0390話:2018年03月31日

◇どの階層でも螺旋運動が起こっている

本日は、ありがとうございました。
このところ旋回とか、旋転とか、螺旋運動というんですかね、そんな話が多く出ています。神道では、曲・直円と言いますが、直角に動くのは、人工の動きで、円や螺旋の運動は自然のもっている動きといいますかね。もちろん物質でも、細かいものは円運動でも、合成されると色々な角度を持ってきます。自然でも、多面体などは人工的なのかもしれませんけれども。
自分の身の回りから宇宙創造まで、色々な変化を、それぞれの階層に並べますと、体とか、感情とか、魂とか、霊とか、神に至りまして、それぞれの働きを階層知ということになります。そして、その階層知を上り下りする時も、やはり螺旋と言いますか、回転運動をしていて、どの階層にしろ、物質レベルから創造意志レベルまで、きっとそのような螺旋運動が起こっているのではないかと。
最近、よく聞くメッセージ物質では、「身体の全ての病気の原因が、メッセージ物質による」ということで、NHKの番組でも7回くらい放送されていました。
我々の中で、魂、精神というものをど真ん中に置いて、神と繋がる、あるいは身体と心が分離しないように存在しているわけです。特に、霊と言っているものは、統合エネルギーであると同時に、一種の位置エネルギーみたいなものじゃないかと思うんです。旋回が、だんだんと下に来るか、下から上にだんだんと上がっていくか、あるいは、平面上に横にあるものが、こういう具合に1つの面で旋回をするというかですね。

◇旋回の動きで神の世界に入っていく

この白川の行は遠津御祖神が重要で、我々の遺伝子も二重螺旋構造になっていますよね。
そういうものが回っていると見てもいいわけです。精神遺伝子、体遺伝子の両方共、遠津御祖神から繋がってきたもので、その巡りと言ってもよいわけです。
ご修行で動きが起こると、必ず身体も旋回を起こしますし、旋転も出てくるわけです。まず、遠津御祖神の修行をはじめとして、必ずそれが入るわけです。そういう動きで、神の世界に入ってくるというか。
自然界もそうですが、我々は、地球の中心に向かって、ゴマすり運動をしている存在なんですね。赤ちゃんが寝ていると、だんだんと回転してくるんですね。特に、元気の良い子は、ベッドや布団の上を、ぐるぐると回るんですね(笑)結局、寝ても、自分自身が生きた遠津御祖神ですから、そういうことがあるんです。自然も、五行(木火土金水』も、風も、旋回、旋転をしているわけです。

◇川の蛇行も、血液の流れも

特に、水は、川が蛇行するところを見ていますと、川の1つの流れが、急に、早くなったりするわけです。川でのスポーツに、カナディアンカヌーとか色々とありますが、非常に難しい競技がありますが、海なんかでも、離岸流といって沖に一気に流される時は、波打ち際に来る時と引く時の流れが全然違うんですね。まあ、海辺に住んでいませんから、聞いた話になりますが(笑)。そういう水は、旋回、旋転運動が常時起こっているといいますか。なので、ご修行の中で旋回する時は、五行の中の水の行が起こるわけです。水の行、水の祭祀というのは、白川では一番の根本にあるんです。白川は、天皇陛下に差し上げる為の水を作っていたので。今度、我々が作った有機炭素が入った水は、天皇陛下に献上してもおかしくないくらいの良いものが、この下から湧いているんですが(笑)
さっきの蛇行の話に戻りますが、川が蛇行する時に、旋回をしながら水は渦を巻きますね。その一番の神の名前が、弥都波能売神、あるいは天宇受売命といいます。なので、我々も天宇受売命の働きで旋回運動が起こるということは、渦の目になるわけです。これは、古事記の神話の中にあるですが、最先端の科学としっかりと繋がるといいますか。この白川の行は、一見すると神秘的な行に見えますが、全然、神秘的ではないんです。最先端の科学とみても良いと思います。ですから、最初は、1億年以上前の生物の脳の動きをしますから、若干、不思議な動きに見えます。これは武道でいうと、名人の動きをしているわけです。
そういう脳の身体運動が、記録されていて、それが出てくるということです。
まさに、我々は、水で出来ていますよね。血液もそうですが、身体の中の70%は水で動いているわけです。動きがゆっくりの流れのものもあれば、早い流れのものもあると。
血液になると、心臓から19秒で末端の毛細血管に行って、20秒で戻ってくる。それは、光を超えているのではないかと言われる程の速さ、あるいは押し出す力の強さで、血液が全身を巡っているわけです。心臓は、それくらいのポテンシャルを持っていると言われています。
蛇行をしている時に、それが起こっているんですね。それは、右旋と左旋なんです。右旋から左旋になる時に止まって、反対の回転になるわけですね。それを交互にして、ドンドン高速になるんです。ですから、基本的にご修行の旋回運動は高速なんですね。体の中も高速だけれども、運動体としても高速な動きをします。もちろん、それぞれの人で筋肉の量や質や運動神経など条件は様々ですが。要するに、旋回、旋転が、高速で起こるということなんですね。ですから、私みたいに年を取ってからやるのは、きついところもありますけれども、実際、過去に90歳以上のお爺さん、お婆さんで、こういう修行をやっているんで大丈夫です。

