0392話:2018年04月03日

◇ふとまにの里にも・・・

ご苦労様でございました。
今月から、ロゴストロン株式会社のCEOは、豊福公平さんに決まりましたけれども、昨日、ふとまにの里のボスも決まりました。
実は、それは、カラスなんですが、1番強いカラスで、ハシブトガラスの「アオちゃん」といいます。カラスと聞くと、皆さんの黒だと思うでしょうが、もちろん、白いカラスもいますが。黒いカラスも、上司が「白い」と言ったら、「白いんだ」という、要は、「言うこと聞け」という言い草もありますよね。
実は、カラスには、青色もあって、その青いカラスのアオちゃんが、昨日来まして、「ふとまにの里は、私が牛耳る」と言ってきたので、この辺は、異種間コミュニケーションではありますが。それで、昨日、早速、TさんとFさんには、お話しておきました。日本では、このカラスは、1番強い鳥の1つですからね。鳩も食べちゃうくらい強くて、声も良い、アオちゃんが、ふとまにの里のボスになりました。夢を見て、まどろんでいたわけでありません(笑)

◇マンダラの役割

今日の試みというか、マンダラ経営の事業計画みたいなものを客観視して捉えた時に、このマンダラというものの役割が見えてきました。当然、コミュニケーションのプラットフォーム、あるいはコミュニケーションツールとして、マンダラを活かそうという趣旨でもありますが。
どうも、心理学的に、といいますか。その場合には、今の企業活動に、情緒プロセッサが必要になってくるわけです。そういう面を加味して考えてみても、心理的には2つの代表的な病に効果があるというのもおかしいですが、役に立つのではないかということを考えたわけです。1つは、パラノイアを防ぐということです。解離性人格障害という言い方もあります。要するに、妄想癖というか、大体の誤りと争いは妄想から起こりますが。パラノイアを防ぐという意味では、マンダラで、しっかりと自己と他者の役割を見える化、視覚化して、提示しているということが、マンダラの大きな役割だと思うんです。
もう1つは、盛んに、今日は、「結合だ!結合だ!」と言っていましたが。これは、霊という世界が、決しておどろおどろしいものではなくて、それも言葉から出て来るものだということです。「うらめしや~」という言葉から、幽霊が出てくるようなものであります。それを、もっと端的に、正しい意志から、正しい言葉が出てきて、それが正確に、物事を言い当てる役割を、分担する一つひとつの言葉になれば、それが一番いいわけです。要するに、自己と行為と言葉が結合出来ないという悩みから、一種の統合不全や、意識の分裂のようなことが起こるわけですから。
ある面、人と人がコミュニケーションできなくなるのが1番悲しいことで、逆に、人と人が共振、共鳴、同調し合って心地よいとことが、1番理想的関係なわけです。そういうものが、マンダラによって結合されると。

◇赤ちゃんの微笑み返し

もちろん、赤ちゃんが生まれたら、有り難いというのもあるんでしょうが。実は、お母さんが、最初に赤ちゃんから得る、豊かなコミュニケーションの1つの感覚というのは、赤ちゃんの微笑みなんですね。初めて、赤ちゃんが、お母さんに見せる微笑みというものが、お母さんは、1番嬉しいわけです。赤ちゃんがニッコリすると、お母さんが反応するという精神遺伝子や体遺伝子があるかどうかは別にしてですね。そういう微笑み返しということが、コミュニケーションの1番の原点になろうかと思うんですね。みんな、どこかで、そういうものを体験しながら、人間関係の中で生きてきたはずなんですが、そういうものを人間が、どこかで忘れてしまっているということでもあります。
その中で、1つの人格の解離、あるいは、人格の自覚、自己の中の自己と、自己と他者という関係の中で起こるコミュニケーションの不全であるわけですが。そのところをマンダラというものは、会社として一つひとつ業務があるとしますと、その中で、やるべき仕事が決定すると、人と人との関係が、はっきりと見えてきて、様々な不全が解決するという道があると。

◇精緻な方法論としてのマンダラ

元々、密教というものは、東アジアだけではくなくて、アジア全体に1番の権威、権力があったんです。かつては、カソリックとフ◯◯◯◯◯ン、そして、密教という世界の三大権力と言われていた時代もあったくらい、強力なものであったわけです。今は、もちろん、違いますが。
アジアにおいて、1つの学問といいますか、マンダラの中にある、仏に行く道という、精緻な方法論があるから、密教が必要とされ、民衆から受け入れられたということはあると思うんですね。それは、マンダラの中にも、金剛界曼荼羅なんかは、2000くらいの仏が描かれているんですね。言ってみれば、公という働きをするものでマンダラの中の仏達なんですね。マンダラの外側に、餓鬼とか、魔もありますが。内々陣、内陣、外陣、外々陣という表現の中での公のための、尽くすための仏達、菩薩達が、沢山いらっしゃるわけです。
その1画に入っていって、自在に、動く見取図が、マンダラということなんですね。
ですから、そのマンダラを、我々の1つの道にする、あるいは、悟りのためのツールにする、あるいは、社会をより良く、楽しい社会にするために役立つためのものとなる。あるいは、その意味の菩薩行というものに繋がれば、それが1番有意義な人生を営む方法といいますか。
これは、インドでは、カルマ・ヨーガというふうにいいます。ヨーガの中でも、色々とあって、勉強をする時もあれば、仕事をする時もあれば、ボランティア、愛行する(ジャイナ・ヨーガ)時もあれば、秘密の行をする時もあると。
その行の中で、仕事の行として、カルマ・ヨーガというものがあるわけです。それも、公のために、自分たちが、ふむべき道を作るというんですかね。ベースを作るためのものが、仕事ということの役割であるということが、古来より言われてきているわけであります。今、我々は、その辺りを睨んで、進んでいくというか。

