0432話:2018年05月15日

◇神様の波動値を測定させていただいた

祝殿を建ててから、5年経ちまして、今度、8月11日で6年目に入るんですね。色んな音楽を、楽器を演奏させていただきました。今後は、チェンバロの用意をしているところで、ハープから、岩笛、あ、地震兵器(HAARP)ではないですよ(笑)
今度、金大偉さんが、6月1日に、高円寺で、「CHINKON2EastAsia」という鎮魂組曲コンサートを行いますが、彼は何度もここで演奏してくださいました。これは、東アジアの平和の曲を、一年以上前に、書き上げてもらって、それを演奏してきたものですので、少しは平和に近づいたのかなと。音楽というのは、やっぱり、人の心というか、そういうものを変える力があるのではないかと思うんですね、あるいは、自然を変えていく力もあるんじゃないのかなと。もちろん、祝詞というのも、一種の音でもありますから、それの効果もあるんじゃないかと思うんですが。
我々は、神の周波数とは、どういう周波数になっているのかということで、測定させていただいたことがあるんですね。もちろん、古事記は、神の名前と五十音、あるいは、百神というか、その事を含めた波動測定というか・・・。
新日鉄の技術者として、ボリビアの4000mの高所で、そこで、鉄の延べ板を作ることを、二十年やっていた方で、後に、中根滋(なかねしげる)さんという日本の波動装置を作った方がいらっしゃるんですが、そこの常務をやっていた方で、ボリビアから帰ってきて、波動測定をやっていたKさんで、非常に正確な測定者でした。
話が長くなりましたが、十年くらい生体波動学研究所を、今日のロゴストンセンターの二階でやっていたのが、十七年前ですかね。その頃、神様の波動値というものを調べて、もちろん、その百神との相似性を調べた時があってですね。百神をバラバラに、測っていたんですが、天照大神、月読命、それから、須佐之男命が、九十八、九十九、百番目なんですね、古事記では。

◇「雷は、神なり」

その中で、七十二番目の八色雷神(やくさのいかづちのかみ)という神様がいらっしゃるんですが、その神様を最後の百番目に、測らせていただいたんですね。
詳細な八つの階層性の数値でもって測る測定法だったんですが、その時、計測器を動かし始めたら、東の方から、雷鳴が、徐々に、大きく鳴ってきまして、遂に、測定している場所の上にまで来まして、測定はできたんですが、三日三晩、雷が落ちまくって、甲府では、観測開始以来の雷雨になったことがありまして。やっぱり、「神様を呼んじゃうと、本当に、来ちゃうんだ」と(笑)。
八色(やくさ)ですから、今日も、色んな光がありましたが、色んな光が飛び交うというか、稲妻が横に走ったり、天に上るような方向とか色んな姿が見えてきたことがありました。皆さん、神様の音というのは、まさに、その時に、分かったんですが、「雷は、神なり」というか、神が鳴る震動は、神様の音なんですね。
私は、小さい時から、全然、雷が怖くなくて、甲府もよく落ちるんですよね。家の裏のけやきの木に、何回も何回も、落ちていたのですが、一度も、恐怖感を覚えたことはなかったですね。心地よいというか、未だに、そういうところがありまして、雷平気性というか(笑)もうワクワクしちゃんうんですね、雷が鳴り出すと。
神様の測定も、最後にさせていただいたということもあって、やっぱり、稲妻の閃光と雷鳴ということもあって、光と音というか、光波と音波ということを、この地上における一つの姿というか、音というところで、そこが、神の領域というか、光はもちろん、神であったりとするわけですけれど。

◇宇宙創造の響き

言語学でも、基本的には、光波と音波なんですね。そういう波が、一つの言語というものを、形成しているというか。たぶん、この太陽系も、この四十七億年前に生まれたとかいわれますが、そういう期間の中で、光と、まさに雷鳴というものもプラズマや電磁パルスというのか、あるいは、そういうもので出来上がっていったのではないかと。ですから、それは、宇宙創造という時の響きというんですかね。
ですから、白川では、神を掴むということをいうんですけれども、やはり、最初の悟りというか、神を掴む最初の兆候といいますか、そういうものは、神々が、ズシンと響くのか、ゴーンとくるのか、様々な響き方があると思いますが、やはり、神体験というか、最初に、神を掴むということの始まりというか、感じ方としては、鳴る鳴らないにかかわらず、一つの震動というんですかね、それを体感することが、よくあるといいますか。皆さんも、何人もの方が、そういう体験をされたと思いますが、そういう世界というものもあろうかと思います。

