0426話:2018年05月11日

おはようございます。
何かご質問はありますか?

●Iさん
実は、私、四月十九日に、大事故を起こしまして、本当に命拾いをしました。小淵沢の辺りで、お恥ずかしい話なのですが、居眠り運転をして、家内も新しく飼った犬も、大丈夫だったんですが、車は全損ということで、廃車になりました。
私は、どんな状態でも、寝ないと思っていて、ずっとそういう状況だったんですが、年齢もあるし、状況もあるし、「俺は、大丈夫だ」と思うこと自体が、慢心だと凄く反省しました。それと同時に、今回、廃車になるんですが、軽自動車で行っていたら、死んでいただろうと・・・。今回、大型の車に乗っていたものですから、それが、私を守ってくれたということで、全損になった車に、何かしてあげられることというか。
有り難うという感謝の想いは、もちろん、持っているんですが、何かあるかということを、お聞きしたいと思いまして。

【七沢代表】

◇「元津御座に、還りましませ、昇りましませ」

鎮魂するということを、やるんですが。それは、葬(はふ)るというか、その時に、必ず、六種の鎮魂をしてですね。
形があるものは、必ず、御魂(みたま)があるから、それを、「元津御座(もとつみくら)に、還りましませ、昇りましませ」と言います。
物品もそうですが、最初に、出会うというか、その時に、鎮魂して、拭けるものは拭いたりして、車の場合だと、温塩水に浸した新しいタオルを絞って、拭いていくんですね、簡単に、中のハンドルとか、シートを。その上で、火打ちを打って、鎮魂するという、神社のお祓いにあたるものも、斉藤さんに確立していただいているんですが。そういう方法も、新しくなりましたら、一度、そのお祓いをしてもらうと良いんですが。
鎮魂ということは、物の働き、車には車の働きがありますが、その働きを統合するというか、安全に走ってもらうための魂というか、働きを活性化するという意味で、そういう祓いと鎮魂があるんですね。本当は、毎回、運転席でも良いんですが、六種鎮魂をして、それから、後は色々と安全のための言葉があるんですけどね。

◇目的地に行くまでの道をイメージして気を通す

自分の目的地に行くまで、安全に行くための気を通すという作法もありますが、今は、ナビがありますが、ナビでずっと道路がありますよね、その全体像を頭に浮かべて、あるいは、その画面で、近い所だったらイメージできますから、そこに行くまでの道に、気を通すというんですかね。その間に、安全に行くということを、念じるんですね。その時の祈りのような言葉があるんですね。
だから、事故に入らぬようにとか、事故というは、事故になる範囲の中に入ると、事故を起こすでしょ。
追突事故もそうですが、事故を起こすというのは、ある範囲があって、その中に、自分が入っていくと、危険度が増すわけです。
その範囲の中で、相手がブレーキを踏んだら、追突してしまうと、あるいは、自分が急激にやったらですね。後ろから来るものは、バックミラーを見ながらということを、皆やっているわけですね。「危ないよ、危ないよ」と後ろに向かって注意してあげればいいんですね。
そういう気を通すと、事故というのは範囲があるから、その事故の範囲の中には入らなければいいわけです。そして、事故に入らない、事故を受けないと。そういう構文というか、それを作って発信すると、なお良いんじゃないかと思いますけどね。

◇自分と他者を繋いでいる「魂」という概念

要するに、最後に、別れを告げるというか、人とも物とも自然とも、それは鎮魂というか、最後の繋いでいる概念というのは、魂(たま)ということですね、魂(たましい)というかかね。それが、結局、自分と他者のコミュニケーションとして、繋いでいるものだから、我々は、必ず、鎮魂をするわけです。
鎮魂というのは、だから、外と内、あるいは、コミュニケーションの一番のプラットフォームは、魂(こん)ということなんですね。
これは、歴史の中で色々と研究しようとしたけれども、ギリシャの時代から、科学的にも哲学的にも、それは、最古のエジプトもそうでしょう。
結局、残っていないですよ、魂の取扱書が無いんですよ。
しかも、神道でも、四魂といって、四つしか無いと言ったりしていたから、それは、自分の中にもあるし、外の存在にも、魂という存在があるということを理解しないといけないんですね。それを、プラットフォームにして、通い合うんだと。
それを、宇宙でいうと、重力というよりも、電磁気の範囲ですよね。それで、そういう電磁気が魂として存在していると言っても良いんだと思うんですよね。