◇旋回、旋転、螺旋運動が、一番基本にある

全てが、旋回、旋転で出来ていると。霊と言われているものの、白川では口伝と言って、教えたり書いたりしてはいないから、そういう書物は殆ど残っていないんですけれども、明治以降に、若干、メモのような、図のようなものが残っていたんですね。以前、先生から何枚か見せていただいたのですが、その中に、必ず、この渦の図がありますね。
これは、日本でも、縄文期の火焔土器とか、蕨手文(わらびでもん)というものに、そういう渦の模様が描いてあります。日本だけではなく、古墳の中に、同じ絵柄が随分と絵として描かれています。こう丸い円が交互に、こうなって飛んでいったりとか、特に日本の古墳群の中に、沢山残っています。たぶん、古墳とは、死者とか神を迎える場所でありますから、そういうものを感じたまま図に残しているものがあるんですけれども。
やはり、白川でも、明治の20年代に残されたものとか、昭和に残されたものの中には、何枚かはそういうものが残っています。要するに、旋回、旋転、螺旋運動というものが、一番基本にあるということですね。
白川のご修行というのは、必ずそれを最初にやります。これは皆様方が、だんだんと大きな動きをするようになると、高速運動するようになったら、広い場所にしてやらないと、ちょっと大変かもしれないですね。あと、これは夫婦でやる修行でもあるんですよ。今は、五人一組で、回りを囲んでやっていますけれども。その時には、今やっている方法から、若干変わる場合もあるかもしれませんね。そういうコースも作らないといけないかなということも考えております。
今年は、皆様の進歩に従って、色々と始めていかないといけなくなるとは思います。まさに全てのエネルギーと言うか、運動の法則と言うか、全てのものの中にある原理や法則のようなものは、きっと旋回、旋転、螺旋運動というものが、必ず基本にあるというふうに思います。

◇心もコロコロ、魂も回転している

ですから、階層でも、霊というものは、神と魂を繋ぐものと言っておりますが、こういう二次元平面の位相の動きと、階層にある旋回運動が、こういうふうになったり、また、こうなったりして上下を繋いでいると。それが、霊と言っているような結合エネルギー場だというふうに、今は分かります。
ですから、宇宙もそうですよね。銀河系の宇宙も、どっちが右か左か分かりませんけれども、天の川銀河も1周するのに2億2700万年とか、そんな時間の中で銀河系を回っていると言われています。そういう途轍もない時間をかけて、旋回しているわけです。ですから、全ての生命、それを生物、無生物というかわかりませんが、とてつもない凄い速さで旋回、旋転しているんだということです。
それを我々は、ご修行の中のことを情緒の階層として、情緒プロセッサという言い方をしますが、要は、心も色々なところを回り歩いているんですね。ですから同じように、自分の状態を書こうとすると、鬱になってしまうんですね。同じことを書いていけば、それはあり得ないからですね。心もコロコロと言いますか、回転して、魂というものも回転していると。
我々は第6種神拝作法で、その表現を作法でしているわけです。太陽系の惑星が動くような平面の中で動いているような、あるいはそれが右旋と左旋をするということも魂にもあるんです。神も、天津神、国津神は、左旋と右旋なんですね。
そういうふうに、全てが回転していて、しかも霊と言っているものは、そういうものをフラクタルにも繋いでいくと。その時に、その働きや感覚が分かってくるということを、五階層でやろうというのが、この行の現代的な意味なわけです。ですから、一見、体操のようでもあるし、舞踊のようでもあると。

◇循環して戻ってくる、命も旋回運動

今、外国の方が神楽を見に来るらいしのですが、広島なんかでは毎晩やっているところもあるそうです。実は、白川の修行でも、神楽の修行もあるんですよ。神と人との関係が、舞踊というか、演劇というか、ストーリーのある神話が演じられます。スーフィーのようなイスラムの廻舞教団みたいなものがトルコなんかにはありますが、グルグルと回って踊るものもあります。中国には、一日中、回転するという仙道もありますが、スポーツにも沢山あります。
また、よく高濱浩先生が言われていたのが、フィギュアスケートが、白川の行に一番近いと。フィギュアでも、昔は、こうやって回っていた人もいたんですよ。私の高校に、フィギュアの国際審判員の先生が、体操の先生でいらっしゃったんですね。それで、佐野兄弟という方が、世界で何位かになったんですね。それは、こういうふうに旋回、旋転して、ビックリさせたというのがあるんですけどね。たぶん、先生は大連におられたのでスケートをやられていたんでしょう。それで、フィギュアがご修行に一番近い動きだと言われたこともあったんですね。それは、要するに、旋回運動ということです。
二次元とか、三次元などの平面、平面でやるのではなくて、地球上の運動、あるいは太陽系の運動、銀河系の運動、星雲や大宇宙の運動というふうに、循環して戻っては来るんでしょうけれども。そういう離散と循環ということを、宇宙に当てはめても、そういう大きな動きも、旋回、旋転運動ということになる。
命というのは、そういう性質があるということです。そこを我々はやっちゃうと。体操、あるいはスポーツの場であるようにも見えて、そして神楽や舞踊のようでもあると。和楽という神との境地を、この身に受けて動くことが最高の喜びであるし、楽しみであるというところにいくことが、この生命というものの一番の良い形というか動きなのではないかと。それを皆様と共に、修行していく一つのトレーニングであると。今のご修行では、4人で、真ん中の1人を見守りながらやっていますが、僕のイメージでは、相撲の土俵みたいなものがあって、そこで共に転んでもケガしないように、盾になって差し上げたりするという形があるのではないかなと。

