0425話:2018年05月10日

なので、ホーキング博士が、間違っているのを、絶対に証明したいというニュースを見て、ここ数日、考えています。

【七沢代表】

◇創ったものと無限というものとの齟齬が生じる

ホーキング博士は、科学の範疇というか、その中で、特に、物理学が専門なので、その物理学の中の論理で、一種の閉鎖系ですよね。その中でもって、宇宙を考えないといけないという制約があると思うんですよね。
ですから、例えば、四大エネルギー場というものに、縛られないといけないし、端的に言えば、数式とかで、合理的に説明しないと、という制約があるということですね。神というと、哲学や宗教の世界の範囲だから、ある面では、全知全能というか、そういう開放系というか、その中で、証明するということになるんですね。その時にも、全知は創られたということも含めて、証明できるかと思いますが、全能というか、神のもっているもう半分の定義内容が、証明できないと。それは、人間が参加して証明しないといけないということになるから。
神一人が、全て、宇宙を創ったということ、全て、自分の思い通りにいくということを、最終的には、そうなるかもしれないけれども、途中では、創ったものによって、制約されるというか、そういうことが起こるから、神の側面のずっと無限ということになると、また、矛盾をしてしまうというか。創ったものと無限というものとの齟齬というものが生じるんですね。そのところを、論理として上手く言えれば、神も証明してもよい、あるいはその証明が可能になるということになるんですね。私の中では、そうなっているんだけれども(笑)
もちろん、主観ですが。

◇神のストーリーを実験する

ただ、一神教の神を標榜する人達が、悩むんですね。そういう宇宙を、「神が、良し」として創ったのに、どうして、全うなというか、良い社会に、良い世界にならないのかという事があるわけですね。それを、一つの物語、ストーリーの中で、そういう神の創造を考えると。最初は、理想社会があったけれども、それが、上手くいかない。
しかし、そのことを知って、克服して、最後は元の神の理想に戻りましたというか。ストーリーとしては、最初から、平和でしたというのは、物語にならないでしょ。シナリオにならないから、結局は、文学的というか、ストーリーにするんだったら、最初は良いということを知らせ、次に、不都合だということを知らせ、そして、また、元に戻るということを証明すると。それは、ストーリーが無かったら、何も問題が起こらないから。
要するに、神話という神のストーリーが、どういうふうにできているかということを知ることが、今、神話学ともいいますが、神話を通じて、そういう物語を完成させるということは、一つの実験として、神話というものの実験するということですかね。
我々はストーリーを実験するという意味では、古事記という物語を実験してみようかという意味です。盲目的に、神の神話を信ずるとか、それがあるというふうに思うということも良いんですが。それは、現代の社会の中では、なかなか難しいことになるわけです。知というものが発達したことによって、「ちょっと、これは不都合、おかしいんじゃないの」ということが出てくるわけです。

◇科学的な態度で、神話や神という存在を捉えていく

ですから、我々は、宗教とか神話を、そのまま信じるわけにはいかないですね。こういうお祓いの言葉でも、現代科学、今ある科学の中でも一番先端的な部分から見ても、先端的な科学とは、ある面では、そこまで、歴史の中で、陶冶(とうや)というか、砕かれて、まともになっているものをテーマにして、そこから見て、神話というストーリーや神という存在をどの様に、捉えていくかということをやっているわけです。これは、科学的な態度でということですね。
ですから、我々は、お祓いを毎日行っているということも、祭祀ですけれども、実験祭祀といって、心の実験でもあるし、そういう神を掴む実証実験でもあるし、あるいは、そういうことが社会的に、どれだけ役に立つのかといったら、おかしいんですが、社会効用のための科学という考え方もありますので。そこまで、トータルで考えないといけないことだと思うんですけれどもね。
そういうことも含めて、実験祭祀学ということで、学問的というか、科学的に追求する態度は、忘れないでやるということが、今の時代の、科学と宗教をいたずらに対比したり、神話と科学を対比するわけではないけれども、少なくとも、今の時代に、納得できる生き方をするということは、そういう証明をすることを怠らないということであると思います。
概念という抽象的な言葉もいっぱい出てきますし、それを科学の概念に落とし込む場合も多々出てくるけれども、それを一つひとつ自分の中で納得できるものにして、それを証明したりするというか。

