(かみむすひ)という、
五本の指の、そういうものが、両方にあるということで、それが、神を迎える時には、それを叩くわけですね。だから、ここ(手のひら)だけで叩くことはしないんですね。この指の全体を合わせるということで鳴っているわけですけれども。

◇色んな呼び方がされている

ですから階層的には霊と言っていますけれども、実はそれが色んな呼び方があって、これを一つにするということは、これは五霊をひとつにすると直霊(なおひ)と言うんですよ。直霊と直霊が、反対方向ですね、+−(プラスマイナス)か、正か負か、そういうものが合わさるというかですね。
合わさると、結ばれて新しい存在がまた始まるわけだからですね。それは、宇宙創造のはじめじゃないけどもですね。点・線・面と言うんですかね、三種の神器もそうですね。点の玉、水晶の玉があって、剣が線で、鏡が面という捉え方がありますけれども。
これは要するに創造の、造化三神のはじまりの姿を、あるいは表現している訳ですね。それが展開するときには、そういう渦、螺旋の動きをするわけですね。点・線・面で動くんですけれども。ある面では両方の+−(プラスマイナス)というものが、それが結合するということと同時に、離れるというかですね。
柏手にもあるように、二拍手、一回離れてまた打つというのが、これが布斗麻邇ということの、これは非常に省略していますけれども、二つを合わせるということが布斗麻邇ということにつながるんですけどね。
そういう創造の源からの、造化三神もそうですし、別天津神の五神もそうですけども、そういうものの働きを、具体的に結合するというエネルギー場を使っているという。

◇左旋と右旋、結合と分離が瞬時に

一方ではもちろんそれが全て白川、特に渦巻きとか、螺旋の動きになっていますけれども。ここのところでやるという、一種の作法もあるんですね。(作法を示して)要するに、みんな渦になっているという、人体も渦だけれども、特徴的には、指の指紋ですよね。これは全員が違うというふうに言うけれども。この渦と、流れるのと両方、流渦紋(りゅうかもん)というのと、渦紋(うずもん、かもん)と言うんですか、あるんですよね。これが、ちょうど、渦を、霊の直霊にしろ、五霊というものも、渦になっているんですね。
天鈿女命(あめのうずめ)ではないですけれど、そういう神の働きというかですね。ですから、我々が、(六種神拝作法を示しながら)これもですね、五魂も右旋と左旋をしますけれども、実は五霊、直霊というものも、実は、要するに右旋と左旋があるんですね。だから左旋の五霊と、右旋の五霊があって、それが結合と分離が、瞬時に行うっていうかですね、
そういうことをやっているんですね。
結合エネルギーというのは、一方では離反するエネルギーでもあるというかですね。そういうものとして、宇宙に存在している。
それは宇宙創造の時の流れからできているというのが白川の修行をもってすると、その中に入っていくことを感じられるというかですね。ですから、天津神、国津神も、右旋と左旋の巡りになっていて、鎮魂もそうだけども、実は五霊もそういう渦、右旋と左旋になっていて一貫しているんですね。

◇創造の方程式

その時に出てくる宇宙のエネルギー場のようなもの、あるいはエネルギーのベクトルや、そういうものが出てくる、それは位置関係で出てくるんでしょうけれどもですね。
それはちょうど、太陽系の惑星が平面に全て各黄金比で並んでいるのと同じように、それが正確にエネルギー場を形成して、乱れないというか、それも、実は回転と言うんですかね、ひとつの巡り巡ってできているというか。
もちろんそれも、一方的に巡っているというようなことでは、きっとエネルギーの法則が破れてしまうからですね、実は反対回りの、そういうものがこの宇宙にも太陽系にも負のエネルギー場があるっていうかですね、それはきっと創造の、そういう方程式みたいなものがあるんだろうと思うんですけどね。
そういうことも、階層の中に、神も結合エネルギー、五霊と言っているもの、それから五魂と言っている精神の世界も、五体といっている身体も、全てが前回言ったのは、体の中のアミノ酸の回転と糖質の回転が右旋と左旋になっているというようなことも言いましたけどもね。そういう肝心の物事を作り上げている源のところに、エネルギーの回転方法というものがあるんだと。
それが一貫してあるということが、この宇宙創造というものの、つなぐというんですかね、我々が、宇宙創造と、神とですね、魂というもの、その結果また感情が出てくるわけですけれど、そういう出てくる源ですよね。
精神と神とが結びつく元のところの、繋げている役割というものが霊といっているんですけれども。それも同じような、右旋左旋というんですかね、働きをもって、階層が上がり下がりできるようになっているんだと。そういうことが、ひとつの宇宙というものを掴むための、それがまた修行にもなっているんだということを言っているのですが、それがまだ曖昧な言い方、表現であるのは、修行と科学というかですね、論理と実証とがうまく噛み合っていないんだけれども。

◇実感で掴めるのが白川の良いところ

おおまかなところでは多分正しいんですよね。それを体の実感で掴むということですね。
私が言葉で言ったことも、実感で掴めるということが、この白川の良いところと言うんですかね、教えの良いところではないのかな、と思うんですね。
そのあたりも含めて、それをシステム的に学ぶんだというところがなければ、全然意味がないから、もう、そんなことも考えるのは止めた方がいいくらいですね、科学者がやればいいようなこともあるわけですけれど。それは必ず体感できるから、共にやりましょうね、ということのお誘いをしているわけですね。
その辺のことも、これからのひとつの課題としてありますけれども、必ず実感できるということであり、それは、まさに、宇宙創造から、宇宙の物質や生きているという精神現象も含めて、それが、一貫しているから、ということが言える、というかですね。一気通貫でそれが掴めるような内容でなければ、そんなものは科学でも宗教でもない、ということになります。
その中で、科学も、精神とか天とかですね、今は精神遺伝子なんてことも言い出していますけども、あるいは天とか、神話とか、精神とかの話ですね。そういうストーリーというものを、身に受けて、というかですね、そういうものから自分をみる、という見方ができてくると、ひとつの安心と楽しみが増えてくるというかですね。
もちろんその、天を仰いでいるだけ、ということではなくて、天の方から自分をみるというような見方もできるわけですね。そういうことによって一気に変わってくるというかですね。人間の性能と言うんですかね、全く変わるという、そういうことができるのが、一つの時代の能力開発でもある、というかですね、そこにつながっているんですね。
そういう見方ができるようになると、それは非常に大きな生き方が変わるからですね。当然、その霊と言っているものも、直霊と言っているもの、あるいは、五魂と言っているものも、しっかりと、そのあたりを実体的なものとして掴むことになると、非常に大きな広がりですね、宇宙と自己自身の広がりになっていくんじゃないのかな、ということを感じました。
そんなことで、ありがとうございました。