◇もちろん言葉も、風も木も回っている

もちろん、言葉も全て旋回して、巡っていくんです。そういうことを学ぶんですね。言葉も、こういうふうに回ったり(右回り)、こういうふうに回ったり(左回り)、こういうふうに回ったり(上、下、後、下)ですね。回す方法があるんです。
地球上でも、風の動きがなければ生きられていないんですよ。空気が動かなければ、命は無いんです。
実は、木も回っているんですよ。根っこは、回りませんが、見えないのでどうなっているか分かりませんので、実は、ゆっくりと回っているかもしれません。あと銀杏のように、何十万年前の氷河期を超えた植物は、上と下が同じ形になっているんですね。根っこと枝が同じ様に出来ているんですよ。鶴岡八幡宮で折れたものもそうで、下にも同じものがあるんです。
以前、東京のキャピタル東急でホテル暮らしをしていたから、日枝神社の木々を上から見ていると、風で木が回っているんです。ホテルニューオータニでも同じで、木が回っていたんですね。これが、ご修行のところと似ていて、木も旋回しているんだということに気付いたんですね。きっとこの旋回で、木は水や栄養を吸い上げたりしているんですね。葉っぱも、命を活発にする為に揺れるんだと思うんです。だから、祝殿の周りのお榊も、葉を剪定して、風通しをよくしたら、強くなってきたんです。
要するに、五行というのは、全て旋回していて、特に水は分かりやすいわけです。そのことを、今、このような恰好をして体感しているということなんです。土の行があったり、水の行があったりする。少なくとも、今のご修行というのは、まずは遠津御祖神様から、五行の自然の木火土金水を、風の修行をするわけです。

◇白川の理想の入口にようやく立った

ですから、私が「大学では、哲学とか宗教学をやりたい」と言ったら、母親から、「哲学と宗教をやるなら、学費は出さない」と言われたので、隠れてやっていたんですね(笑)。社会学かなんかをやる恰好をして、なるべく在学期間を伸ばして、大学の学部は5年間、大学院は8年間、やりたいことを研究していたんですね。要するに、絶対論理というか、つまり科学ですね。今でいうと、科学哲学、あるいは哲学を科学する、宗教を科学するというところに、どうしても関心がありましたから。
それ以前が、精神の時代だったから、特に戦後は、科学の時代、あるいはエコノミーというか、経済の時代になったことで、それをやらざるを得ないわけです。だから、白川を絶対科学というか、もちろん全部、科学に置き換えることも出来ないでしょうけれども・・・言語学でもない、物理学でもない、統合科学として、この白川も、鎮魂も、言霊も、お知らせする役目だと思ってやらせていただいているわけです。そういう面から見ると、白川の理想の入口に、ようやく立ったと言いますか、そういうことの研究開発がようやく出来るようになってきたかなと思っております。
沢山の学者や先生方から協力を得て、そういうことがやれて来たということは、本当に幸運だったと思います。これから益々、神というものを掴むというか、食べるというか、私の先生達が言われたことですけれども。そういう意味で、神人一如、神我一如というところに向けて、我々も心地よさを味わっていただきたいと。

◇楽しいことをやる修行と知っていただきたい

少なくとも、百何十年か二百年近くの白川の歴史の中で、見させていただくと、そういう心地よさが一番のことでした。
歴代天皇の123代のご皇霊をお祀りしておりますけれども、それ程に続くということは、神のことが、ただ苦しいということだったら、ここまで続かないと思うんですね。そこに、喜びとか楽しみとか、そういうものがあって、公ということも、そうなんですね。
公ということが、楽しくてしょうがない、ということになるのが白川のご修行の教えなんですね。ですから、もちろん身体の快と不快というところを超えた、「憶」というもの、それは生命そのものになるという喜びのところもあれば、情緒的には、本当に、豊かな気持ちになるというところで「真」とか、あるいは神というものを迎えた時、それが公の働きということにもなりますけれども、そういうことの楽しみということをやる修行であるということを、皆様方には知っていただきたいと。
そのところを更に、進めていっていただけば幸いかなと思っております。初めての方で、何も動きというかお働きが出なかったという方もいらっしゃるかと思いますが、その内に楽しい修行が出てきますから(笑)楽しみにして、焦らずにやっていただきたいです。
ありがとうございました。