0418話:2018年05月02日

おはようございます。
どうぞ。

●Sさん
先週、朝のお話しの中で、「直線というか、真っ直ぐ」についてのお話が、少しあって、別の機会でお話ししますということをおっしゃっていたんですが。「直線というか、真っ直ぐという考え方や概念が、人間にしかないもの」みたいなことを、おっしゃられていたので、その事について、お聞きしたいです。

【七沢代表】

◇まっすぐは、人間の想像上の概念

基本的に、全て、人間が認識する事というのは、見ても聞いても、あるいは、錯視とか、あるいは、幻聴とか(笑)人間の主観というか、そういうもので捉えると、そこも、芸術の中にあったりすることもありますが。極端には、記号も図形もそうですが、フランスの画家で、ポール・セザンヌという方が、「自然を円筒、球、円錐によって扱う」といわれていますね。
要するに、主観というか、曲がっているとか、円というのは、真円とか、限りなく、正確な円というのは、円周率3.14ですよね、π(パイ)になっていくわけですが。直線というのは、人間は、短距離的に、あるいは、中距離的には、そうだけれども、宇宙に行ったら、重力で曲がってしまっているから、光が曲がっているから、光が直線だと思ったという視覚に来るものを見る時に、細かく物理的にいうと、曲がっているということになるから、特に、直というのは、人間の想像上の概念みたいなものではないのかということを、言いたかっただけで・・・。大した意味ないですよ(笑)相当、精緻に見ていると思っても、錯視というか、頭の中で考えた見方、物の見方というものになるかと思うんですけれどもね。

◇「不易と流行」

今日、感じたのは、我々は、時間軸で古いものを、一番古いものと思っているような芸術的なものも、工芸的なものも、物づくりでもそうだし、哲学的に、あるいは、作法とか、習慣や慣習みたいなものも、非常に古いものを、現代に、使うということをやらせていただいているわけです。
そういう時に、一番気をつけないといけないのは、ある面では、伝統というものがあるから、裏をかくというのもなんですが、あるいは、安易に、簡単に出来てしまうんですね。それらしく振舞うということで、昔からのものだという言い方で、それを、その通り、ただやるだけという方法もありますけれどもね。
一方では、それが、安易の逸脱というのもおかしいんですが、そこに、逃げ込んでしまうというんですかね。それで、同じルーティンワークみたいな、自分の頭の中で、グルグルと巡ってしまうということも、起こると思うんですけれどもね。だから、一番注意しないといけないことは、昨日の夜も、少し話していたのは、「不易と流行」ですね。
要するに、変わらざるものと、変わっていくもの、あるいは、変わっていくことで変化をしていくことと、一方では、変わらないということの捉え方でもって、見るということが、一つの見方としてあるですが。
特に、この「おみち」、あるいは、白川、あるいは、鎮魂、言霊というものは、いってみれば、一番古くからある、一つの人間の生き方として変わらざるものだと思うんですね。
そういうものを使って、新しく一つの人類が意識進化する時に、どういうふうに、役立つかということを、やらせていただくと。
だから、間違うと、非常にアナクロニズムというか、全然、昔のそういう古いもの、ただそれだけを現しているということであって、たくさんあるわけですね。続いていたから、そこには何か、今の時代に役に立つものがあるという捉え方もあるんですが。要は、その時その時でもって、本当に、進化というか、「進化そのものを、本当に、そうなの?」ということも考えることもありますけれども・・・。
今の時代の中で浮かんでくる、みんなの頭の中、人類の頭の中や、そういう仕草、あるいは、作品などの思いの中に、いっぱい新しいものが出ていると思うんですね。
ですから、そういう中で、流行だけを追うということだけでもないと。一方では、変わらないものというものを、基本にして、どんどん流行も追っていくと。そういうフレキシビリティと、「進化を起こすということは、フレキシビリティがないとダメですよ」とよく言っているんですが。それは、融通無碍というか、縛られないということが、大事なことというか、自己自身の考えということにも、一旦、縛られないでいくと。
他者からも、あるいは、世界からも、自分が良いと思ったことだけが、良いというふうなところまで、踏み込んで考えて生きるということもしないといけないですね。一つの時代が新しく変わろうとしている時に、自分自身のスタンスがどういう体勢であれば、一番より良く本質を掴めるか。

◇「よし、やってやろう!」という気持ち

命というのは、その時代時代でもって生まれて、その一端を必ず担っているわけですね。
そのとき、その場所の生命圏の中の生命体として、必ず役割を持っていると。ですから、確かに、命という一対一の関係、一対多の関係の中に、全ての人間だけではなくて、新しい世界の関係でもあると。
その人間関係だけではないですけれども、そういう関係性の中で、新しい時代を担っていく生き方が、あるいは、みんながグレードアップしていくようなものに対する飽くなき探究をする。少なくとも、命というものが、どこまで続くか分からなくても、それは、何十億年というような命をこれからも繋げていくということは、有り得ないことでしょうけれどもね。その宇宙の中のある時代の中で、どこまで極めるかというところは、命というものの持っている特性や、その命が達成したいというか、掴みたいという想いの一つの現われになると思うんですよね。
必ず、我々は、知情意という人間の能力を、より良く引き出して、そして、そういうことに当たる、関わるというふうなことが、我々の生き方に繋がっていると思うんですね。色々と哲学的に見ると、色んな難しい議論は、色々されてきたといっても良いんですが。
そういう段階から、今、どういうふうな形で、一番コミュニケーションしながら、生きるという事を、より良く掴むかという、時節に来てるんだと思うんですね。しかも、皆さんは、若いわけですから、それを掴もうという大欲を出していただきたいわけです。それで、フロントになるというか、「よし、やってやろう!」という気持ちになるということは、凄く大事なことなんじゃないかと思っているんです。

