0408話:2018年04月20日

おはようございます。
先日の甲野先生の講習の報告をお願いたします。

●Iさん
一昨日、甲野陽紀さんのセミナーをやりまして、今回のテーマが、ひとつは「注意を向ける」というのと「意識する」とこのふたつ。
指先に意識を向けるのか、指先を意識するのか、注意を向ける、ということや体の安定感とかそういったものが変わっていきます。結論からいくと、注意を向ける方が体が安定します。意識を向けるだけだと体が不安定になっているということですね。これはですね、要は、意識を向けると言う、ちょっと曖昧になってくる。注意を向けると言うと確実にそこに注意がいくということで、そちらの方が安定感が増す形になります。これは、我々の経営にも相通じることで、目的を明確にするということの方が、脳がよく働いて身体を安定化させることに繋がってくるのかな、ということですね。
お名前を出して申し訳ないのですが、Tさんがアメリカで暮らされていて、言語脳がアメリカ英語になっているところがあって、「注意を向ける」と「意識を向ける」というのが、基本的に”attention”と同じ意味合いをなされているということなんですね。そうすると、体の動きがどちらも同じになってしまうという。
そういう意味では、本当に脳というのが、我々日本人が日本語脳で動いているんだということをつくづく感じさせられました。
その他ですね、もう一つのテーマが、それが「手のひら」と「指先」。指先に注意を向けるということは、肘の作用と連動している。手のひらを意識するということは肩に意識が作用するということで、実際に足も同じようで、足の指先だと膝、足の平だと股関節が連動しているということで。
日頃、我々は無意識に色々と使ったりとか力を入れたりとかしているんですけれども、意識していると絶妙なバランスが取れているということがよくわかりました。以上でございます。

【七沢代表】

◇「注意」=意を注ぐ

甲野陽紀君の講座が終わった後、彼と2時間くらい話をしたんですね。新しい本が、ほとんどできているんですが、序文のところが30ページくらいですかね、読ませていただいたりして。
その前に、今やられた「注意」と「意識」ですか。そのところもお聞きしたんですけども。我々がこの部分の、要するに、物と意識、というかですね、あるいは心、あるいは気と体というか、それを繋げているというかですね、もともと結合エネルギーの存在ということでありますが、神を精神に繋げる霊というエネルギーがありますね。それから、体と、要するに魂(たま)ですね、精神を繋げる、そういう階層は、一体何かというような大命題があるんですけども。
目的があると、それは注意というか、ひっくり返すと意を注ぐということは、何かを注ぐということですけれどね。意を注ぐ、意とは何かというか、そういう目的がはっきりあると、それが相対に結びが起こるわけですね。体と精神とかですね。
それが、どう結ばれるかがポイントになるところだと思うんですけどね。ただ意識をしてもということでは、ちょうど目的のないものが広がっているというだけで漠然としているわけですね。ですからそれで、気という情報ですね、意識や注意を向けるということの前提になる、意識の、意の、そういう情報ということですね、気ということは。
それはどういう情報か、漠然と出したり入れたりしても、もちろんできますけどもね、やはり曖昧さが残ることは否めないということですよね。

◇鎮魂の息吹

注意を向けるということは、だから我々が、鎮魂というときは、一種の体と精神を結びつける、そういう働き、そのための技であるわけですけれども。それをはっきりと目的をもって、注意がですね、送り込めるようにするのが、鎮魂の息吹ということですよね。息吹ということで、(六種鎮魂で)ふぅ~とやるということは、そこに注意を注ぐということなんですけれど、その時に、働きが、よりよい働きが起きるということですね。
「鎮魂しているな」でいいの?ということは、そういう意味ですよね。目的が、正しい情報が、そういう意識を向けることによって、そこに入って行くということですね。しかもこうしてですね、いくと一緒に、気を、情報をそこに入れる、ということであるわけで。
この間、サイ科学会のその後の、杉山さんと、会長さんの佐々木茂美先生とのやりとりを、昨日聞いていたんですけども、結局、自分たちのやっていることにも協力しなさい、ということで。それはどうも、オーブの研究をですね、皆さんオーブということを知ってらっしゃいますか。よくオーブが見えるとかっていうのがありますけれどね。丸い小さな玉がよく色々な写真に映ったりするっていうんですけれど。これは、他のそういう心霊写真よりもはるかに多いわけですよね。目撃というのか、写りこむのがですね。
もちろん、そういう水蒸気、水滴などが7割くらいで、あとは3割は、わからないというか、オーブの可能性があるわけですね。そういう存在というもの、それをオーブと呼んでいるんですけどね。僕もたくさん見てきましたけれど、あれは、目的のない、ひとつの、鎮魂されていないものとなっている状態ではバラバラにちらばっているんですね。鎮魂がされると、意志化をされると、それがひとつの、まずは、荒魂、和魂、幸魂、奇魂、精魂ですね。
五魂としてそれが見えるというか、はっきりと働きが出るわけですね。それが要するに、ひとつひとつの働きが、意志で伝わっていくんですね、あるいは、情報が伝わっていく有り様が5つの体型をとって伝わっていくと言ってもよい。

◇きめ細かい情報の最小単位

精神というのは、精魂の「精しい」に「神」なんですね。それは明治になって、ヨーロッパの哲学に対応にして出てきた言葉かもしれませんけれども、精神という精魂という発想というのは、ひとつの精緻なというかですね、非常にきめ細かい、最小単位の気、あるいは報の、最小単位という結果であるわけですね。その広がり方が、5つの段階をとるということでですね。それを意識して、鎮魂という形の作法としてできている訳ですね。
そういうオーブというものも、目的がはっきりしないとただ漠然と広がって、水蒸気のように、精霊のようにプワプワ浮いているようにしか見えない。それは、大きさは、本当に直径3cmくらいから100mくらいまでの大きさで、玉が広がっていくというようなことであるわけですね。
そのふわふわ浮いちゃうというのは、プラズマの研究では色々ありますが、亡くなった時に起こるのは、魂(たま)というものの動きが、死んでどうするか判断がない場合、無目的に動くからそう見えるわけですけれども。
要するにオーブというものに、明確な目的が起こると、それが働き出す訳ですね。ですから、それに対してはっきりと目的を持って、我々が鎮魂というものをする訳ですね。その魂に情報を注ぐということですね。その時に注がれる、ひとつのそういう情報エネルギーの姿が意志化されたオーブというふうに捉えてもいいんじゃないかと。

◇「魂」から「体」につなげる研究

そういうオーブの研究もですね、ただ数式や実験というんですか、人間の意識の中の実験でやるということがですね、我々は、結論に至っているところもあるんですが、オーブのなんたるかも研究してきたからですね、それを提供することはできるわけではありますけれどね。それと鎮魂と、非常に近い関係があるというかですね。ですから注意を向けるということは、まさに、はっきりと目的をもってその物体、あるいは存在、あるいは宇宙に向けて、そういう意識を広げていくというかですね、その広さの度合いですよね。
要するに「体」と「魂(こん)」を結ぶ、また「魂(こん)」から「体」につなげるというような、そういうエネルギー場が存在しているということを、科学もまだ今から研究をしようとしているんですけども。
それも、古代からあったものであるしですね、その実態も、甲野くんの本を、まず手始めにして、そしてその言葉、あるいは所作、体が、そういう動きを、そういう研究するってところから、その最小単位をですね、動きや意識の最小単位で掴み、その方法をいよいよ出そうというかですね。研究のはじまりっていうようなことになると思うんですよね。そのための身体操作というものが、いよいよ始まるということになるということですけどね。そんなことを今日は思いました。
ありがとうございました。