0431話:2018年05月15日

おはようございます。
今日は音響機材が用意されていますが、今日は音楽会があるそうですね。そのことがあったかどうかわかりませんが、朝2時くらいから、ベートーベンの第五を聴いて朝寝坊してしまいまして、申し訳ないと思っています(笑)

◇二十数年前の発想

我々も、なんというのか、バッハのコラールにのせて大祓を、バッハの生誕地のワイマールでみんなで出かけて行ってですね、教会とかでも臆面もなくというか、その演奏をしました。この中でも何人か一緒に行かれたかもしれませんけれど。こんな大胆なことをやって。
考えてみますとバッハという人はとんでもない天才というか、2000年に一人のキリスト教の音楽の中でも一番の天才というか、皆さんご存知のようにマタイ受難曲なんて誰もが感動するというのか、この間やっていました。将棋のひふみんも大好きなんていうようなことを言っていましたけれど(笑)
要するに、そういう教会音楽ですよね。毎週の金土日に、祭祀をするわけですけれど、その時に全く新しい曲を作ってですね、演奏していたというような、それくらいたくさんの曲を、マタイ受難曲でも68曲もあるわけですね、そういうものをやっていたんですけども。
考えてみると、音階なく我々は朝のお祓いをしますが、本当に、半音ですら、ずれると今日は違ったとかですね、信原さんに、今日はいらっしゃらないけど、言われたりですね。
金さんにも、一度ここで録音してもらったことがあったんですけど、あなたの音だけ半音上がった、自然に上がっていたとかですね。
だからその、ずっと同じ音階ということで、音を出していますからですね。しかも等間隔でもって、ですからそれで、作曲という、作曲ということでもないんですけどね、コンピュータでもって大祓が作れるんじゃないかって、それは四分音符だけという、ずっと同じところ、ミ音だったらずっといく、ラ音だったらラでずっといくっていう、ただそれだけだからですね、そういうものも、昔はコンピュータで作れなかったんですね。
僕が最初に興味があったのが、全ての高校の校歌を一旦分解して入れて、そしてそれをコンピュータに入れて、それを一番平均的な曲を作るというようなことをどこかの先生がやっていたことがあって、そのことが頭にあったんでですね。二十数年前に、そういうものができないかと、コンピュータでですね。

今も、我々も、初音ミクのボーカロイドに合わせて、それでやりましたけれども。そういう非常に、なんというんですかね、非常に怖いもの知らずというのか、なんて言うか、音楽の世界を、怖いもの知らずでもってやっているところもあると思うんですけども。

◇砂漠の中では星を観測しやすかった

朝、ベートーベンの五番を聴いていたんだ、って小野寺さんに言ったら、今日は変わるんですよ、運命が、太陽系の牡牛座に天王星が入る日で、その上、今日は新月で、今日の夜から変わるんですよと言われて、これは前からYugiさんからも言われていたんですけれど。
我々は、日本の、そういう音楽もそうですけども、西洋占星術で、惑星の動きというのは、日本は、星というのはただ星というくらいですね、「つつ」というふうな上代語があるくらいですね。あまり、それを今のこれから入る梅雨のせいにしてもしょうがないんですけどね。民族としてそういう占星術というか、中近東のような砂漠の中の民族が、月や星を見て、なんせ暑いですからね、夜の方に星が降ってくるように、手に取れるようなくらいの星の。私の知り合いの研究者でもですね、ゾロアスター教の日本の研究者の岡田明憲さんという方がいたんですけども、彼が、砂漠の中で星が本当に降るという経験したと、手に取れるように感じるんだと。ですから、そういう星を観測するということがしやすかったということが確かにあったのかもしれませんね。それで発達したということはあると思うんですけどもね。

