0398話:2018年04月10日

◇その時代で分かったところを使う

ありがとうございます。
以前、宮沢賢治さんに遊んでもらった、お爺さんと話したことがありました。スウェーデンの方で、宮沢賢治の研究をしている方と親しかったり、私の名前も、”七”を”宮”に変えればと、良く言われたんです(笑)セロ弾きのゴーシュとか、銀河鉄道の夜とか、非常に先鋭的というか進んだ文学者でしたね。この間、でくの坊になりたいという、雨ニモマケズの詩の話もありましたが、非常に時代の先に行っているというかですね。
昨日、たまたま、チェロが入った管弦楽の四重奏の演奏を聞いていたんですが、現代音楽だったんですね。古典派から見たら、テンポが早かったり、急に止まったり、立ち上がったりする様なところがあって、バイオリンとチェロとビオラで、心のままとも言える不思議な音がするんですね。もちろん、現代音楽に使われるから、現代の作曲家の気持ちとか、時代の思潮に合っているんだと思うんです。聞いていると、現代には、現代の音があるというか、もちろん、古典も良いんですが。これは、現代人の精神状態を、よく表しているんですね。現代人は、現代人で、より良い心地というか、音楽によって、そういう世界が、一方ではあると思うんですね。
古典の中というのは言ってみれば、大祓もそうですが、古事記は、日本の古典の中の古典だし、世界の中でも、非常にユニークな神話の物語を持っているわけです。そういうものを、やはり、現代に活かすというか、そういう神話知、神話の中に含まれている知情意の、そういう知を、まずは、現代に活かしましょうと。ずっと、日本書紀とかの神話の伝承を、長らく研究してきたのが、白川でもあるわけですが。
決して、解釈をその時代に合ったように理解していいというのが、ある面では、白川の教えでもあるわけです。実験祭祀学的というか、その神話を分かったところを、その時代において、使うというか、そういう所があるんですね。
音楽というものも、基本的には、バイオリンは、500年くらいの間に出来た楽器で、そういう楽器も、昨日の信原さん、平川さんのお話にもあったように、子供たちが、ディジュリドゥを良いと思う子もいれば、バイオリンを良いと思う子もいるなど、色々とあります。

◇98番目の太陽神の前に、何の神様が存在したのか

超古人類は、楽器と、非常に親しみをもってやってきたのと、同じ様に、神話というものと、生きるということが神話の中から、汲んでも汲んでも尽きぬようなストーリー、物語だけではないですけれども、そこに知恵があるというところが、ポイントになってくるんですね。ただ、どの神話によるかにもよりますよね。我々は、たまたま、古事記という神話の神話知を使用させていただいているということになるんです。
世界では、エジプト神話、旧約聖書、新約聖書あるいは、ギリシャのヘルメス文書ですが、世界には、神話を書いたものが、沢山あります。日本の神話というのは、私は、いつの時代でも解釈できるという意味では、科学の進歩が進んでも、なかなか解けない知恵があるなということを、いつも感じるんですね。今の物理学や、古い時代の創世神話を含めても、尽きぬものがあると。
例えば、世界的には、エジプト、あるいは、ギリシャでも、世界の神話とは、どうしても太陽系の関係もあって、太陽神をユーラシアだけではなくて、深く恩恵に預かっているんですね。今の我々の命も、太陽の電磁波の強弱によって、翻弄されているわけですね。もちろん、月食や日食で、古代では、ビックリしていたわけですね。
そういうようなことがありますけれども、我々は、太陽というイメージに近いような神が出てくるのが、98番目ですね、最初の神から見たら。一種のアナロジーとして比べると、太陽神が出てくるのが、順番としては、遅いんですね。今は、銀河系とか、大星雲とか大宇宙とか、何百億年という広がりの中で捉えたら、太陽神という捉え方では、天文学や、今、占星術も勉強していますが、そういうものが、今の占いであり、科学に匹敵するようなところになっているわけです。
それが、太陽とか月というものが、98番目に天照大神が出てきて、99番目に月読尊が出てきて、100番目が須佐之男命ですよね。そういう順番からいうと、その神の前に、何の神様が存在したのかということを考えると、その前の神様たちをも清めるという壮大なスケールを、朝のお祓いでやってしまうわけです。
もちろん、瓊瓊杵尊が天孫降臨して、国津神の犯した罪を大祓によって清めるということもあるわけです。その段階が、太陽神というふうな段階で、既に、98番目なんだということが、その前に、宇宙創造という場面のところがあって、天のメッシュが細かくに作られていると。そして、最初の別天津神の五神というのは、一端、現れたけれども、また、戻るというか、消えるというか、死んでしまうというイメージで、出来上がっているということは、非常に緻密に、創造というものができていると。

