0416話:2018年04月27日

どうも、ご苦労様でした。

◇無為の動きに従っていく

白川のご修行というのは、鎮魂とか、禅のような静的なご修行と違って、いわゆる動的修行といって良いと思います。ご修行中、お祓いをあげている間は、ずっとお働きによって動くということが基本になるんですね。その動き方が、右脳、左脳というか、あるいは、錐体外路系という神経系の形態もあるのですが、自分が意識してから動くということではなくて、無為の動きに従っていくというかですね。
ですから、武術の名人や、酔拳などではないけれども、無為的に動くということに慣れていないので、なかなかその経路に入るというのに、若干、時間がかかるというか。我々は、普段、意識して動いていますから、朝の目覚めから眠りに落ちる直前までは意識があるわけですからね。全て無意識でするわけではないのですが、どうしても珍しい動きになることもあって、それに慣れていないというか、なじめないということもあろうかと思いますが。
基本的には、最初の遠津御祖神という時は、後ろに引っ張られますよね。その後は、静かですが、また他の神の修行になると、色々な動きが出るのですが、それは大きく言うと、右旋、左旋という、旋回運動と旋転運動というものが起こるわけですね。

◇生命体としての動きの基本

生命体としての動きの基本のようなものかもしれませんね。それは、生命体として1億年経っても、あんまり変わりないもので、いわゆる生物的な動きだと思うんですね。
この地球の水の中の1/6の重力であろうと、空中で立つという重力2の世界であろうと、所詮はこの地球上の生命体ですから、だいたい同じような動きになるということなんですね。ですから、慣れるまで、若干、時間がかかるので、手助けさせていただいているということです。慣れてくると、本当に自在になって、場合によっては、夫婦二名で一緒にやるという修行もあるんですね。
それくらい、全然違う動きなんだけれども、その中では、ぶつからないで出来るという動きもあります。今日も、最大6組でやっておりますが、そういう意味では、一部の方が、テリトリーから離れていた方もいましたけれども、全然、問題ないと(笑)。相撲部屋の感じで、出来るだけその場の中で変な倒れ方をしないように、あるいは壁にぶつかったりですね。八畳の母屋で、何十年か、結構、派手にやりましたが、一度も、誰も怪我もなくやっておりました。もちろん、障子は、すぐ穴だらけになりましたけどね(笑)ある面では、錐体外路系とか、右脳の動きというのは怪我をしないんですね。
ですから、逆に、手を出し過ぎると、自分が誰かに頼るという感じで、丸投げというか、そうしてしまうと変な倒れ方になったりすることが稀にありますけれども。本来は、非常に安全な方法であるということは言えると思うんですね。

◇神を掴むという喜びをともに

だんだんと皆さんが慣れてくると、それが大丈夫なようになります。ですから、武道の名人芸と全く同じくらいのものに、誰でもができていくということになると。
その過程でもって、空中浮揚とか、そういうものが最初に出てくる場合もありますが、あんまり気になさらずに、その時はその時でやっていただければというふうに思っております。このように、沢山の皆さんとご修行するということは、時代の趨勢といいますかね。
昔は、内親王とか、皇太子殿下がする為の行であったから。もちろん、白川の門人さんは、それぞれやる場合にも、一対一とか、九対一とか、そういうやり方で、一種のエリート教育というか、そういう方法でやってきたわけです。
今のこの方法も、完全にエリート教育だと私は思っているんですけどね。非常に、神というものを掴むということの楽しみというか、喜びを共にして、いただくということが基本で、より沢山の皆さんに味わっていただくということをやらせていただいているわけです。
苦痛を味わう為にやるわけでないから、必ずその辺は理解が得られると思っております。
もちろん、お祓いをあげることだけでも、楽しいことではありますけれども、皆さんにお祓いをして差し上げるということも、また心地よいことになるということになりますので、更に、お続けいただきたいなとは思っております。
何か、ご質問ございましたら、この際、受けたいと思っております。どうぞ。

●Aさん
私、密教の修験道を以前にやっていたことがあって、その関係で毎日のお祓い、鎮魂の後に、勤行というものをやっているんです。最近は、お祓いを中心にやっているのですが、組み合わせやるという事と、あとは、お仏壇の神棚といいますか、下にお仏壇を置いて、その上に神棚を設置して、それで統一してやっているようなイメージがあるのですが、特に、問題がないのかということを伺いたいです。

【七沢代表】

◇先祖が、どういう祀り方をしてもらいたいか

特に、問題ないと思うんですが。今も、色々な神棚というんですかね、どういう祀り方が良いのかということも色々とあるのですけれどもね。近頃、どういうふうに祀ったらいいのかと聞きにこられる方も多いです。まずは、ご先祖が一番やってもらいたい祀り方というのがあるんだと思うんですね。お父さん、お爺さん、お婆さん、先祖が、どういう祀り方をしてもらいたいかということは、問うてみた方が良いと思います。
自分が、修行の為の祀り方と、先祖がこの方式で祀って欲しいという思いと、両方兼ねられるといいのですがね。ただ、両方一緒にやると狭いというか、なかなか仏教式、神道式と取れない場合は、一緒でも構わないと思うんですが、多分、別々にやってもらいたいと思っているかもしれないし、それはちょっと分からないんですけれどもね。その時の切り替えで、別に問題は無いんじゃないかと思います。