◇マンダラを使うという合意、そして融和

自分の人生の修行のために、あるいは、具体的な公のために、社会のために、あるいは、家族のために、いよいよ発揮するためのツールとして、マンダラを使うということが、今日の全体会議のお話での合意事項ではないかなと。
もちろん、辻野さんと智樹くんで、一生懸命、経営マンダラを作っていただきましたが。先程、皆さんで発表していただいたりして、だんだんと、この経営マンダラに慣れてきて、起こったことは、融和というか、共振、共鳴、同調が、皆さんの心と脳の中に起こりました。
そして、共に、この仕事をやっていこうという決意を、感じられたのではないかなと。私は、融和といいますか、皆さんの心の温かい気持ちの流れが感じられて、とてもうっとりとしておりました。
そういう意味で、これから、ますます、マンダラの用語法を洗練したり、あるいは、現場から「こういう仕事ですよ」と意見していただければ、それで、更に、コミュニケーションが開かれ進むわけですから、どんどん意見を発表し改善していくことで、さらに、マンダラが充実していくと。このマンダラの完成は、あらゆる仕事という意味の業種業態にかかわらず、これが、ソフトウェア的に、成功する大事な1つの事業内容にもなるのではないかと。すぐに、経営者は、そんなことを考えるんですけれども(笑)それを、皆さん方と、共に作っていくということなんですね。
その想い、あるいは、その力の出し方というのが、1つのマンダラを作るという中で、役に立っていただくということになるわけであります。皆さん、それぞれの部署ではありますが、自分たちの仕事の完遂が、全体をよりよくしていくのも事実ではないかなと思います。そういうことも含めまして、これから皆さんとマンダラを完成させていくということを、1つの合言葉にしていただくということではないかと思います。

◇共々、楽しい、神遊びという道

その巡りの過程で、右旋と左旋の間には、停止があるわけですが。そういう1つ巡りが、舞踊や神楽のような動きの中でも、起こるわけです。マンダラ上の中で、そういうコミュニケーションの動きが起こってくると。それは、相対であったり、グルグル回ったり、反対周りをしたりするわけですが。
実は、その方法も、白川の中にはあります。今日の朝の話ではないですが、まずは、正月の白川で行う祭祀が7日間あって、そして、その後、後七日御修行法という形で、宮中真言院が、7日間を祀ると。我々が、この両方をしっかりと結びつけていくと、14日で、豊受(とようけ)ということになります。豊受大神ではありませんが、恩恵を努力の成果を受けると。その結果、共に、1番良いご褒美をいただくということが、本来の神道の祭祀の直会の大事なところです。
共に、食べましょうと、神様も食べちゃいましょうというところでございます。高濱清七郎先生は、「神を食うてみよ」ということをおっしゃっておりました。そういう神、稲の魂というのが、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)といいますが、それをいただくということだけではなくて、神楽もそうですが、1番楽しい、神遊びという世界を味わうことができる道がありますよということを、今日はお伝えしておきたいと思います。共々、楽しい、神を迎えて、楽しむというかですね。
ですから、マンダラの最終形的なところというのは、思考ということですかね。公を考えるということの最終形に、しっかりとこの役割に焦点を定めるということになると思うんです。まさに、そこが神に還る、考えるというふうなところを体験できる道があるんではないのかなと。

◇神を上手く理解できないという・・・

今、世界で、1番問題になっていることの中で、人知で全て解決できるという高慢な考えが残っていますが、それでは、無理な問題もあるんだということを、どうしても言いたくなるんですが・・・。
「人事を尽くして天命を待つ」という諺もこともありますが、少なくとも、天、神というか、そういう存在を、人間が、人工のITを使って進化しても、掴むのは難しいわけです。
「あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。」(旧約聖書・コヘレトの言葉12章1節)ではありませんけれども、少なくとも、創造という神の意志というものに身をおいて、それがあるということを確認して、生きることが人というものの慢心しない、1つの大きな要件ではないかなと思っております。ですから、慢心から、世界の混乱が起きるわけですから。
易の筮竹ではないですが、50本で、占い方法の中で、1本は、まず、神に委ねるということで、1本を除外して、49本で占うわけです。八卦では、8×8=64卦ありますけれども、筮竹では、7×7=49で占うわけですが、そのうち1本を、まず、創造の意志に、神に委ねるということがあれば、必ず、人として、誤りはないと。
「人が、全てである」と考えると、誤りを起こすというか。それが、今の世界の1番の混乱の要因であります。ただ、一方では、神というものが、上手く理解できないということも起こっているわけです。その辺りのシステム的な解決法を出すことができれば、世界の混乱も解決することになっているわけです。
慢心していけませんが、そのためのソフトウェアも、ほとんど出来上がっていますから、そういうことを世界に提案する用意もしております。ただ、その辺りは、我々もよくよく考えて、進んでいくということをしたいと思っております。色々とお話しましたが、今日は、この辺で終わりしておきます。
ありがとうございました。