◇科学が進んでも大丈夫なように神話が出来ている

だから、いつの時代に読んでも、まだまだ、汲めども尽きぬというか、文明がどこまで進んでも、科学が進んでも大丈夫なように、神話が出来ているということ、そして、その神話を使えるということは、本当に、我々は、幸せな民族なのではないかと。
その神話を、これからの子供たちも、まだまだ、使えるというのは、本当に、善き哉かなと思うんですね。単に、清めるということも、階層性になっていて、最初の三種の祓いは、87から97番目までの神様によって、その前の神様たち、16、17番目の神の伊邪那岐、伊邪那美の時に発生した穢れを清めようという壮大なものですね。では、その前は、一体どうなっているんだということは、その創造というものをもたらしたものが、17までの神というか、それが、素粒子の17に合うとか、そういう一致というか、清めるということも、神の段階で清めるということまで、含まれていると。
そういう点から観ると、非常に、メッシュが細かい内容を持っているということで、先程の宮沢賢治の想像力は、銀河系というところに、太陽系から向いていると。彼は、預言者だと思うんですね、そういう世界を、電車というもので行くわけですね。その当時は、飛行の概念が少なかったから、地上から銀河まで行くような発想がですね。我々も、そういう発想を使わせていただくと、それで銀河系に意識を持っていくということを、今の時代に、行わないといけないというところも出てきていると。ということは、銀河系の太陽というものがある、あるいは、星雲の太陽、大宇宙の太陽というものが、1つの宇宙創造の各階層においてあるのだというところのメッシュが見えてくるわけですが。

◇もう概念はある、あとは装置化するだけ

我々が作っているものからすると、それは、今、宇宙を縮地法、縮時法というか、そういうものによって、畳む、包む、結ぶという古神道の方法によって、概念化していますが、タキオンという、いわゆる、創造というものが、「神は云った。『光あれ』。すると光が出来た。」という物語もありますけれども、そういう光というものが、ある面では、太陽神ということで言うなれば、隠れるということは、岩戸隠れという物語まであるわけですね。(※旧約聖書創世記第1章3節より)
ということは、一端、光が無くなって、また光が出てくるという創造の問題で、光を折りたたむということが、これから、物理学でも出てくるわけです。それを、最初に、やった人は、信州大学の先生ですね。光を、畳んで、閉じ込めるという研究技術もあるわけです。
更に、我々は、タキオンという形で、タキオンとは、ギリシャ語でいうと、高速という意味なんで、光よりも100倍とか速いということを、タキオンという粒子として捉えるという仮説で、今の物理学では、そういうものが予想されるということを言っているわけです。そういうものも、神話知から見れば、1つの射程範囲に入ると。ですから、メビウスという概念を装置化することもできれば、タキオンという概念も、全て、装置化するための概念は出来るのではと。後は、ただ、装置化するだけですね。
その装置化する時に使う、物質というものがあるということも、分かっているんですが、昨日も、I君にも、Y君にも話したんですが、もう、我々の概念の中にはあると。もう20年も30年も前から、あります。

◇古事記には、汲めども尽きぬ知恵がまだ潜んでいる

そういうことも、新しい、神話知の中から汲めば、出てくるのではないかと。天照大神ということの意味合いを、単なる、光の存在だと捉えるということだけではなくて、光を一端、閉じこめるということも出来ると、光ということのコントロールということに繋がると。
ですから、今の光よりも速いものはないという捉え方の中で、その物理学の常識を超えていこうということが、タキオンという概念です。そういう概念で、装置化するということも、既に、これから行わないと、この次の時代には、やっぱり、面白くないですね。実は、そういう概念装置の開発を、我々は、させていただいているんだということになるんですね。それは、単なる古代妄想教ではなくて、現代の科学から見ても、決して、おかしなものでない、現代の概念を、しっかりと包含するものでないと。
そのためには、物がどうして出来たのかというか、あるいは、創造というものがどうして起こったのかという、創造神話というものを、1つの新しい知恵にしないといけないと。その時に、たぶん、古事記というのは、まだまだ、汲めども尽きぬ神話の物語があって、ストーリーだけではなくて、そういう知恵が、まだ潜んでいると。
もちろん、宮沢賢治の仏教や、南部陽一郎先生なんかも、結局、古事記や日本書紀を、殆ど、暗記していたと言われますよね。そういうところから、26次元という物理学の発想が生まれる。そして、シカゴ大学が、絶対に離さなかったのが南部先生です。80以上ノーベル賞を取った人たちの集まりの中に、幽閉されていたと私は言っているんですが(笑)その凄さの元が、古事記や日本書紀などの日本神話知の中にあると、私は思っているんです。そういう神話知を、今の時代に出す時に、たぶん、古事記の神話というものは、1番役に立つのではないかということを感じました。
現代音楽の中には、19世紀の頃から始まった、不安とか恐怖の病んだ精神を解決するような音色があります。また、チェロという楽器は、特に、人間の心の振動、不安から1つの希望に行くようなものを、持っているのではないかなと。それが、現代音楽の中にあって、それを、100年前に、予言していたのが、たぶん、宮沢賢治ではないのかなということを、今の話で感じたんですね。
そんなところで、今日はありがとうございます。