0396話:2018年04月06日

おはようございます。
何か質問はありますか?

●Oさん
大祓をやり始めた頃は、次に何を言うのか、うろ覚えなので思い出しながらずっと言っていたんですけれど、その頃はそれに集中していたので、むしろ逆に雑念が湧かないというか、それに一生懸命で、すぅって入っているような状態がありました。それで完全に覚えちゃうと空でどんどんどんどん出てくるじゃないですか。すると今度、すらすらは出てくるんだけれど、意識に余裕が出てきて色々な仕事のこととか考えるようになって、その中で色々なアイデアも降りてきたりするんだけれども、それではまずいのかなと思いだしてある時期から、自分の中から出てくる大祓をしっかりと聞くような段階があります。
今は、それをやっているうちに、受け身でいいのかなとか思うようになって、色々と工夫はしているんですけれども。そのバランスというんですかね。無意識から大祓がどんどん出てくる、それを聞いているっていう。ただ、ちゃんと聞かないと雑念が湧いてくるんですよね。今は、そういう段階なんですけれど。
そういう、大祓をあげるときの意識のバランスというか、その辺で何かご示唆がありましたらお聞きしたいと思います。

【七沢代表】

◇大祓をあげる目的が明確であれば

難しいですけれどね。大祓は宣命からきたものですね。神からもたらされた神示からきたものというか、それを天皇が百官、宮中の宮仕えの百官に対して述べ伝えられたという、いわゆる宣命ですよね。宣命ということは、要するに逆さに読むと「祈り」ということですけれどね。慣れてくると口祝詞というんですけれどね。口でただ言っているけれど、頭の中はいろんなことを考えたり、あるいは感じたりしながらですね。
もちろんそういう神示を受けるときの過程も、大祓の中にあるんですけれどね。それはそれぞれの対応があるわけですが、国の方針を聞くことも主に白川が司っていたのですが、国家公用の時に必要な、いわゆる高等神示として聞く時に大祓をあげるということもあるんですけれども。我々は、普段はそこまでしないですね。もちろん、組織が聞きたいことも出てくるかもしれませんけれど。その方法、儀礼もあるということですけれども。
基本的に大祓をあげるということの大きな目的というものが明確になっていれば、少々ですね、雑念が湧いてもいいと思うんですけれど。多分、そういう大祓はなぜあげるのか、というところが抜けちゃうというか。

◇大祓とは何か

ですから、まず大祓とは何かということ、要するに、日本の一番古い文学でもあるんですね。古事記と並んで一番古い文学でもあるわけですけれども。それで主語が分からなかったり色々なことがあるんですけれども。
基本的に、要するに、宣命である。それは、現代風に言うと祈りということになるわけですけれどね。ですから、祈りが、実現しないといけないというかですね。もちろん歴史的な内容を含んでますからね。過去の解決を祈り、未来を予め祝福し祈り、現代の平安も祈る。というかですね、それを実現しようという、そういう時間軸でもってみると、ものすごく広い範囲の祈りということだと思うんですよね。ですからそれを、朝からあげられるというのは、ある面ではありがたいことでもあると思うんですけれどね。
今時ですね、ロゴストロンに書く内容というのは、そういう祈りの内容ですね。それを機械装置によって、自己の外から聞いていく。
ですから、普段ですね、お祓いをあげているときは、人にも伝えることができるし、自分にも聞こし召すと言うんですかね、神様に聞こし召すという祈りだけをするわけじゃなくて、聞いていくと両用に起こっているということですから、そういう感覚になるのは全然問題ないんですけれど。

◇阿弥陀如来の祈り

要するに、目的、生きる目的はとか、人生の目的はとか、問われたら一番困っちゃうわけですね。もともと、そういうことを決めて生きているわけですよね。それでなければ途中で死んじゃうっていうかですね。そういう意味がなければ生きないというか、そういう明確な、Oさんなんかは目標というか、人生の生きる明確な目的とかを持っているから、お祓いをあげていて、単純に、しょうがないなってことも、もちろん起こってくると思いますけれど。
大きな目的としての宣命、大祓が今、実現できているか、できていないか、と問われると、実現できていない訳ですよね。これはですね、あらゆる大きい祈りというようなもの、願いというようなものはですね、大概、実現できていない訳ですね。
例えば、阿弥陀如来という方は、仏教の高い位のお釈迦様、それから普賢菩薩、阿弥陀如来とか、そういう高位の修行者、成就者というのは、要するに目的が非常に高いんですね。人を救済するということでも、阿弥陀如来さんなんかでは、自分が地獄にいてですね、最後の地獄にいた人を補陀落(ふだらく)に送って、その後、地獄から出るという祈りですね。ある面では、天皇の祈りもそういう祈りですよね。すべての人たちが平和になるようにというかですね。
だからですね、ベーシックインカムなんてそんなセコイこと言わない(笑)あれは間違っていますよ。ベーシックインカムを入れるということは、欲を出させないようにしているんですね。そういう制度もうまくない。それが要するに支配のための方法なんですよね。

