0394話:2018年04月05日

おはようございます。

◇宗教の囚われを身をもって解決する

今日、感じたことですが、我々が何をしているのかなということに、いつも立ち戻らないといけない。何かをする時、特に文明などという大きなテーマを、もう一度、見直すという途轍もないことをする場合は原点に立ち戻らないといけない。もちろん、それをやろうという意志を持っている皆さん方であることは充分に承知しています。文明転換、パラダイムシフトですね。
私も、50年くらい、パラダイムシフトが起こるということを、ずっと予言というか、そのことが起こるということを、ずっと言い続けてきたんです。その1番弊害の部分というのは、人間が囚われていた宗教ですね。そういう一神教、あるいは、昨日の話の続きでいうと、一仏教ですかね。
要するに、人が囚われから解決されて自由になれない。自由、博愛、平等は久しく表明されているというか、掛け声はあるんですが、それが実行出来ないできた歴史が、3000年、あるいは、6000年という長い期間あったと思うんです。そういうものの1番の問題点を、身をもって解決していかないといけないと。
我々は、今、概念とか意識とか思考とか実践を通して、そのことを具体的なこと、単なる哲学や、まさに、概念だけではなくて、概念装置、意識装置、思考装置、あるいは言語装置ですね。それから、実践装置というようなものまで、技術的なものとして作り出そうとしているわけです。そして、そのためには、既存の科学が必要になります。

◇祭祀を実証しないと意味がない

例えば、我々が、やっている祭祀とか、お祓いやご修行も、宗教的なところも含めて、私は実験祭祀学と呼んでいて、これから出来るであろう学問を前提にしているというか、そういう表明をしているんですが。
祭祀というものを、明確に、精神(魂)、心(情緒)に、あるいは、特に、神というものを掴んだということを、先生たちは、「神を食うてみよ」というふうに言われたわけですから、そういう体感としてあるというところまで、落とし込めるような実証体験にならないと意味がないわけです。
もちろん、ある面では、鎮魂は、これは禅というものが1番大きな世界的遺産であるし、今も働いているわけです。もちろん、マンダラというものも、システムの遺産だといっているんです。
我々は、それを鎮魂(六種鎮魂)としておりますが、1つの実験というかですね。そして、実験ということは、必ず繰り返し同じことができるという意味の再現性があるということであります。それを、我々は、デジタルメディテーションという言い方をして、それを証明しようというところを作り込んでいるところです。我々の3つのスローガン、掛け声の中の「白川(祓い)と鎮魂と言霊」ということの中身でもあるわけです。もちろん、言霊は、布斗麻邇という概念ですが。それを、概念装置化して、それが、意識装置、思考装置、具体的なものを創り出す装置として開発しているところになるわけです。
そういった場合、文明転換のどの所が1番の問題であって、そこをどの様に、超えていくかというところを、具体的にはっきりと明示しないといけないということが、当然、出てくるわけです。
科学の中で言うと、問題点のあるものは、1つの装置として、開発することによって、そのことで解決が出来るということを表明しなければならないのであり、その証明をすべきなんですね。それを、実験的な証明をしないといけないというところが、当然、あるわけです。そうでなければ、何の意味もないと。
その中に、例えば、反重力とか、物を生み出すという創造のレベルや、原子転換もそうですが、出てくる。どのようにしたらそれらの問題にコミットできるのか。概念と装置で、それをくっつけて、あるいは、意識と装置をくっつける、あるいは、思考と装置、それから、具体的な物を作り出すという創造するということの概念と装置ですね、こういうことで、しつこく、実証レベルで、装置化を図るということを、やらせていただいているんですね。
それは、色んな数学や物理学や、あらゆる世界の文明を越えようというか、文明を新しく考えようというような方々に、そういう装置を提示して、「これで良いですか、悪いですか」、あるいは、「さらにどうしたら良いですか」ということを問うて、少なくとも、そうさせていただくことになると思うんです。
ですから、我々は、途轍もない、ドン・キホーテかも知れないところを堂々とやるということになるんですけれども・・・。

◇白川の大祓が出せる時が来た

それが、今まで、このテーマが3つとも現れなかったというか。日本の中でも、忘れ去られていたものが、戦後に、自由に開放されるということになってきましたから、そういうものを集めて、問うてみるということをしているわけです。
大祓も、戦国時代には、ほとんど消えかかっていたようなところもあったんです。戦国時代とは、本格的に公家から武家に文化も政権も移っていく騒乱の時ですよね。その時には、既に、白川の大祓というものは、忘れ去られていますから、仏教と神道の両方でもって、公家のところに、「さあ、公家の大祓を出せ」ということを、迫られたわけですね。また、白川も、明治の初年に、「そういうものを出せ」ということを、言われたわけですね。ところが、高濱清七郎先生は、追われていて、ようやく、東京に戻ってきたところで、明治天皇が、三条実美に高濱清七郎を呼べと言ったのに、「もう、高濱清七郎は亡くなっている」と言って、呼ばなかったんですね。そのことによって、白川の大祓を出すことも出来なかったんですね。
そして、その名残が、松本市にある、四柱神社ですね。先日、四柱神社の神主さんから、神社の由来や、何を伝えようとしたのかなどを伺いましたが、全然、分からなくなっていたという話でした。そういうふうに、その時に、必要な時に出なかったと。出そうとすると、それは潰されたというのが、歴史ですね。織田信長も、神道の大祓の家だったから、それを出そうとしたんですが、出来ませんでした。天皇に、お祓いをやる場所をお作りしたんですが、利用されませんでした。それが、戦後70年経って、白川の大祓というものが、出せる時が来たと。

