0412話:2018年04月24日

おはようございます。
何か質問はありますか?

●Mさん
今年の冬に、福井県に、たくさん雪が降ったことを、日本と朝鮮の争いみたいなもので、雪がたくさん降ったんだというお話をされたという記憶があるんですが、ということは、人の感情が、穏やかになったりすると、地球の天候とか、そういうものも変わっていくものなのでしょうか。

【七沢代表】

◇情緒の世界が変化すると自然現象も変わる

そうですね。マハリシという人が実験したことがあったんですね、そういう想いを皆で広めると、どうなるか、まあ、祈りのようなものになるのですが。今、祈りの効果があるのかという論文も集めていますが。
一つの想い、情緒、感情の世界が変化すると、自然の現象も変わるということは、今までの経験から分かっているんですね。自然現象をどういうふうに、それを気持ちとか、どうあって欲しいかというような意志というか、それがはっきりとあると、更に、起こってくる効果に違いがあるというか。
平安清明という意味の平けく安らけく清らけく明けくというような気持ちになるということは、社会だけではなくて、自然にも、そういう影響を与えるというか。元々、自然には、客観的に明るい場所と、若干暗くそれを、デジタル的にやることができるということも、物質的、あるいは、情報として、それを行うかということとか、色々と階層はわかれているんですが。

◇止雨と降雨は白川の主な仕事

天候の場合もそうですが、デジタル的に、ここに雨が降れば良いかなとか、ここが晴れれば良いなというのは、白川の主な国体護持とか、そういう役割として、止雨と降雨といって、雨を止めるということと、天を降らすというか、日照りになったら困るというか、あるいは、雨が降り続けたら困るから止めるというか。そういう止雨、降雨というものは、白川の仕事として、課題だったわけですね。
そういうものも、制度的になっていくと、下請に出すようなことをやっていたから、平安陰陽道とか陰陽師に、下請に出してやっていた時期もあります。あとは、仏教の真言宗にお願いしたりするとか、そういうこともあったんですけれども。
一つのそれをテクニックとして、それが可能だという意味ですね。デジタルになる前は、そういうこともあったと。
今は、デジタルで、ヨウ化銀を撒けば、雨が降らせたりすることができるわけです。北京オリンピックの時も、そういう方法で、ロケットをあげたりしてやっていますが。
ただ、一ヶ所でそういうことをすると、広い範囲でやると、地球の他の所で、雨が大量に降ったり、あるいは、日照りになったりすると・・・。
要するに、地球全体で、バランスが取れているところもありますから、そのバランスと同時に、みんなが、元気にということの中での天候ということであれば、そういうものを発信するということの心の在り様というんですかね、心が平安清明の境地になってくると、自然も、変わってくるというか。
例えば、雨が、人の活動を停止している夜に降って、朝になると晴れてきて、仕事がし易いようにと。

◇雨の音を聞きに来る名所

もちろん、嵐、あるいは、雨が降るということ、あるいは、風が吹くということは、自然の働きであって、それが、人間の気持との関わりもありますけれども、特に、それが悪いこととか、まずいことではないというんですね。
大風が吹いても、台風が来ても、それは、美しく感じる場合だってあるし、雨が降っても、その音を、日本全国から聞きに来る場所が、祝殿の近くの酒折という所にあったんですね。江戸時代には、そういう歌を作っているんですが、それは、雨の名所というか、そういう場所もあるんですね。それで、全国から来て、歌を歌うと。だから、雨が必ずしも、悪いわけではないんですね。そういう芸術の世界の中では、色んな音に表している曲もあるし、ビバルディの様な四季の美しさ、あるいは、激しさを、演奏するということもあるわけですけれども。
大概は、暮らしやすい様な天候になっていくということは、理想世界の一つの世界になるということですね。それをデジタル的に直すと、スーパーコンピュータを使っても、百年先くらいで、地球全体のどこにでも、というわけにはいきませんが、なるべく、みんなが、暮らしやすい様な天候になるように、プログラムが出来るのではないかというふうに、私なんかは考えているんですよね。

◇太陽の予報

それは、太陽の周期や、それこそ惑星の周期まで、それで、Yugiさんに色々と占星術まで、研究してもらっているのは、太陽系だけではなくて、銀河系を含む、天候、天の兆しですね。
それは、太陽の予報というものも、今は、非常に盛んになってきているんですね。例えば、これから、十一年くらいの周期で、黒点が少なくなるということで、黒点が多くなると豊作になったりするということですけれども、逆に、黒点が多くなると色んな災いが起こるということもあるのではないかということもありますけれども。いわゆる、太陽や月、月は、その満ち引きで分かりますが、太陽まで、変わっているということですね。
太陽は、月食や日食にならないと、その変化は分かりにくいですが、考えてみれば、太陽のニュートリノというものが、我々は、一秒間に、一平方センチに、二兆個くらいのニュートリノが降って、身体を成り立たせているというか。生きているということは、太陽のニュートリノで、存在できているということ、それが、止まったら、死んでしまうんですね。そういう意味で、危機に感じたんでしょうね、昔の人は、日食でそういうものを感じたんでしょうけれども。
そういう天候というものも、今が、氷河期にあって、人類が、非常に危機にある時は、やっぱり、もう二十年くらい言っているのは、神としての太陽、それが天照大神なのかは知りませんけれども。

