0429話:2018年05月13日

◇神と魂を、産霊がつなぐ瞬間の、新たな単位

見えないことと見えることの一線のところが、きっと、波動と一番細かい粒子が向かい合っているんですかね。今は、ナノ(nano)くらいまで行きましたけれども、ここでも物質界の革命が起こるんですが、もう一つ先の小さい単位のピコ(piko)になります。例えば、炭素も、ピコ単位の炭素を、色々とやってみたんですが、やっぱり大きな変化が起こるんですね。きっと真ん丸の電子も素粒子も、結局、一番見えるというものの最小単位と、見えないというものの波動というんですかね、その波が、ある瞬間に、観測されれば、それが、粒子ということになるんだと思うですが。
その狭間というんですかね、波動と粒子の狭間に、普通は、そこに、観測するという意識が入るといいますが、ちょうど、それを、ありありと掴むということが、これから大事な感性や階層の世界というんですかね。
それは、神と魂を産霊ということの観測者としての霊というか、それが繋がる瞬間のところが新たな単位になるのかなというかですね。ありのまま言っているから、ちょっと慣れていないので、この部分は、思考的には、もうちょっと熟成させた方が良いかなと思っています。
我々は、幽祭と顕祭という祭祀をやるんですが、たぶん、そういうものを、ありありと掴むということは、たぶん、実験祭祀の大事な部分ではないのかなと。

◇白衣を着ることの意味

我々は、そういう意味では、白鳥先生も、大伴さんも、ある面では、世界からの監査役、最高顧問の方ですね。要するに、正しい祭祀をしているかどうか、監視していただかないといけないところがあるんです。我々は、あまりにも、フレキシビリティがあって、自由自在に動けるから、ある面では、大自在と思い込んで間違ってはいけないところが多々あるんですね。
そういうところは、我々も一人ひとりが、自分自身を省みながら、生きなければいけないというところ、あるいは、進化の要諦として意識進化をさせていかないといけないという立場にあると思うんですね。
白衣というのは、心に一点の曇りもない、あるいは、どんな神の色にも染まりますよということですね。ある面では、死者の世界ですね。ですから、そこからは声がありません。白衣を着たら、黙っているんですね。お祓いをあげて、更に清まる、それだけなんですね。そういう世界が、白川の白衣を着るということの意味なんですね。ですから、その辺りは、これからも、そういう意味の沈黙というか寡黙で、祓いに臨むということですね。
祓いというのは、ある面で、その確認という意味ですね、「語止めしめて」ということの意味が。それを、実践する場でもあるということでございまして、非常に意味がある。
世界中で、白衣でもって、お祓いするということは、たぶん、みんな嫌いなことではないのかなと、嫌なことかもしれません・・・。そういうことを、強制しないけれども、それが、望まないといけないということで、ついつい、その沈黙の恐怖に、駆られることもあろうかと思いますけれども、そこは、しっかりと祓いに変えていただきたいと。
これは、我々が、それこそ、白鳥先生の座禅の世界ではございませんが、警策ですね、動くと、ピシッとやられますから、そういう点は、永平寺や妙心寺の静寂の中にあるということが、理でもあるということは、一方では、知らなければいけない世界でもあろうと思っております。そのことは、今日、確認すればいいことですから、これで終わりますけれども。

◇修行が真っ当であると確認できるように進化させたい

少なくとも、今、我々は、魂という、真ん丸にすると。自然の中には、太陽の真円と地球の中心の金属としての真核ですね。
それを、今、我々は、シリコンの鏡、世界で一番平らな鏡を作りました。シリコンの真ん丸の球を作りました。そして、また、日本の伝統の乙女鉱山の水晶の真ん丸の物を作りました。そして、また、三種の神器の宇宙にある、四十何億年か前、その真核が割れて散らばって、そして、地球に落ちてきた、隕鉄で、今度は、剣を作ります。そして、歴代のご皇霊の御魂を鎮めるため、ようやく白鳥先生とのお約束で、明治天皇がお召しになっていたものを、御神体として、祀ることができるわけです。そういうことも、ちゃんと約束でもって、我々は動いているので、そのことも、しっかりと今年にやる用意しております。
そして、また、天皇になる役割である八神殿の道も、みんなが共に、鎮魂できるための道場としての祝殿も、いよいよ、これも用意できるということ。
今日は、中身のことは言いませんでしたが、そして、言葉の魂である、それをいよいよ祀ることも、五十音を祀ることも、いよいよ始まります。こういう全てを、全国一宮も用意して、日本全体に、発信を含めたこともやらせていただくと。
これは、別に、私が、勝手に、考えたことではなくて、一つの神示として、それが行われるということが大切かなと。
そのことも、また、皆さんと共に、客観視して、審神者の中から、それを良しとして、それを更に、高めていくということをしたい。そして、その修行が、更に、世界のどの哲学や科学や宗教から見ても、真っ当であるということを、確認できるようなところで、それをまた、進化させたいというのが、我々の道であるわけです。

◇伝承してくださった皆様方の志に背かないように・・・

そういった意味で、これから、色々と世界にお見せするためのものが、やはり、我々が、どうしても祭祀というものが、私の自由性というのか、一番祭祀が嫌いな人が、こういう祭祀の一番難しいものをさせられるというか、させていただくというのが運命であると。昨日も、健康に一番ふさわしくない人間が、健康学セミナーをやらないといけないという矛盾とも、良く似ているところでありますけれどもね(笑)。
そういうことをやらないといけない不思議な時代であるし、そのことを、どうしても、その中で、実現していくという、皮肉なところかもしれませんけれども、世界の、今まで人類のために、やってきたたくさんの菩薩達、あるいは、愛行者、愛を行じてきた人達、そして、その日本の古神道を、今まで伝承してくださった皆様方の心、あるいは、その魂(たましい)に、あるいは、その志に背かないように、この道を、世界にお見せするということが、きっと役割なんだろうと思いまして。
非常に厳しいようですけれども、一人ひとり、襟を正していうか、やらないといけないこともありますということで、もちろん、フレキシビリティという意味での自由性は持ちながら、無といいますか。
昨日も、無字の考案ではないですけれども、「一体、どうなっているんだ」ということも、小笠原先生も聞かれて、「それを実現しろ」と言われたのと、同じ様に、我々も、そういうカソリックの修道院、修道士の行の中にもありますけれども、そういう沈黙の行というものがあるわけですが。そういうものに匹敵する、比較されてもおかしくないような、そういう真摯な取り組みをこれからもやっていきたいと。
かといって、そういうフレキシビリティですから、融通無碍に行くということも、忘れてはいけない。非常に難しい修行ではあろうかと思いますけれども、その辺はどうぞ、皆様方、共に、心の中では、本当に楽しくというんですかね、ウキウキするような気持もありながら、共に、修行していく仲間でありたいと思っておりますので、今後共、是非とも、宜しくお願いしたいと思っております。
本当に、今日は、ありがとうございました。