◇すべて神の姿を取る

話は少し変わりますが、今、気が付いたことで、私はネパールの密教で、釈迦族の坊さんたちと一緒に、長年、色々な修行や祈祷というんですかね、やりましたけれども。それで気が付いたことは、白川の修行というのは、基本的に神の修行ということですね。
一方、密教の修行は、実は、仏、あるいは、その眷属の動きをします。男・女とかではなく、凄く楽しい動きがあるのですが、多分、両方共、共通点は白川でもそうですが、人が修行する時の恰好や動きをしないということがポイントですね。仏教でも、本当の修行は、仏や眷属の恰好というものをします。一切、人の恰好はしないですね。見えるところは人がしますけれども、そこがポイントですね。
白川も、人が修行をしている恰好を取らないんです。滝行のように、こうやってお経とかをあげながら行う恰好とか、人のやる修行ではないと。これが特徴ですね。全てそれは神なんですね。遠津御祖神だったら、後ろに行きますが、それ以外は、自然の神も、国津神も天津神も、全て、神の姿を取るということが特徴です。なので、審神者する人は、すぐに分かるんですね。
人が修行すると、だいたい言葉があったりしますが、このご修行では、言葉を使いませんね。神代が自分から声を上げるということは絶対にしませんから。その姿は、人がやる修行ではないということが特徴でございます。ですから、必ず、我々も二本足でこの地上を歩きますが、駆けておりますから、二本足でありますが、旋回したり、引っ繰り返ったりとか、普段しないですよね、絶対にね。マット運動とかヨガでは、ありますが(笑)

◇人間がしないような動きが出てくる

シャーマンの中にはあるんですよ。私も、たまたま、満州シャーマンの研究も、金大偉さんともやっていたし、それ以前でもやっていたので、よく分かるんです。インドでも同じような動きがあって、普段は人間がしないような動きが出てきます。もちろん、それは、自然の風や水の体験に近いものでもあるのですが、それもまた自然の水や土や風のようでもないという訝しい特徴があるんですね。
ですから、神というものを、審神者は神が何の働きかを言うんであって、人の働きを、どの霊とか、判断することは一切ないんです。そういうことが起こって困った時には、吹き送りといって、特殊な除去方法が伝わっていて・・・。ですから、先祖で亡くなる直前であったり、凄く痛い思いでいたとかいう場合には、若干、そういう動きが出ますけれども。それは、それでお祓いで清めると、それは無くなっていくわけです。
先ほどからの話しですが、ネパール密教というのは、一番古くから伝わっていたもので、私も二十年くらい研究をしまして、色々な仏を迎える瞬間をたくさん見てきたました。やはり、人間の技ではないんです。かといって、滑稽さは無いんです。それが、特徴ですね。笑うような滑稽さは無いんです。密教もないけれども、神道のご修行でも無いんです。
今、流行っているお神楽のような場合には、若干、人と神様をもてなすような動きが出てきますが。白川の修行の中でも、お神楽に関わるものがあって、人の修行の恰好というのはしないんですが、若干、お神楽の中には、人と神を楽しませる所作が残っておりますが、それは、だんだんと消えていきます。そういうふうに、古事記とか日本書紀などの神話のある一部を演ずるということで起こることもあるわけです。

◇どの宗教であるかは関係なく出来る修行

そんなことで、特徴的なところは、もしも自分が、人の修行のような恰好だと思ったら、それに気が付けばいいだけです。そうすれば、また神の修行に戻っていくようになります。非常に明確に分かります。あくまでも、神になっていく、神を迎えていく修行であるということを、頭に入れておいてやっていただくと、非常に気楽に出来ると。気楽にというのも、おかしいのですが、安心して出来るということが言えるとかと思います。
そんなことでありまして、余計なことを、密教だと言ったら、つい思い出しちゃったんですね(笑)ごめんなさい。二十年くらいやっていて、とても面白かったんですよ。色々な修行の中でも、楽しかったのは密教で、その名残とは言いませんが、1月8日からは、五大明王と両界曼荼羅を飾りますが、それはネパールで描いてきたもので、それが後七日御修法という宮中真言院の修法です。
そんなこともありまして、あくまでも修行という観点からいたしますと、仏教者とか神道者とかキリスト教者とか、関係なく出来る修行であるというのが白川の特徴ですね。ですから、今までもキリスト教徒の方も、外国の方も、白川の修行をやっているんですね。そういう意味で、どの宗教であるかは関係なく出来るというのが特徴で、やる意義があるのではないかと思っております。そんなところで、またやりましょう。
今日は、ありがとうございました。