◇オオヒルメムチの行

そういう神様に対する、太陽を神として、ある面では、反省や、こうあって欲しいという願いをするということが前提にあって、太陽に感謝するという意味のオオヒルメムチの行の運動を提唱しようとしたこともあります。
この行は、朝に太陽が登ってくる、日の出の時のエネルギーを授かる方法でもあるんですね。太陽が一番高い時のエネルギーを、そのまま身体にいただくという作法もあるんですね。ですから、そういうことを100日続けると、人体が変わっちゃうんじゃないのかというくらいで、日本サイ科学会の関英男先生も、そういうことをおっしゃられていて、本にも書かれていますけれどもね。やってみると良いと思うんですよ、その方法も皆さんにお出ししてありますから、オオヒルメムチという意味ですが、天照大神の古名で、オオヒルメムチ、昼目ですから、昼の明るい目という意味なんでしょう。

◇平和への意志と平安清明の境地が合わさって

そういう天候が、地球だけの天候ではないと、そういう太陽系の運行に関わるというか、そういうところまで天候は関わりうると。
ですから、知と、平和になって欲しいという意志と、みんなの平安清明の境地というものとが合わさってできる社会というか、そういうもので、デジタルもアナログも両方共、盛んに、活動できるようなものが、イソノミヤ社会になるんではないのかと。
もちろん、自己反省というか、そういう内省するということも、足りないという気持ちも良いんですが、いつまでも足りない、足りないと言っていたんでも、知は解決しないですよね。それを、今の話というのは、神話知という古事記とか日本書紀とか、我々が大祓という一番古い言葉を、基準にして、それから、今の現代の知の状況、あるいは、情の状況、意の状況、そういうものを観て、解決していこうという活動ということですね。
そういう社会を目指すということが、イソノミヤということで、ギリシャ語でも、伊勢神宮の内宮の古名としてのイソノミヤということの世界、社会というものを捉えているんですね。その中に、一番大切なより良い社会にしたいという意志が、明確にないと、自然も変わらないというか。

◇水蒸気の一つひとつの粒に意志を込めて

オーブが良い例ですね。水というもの、水蒸気というものが、一番大きな、地球上の生命を育む生命圏でもあるんですが、それが、少なくとも、その水蒸気の一つひとつの粒に、祈りというか、意志情報を込めて行うというのが、我々の朝の祓いですね。これは、明らかに、肺から出てきた水蒸気が、口の中で、唾液の水蒸気と足されて、そして、音になって、それが、玉になって、飛んでいくわけですね。
それは、意志は、善の意志と悪の意志ではないけれども、壊そうとする意志なら、呪詛とか、そういう意味の意志になりますけれども、良い事が起こるようにという意志情報を、水蒸気というか水の中に込めるということが、肺や口の中から出てくる水に込めるんですが、その意志は言霊として、脳から言霊意志が、生体や、神経を通して、そして、それが出て来ると。
その動きは、天の惑星の八惑星、あるいは、父韻と身体の中にある母音、水というのは、母音のことですね、「う」というか、言霊でいうと、父韻と母音が合わさって、それが意志として出てきて、それが、水蒸気の中に含まれて、もちろん、その時に、色んな口の中の粘膜から、物質が混じり合って出て行くんですね。

◇25ミクロン以下の小さな塊として出ると・・・

そして、その時に、具体的な声や音が、下に落ちてしまうだけでは、水ですから、ダメですね。それは、25ミクロン以下の小さな塊として出ると、漂うんですね。そして、それが一つの玉になって、飛んでいくというか。
ですから、オーブも意志がないものは、漂っているだけで、水滴と同じですが、言葉の意志というものが、水滴と言霊が合わさって、精神のDNAであり、そして、浮かせる細かさになると同時に、それが飛んでいって、影響を与えていくというか。
出て来るものが、物質的なレベルと、精神的なレベルと、言霊というものが、神という一つの働きによって、それを迎えることによって、それが、そういうふうな働きをしていくということが出来ると。そういう階層性の中で、神、君、臣、民ではないんですけれども、そういう社会としての有り様が、神、霊、魂、情、体というか、そういうものを結びあっていくエネルギーというものがあって、それを社会として、広げていくという気持ちになると、更に、自然というものも、みんなのために働いてくれるということになるんではないのかと。

◇農業は自然と対話しながらできる行

慢心というか、傲慢というか、何でも人間のためになるのではないかというところが行き過ぎると、一神教的な意味で、人間が神から離れてしまって全て、人知でもって適うのではないかというところに陥やすいから、そこを回避しながら、コミュニケーションですね。
神と人、自然と人ということのコミュニケーションの中で、それは実現できるということに、より良い社会、より良い自然というかね。だから、人間中心主義になってはいけないですが、そういうところのコミュニケーションによって、だいぶ変わるんだということがあると。
ロゴファームも、ふとまにの里もそうですが、自然の中に、少しでも、コミュニケーションする場があると良いなと。そういう意味では、農業は、そういう行ですよね、自然との中で、対話しながらできる行だと。素晴らしい行であると思うんですけれどもね。そんなところが、今の話では言えるかと思います。
今日は、宜しくお願いいたします。