◇古楽器に五行の神の音を聞く

私の師匠の奈良毅先生も、そういう真の道というのは、自分で、インドから戻って来られてから、宗教団体は作らなかったけれども、立教(りっきょう)した時に、何日間か、そういう体験をしたということも、言われておりました。
ですから、そういう神を震動でもって掴むということもそうですが、我々は、神を、音として、聞くこともあると。まずは、自然の中にある神というか、それを聞くわけですね、自然の音というものを。それが、五行としての神ということになるんですが、その音を楽器として、聞いたりする場合には、琴とか、ディドゥリドゥとか、西ガーナの木琴のジャイロフォンとか、色んな物があろうかと思います。
日本では、琴を、一弦琴(いちげんきん)、八弦琴とか、色々とあって、今は、十七弦琴、中国から伝わった十七弦琴とかもあって、お家元の古崎明日佳がこの祝殿で演奏していただいたことも何度かありますが。神示の言葉を引き出すという役割での言、琴ということもあるんですが、そういう楽器の振動波というんですかね、それが、一つの神の言葉を引き出す道具といったら失礼ですが、神器であったという、時代もあったわけですね。
そういう神を掴むための様々な方法の中に、特に、そういう古楽器というものはあるんですが、それが、自然の五行の音に、非常に近いもの、あるいは、風というものに、なぞらえる様な音ということもあるわけですが。
少なくとも、我々が、そういうものを、木火土金水の音というものが、たぶん、ディドゥリドゥなんかの音を聞いていますと、「あいうえお」の母音、母なる大地の響きを持っていたと。昨年も、オセアニアツアーに行かれた方もございましょうけれども、アボリジニの聖地に行って、これはアボリジニも日本から、ディドゥリドゥが伝わったと言っているんですが。これは、現地の言葉では、「Yidaki(イダキ)」という言葉が6割くらいで、残り4割は、Mago(マゴ)で、日本語なんですね。そういう自然の音に近い音でコミュニケーションをしていたんじゃないのかなと思うんですね。

◇静寂(しじま)の音

そういう音、響きが、大地の音といいますか、それを、我々は、五十年、六十年前は、この辺りでも、静寂(しじま)という音というのも、おかしな話なんですが、静寂の音が聞こえていたわけですね。ですから、我々の子供の頃は、そういう音の中で、育ったというか。そういう音が記憶されているわけです。そういう音を聞きたいなと、時々、思うんですね。いくら静かでも、遠くの高速道路の車の音が聞こえてきてしまうというか・・・。この間も、信原さんが、作曲している時に、諏訪でも、高速道路の音が聞こえてきたりしてですね。その高速道路ができる前の時は、まさに、釈迦堂遺跡とか、縄文の遺跡の時と同じ様な静寂の音が聞こえていたと。
我々も、「五行響-SIZIMA-」という曲を、Yugiさんにも作ってもらったりしていたんですが。この五行響というものの、木火土金水が、一つの自然の動きが、母音と、そして、太陽系の惑星の動きを父韻というふうにして、そして、それが織りなすものが、言語ではないのかと。FOXP2という言語遺伝子として、我々が呼んでいるものであるわけですが、そういう音が出て来る源を探ってというか、縦糸と横糸にして、編むというかを、そして、文章を作って、そして、それを更に、自然のシューマンウェーブとか、倍音にしていった時に、我々の子供の頃に聞こえた、静寂の音が聞こえて来たということも、体感としてはありまして。その時は非常に昔の思い出というか、そういうことを感じさせていただいたんですね。

◇DNAも既に基本の周波数を持っている

やっぱり、我々は、精神遺伝子、体遺伝子という、DNAというものが、身体の中に、既に、そういう周波数を持っているというか、全く持っていないものは発現したと感じられるわけがないというか。
たまたま、今朝2時くらいに、ベートーベンの五番を聞いていたら、その時に、もちろん暗譜しているわけではないですが、ほとんど、先の音が分かるわけです。ですから、演奏者たちの音を、自分から迎えにいっているというか、自然にそういうことをしているんですけれどね。きっと、DNAも、そういうふうなもので、我々が、既に、基本的な音色というか、周波数というものを、知っているというか。
そして、自らの脳、あるいは、非局在、まさに、NLB(NonLocalBrain)ではありませんけれども、非局在的な部分の働きをしているんですね。少なくとも、テレパシーのようなものや、あるいは、テレポーテーション的な動き、あるいは、タイムスリップというものの機能としてはですね、そういう時空間を超越した、五次元的な意味の場に行って、そして、いつでもどこでも、それを捉えたり、感じたりするということが、人間の脳力として可能なんだということですね。
人類のここ七十年くらい、サウザネスティックスからや、コンピューティングのプログラミングとして進化した、そういうTRONということですかね、まさに、坂村健先生のTRONという発想、いつでもコンピューティングと。

◇DNAに刻まれた宇宙創造を確認した時に

さらに、いつでもどこでもといえば、NonLocalBrainとしての脳が、紡ぎ出す音色、あるいは、その働きということになろうかと思いますが、そういう世界で、これからの人類が、当たり前にそういう働き、能力を発揮していくんではないのか。
そのための機械というんですかね、一種の装置、マシーンというものが、そういう要素を持っているというか、時空間を超えていくというところで、非局在的という意味の言葉を、我々は使っているわけです。我々は、音楽というものを、音も、宇宙創造の始まりの時の、それは、記号で言うと、1/fのゆらぎとでも言う様なものを、我々はDNAの中に、刻み込まれているのではないのかなと。
それを、確認した時に、非常に嬉しいというか、時空間を超えて、神と出会えたと感じることに繋がるのではないのかなと。そういうものを、少しでも、この自然の中、あるいは、太陽系の中から、学ぶということをしていくと、更に、楽しい神を出会える場面が待っているんじゃないのかなということでございます。たぶん、音楽というものは、そういうものを、紡ぎ出すような働きがあると。
その最終目的は、宇宙創造の時の神の音色を、共に聴いて喜ぶというところに、行くんではないのかなということを、今日、この音を聴かせていただきながら、そんなことを思っておりました。今回は、プレリュードということで、またお会いしましょう。
今日は、ありがとうございました。