◇神への祈り

だからみんなが、要するに、平安清明の境地に行きましょう、というのが古神道の狙いなわけでありまして、それを、天皇陛下を通じてやるわけですね。実現するための祈りの対象というのが神なわけですね。
百神と言うんだったら、百神の最初の三神とかですね、最後の三神とかですね、そういうので、うまく合わせて祈るという方法です。しかもそういう最初の宇宙創造というものに関わる神というものに名前がついてですね、その神を対象にしてですね、そういう祈るということは、これは白川ですから、天皇皇后陛下のための神様というのは、最終的には天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、高御産巣日神(たかみむすびのかみ)、神産巣日神(かみむすひのかみ)の三神なんですね。この造化三神が、天皇の、皇太子の、皇后陛下の神様なんですね。我々はそれを、一番最初の神、創造の神ということですね。
平安清明の境地という意味では、一番初めてであり、一番力が出る神様ということになるわけですけれど。
今は、色々な、それこそお金でもですね、いわゆる紙幣と、金銀銅貨いろいろありますけれど、メダルではないですけれど。一方では紙の紙幣ですよね。我々はちゃんと分けてお祈りしておりますけれども(笑)
金山彦(かねやまひこ)、金山姫(かねやまひめ)というのは金属の方の神様ですね。いわゆる紙のお金は、和幣主神(にぎてぬしのかみ)と分けて。そんなことも今までなかったんですよ。和幣(にぎて)という概念としてあったけれども、それがお金の神というか。
要するに、欲も、そういう意味では、それぞれの祈りの対象になる、祈りも働きを促すものですから、神様には、働いていただくために、その願いがあり、それが祈りになっているわけです。
祓いがあり、ロゴストロンが発信されるというのは、その時に、その働きに対して○○の神という名前を持っていただく。そして、それぞれの働きに対して働いていただくということが、本来の祈りの形です。

◇日本人は欲が少ない

現在、把握した限りでは、世界では3000以上祈りに関する論文が出ているから、それを全部集めなさいと言っているんですね。もちろん日本のものは少ないから、昨日も杉山くんと話したんですけれど、そんなにないんですよ、ということなんですね。
日本人は欲は少ないと思うんですね。本来は、祈りにする、そういう欲は、古神道では少ないんですが、もちろん欲を実現するには、短期、中期、長期じゃないけれど、計画を立てて実現しないといけないというように思うんですけれど。要するに、古神道というものの、一番の願いが祈りなんですよね。欲望ですよ、悪く言えば、欲も小欲ではダメなんですね。
愛でもそうですよね。ソロモンというユダヤの王様が、神に祈る時に、瞬間に祈る時に何を願うかということを聞かれた時に、「知と愛」と答えたというのがありますけれども。

◇愛と恋を一緒にしてしまった

愛ということも、日本語の愛というのは、恋のことや恋愛と言って、愛と恋を一緒にくっつけた。これは明治にくっつけちゃったんですね。幸田露伴という人が恋愛という概念を考えたんですね。で、文学にしちゃったから訳わからなくなっちゃったんですね。でも全く違うんですよ、愛と恋は。
愛というのは、いわゆる情を出す方ですね、人に差し上げる方。恋というのは「こっちに来い来い」ということですから、自分に情をくださいと言っているんですね。その実態がどこにあるか分からなくなっちゃったんですね。それは全く別個のものです。
今、慶くんが、源氏物語のことと、それをまた音楽にしようということで、信原さんと一緒に作詞・作曲されていますけれど、源氏物語の世界では恋は恥ずかしいことですよね。それを吐露しているんですね、自分の恋の世界を。
愛はもちろんありますよね。それが別れているんだけれども、それがわからなくなっちゃったというかですね。特に、明治のときに、外国から入ってきた文学を翻訳する時に、外国のものはみんなごちゃになっていますからね、それをもって、分けられなくなって、恋愛という概念をつくってしまったということですね。それはそうと話が、どこかにいっちゃうんですけどね(笑)

