0391話:2018年04月03日

おはようございます。
桜も満開になり、もう散り始めております。
「年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず(唐詩選)」そうでありますが、もう一ヶ月経ってしまいました。

◇なぜ、マンダラなのか

昨日の話でもお伝えしましたが、今、我々の心、あるいは進化というのが、スパイラルで、どんどん進んでいるということが、非常に感じられます。戻っているところも、スパイラルですから、同じように見えますけれども、平面ではなく、立体になっていて、上がったり下がったりしているんだと思うんです。
また、今回、そういう意味では、マンダラということを、いよいよ経営の表現方法として、扱うということをお伝えしました。
なんで、マンダラなのかということを、今回は、少しお話すれば、良いのかなと感じたんです。先月も、マンダラが、また戻って来るという意味のお話をしたんですが。マンダラとは、システムだということなんですね。そのシステムは、1000年前に、空海さんから、密教という形で、日本にもたらしてくれたものです。これは、中国の恵果和尚から、空海が正統に受け継いだものです。
元々、空海さんのお母さんは、神道の方で、空海の留学のために、稲荷山の木を切って、砂金に変えて、それを持たせて下さったと言われています。そして、2年間で空海は、カリキュラムを終了して、日本に密教とマンダラをもたらしたということになっております。
また、仏教は、元々、日本では学問という形で、何回も海を渡って、もたらされるわけです。禅もそうですが、日本に入ってきて、確固たる無への哲学をもたらしてくださいました。また、そういう意味では、真言宗も、日蓮宗も、あるいは、浄土真宗の親鸞さんもそうですが、アジアと中国と日本で交流することによってというか、それが日本で、1つの完成をみていくというかですね。それは、奈良時代から、そうだと思うんですね。
要するに、仏教も1つの学問であったということです。日本が、明治以降も、西洋の学問を取り入れ、純粋に学んで、高度化して、それをものにしていきましたが。日本が、そういう海外の文化、あるいは学問を取り入れていく方法、あるいは、取り入れる能力というのは、何千年の間に培ったもので、その能力がどんどん進化したのではないかと思うんです。

◇1000年前にもたらされたシステム哲学

1000年前にもたらされた方法というのは、今の学問的な言い方でいえば、システム哲学といえると思うんですがね。これは、コンピュータを展開させるための1つの主なる機能と構造を持っているもので、1000年前のシステムが、マンダラとしてもたらしてくださった空海さんの真言宗であったと。
そして、20年くらい前に、このマンダラをビジネスに使う研究を始めて、これが、現代でも役立つということを、コンピュータ上で表現するということをさせていただきました。
そして、それが出来たことを記念して、仏教の始まりの地である、ネパールに、ギアナ・マンダラ・ビハーラ(知識山曼荼羅寺)を寄贈したんです。また、イランで、金剛界曼荼羅、胎蔵曼荼羅の両界曼荼羅を、6年間かけて、絨毯で織らせていただきました。
なので、今でも、年に1回、後七日御修行法というものをやっています。これは、白川が、元旦の7日間祭祀をやって、その後の7日間行うものです。元々は、宮中真言院というところで、天皇陛下の玉体の安寧、それから社会の平穏のために行われていたわけです。
そのために、両界曼荼羅と五大明王というものを作りまして、今、祝殿で、そのことを、正月に行っています。
そういう意味で、白川と真言宗は、ある面では、関わりが深いです。また、そのことが、「天皇祭祀を司っていた伯家神道」という本の中に、非常に詳しく船井幸雄さんが紹介して下さっています。白川と真言宗というのが、近い関係にあって、真言というのは、言霊ということでもあるし、システムにも、白川のものと近いものがあると。

◇白川の第四種神拝作法

例えば、白川の第四種神拝作法というものは、1つのマンダラといいますか、河図洛書(かとらくしょ)の形式は、中国も、仏教も、神道も、同じ方法を取っているんですね。
これは、数学的にいうと、魔法陣といいます。例えば、一番最小の魔法陣が、1と9、2と8、3と7、6と4で、全て相対する所を足すと、15なんですね。そういう魔法陣という数学の
陣形の形があるんです。これの1番簡単な方法が、15を作る魔法陣というのがあって、
それが、白川でも、毎日やっている第四種神拝作法であると。

