0422話:2018年05月08日

◇品位という捉え方は、ビジネスでも大事なもの

今日は、本当に、ご苦労様でございました。
毎回、皆様方の思いをお聞かせいただいているわけですが、皆様方は、だんだんと、心が丸くなって来ているということを感じました。
朝の話から追加しますと、物づくりというのは、やはり、高品質という表現があるわけですね。より良いものを、「安かろう悪かろう」なんて言葉もあったりして、必ずしも、百円均一ではないんですけれども、必ずしも、安物を売ってはないわけではないんですが。
高品質ということが、一つの日本の物づくりの指標でもあって、その先に、高品位という言葉も、テレビなどではあったんですが、いつの間にか消えてしまいましたが・・・。
やはり、品位というか、そういう捉え方は、ビジネスの上においても、大事なものではないのかなと。もちろん、高品質な製品やサービスを提供するということは、当然であるわけですが、その上で、さらに、高品位な製品やサービスを提供するのが大事なことなのではないかと。
そういうものというのは、やはり、メッシュの細かい、配慮の行き届いた、心のこもったなど、色んな言い方がありますが、そういうものは、鎮魂と関わりが深いのかなと一方では感じました。鎮魂ということは、五霊の働きで五魂を丸くするという意味なんですね。この間のチャイルド・アーツ・アカデミーの田植えの時に、泥んこの中でもって、玉を作る子供が、何人か、自然に作り出したということでしたが。

◇六種鎮魂の作法

これは、一つの心の玉というか、まろやかな人格づくりに繋がっていくことにもなると思うんですね。それが、きっと六種鎮魂作法にあるのではないのかなと思うんですね。六種鎮魂の時にやる作法というのは、右旋と左旋の統合ということになっておりますけれども。
最初、荒魂ということは、新しく物を生み出すという働きであるわけです。その生み出したものが、二つに分かれるというのが、二義で和魂。さらに、その分かれたものが、割かれて四つになっていくのが、割きの幸魂。そして、それが、さらに、八つになるというのが、奇魂。そして、精魂というのは、精緻にいう意味で、反対周りをするわけですが。
これは、易の大極から陰陽、それから、四象八卦というふうにわかれていくわけですが、そういうものの一つの表現でもあるのかも知れません。
要するに、細かくなるということは、より繊細になるというか、行き届くというか、それが、また、集まると、きめ細やかな粒子になると。

それを米で言いますと、米を細かく砕いていくと、パンと同じ様に、焼けるようになるレベルの粒子までいくわけですね。今は、最近の技術によって、米でパンが作れるようところまでになりました。これは好き好きありまして、小麦のパンが食べたいという人もいらっしゃいますから、なかなか、そうもいかないんでしょうが。
ナノ革命ということになれば、さらに、細かく分けることによって、物質が大きな転換をして、思ってもみないような新しい働きをもたらすということも、あるわけですけれども。そういう必ずしも、細かいことが良いわけではないですが。粉体というか、それは火が付いたら、爆発しますけれどもね。
ナノ革命ということで、我々は、それを一つのゼトックスという製品の中で、ゼオライトをナノ化したものを作って、早くから、その開発をしていたわけです。それによって、ケイ素を始め、様々な鉄など、その他のミネラル分の効果的な作用というものができたということもあるわけです。
これは、荒魂、和魂、幸魂、奇魂、精魂という魂の扱い方というか、それが、細かな配慮というものがあって、そして、それが展開すると。

◇願いを込めて一番良い状態でお渡しする

ですから、その販売するものに、鎮魂してから、販売すると、凄い喜ばれるということがあるわけですね。O百貨店の社長だったMさんに、私が、ネパールのマンダラを差し上げる時に、六種鎮魂作法をして差し上げたら、それを一部始終見ておられて、「これが、ビジネスの極意なんですね」という感想を述べていただいたことがあって、もう二十年くらい経ちますが、印象に残っていたんです。
よく昔の商人が、商売する時に、手を擦っていたということで、これは、私の前の世代までは、よくやっていて、これは、媚びへつらうという意味にも繋がりがちですけれども、やはり、ものを販売する時に、一番良い状態にして、お渡しするのが、販売の鉄則になるわけですね。もちろん、「ここに傷があります」ということも、ちゃんとアナウンスして、正直さが大事なことであるんですが。
要するに、鎮魂ということは、意味としては、レクイエムということを含むと同時に、そのものが一番良い状態で働いてもらえるということを表現する、あるいは、その気を、その情報を、その物に入れるというのが、鎮魂の極意でもあると。
ですから、物に想いを込める、気を込める、あるいは、情報を込めるということの中身が、渡す時に、「どうか、このものが、その人の人生の中で、より良く働いていただく、元気に役立っていただく」ということを願う事。
「どうせ、安く叩いて買ったんだから、悪いことが起こったらいい」という呪咀のようなことをしたら、それこそ、そういう結果が出るわけですね。
どっちにしても出るということが、顕著に現れるので、それをさせないようにするということが、やはり、鎮魂ということの役割なのではないのかなというふうに思うんですね。