◇アジアでは豊かな自然の中で五行を理解した

そういう占星術で捉えるという捉え方は、我々は、ある面では言霊も、恩恵を受けたといったらなんですけど、それもやっぱりシュタイナーも、木火土金水を太陽系の惑星に当てはめてですね、もちろん前から水星とか金星とか土星とか木星とかっていうような言い方をして太陽系の惑星の動きを表現したわけですけども。
我々は木火土金水というか、特に東アジア的というか、アジア的な視点では、自然観察の中で五行ということが中心にできたから、その違いがあったから、太陽系の惑星を五行に当てはめなかったというか。シュタイナーも、アイウエオと五行と両方を太陽系の惑星になぞらえたということはあるんですね。私はそれは違うんじゃないかということで、それを、父韻という日本語の考え方で、8父韻を惑星に当てはめたというかですね。多分ですね、天王星はちょうどその境目あたりにあるわけですね。

◇自己「あいうえお」と他者「わゐうゑを」

ですから、人間というものが、自己と他者の理解のためというか、そういうものの観察のためにですね、占星術も一種の、要するに地動説・天動説でいうと、天動説での表現は、後に地動説の表現になるんでしょうけど、基本的にそういう五十音というのはある面では、「あいうえお」と「わゐうゑを」じゃないけれど、音表でうまくそれが、自己と他者というか、半母音でもってわけるようなことをしているわけですね。ですから、「やいゆえよ」のところもひとつの父韻というか母音のですね、や行の「Yi(ゐ)」ですね、「Ye(いぇ)」っていうのも出てきましたが。
自己「あいうえお」と他者「わゐうゑを」という、そういう自己と他者というものを感知するための音というものが、半母音と母音という形でできていてですね、それが太陽系の、あるいは、それが宇宙大になっていったときに要するにダークマターではないですけれども、そういう存在と光というような存在の中で、宇宙というものを感知するためのそういう理解の仕方として、捉える時に「あいうえお」と「わゐうゑを」を表にしたのではないかということですね。

◇太陽系には惑星の音が充満している

あとはその、ちょうどですね、太陽系もグラフィック的にみると全部が平面で回転しながらですね、しかも銀河系の中を、ちょうど縦に上っていくように描けるというようなことを色々なグラフィックで皆さんも見たことがあると思いますけれども。その中で、銀河系の回転の中でそれが2億6千万年で動いているんだと、自転は2万6千年でという捉え方とか、そういう宇宙観というものに立って、そして我々が開く宇宙の1つひとつの音として捉えてみると。
木星の探査機ジュノーですかね、木星に行くまでの間全て録音されていたんですけどね。
その音を聞くと、惑星に近づくとその星の運行の音が入るというようなことがありまして、聴いたこともあったんですけども。
そういう太陽系に多分、そういう惑星の音が充満しているというかですね。もちろんこの地球の音もしているというかですね。そういう中で我々の「SIZIMA」というのも、そう聞こえているとして作曲しています。そういう意味では、太陽系の中の惑星も音を立ててですね、轟音を立てて回っている、それを、我々は、惑星の音としての父韻と地球の五行の音としての母音とそれが交わった瞬間の音色である子音というようなですね、そういうことを言霊ではないのか、そういう概念を取り入れて、それを今理解してですね、宇宙の音を聞くというようなですね。