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・15を作る魔法陣
492
357
816
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これは、八方位、真ん中を入れて九方位といいますか、それに拍手を打つ時の魔法陣であるし、それがマンダラに繋がっているということですね。胎蔵曼荼羅も金剛界曼荼羅も、マンダラの中心は、八方位の魔法陣になっているわけです。
また、金剛界曼荼羅の金剛とは、ダイヤモンドという意味で、1番硬くて壊れないというという意味表現なんです。そういうものを、立体にしたり、平面にしたりするということを、自在にしていくわけです。
それは、白川でも、真言でも、中国の河図洛書でも、あるいは、そこに、数も入っているという意味では、一二三(ひふみ)でもあると。そういう数と記号と言葉と形などの全てが
含まれているものが、マンダラということであります。

◇マンダラの語源は斑(まだら)

そして、マンダラの元々の語源は、見た目が、斑(まだら)に出てきているところから来ているといわれています。これは、神道でいうと、天津祝詞の中に、「天(あめ)の斑駒(ふちこま)の耳振立て(みみふりたてて)聞食せと(きこしめせと)まおす」というふうに書いてあります。それは、まさに、天の斑駒というのは、ブチですね。猫でも、2つの毛の色を持った、まだら模様の猫を、斑猫(ぶちねこ)といいますよね。そのブチというのは、縁(ふち)という意味であり、斑(まだら)という意味でもあると。
小笠原先生も、繋がりが非常に深いということをよくおっしゃっておりました。そういうマンダラというものは、ある面では、1枚の中に、全ての仏の絵とその記号と言語があって、また、1音1音が、仏様の印で表現されているわけです。元々、当時のマンダラというものは、宗教として、宇宙を悟るために書かれたものでした。ですから、悟りに至るための入り口であり、また、最終形に行くため法を学ぶためのものでもあったわけです。
そして、今、我々は、このマンダラをビジネスという形で、世界のどの業態業種の中でも、使えるということをやっていると。それは、階層性の中で、全てアナロジーになっているので、使えるということになるわけです。なので、今、情緒プロセッサ(メンタルプロセッサ)も作っていますが、それも1つの運行のある情の世界なので、マンダラに作ることをしているわけです。もちろん、ビジネスは、もっと精緻に、様々な構造と機能があるわけですが、そのところを、1枚の平面図で理解するわけです。もちろん、最近のコンピュータは、非常に進化したので、1枚に入るようになりましたが。我々が、パソコンを始めた頃は、それが入らなかったわけです。当時は、64文字くらいしか入らなかったので、1つのマンダラに書いた平面の中で、全ての運行、構造と機能を出したり、表現するということは難しい問題でした。それが、今の時代には、ディスプレイなどの発達もあって、表現できるようになってきたと。

◇一目で見ることが出来る

マンダラのように、一目で見ることが出来ることが、脳の中で、全てを知るという意味では、大切な要件になります。それは、鳥観する、鳥の目線で、地上を見るような見方になります。つまり、そういう見方をすることが可能になったものが、マンダラということになります。
しかも、それが、ビジネスにおける様々な業務だけでなく、経営そのものも、マンダラで書けるように、見れるようになったということは、大きな時代の進化といえるのではないかと思っております。そういう中で、ビジネスの動きというものも、マンダラに落とし込む際、1つの人間の意識や思考、あるいは、概念、あるいは、行動というものが、意味論的に記述されるわけです。そして、それが図になっているというところが、大切なことになります。
ですから、ビジネスのマンダラのどこ部分を学ぶかということを、今日の午後から行うわけです。これから、マンダラの八方位の枠を、更に、展開していくわけですが。そうすると、様々な意味や構造と機能が出てきて、その辺の概念化がしっかりと出来ていくわけです。また、その概念の中で、自分が、ビジネスとして、仕事として、どの位置をやっているかを自覚ができると、全体の中での働きというか、やるべきことが、はっきりと分かってくるというメリットが出てきます。
今、七沢研究所では、100人近くの方々がお仕事をされていますが、皆さん、それぞれに違う仕事をされていると思います。それらが、1つの平面上の中で、それぞれに等価といいますか、平等に、割り振られていて、あるいは、その数も、向かい合った箇所が均衡するというのが、マンダラの特徴といえます。