◇装置化することで、腑に落ちるという確信に至る

その為に、そういう概念言語というものを使って、概念装置というか、そういうものを作る、観念も、主観の中で、グルグル回しても滑っていくだけになるんですね。
そういうことを繰り返さないで、実験して、そして、それを試行してみるということをしながら、一方では、次第に、納得できる論理や概念の言葉を使って、そして、確信に至ろうとすることが必要になるんです。自分の心や腑に落ちるというか、「ああ、そうなんだ!」という一つの悟りのような世界の中で掴むには、装置化が必要なんですね。
「確かに、こういうふうになるんだな」ということを、客観視することで、我々は、それを学ぶ、学び取るということをしているということなんですね。
それが、少なくとも、この時代に、一気に、この七十年で、我々がやっているコンピュータというものの進化があったわけですね。それは、ノイマン型のコンピュータであろうが、量子コンピュータになろうが、装置であるということは、同じなんですね。それは、どれだけ機能が、広がるか、あるいは、都合良くといったら、おかいしいけれども、思い通りに、メッシュを細かく使えるかということが、テーマであるわけですから。
あくまでも、機械は機械なんですね。それを使って、疑問に思うことや、知りたいことを知ろうということですね。そういう意味では、神という世界は、一番、簡単に言えるけれども、深い世界だし、その証明をしたり、納得の行く形で、受け入れるということは、大変なことですね。

◇信じるだけでなく、宗教でも証明することは出来る

これは、宗教であっても、そうなんです。宗教ということは、ある面では、神の技として、キリスト教だったら、イエス様は、処女懐胎ですね、マリア様から、有性生殖ではない形で生まれてくるということを信仰するわけです。お釈迦様は、摩耶夫人の手の脇から生まれたというわけですね。
宗教というのは、自己の心をもって、それを証明しないといけないわけですね。自分が、たしかに、イエス様は、マリア様から、処女懐胎して生まれてきたということを、自分の心の中で、証明しないといけない。その為に、修道士や修道女の長い時間がかかって、自分で証明するということをやっているんですね。それで、今、バチカンも困って、そういうことが証明し難くなっていて、色んな弁明ごとを言いだしたんですね。だから、根本に関わることを証明するということは、宗教でも出来るんですよ。色んなことを、いたずらに、がむしゃらに、信ずるということではなくても、証明するということなんですね。信じることは、一種の証明方法であるということなんですね、宗教は。
その辺でも戸惑っているんですね。そういうオーバーランしてしまった形ではなくても、信仰というものは、一つの方法としては、幾らでも証明できる方法もあるんですね。それは、人類が、三千年間の範囲の中で、信ずるということを、一つの方法論として、やっていた時代もあるということですね。今は、我々はその方法を取らないということだけであって、神を証明するということはしなくてはならない。

◇手段としての科学を通じて神を証明していく

だから、同じことをやるわけです。それが、手段としての科学や様々な実験ということを通じて、神ということを証明していこうということをしようとしているわけです。
ですから、今、我々が、毎日の実験祭祀学の祭祀の中で、やろうとしていることが、どこまで、納得できるものか、ただ、いたずらに、お祓いをあげていてもですね、まあ、やっていれば、必ずそうなる、できるという信念も良いんですが・・・。
詳細に、証明できる方法を立てて、自分でそれを証明しないといけないということがあると。その為の科学であり、社会というものの中で、それが本当に役に立つかどうかを試しながら、やっていただくと。
なので、若干、確信に至るまでの経過では、時間がかかる場合もあると。
また、そういう方法が、まどろっこしいとか、そう思うこともあるから、その場合は、簡単に行く方法があったら、「どうぞ、やってください」ということを言わざるを得ない場合も出てくると思うんです。
しかし、我々が、ここまでやってきた営みの中では、必ず、良い結果を得られるということが分かってきたので、それで、一つの確信である集いが、いよいよ、世界の中で、一方では、試されるということが起こってきているんだと思います。その辺を、考えていただいて、いくと。

◇子供たちこそ、新しい時代を救う人たち

当然、十歳の子供が証明できるということは、今日、最初に、そのことをお聞きして、そのことは、どういうことかというと、やはり、人類の意識進化が、70億人とか、生まれてくる子供たちや、生まれている子供たちこそ、新しい時代を救う人たちなのではないかと。
少なくとも、ある面、新しい意識進化が起こって、そして、そういう人たちが、新しい時代を、築くための様々な論理や実験や証明方法を、もたらしてくれるのではないかということは、一つの希望としてあるし、そういうことが起こっても、おかしくない時代になっているということは言えると思います。
そういう意味では、今の時代には、たくさんの情報があるから、そういうものをどんどん受け入れるというか、漂わせて、それを一つ一つチェックして、証明に役立つものは、取り入れていかれたら、どうでしょうか、ということが、提案としてはあると思います。
今日は、こんなところで、ありがとうございました。