◇限らないと実現できない

要するに、欲を決めたらある面では、それは、もう実現できるんですけれど。それは時間がかかるものもあるから、その時に、短期、中期、長期というようなことで考えてみるんですね。
会社で言えば、株式会社で言えば利潤追求だから、利潤を短期の事業計画、中期の事業計画、長期の事業計画を立てて、それを実現しようというですね。それの事業計画が、欲にはっきり裏付けられなければいけないし、それが実現するための祈りにならなければ、本格的な働きに、実現できないということになる訳ですね。この辺りは考えてみれば、曖昧さの部分というのが、地獄の沙汰ということになります。地獄の五階層というのも、欲の一つの表現の仕方ですよね。
動物はお腹いっぱいになれば、それでもってそれ以上食べないですよね、ライオンでもですね。でも人間は食べても食べても餓鬼という概念がありますよね。要するに足りないというかですね、欲がオーバー、満腹中枢を外しちゃうような話ですよね。脳がいかれちゃうわけですよね。それでそういうようなことが起こるというようなことは、それを地獄というようなふうに捉えているんですよね。
意志もそうですよね。良いか悪いかわからないで、ただそれを実現しようとすると、それは「修羅」というような表現になるしですね。自分だけ不老長寿を得たい、人のできないことをやりたいというのは「天人」という、一種の世界がありますよね。それは超人のような存在でしょうけれどね。
そういうふうに、限らないと実現できないというところがあるんですね。ずっと生きたいという不老長寿ということを考えると、混乱しちゃう訳ですね。できなくなったときに、ものすごく落ち込むというかですね、そういうことになるんですね。

◇どう生きるかという、生き方の欲

それは確かに、欲は限らないといけないけれども、それが、どういうふうに生きるかということの生き方の欲もあるということですね。その一番欲というか、要するに宇宙、仏という存在というんですかね、宇宙創造神と自分が一つになるというのは、大欲の一番の欲になる訳ですね。
そのあと、すべての人を救済するというような菩薩というような境地ですね、先ほどの阿弥陀仏もそうですけれど、あるということですね。
そういう人の生き方の中でも、広がりですよね。愛も博愛ということになるんですね。広い愛ということになって、きちんと出ているんですね。それがイエスの本来の教えだったということもあるんですね。ソロモンからも培ったそのものが愛という形で、民族の全てにというような想いというものがさらに広がって、地球の生きとし生けるものというように広がってくわけですけれども。
そういう広がりというものは大欲のことでありますから、それを実現するために、今度は自分自身の人生を刻むというかですね、どういうふうに生きるかということを決めていくということができるわけですね。
もちろん家族のために生きるということも、その範囲の中では最高な生き方ですね。あるいは先祖というようなものを愛するというようなところを含めると「pia」サンスクリット語で言うんですけれど、先祖に対する愛とかいうようなもの、今度はそれを人に対する愛につながって、そういう色んなですね、良い悪いありますけれど、そういう一族への成就の意志があるとですね、その意志が14代くらいすると、王族になったりするんですよね。そういう祈りがあるわけですね。
要するに、祈りに目的があって、そしてそれはしっかりと持たなければならないというかですね。でも、その祈りの内容を自分の外に披露しちゃうとちょっと恥ずかしいというのが少なくとも日本の人の思いですよね。その祈りの中身は表に出さないけれども、しかし、みんな、はっきり持っていた方がいいよ、ということ。それは、大きいほど良いというかですね。あとは、それを実現するためのステップであるというふうに考えてですね。

◇過去と未来と現代に渡って祈る覚悟

この大祓というものは、祈りの中でも、一番大きいですね、もちろん、三種の祓いも、天の神を祓うというところであるわけですけれど。
これは地の全ての罪、咎、祟、呪詛、あらゆる罪を、過去と未来と現代と渡って清めると。その中身がですね、ああいう、非常にですね、ある面ではおぞましいような言葉も書いてありますけれど、それもやるんだという覚悟というんですかね、それを実現するという祈りの言葉であると捉えて、早々実現するものではないから、どんどんですね、それをやると。
しかし、ただ、それを機械的にやるのはロゴストロンで良いんですけれど、我々は、一つひとつの境地として掴みながら祈っていくのが良いのではないかというふうに思いました。
ありがとうございました。