◇ビジネスも大きな巡り

あとは、それが、如何にして運行が出来るかということです。昔の哲学では、「万物は流転する」という話もありましたが。そこには、右旋、左旋、あるいは、旋転、バク転と色々とあって、宇宙も人間も社会も、それら全てが、巡っているわけです。
必ず、「全ては、転回するんだ、巡っているんだ」ということを、基準にして観ると、「ビジネスも、非常に、大きな巡り」だといえるわけです。
もちろん、知識そのものが、超古代からの大きな巡りともいえます。それは、沢山の概念と知識が増えていって、それ自体が、螺旋状に巡っているわけであります。そういう中で、ある部分をカットしても、平面の中で、巡っているという項目が、沢山あるわけです。ビジネスも、大きく見ると、五行での巡りもあれば、父韻の巡りもあれば、父韻と母音が合わさった子音の巡りもあると。そして、これは空海さんが選んだから、そうなったのかもしれませんけれども、全ての父韻の位置と母音の位置が、それぞれ仏様の名前として記入されて、それが絵の中にいきているわけですね。そのことは、まさに、修行のマンダラも、父韻と母音と子音という言霊というものを、表現したものであると。まさに、それが子音であるという意味ですね。そういうところに繋がっていますから、言葉が巡っているんだと。
話が戻りますけれども、経営も、まず、研究、そして、開発から製造、そして、販売いうものが巡っているわけです。それも、販売から製造、そして、開発から研究というふうに、左旋と右旋の両方が上手く巡っていくと。方位でもそうですが、8に分類したものから展開していくと、相対するところが、北と南、東と西、東北と南西のような関係は、全て同じ数値になっていて、ある種、ゼロ磁場を形成していると。
そして、仕事が起こると、回転するということが、自在に起こるというのが、本来のマンダラの役割といえます。そういうふうに、マンダラの構造と機能的な捉え方で観ることが出来るというのが、マンダラの活用方法であると。それが、回転しているんだと、旋回しているんだと。経営というもの、ビジネスというものでは、それが瞬間瞬間に動いているので、その位置にピッタリと合って、その瞬間に、その仕事が成立するというんですかね。それは、今の時代の中で、マンダラを使うということの意味が、だんだんと精緻になっていたったということですかね。

◇中今で仕事もできるという法則性

魔法陣の中には、400とか500種類の数を使って、縦横斜めが全て同じ数値になるような魔法陣を作る方法もあります。そういうものは、数学的に精緻で、メッシュが細かいものになります。そういう意味で、脳の中のシナプスが、マンダラ状になっている、あるいは、脳の構造や機能も、五階層で出来ているのではないかと思うんです。
また、脳の1000億というシナプスの連携でもって、概念や意識や思考をするということをしているわけでありますから。そういうものを考えますと、今、我々が、ビジネスもマンダラにする。
そして、脳の働き方とビジネスというものを、あるいは、今、我々が、「天」と言っているものや、「地」と言っているもの、そして、「自然」なども含めて、同時共時に、瞬間瞬間に中今という場所にあって、仕事も思考もできるという法則性を、これからの進化の中では、学んでいかなければいけないのではないかと思うんですね。
こういう言葉で、色々と言っておりますが、これは、ある面で、時間がかかるわけです。そういうものを、洗脳ということではなくて、瞬時に、それぞれが意念を通じ合っていくというところに来ることが、きっと、これからの人類の進化になろうかと思うんです。
そういうことを目指していく中で、前提になるような学びを、今、ビジネスというところから起こしていこうということであります。

◇このマンダラもひとつの事業開発

これも、1つの事業開発、事業設計であると思うんですね。そして、これらの事業そのものが、世界に提供する中身になると。そういうものの全体像と、人間というものの性能の全体像を表記する方法としてのマンダラというものを通じて、1つの事業化が可能なんだということを言いたいわけです。そういう一石何鳥という話ばかりするので、はしたない限りでございますけれども・・・。
そのことが、このグループの大らかなというか、自信のあるというか、余裕のある生き方に繋がればいいなと。見た目だけはなく、気持ちの良い人間関係、あるいは、提案する時の気持ちとして、心地よいものとして、このビジネスも展開できるのではないかということです。単なる資本主義的な意味で、儲けるという境地も、それはそれで楽しいことではありますが・・・。

◇喜びある命の使い方

人間関係のコミュニケーションプラットフォームの中で、1番喜びを持って、人と向かい合える、自然と向かい合える、あるいは、神と向かい合えるような、そういう社会が大事なところになろうかと思います。そんなところが、今回の大きな全体像ではないのかなと思っております。
これから、学ぶべきところ、あるいは、開発すべきところは、そういう意味の広がりというんですかね。絶えず、そういう階層性と位相の1つのマトリックスであるということを自覚して、自己自身と世界と宇宙を自分の中で、あるいは、コミュニケーションする存在の中で、広げていくということが、人としての非常に大事な生き様というか、命の使い方なのではないかなと、つくづく思っております。
今後、皆様方が、共に、その辺りを、一緒にやっていただけることが、よきかなと。もちろん、そういう中で、芸術も、ど真ん中において、美しく平安清明な気持ちでやっていくということが、それを獲得していくということが大切なことなのではないかなということを、今日は、感じさせていただきました。また、お話させていただければと思います。
今日は、ありがとうございました