◇宇宙全体の音色が、言霊のもとになっている

静寂(しじま)というのは地球の音ですけども、もちろんその中には太陽系の振動というか回転の音も当然きているわけですね。
そういうものを聞こえない音、あるいは当たり前に、海にちょうど、波が砂と一緒に立てている海潮音と言うんですかね、ある面ではそういうものが自然にあるわけですけども。そういうものと、そういう太陽系の回転している固有の音というものを分けたということですね。それを50音に変えていったというような、日本語で言うと84音くらいまで分けたということになるかと思うんですけどもね。
結局、日本人は、地球の色もそうですけども、5色とか、音階もそうですね、5音階とかに分けている。そういう7音で巡るひとつの、これはそういう色々な分類があると思いますけども。しかし、そういう、人間が感じる、絶対音階というものはDNAとして備わっているということを言うわけですね。
我々がFOXP2という言語遺伝子というものを持っているように、絶対音階という遺伝子を持っているということが最近ではわかってきているわけですね。そういう音階というものの理解ということが、そういう宇宙全体がそういう一つの音色になっているから、それが当たり前なものとして脳が、あるいはDNAがそういう響きに呼応して発達したということが言えると思うんですね。
そういう音、色というようなですね、それによって、それを一つの音であり、一つの文字にしたという、そういうものが一つの言霊のもとになっているんじゃないか、という捉え方ですね。そういうものが始めからあるんじゃないかというようなことをいうのが、言霊という、布斗麻邇という概念ですけども。
我々も、そういう音というようなものを聞いた時、それの十分な、古代の西ガーナのジャイロフォンという木琴とか、アボリジニのディドゥリドゥとか、超古代の楽器のそういう音色を聴いてみても、それが様々な響きを持っているというかですね。
我々が、こういうふうに声を出して、コミュニケーションするということも、一人ひとりの音色であるというんですかね、心の音色がですね、それぞれ響きあいながら、そして、それをコミュニケーションしているというようなことが根底にあろうかと思うんですね。
それは、そういう惑星もそうだし、太陽系というものも、そういうコミュニケーションしながらですね、各星と星がコミュニケーションしながら、法則通りというか、動いているということ、それと同じように我々もまた、そういう各音色を持ちながら、それぞれ決してぶつかることはなくて、そういう命というものをコミュニケーションしているんだと。

◇それぞれの存在が音色や形になっている

そのことが、ご修行なんかやると、だんだんそういうことも見えてくるわけですね。ですから、ご修行も含めて、人と人のコミュニケーションということが、それがですね、神と人ではないですけども、そういう広がりのなかで理解するというようなことが可能になるというようなことを、我々は体験するということになろうかと思いますけどね。
そういう基本的な部分というんですかね。言霊、文字あるいは音、それから色というようなですね、そういう稀有というか、ありえないようなことのなかで一番楽しい、そういう音色を奏でるというんですかね。それぞれの音色を聴くということが可能になる。
それは良い悪いということではないんですね。昨日の荒神(こうじん)は、病気そのものの神と言ってもいいわけですね。病気の形がないけども、形があるとすると、昔で言えば毛穴、現代風に言えばDNAとかですね、細胞の一つひとつという意味ですけども、そういうものの形や色が起こる前の、そういう存在としてのそういう病気という影は、見えない存在としての、それをひとつの神と呼んでいるわけですね、荒神というふうに。
荒神と呼んでいると同じように、我々の一人ひとりの響きも聞きながら、そのもとにある神という、それぞれの存在とですね、それが音色や形になっているというようなことになるわけですね。ですから、それが5色人種じゃないですけども、そういう様々な色に、また別れても、べつにおかしくないというんですかね。
そういう意味のクロマニヨンというようなものの、またコミュニケーションというものもあるというようなことになるわけですけども。

◇命に託されたものを、ともに演じあう

そんなことを含めてですね、ひとつの、我々が生きるということはそういう、様々な音色や心の音色も含めて、そういうコミュニケーションというものをより良くする、楽しくするということが、命というものの持っている、ひとつの託されたものというんですかね、見えないところから見える形になって託されて、そしてそれがともに演じあうというかですね。
本当にこう、何回も聞いているから、もう次に来る、例えば五番でも、予測して、そしてそれを迎えながら、我々音楽というものを聴くようになるんですね。そういう観点からいくと、この運命というものもごっちゃにしてもいけませんけども、運命というものも、我々が未来をもう分かっていてですね、そしてそれを受け容れていくっていうかですね。その受け容れる、心地よく受け容れる、それが悲劇とかなんとかいうことではなくて、受け容れていくということがきっとできるようになるということは、また、命ということを悟るというようなことにつながるものなのだ、とも思うんですね。
ですから、もうすでに起こっている、北斗の拳だと「すでに死んでいる」なんて表現もありますけどね(笑)、我々生きているという中でですね、過去も未来も共に受け容れていくというようなところも、一方ではあるんじゃないのかな、ということを今朝感じた次第でありまして、そんなことを言わせていただきました。
ありがとうございました。