◇生きることを三世に渡る場で掴む

ですから、先程の話でいうと、既存のいわゆる、自分が思い込みで、色んな幻想とか、間違ったというものも、それもその時の一つの見方にはなりますけれども、そういう中で、どう生きるかということが、より正確にいくと良いと思うんですがね。
擬似科学ではなくて、あるいは、単なる占いなどではなくて、それを科学するという精神というものが基本にないと、本当のところを掴みえないのではないかと。本当ということも、また、色々とあるんですが、その辺りのコミュニケーションの在り方、自然、あるいは、他の生命体、あるいは、そういう人間と人間、あるいは、神と人というようなところも、より良いコミュニケーションの中から生まれてくる生き方、あるいは、自覚の仕方、知の取り方、情の取り方、意志の取り方というものを学ぶと。
それが、今、我々が、三つの言霊、鎮魂、白川と、一番古いものを使って、しかし、一番新しい世界に出ていくというか、そういう試みをしていると。たぶん、私が思うには、時間と空間のポテンシャルみたいなものが、きっと高くなると、エネルギー場が高いんだと思うんですね。超過去と、未来と、要するに、三世に渡るという、過去、未来、現在という三世を、一つの自分の生きる場として、エネルギー場として、そのところで、自分が生きるということを掴むということにも繋がると思うんですね。それは、大きなポテンシャルを持っているから、きっと、今の時代に一番より良く生きる方法というものを、そこから掴んでいく、あるいは、そこを引き出してくるということをやろうという野心というのか、あるいは、大欲というものを持って、共に、やりましょうということなんですね。ですから、ただ古いものを見る、あるいは、未来だけを見るというものではないと。
中今という考え方は、その瞬間の中に、全ての時間軸、空間軸というものの時空間とそのエネルギーを使って、そして、それを自分自身に、あるいは、世界、あるいは、宇宙というものの存在と、どういうふうに関わって、一番効果を、あるいは、能力を発揮していくのかというところが、たぶん、このグループの一つの持ち味になるんじゃないかというふうに思っているんですね。
ですから、確かに、歳を取ろうが若かろうが、全く、関係ないと思うんですね。そういう自在性の中で、学んでいくというか、私も、背負うた子に道を教えられるということは、しばしばであるわけです。それは、子供だから赤ちゃんだから、あるいは、歳を取っているからということは、一切ないと。
その瞬間瞬間に、一つの言葉、あるいは、表している振舞いというものを、しっかりとその音色を聞く、あるいは、見るということをしながら、やらせていただくということに、なっていくわけですね。少なくとも、そういう気持でやるということであるわけですけれども。その辺りが、なかなか意を尽くせないところや、現実の会社や、いわゆる、毎日の生きるということの中で、それを表すということは、なかなか大変なことでありますけれども。少なくとも、そういうことに役に立つことが、仲間として、共に、行きましょうということが、基本にあるということをお伝えしておきたいと。

◇五結びを祀る

色々と考えられたり、色々と「これは、こうじゃないのか」ということも、おありになると思いますが、そういうものも、また、お聞きして、そして、振りを直すというか、そういうことで変えていくということが、これから、必要なことでもあるというふうに思っているんですね。ですから、たぶん、知だけではなくて、あらゆる芸術も使わせていただいて、そして、より良い進化を遂げることを、目標にしていくというか。
だから、この御神殿も、今朝、Wさんに測ってもらったりしていたんですが、それは、皆がこの御神殿という、神とのコミュニケーションのプラットフォームの中で、目標のところとは、神をこの手で掴むということ、あるいは、「神を食うてみよ」という先人達の言葉で言われていることが、具体的に出来る、一番の方法を明示する、あるいは、それを通じて、お祓いをあげることで、その知識を得られるような、そういうことでの五結びを祀るということが必要ですかね。
生産霊、足産霊、玉留産霊、高御産巣日、神産巣日というふうな、産霊ということは、要するに、神と人を繋げていただく大いなるエネルギー場ということなんですが。そういうことも明示して、やっていくと、あるいは、古神道というもの、あるいは、神道というものが、長らく流れ言い伝えられてきて、その中での一つの経(けい)、たて糸というかですかね。その流れを自分でもって、真清水(ましみず)、お水としていただくということが、具体的に、可能なことになるような形でしようと。
それは、歴史的にバラバラにあったものを、今、この神殿の中において、一番良い形で、簡潔に学ぶということが出来るようなことを目指していくと。だから、ただ変わればいいということではないんですけれれども・・・。
ですから、そういう意識で再構築させていただくと。皆様方が、一番より良いものを掴めるような、そういう神殿、神を掴むということは、まさに、神殿という場から結びのヒントをいただくということをするわけですが。そういうことも、やろうとして、努力はさせていただいていおります。
そんなこともありまして、この5月は、色々と変化しますが、休みの間でも、思い付いたことがあれば、また、教えていただければ、有り難いかなと思っておりますので、また宜しくお願いいたします。