◇理論も、製作も、実証も

そういうことを通じて、事止めしめてということの真実を現して、人間が、罪、咎、祟の呪詛で思考するということを止めてしまう。それは、鎮魂でもあるわけですが。鎮魂と祓いというものが、1つのセットになって、祓いの言葉も実現するということを、やろうということになっているわけです。そういうものを、実験的な臨床として、実現できるか、どうかということが問われていると。
また、それを装置化して、技術として、それを更に、「かく出来ます!」ということを表明できると更に良い。再現性のあるものとして、表明できるようにすることを、させていただいているわけです。これらは、これから、更に、進化させていただかないといけないと。
例えば、今の科学の中で、反重力というものも、本来、白川のご修行では、ごく当たり前の概念であるし、やっていたことであります。そういうものを、具体的な祭祀の中で、実験していくということも、早くコースに入れないといけない。そういう中で、全てが渦だという話もあるわけです。
昨日の母屋で、何故、飛行機が飛ぶのかという法則が分からなくても、既に、飛行機は飛んでいるというような話が出ていましたが、まさに、一方では、理論も立てながら、概念も立てながら、実際に行っていくと。
例えば、白川の反重力のところも、機械化していくときに、今度は、メビウスからタキオンという概念の機械に移り変わろうとしているんですが、「概念やよし、言葉やよし」ということもあるんですが。
それが、いよいよ、技術レベルで、納得できる、具体的に製作出来るものにならないと、世界に、「これが文明転換の根拠です」と、新しい文明転換をもたらすものであるということを、実証しなければいけないというところがあるというわけですね。そんな中身を、我々が、いっぺんにやろうと、あるいは、やっていること自体が、荒唐無稽なことであるから、皆さん、今までは、疎んじているというか。まあ、今は、軽視して、疎んじていただいて、そのうちに、頭を下げてくるというふうな段階があろうかと思います。

◇「システム化を図る」という方法

少なくとも、そういうものが、みんなで出来るような形で、研究というものがあるということは、それは、これからの研究ということで、何をどう研究したらいいかという、その概念も作らないといけないというところが、非常に、ややこしいところでもあるわけですが。
幾重にも進化して、科学というものになるには、しっかりしたプロセスが必要ということですね。
その辺りを、今の哲学を科学する、あるいは、宗教を科学する際に、移行するところで、1つの思考体系というものを、いよいよ明確にして、こういう形でやりますということまでも言わないといけないし、その実験の中身を出さないといけないと。今、そういう意味で、ビジネスの1つの部分を、Tさんを中心として、マンダラでもって出来るということをやっていただいています。これも、1つのビジネスのシステム化ですね。
ビジネス、経営というシステムを、明確に、誰がやってもそうなるという形のものまで、落とし込んでいくということを、我々の一人ひとりが、マンダラの中に描く1つの概念を記述する、あるいは、それを「こうです」ということを言っていただくことが、1つの実験でもあるし、その証明でもあると。
そういうシステム化を図るということが、現代における方法ですね。それが、1番道具としてのコンピュータやITというものを、あるいは、哲学としては、システム哲学というものを使って、そういうことをさせていただいているということでもあるわけです。

◇新しい文明転換に寄与する心意気

ですから、様々な分野で、我々がやらせていただいていることは、白川でも実験祭祀学という形で、それを証明していく。元々、それは、白川の歴史がそうなんですね。決して、誰かの思想に囚われて、それを運用したことなんか、一度も無いんですね。色んな神道の、表現の仕方は利用させていただきましたけれども・・・。
そういう意味では、初めての実験なので、そういう実験に、ある面では、選ばれて、我々が、この時代にこれをさせていただくということです。そのことを、いつも思うのは、力が足りないということです。
本当に、世界から、優秀な頭脳と心意気というか、文明転換の意志を持った方々が集まっていただいて、もちろん、これからも現れてこられるでしょうが、その1番大事な部分を、つくり出すというか。少なくとも、今までの情緒の概念とか、直感とか、そういうものによって、人類の知識、あるいは、発明もそうですがもたらされたものを、今の時代にもう一度、はっきりとそれを確定して、そして、生み出す源をしっかりと押さえさせていただくと。それが、創造の源ということの意味であるわけです。それを、創造の意志というところにあって、そこから、表明されてくるものを、これからの人類の文明転換の大きな原動力にしていくと。
また、そのための色や音や知識、そういうものが、これから、ますます皆さんの中から、出てくるということが起きます。そして、それを表すということが、1つの大きな我々のやるべきことなのではないのかなということを感じているわけです。
今日は、みな様方、全国から集っていただいて、我々がやろうとしていることが、あんまりにも多方面というか、八方に広がっていて出すぎていて、離散している姿があるわけですが。そういう中で、しっかりともう一度、自分の意識の中に循環し直して、それでまた、発信するというか、そういう創造の意志の発信の場所、そういうものが、きっと人類の新しく文明転換に、寄与するということになるのではないかと思いまして。
今日は、ちょっと大きく出て、口幅ったいとこともありますが(笑)少なくとも、それを共にやっていただくんだということを、ぜひ、頭に入れていただければ、有り難いかなということを感じました。
ありがとうございました。