◇精魂は、白川にしかなかった

ですから、この鎮魂も、四魂しかない時代もあったんですね。神道でも、未だに、四魂しか表現していない、そういう伝えが、各方面にいっぱいあるわけです。これは、作法としては、有職と故実、要するに、公家の作法と武家の作法というようなもので、武家の作法故実とは、どちらかというと荒っぽいと捉えられた時代もあるわけです。もちろん、役柄、役目上ですね、そういうことになったのではないかと思いますが。
武家というのは、日本の歴史でもって役割を果たす時に、そういう荒々しさというのが、どうしても必要になった時に、やはり、荒魂という魂が働くように、という意味合いを込めて、どうも四魂というものがあったのではないかと。
ですから、精魂は、白川にしかなかったんですね。これは、明治以降、あるいは、私が、初めて、公にしたのは、それこそ、平成になってからです。そういう精魂という繊細な働きをする魂があって、その上で、五魂なんですと。右回りが四回と、左回りが一回と、回転方向が違うんです。そういうことが、有職という公家の作法の中で、行われていたということですね。
もちろん、それは、公家第一の家ともいわれていた、白川の天皇陛下、あるいは、皇太子殿下にお教えする作法であったから、そういうこともあったのかもしれませんけども。また、統合するという魂の働きを、御一人というか、皇太子や天皇陛下にしかお教えしなかったのではないかというところもございますけれども。
これは、今の時代に、我々は、意識、あるいは、思考、あるいは、文明とか統合というところ、ビジネス、それも資本主義から次の新しい経済のところに、ビジネスを統合していくという発想の中では、今の荒々しい方法というのは、いってみれば、覇道主義という限られたものになるわけですね。
その一方では、王道というものが、一種の対立概念のようにあったわけです。そういうものを含めて、覇道ではない王道、それも、支配するという意味の王道ではなくて、平安清明という、平けく安らけく清らけく明けくという世界を実現する意味の働きというんですかね。
その四つの働きの中心に、誠が存在する。そういうものに繋がるようなものとしての鎮魂の働きをするということが、この時代の作法に基いて、統合というものをする。

◇スメラミコト(統御言)が我々の文明の一番の力

スメラミコト(統御言)という言葉が、天皇の代名詞にあった時代もありますが、今、まさに、スメラミコトが、言葉というものが、我々の文明の一番の力といいますか、それが科学となり、それが、人と人の社会を構成していった、大事な要素になった言葉を、そういうメッシュを精魂という、細かい砕いた言葉の最小単位を使わせていただいて、それが、父韻、母音、子音という、呼び方にも繋がるものであるわけですが。
それを、最小単位にした周波数を、機械の中に乗せて、それを理解していただくということを、Nigiの段階で、それを使っていただくということを、させていただいてるわけですね。それは、何よりも、言葉というものを最小単位にして、使いやすくし、その上で、心地よい波にすると。
そのためのノイズというんですかね、光の中にある、あるいは、電磁波の中にある雑音というものを、処理した装置にしていくということを、我々は、常日頃から、研究開発しているわけです。そういう高品位にするという態度が大切というんですかね、それに基いて、我々が、オペレーションしていくと。

◇和学の、新しい世界への表現になる

今日、皆様方が集まっていただいた、私の感覚としては、もちろん、Tさんと智樹くんと一緒に、業務を細かく砕いていただいて、そして、最適な会社の動きとして、豊福さんが見ていただいて、より広げていただいたというか、我々の心と、その仕事の場面を広げていて、そして、その上で、細かく突き詰めるということが、業務フローによっても、これからの研究開発の部門でも、メッシュを細かく見ていくということを、実践していくということが、いよいよ始まっているんだなと。
その結果、既に、皆様方の心の安寧、優しさというものに、至るまで出てきて、それが、働きだしているということが、非常に嬉しく感じたことでした。
もちろん、この社会は、すでに理想社会ができているわけではありませんから、時には、厳しく、あるいは、荒々しく、言葉が出てくる場合があっても、一向に構わないと思うんです。その時に、反省といいますか、省みるということが、人の五情でもあるわけですから、それをしつつ、さらに、荒魂、和魂、幸魂、奇魂、精魂という六種鎮魂で習う存在ですね、人、あるいは、物、あるいは、神という存在を鎮魂して、そして、その本質に入っていくということを、共にやっていくことが、これからのイソノミヤ社会が出現するために大事な部分になろうかと思うわけですね。
きっと、夏に甲府フェスが出来た暁には、きっとそういうことが、ふとまにの里、あるいは、温かく迎えて、新しい時代の子供たちの元気のために、また、そういう社会として、共に暮らせるような、それが終の棲家、あるいは、未来の、あの世を含めた鎮魂ということが、出来るような存在として、その場が出来るようになれば、これがまた、日本の一つのネオジャパネスクといいますか、和学の新しい世界への表現になるのではないかと感じています。今日、こうして皆様方の一つひとつのお声を聞かせていただいて、審神者といたしましては、心地よい思いをさせていただきました。
これから、新加入された皆様とも共に、歩めるということに感謝をしながら、一つの大きな力になって、世界の平和のために、安寧のために、共に行こうと。
仲間として、行っていただきたいというふうに感じた次第でございます。
今日は、本当に、ご苦労様でございました。
ありがとうございました。