0406話:2018年04月18日

おはようございます。
ご質問はありますか?

●Iさん
いつもお祓いをすると、色んなことを考えるんです、皆さんもそうだと思います。色んなことが浮かんでくるんですが、それで、浮かんできたこと、考えてきたことを、お話いたしますと、「男女」というところを、考えることがありまして。ニュースとかワイドショーとかでも、取り沙汰される男女の性差による社会的なといいますか、差別というわけではないですが、そういう待遇の違いであったり。あと、ハラスメントとか、実際に大変な問題になっていたりしますけれども。
そもそも男女というものの根本的な違いとか、もちろん、身体の造りとかあると思いますが、進化ということを考えた時に、男も女も、例えば、男性の私が女性を見て、こういうところが素晴らしいなと思ったら、自分もそれが出来るようになりたいと思うんですね。男性も、女性でもって進化していって、また、女性も、男性でもって進化していく、そして、どんどん進化していくという形が、とても良いと思うんです。
そして、そんなことを色々と考えた時に、例えば、縄文時代など、今と社会の体系が違う時に、男女というものが、どのようにお互いに協力するとか、役割をやっていたのかというのを考えていくと。何というか、まだまだ考えないといけないことが、たくさんあるかなと思っていたんです。全部、話し始めると、きりがないので、何かそういうことに関して、お話しいただけましたらと思います。

【七沢代表】

◇神代と審神者で一如の関係

白川は、縄文から、人間関係もそうですよね、女性の役割が神代だから、天才、天の意向を聞くという役割だったんですね、家庭においても、地域においても。まあ、天才ということです。男性は、それを聞いて審神者(さにわ)し、実践する秀才ということですね。だから、白川は天才と秀才が作る神祇の世界といいますか、そういうものだったんですね。
その古代の流れを汲んでいるが、白川の考え方ですから。当たり前に女性が優位ですね。崇拝しないといけないくらいで、そういう神の言葉を聞く者が女性で、それを確かめるのが、男性で、特に審神者と呼ばれていたわけですね。だから、神代と審神者で一如の関係になっていたんですが。そのためには、訓練しないといけないところもあるんですが。
昔の時代の生命の危機に陥った時、一番大事なことは、それが正しい神懸かりであるのか、あるいは直感であるかは別にして、自然などの変化、その瞬間に、逃げなければ、あるいは、何かを成し遂げなければいけないというところがあったと思うんですね。
そして、だんだんと長い間、慣れてきて、観測することが出来てきて、自然の法則とか、天体の法則を知るようになって、だいたい分かるようになってきたというのが、知の発達ですよね。

◇自分の中を見つめる科学

考えるということが進んで、それが、だんだんと科学や学問になっていくわけですが、そういうものを利用して生きるということをするわけです。
そういう観点から、今の人間関係をもう一度、科学的に観るという見直しが起こっているということだと思うんですね。
一部の新宗教とか、カリスマみたいなものが、女性である場合が多くて、その流れは、宗教の中にはあったと思うですが、それも、だんだんと男性の教祖になっていったということも、明治から変化していったので。
荒唐無稽なことも起こるから、ちょっと無知識層というものが、社会の中で多くあった場合には、そういう学問や科学で考えない人たちも、たくさんいたから、そういう人たちは、信仰面でコントロールできた時代もあったんでしょうが。そういうことが、今は、たやすく出来ない時代ですよね。科学として、捉えるという捉え方が時代の思惑によって出てきたということですから、なかなか、それは難しいところだと思うんです。
少なくとも、我々が、お祓いをあげることで、何をもたらしているかということですね。それは、男女そんなに関係なく、最後になると、「とほかみえみため」だけになって、それを吐いた時の自分の状態が、どうかということは、男女関係なく分かると思います。
そういう自己を観察することが、結局、時代の新しい捉え方で、自己の内部を見つめることが、一つの宗教の発達でもあったわけです。そういうものが心理学でも出てきて、日本では、内観法、森田療法とかが出てくるわけです。そういうものの出現によって、今までの外を観察するという科学と、同時に、自分の中を見つめるということが、一般的になってきたということですが。

◇お祓いの恩恵

その時に、我々は、お祓いをあげることで、まずは、自己の内部を見つめるということが、その出た声によって分かるわけです。
一方では、光波と音波で、あるいは、直感で、外側で起こっているものを見るというか、目をつぶれば、ますます別の観測の脳が盛んになって分かるわけですが。
そういうことも含めた、全体把握をする時に、そういうものが広く出来るようになるわけですね。ですから、自分と他者、あるいは、自分と外界との関係、あるいは、自分の内と外の両方を見つめるということが出来てくると、次第に、意識が広がるというんですかね。それが、恩恵だと思うんですね。
女性が、そういう神懸かりということになると、それは、男性もそうですが、一方で、一種の主観に陥るわけですね。その主観的能力の限界の中で、自分でぶち当たってしまうと。その時に、自分自身を客観的に、自己の内を見つめるということが出来るような方法というのが、それがお祓いということになるんじゃないかと。
お祓いで声に出すことで、自分の心の中にあるものが出てきて、そして、それを耳から、あるいは、直感で見つめて、そして、それを理解するということが起こるということなんです。