◇父韻を繋いで子音にしていく

だから、魂というのは、見えないから、なかなか分かり難いというか。ただ、そこが物事が呼応する起点になっているんですね。
自然も、五魂と言ったらおかしいんですが、自然の神も、そういう木火土金水も、いわゆる、魂の表現の一部なんですね。木火土金水であり、木の神様、火の神様、土の神様、金の神様、水の神様と、それもまた、五魂の別名になっているんですね。それがしかも、言葉でもって、我々は、母音といっていて、ずっと続く音ですね。
「あー」とか「いー」とか、「あいうえお」は、ずっと続くということで、その瞬間の繋いでいるわけですね、父韻を繋いで子音にしていくと。そういう言語も、「あいうえお」は、特に、五行であり五魂とイコールなんですね。その繋ぐものなんですね。そして、それが、言葉の言霊(ことだま)、言葉の魂(たましい)ということになるんです。
それが、また、言霊(げんれい)となると、結合するということの父韻と母音を繋いで子音にする、興台産命(こことむすびのみこと)と己等乃麻知比売命(ことのまちひめのみこと)、父と母で、子の天児屋命という創生の三角形になるんですね。

◇言語を繋ぐのが言霊(げんれい)

言語を繋ぐのが、言霊(げんれい)といってもいいと思うんですね。ですから、言霊に行く前に、そういう言魂(ことだま)として、我々は、繋ぎところで、情動というか、自然を詠ったりした詩が、万葉集には、沢山あるんですが。そういう詩で、感情を言魂で繋いでいくわけです。それが、文学になっていくわけですね。
今回、Hくんが、源氏物語を編むと、その心の状態を色んな模様、ストーリーにすると、恋とか愛とかの詩になるわけです。それが、次第に、小説として長い文章になっていくということですね。
我々は、それを構文ということでもって、まだまだ導入したばっかりですから、それを更に、良いものを作っていくということで、そのことが、情緒を繋ぎ、情緒が精神というものになっていくところから、その成果の一つひとつが、ご褒美としてというか、いただけるということですね。それが、精神ですよね。魂も精神になっていくわけです、大和魂が日本精神にとか。そういうふうに、なっていって、それが次第に、神の世界の大国主の神とかに。
我々は、基本的に、最終的には、神を掴むというか、神を証明するということをやろうということですが。それに、遠津御祖神から、国津神、天津神というふうにして、初まりの造化三神まで掴もうということで、ご修行やお祓いがあるわけですね。和歌、詩も、何故あるのかというと、そういうことなんですね。そういう魂というものが、起点になっているということですね。

◇部品点数の問題

これが、また、今まで世界が分からなかったことで、それをしっかりと掴むというか、科学的にも、掴まないといけないわけですね。
そこら辺が、我々も日々の生活の中で、そういう今や機械や装置、車もそうですが、一つの部品点数の問題だけで、自転車からバイクから車から、船舶や飛行機になって、今、宇宙のロケットや人工衛星にもなるんですよね。そういう部品点数の問題ですよね、機械としては、あるいは、その性能の問題でも、速さの問題でのノイマン型コンピュータ、量子コンピュータとかいう言い方でね。量子コンピュータで、全て済めばいいけれども、それも一つの幻影みたいなもので、見えていないわけですから、本当の波動、波というものが。
そういうことでもって、知ろうとするために、色んな人と機械、あるいは、コミュニケーションのプラットフォームを積み重ねていって、そして、神というものを、掴もうという非常に野心があるというか。

◇ド真ん中にあるものが「魂」

そういう出会いを当たり前にしていた自然というものの中で生きていた縄文の時を、我々の知恵にして、今の時代を、自然というもの、あるいは、神というものを掴んでいく時、階層性でそれを掴もうとしているわけですから。
この一番、核になるというか、ド真ん中にあるものが、魂だと思うんですね。それを、しっかりと物からも学ぶと。人からも学ぶし、神からも学ぶということで。
日本では、元々、階層性で、神、君、臣、民、忌という五階層でもって、人間の役割までふったりしていましたが。そういう階層性の知恵というのは、二十世紀になって、初めて人類にもたらされたものであったのです。今も、我々は、マンダラ風に、まずは、見ていくという。あれも一種の位相でもあると同時に、階層であるというか。そういう見方をする一つの基本のところにあるのが、マンダラというシステムだということですね。

◇仏という「魂」

マンダラの大切なところにあるのが、仏という魂ですね。だから、みんな魂にして、概念にして、名付けていくでしょ、役割を当てていくということをするんですが。色々な広がりはあるんですが、そういう階層性でもって掴むということをしながら、上り下りする時のベースになる大事なところが、魂であると。
そういう意味でも、交流する時に、魂として、感じ合うというか、それは、物を持っている一つの、もちろん、それは、様々な物質の粒子であったりするんだと思うですが、その中にある、共通に共振、共鳴、同調できるようなものを、それが、感情的になったりするということもありますが。人間関係も、そうですが、そういうものを、魂の働きの中で学んでいくということは、大事なところです。
日々、起こる、そういうことも、我々が、必ず、鎮魂して、物を鎮めると同時に、最高度に、その物が歪まないで、うっ滞しないで、活動できるようにするために、鎮魂をするということです。その働きを促すという操作をしているわけです。もちろん、我々も、身体を、そういうふうにしようとすると元気になっていくということもありますから、そういう事も学んでいくということであろうかと思います。
ありがとうございました。