0393話:2018年04月04日

◇天と地を繋ぐ階段(きざはし)

まず、柱にも、色んな語源があります。例えば、柱の「はし」には、端、端っこという意味もあれば、箸、愛(はし)、陸と陸を繋ぐ橋など色々な同音異義語がありますね。あと、日本の丹後風土記などの神話では、天橋立という話が出ていきます。
元々は、伊邪那岐大神が、天を創る、地を創るという宇宙創造するわけですが、その時に、天と地を繋ぐ、柱を立てて、階段(きざはし)として上り下りをしていたということなんです。そして、その柱が倒れて、天橋立になったという神話ですね。
それでもって、天と地を立て直すというか、そういう意味もあるんですかね。逆さまに、覗いたりすることもあるんですけれども。あれは、逆さまにするということは、地が天になるということなんです。神になるということの名残ですね。
人が神になるということは、実は、逆さまになるということなんです。頭髪が根っこになって、植物になるというか、そういう存在になって、そして、木が柱になっていくと。なので、真木柱、宮柱(太敷きたて)とか国中之柱、天之御柱とありますし、神様のことも、人を数える時も一柱、二柱と呼ぶわけです。

◇「木偶の坊になりたい」

その木の棒みたいなものかもしれません。幹があって、枝があって、そういうものを仏教で、宮沢賢治なんかは、「雨ニモマケズ」という詩の中で、木偶の坊でいいんだと言っていますね。木偶の坊が、いわゆる、修行をしている姿というか、人のために、どこにでも行くと。もしも、水害とか災害があったら、オロオロしているような状態でも、私は、木偶の坊になりたいと言っていますけどね。

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「雨ニモマケズ」
宮澤賢治

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ
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彼は、日本の明治以降の仏教の中心的な団体の1つでもあった、国柱会という日蓮宗の秘教団体に入信していたんですが。要するに、雨にも負けずということの内容は、菩薩行のことですね。本当に、菩薩行をしている人を見ると、頭が下がります。ただただ、人のために生きるということを、意志をもってされるわけです。
我々は、必ずしも、菩薩行だけをやるわけにはいかないので、そういう人たちを、少しでも助けられればということでやっているわけです。青木紀代美さんなんかは、典型的な菩薩行者で、『食に添う人に添う』という本にその内容が、いかんなく発揮されているわけですが。生きるということの中で、その柱になっている、あるいは、皆の棒でも杖でもどう呼んでもいいですが。

◇マンダラの中の仏達にそれぞれの働きがある

昨日の話でいうと、胎蔵界曼荼羅、金剛界曼荼羅の両界曼荼羅の中に、菩薩、あるいは、明王など、各仏様が沢山いるわけです。宇宙全体が1つの盧遮那仏だといって、東大寺にあるような大仏の存在とする捉え方もありますが。
多仏教、多神教ではないですが、一神教と多神教の違いと同じ様に、そういう宗派によって、阿弥陀如来とか、盧遮那仏とか、一つに決めてやると分かりやすいものもあります。そういうことでの学びや修行の仕方もあると思います。
要するに、マンダラの中に描かれている全ての仏達というのは、ある面で、多神教的、多仏教的で、全ての仏達にそれぞれの働きがあって、宇宙が運行されているんだという捉え方もできるんじゃないかなと。
その中で、一人ひとり、一つひとつが、柱になって、それぞれの働きの違いはあっても、その働きを全うすると意味も関係性も出てくると。中には、曲がった梁もありますが、だいたいは、真っ直ぐにして、家々を建てたりします。そういう柱の特徴みたいなものがあります。なので、マンダラの隅っこにいる仏様でも、真ん中にいる大日如来でも、天橋立を立てる1つの役割をするということは、あろうかと思います。

◇4本の柱を立てる

今度、6月に、諏訪の鎮魂ツアーがあって、諏訪大社に参拝予定ですね。そこでは、7年に1度、御柱祭というものがあって、大社の4本の柱を立てる式典が行われていて、ちょうど、一昨年行われたそうです。たぶん、あれは、縄文期の三内丸山遺跡とかでも、大きな柱が立っていますよね。それが、物見(ものみ)の塔とか色んな考え方がありますが、たぶん大きな屋根のための柱であるわけです。
その中で、どういうふうに生きようかということを、みんなで議論したりするという場所が、現代風にいうと、公会堂などの施設ですね。公は、大屋家、すなわち大きな屋根の家と書くんですね。きっと、そこの柱になるものの四本が象徴されて、祀られることになったのではないかなと。
出雲でも、48mくらいですか、今でいう神殿がのるための階段があって、柱が立っていたんですね。たしか、大林建設が作ったのか、模型がありますね。実際に、建てようということになって、松江に建てるとか色んな案があって、相談を受けたこともあったんですが、なかなか決まっていませんね。
私も、若い頃に、まだ出雲の伽藍が掘り出される前に、夢の中で見たことあるんです。凄い柱が、いっぱい立っていたんですね。きっと、神に至る階段があったんですね。
そういう四方の4本を祀るのが、諏訪大社の御柱祭というものがあるんです。岡本太郎も、その柱を運ぶ時に、「それに乗せてくれ」と言ったら、「途中で川とかに落ちて、死んでもいいですか」ということを言われたことが書いてありますけれどね。そういう非常に長くて重い柱を、山から落としていって、その木を柱にして建てるんです。

◇公を生きるという柱を立てて・・・

そういうものも、結局、公のところに、繋がると。社会学者である、鶴見和子さんなんかは、夕焼け小焼けになぞらえて、公、小屋家(こやけ)と揶揄されていたこともありました。公という意味の大きな柱を立てて、それを象徴したのではないかと思うんですね。ですから、祝殿にも、鉄筋の柱が入って、ここだと60人70人で、いっぱいになってしますが。昔は、みんなが集まって、大きな屋根を支える柱を作ることで、公を生きるということを表現していたのではないかと。
その生き方というものを、この柱ということで、その働きも仏様が、それぞれ違いのある働きをされるように、我々も一人ひとりが神として、あるいは、その神の働きとして、仕事をしていくと。しっかりと、その意志を立てて、それが家の目標であったり、会社や組織の目的になったりすると。
そして、今度は、国が八紘一宇という、宇宙全体、地球全体が、棲家である、家であるという表現があるように、そういうことも一緒に掴もうとしたのではないのかなということを感じます。
ありがとうございました。