◇知の発達が一気に起こった

ですから、今、男女に、まずは平等にそういう場が与えられているということが、一つの教育ということでもって、そのことが、能力を引き出す、本来は方法ですよね。そうやって、引き出されていくと同時に、客観性を相互に学ぶということが出来てくると、一気に、五世代くらいの間に、男女共に意識面で発達するわけですね。
ですから、知の発達が一気に起こったということが言えると思うんですね。お釈迦様の時代に、竜女という8歳の子供が悟ったという話もありますが、そういう背負った子供に、道を教えられるという親の立場というものも、昔から、そういうことはありますが。
今、急速に、男女両方ともに、知恵をつけてきたというところ、それが、大きな成果だと思うですね。ですから、逆に言えば、知においては、あまり差がなくなってきたので、せいぜい、地図を見る時、あるいは、将棋や囲碁を打つのが、男性が得意とかは、まだ残っていますが(笑)そのうち、みんな同じくらいになってしまうと、あまり面白くないというか・・・。

◇変化に対応する枠組みを・・・

今、大きな変化の時だと、その中で、どの様に、今の人類の、特に進化の先端を行っている日本の人たちが、なかなか人間関係としての男女の新しい関係を作るのに考えちゃうというか、どうしたら良いのかと迷うということが、あろうかと思うんですが。
そういう性差とか、性というもののパラダイムシフトが起こっていて、新しい社会の在り方が、問われているというか。そこを堂々と主張する時で、既にもう変化が起こっていると思うですね。
ですから、そういう点では、差はどんどん無くなってきているんだけれども、その枠組みを、どうしたらいいかということは見ないといけない、そういう大事なところに来ているということです。身体的な強さとかもありますから、いっぺんに役割が変わるということ、例えば、子供を生むということでも、その役割が変われるかということまで、医学的にも、様々なことが行われていて、クローンとかも、そういうことだと思うですが・・・。
少なくとも、今、ちょうど大きく変わろうとしている時で、知情意でもって考えますが、情動ということも含めた、そういう大きな人間というものを見つめる時、五魂とか、そういう精神の問題で、だんだんと遺伝的なところも解明されてくると、今度は、五魂というもの、鎮魂といっていますが、それを男女がどういうふうに捉えるのか。まあ、もちろん、同じなわけですが。

◇最後は性差のない神様になっていく

動物と人間の違いから、今度は、人間の男女の違い、色々と違いがあるかどうかというところまで、たぶん次の段階では、五魂を如何に実証することができるかどうか。
我々は、それを、先駆けて、古代からも、その方法論で、鎮魂というものを、学ばせていただいているということですね。それを、臨床というか、そういう形で、精神の臨床、心理の臨床、身体の臨床というように階層の違いでやっているんですが、たぶん五魂というか、魂の階層の臨床を、実践するということをやっているのではないのかなと。
ですから、神様も、男女というペアになっている神様もいれば、男性格の神様、女性格の神様もありますが、最後は、男女という性差のない神様になっていくんですね。ですから、これから神の世界も、魂というか五魂を、人間と繋げる場所にして、あとは、それぞれの神様がどういう世界なのかということを修行して、上っていくところがあるのではないかと思うんですね。それは、あまり古事記の中でも、はっきりとしていないというか。一神教なんかも、それぞれの神格の捉え方がありますが。
どうも白川、あるいは、古代の日本では、性差のない神様も、人が迎えることができるということが、白川の特徴というか。天御中主神、高御産巣日神、神産巣日神とかの、造化三神も、別天津神の五神を除いて、自然の神様も、二つに分かれる場合と、一神である場合とありますが。
そういう男女というふうな考え方を前提にした神を迎えるシャーマン達は、もちろん、そういう場合、両性具有といって、男性相と女性相の両方を持っていることが基本ですね。女性が神を迎えるということで、実は、色々とあるんですけれどもね。だから、物凄く怖い、強さと母性の両方を持った存在として、天才としての神を迎える女性が、両方を持っているという捉え方にもなるんですが。

◇男女を超えて造化ということをする

それもそうですが、神観も男女を超えて、一つの存在というか、造化ということをする、あるいは、そこに関わる存在というところまでなっていって、今後は、それを迎えるということを、当然、我々は、これから修行としてやるわけです。白川では、それは、男女というものを超えた一つの存在と、自分自身が、それをお迎えすると、神人一如というところで、女性、男性というところを超えて、神の存在を迎えるということをしますので、性差は無くなってくると。
これからは、そういう修行の中で、それが可能なのかどうかということが、ある面では、我々に試されるというか。今も、祝殿でのご修行では、若干、女性の方が優位ですよね。そういう神を迎えるということは、男性でも、そういうことが、どんどん出来るようになっていくと思うんですね。
そういうことで、審神者、神代と言っているものが、日本の神祇というか、神を迎えるということ、あるいは、観察するということの一番の大元のところの能力が上がってきているということが、たぶん、その学習法がシステム的な祝殿講習の良さに繋がっていくというか。同時に、男女ともに、そういうものが出来るような、学習法としては、両方できるような形の修行方法を取っているということは、最先端の方法を取っているともいえると。あとは、だから、更に、脳の開発ということが、男女ともにできれば、そういう方向に行けば、一番良いのではないかなと思っています。それは、みんなのこれからの課題であるということで、お許しいただきたいと思います。
ありがとうございました。