0435話:2018年05月18日

◇魂(たま)は、本来、透明なはず

そうですね、魂(たま)というのは、人が関わって、魂の位置付けというのがありますよね。魂というのは、基本的に、円というか、球というか、勾玉というのもありますが、あれは生命が初めに出てくる時の形というか、陰陽の形みたいなところもあって。
基本的には、魂というのは、魂(たましい)ではなくて、魂という意味は、理想的には真円という意味で。自然界にある真円は、太陽が真円で、地球の中心の真核が真円と言われるんですね。自然界は、そのくらいですけれども、人間が魂と言った時、五魂も、たぶん、一方で、真円になるんではないのかと。その働きとして、五魂が、メッシュが細かく、一が二になり、二が四になり、四が八になりと分かれていくということも、一つの魂の進化ともいえますが。
基本的に、ズレという話は、波動的にいうと、振動数がズレているんだろうということで、ということは、音や色が、光波と音波ではないけれども、色で見ると、ちょうど、いわゆる、オーラみたいなものとしてみると、やっぱり、どっか、色のついたものが漏れ出ているのかもしれません。本来は、透明だと思うですね、光の3原色と同じように、魂も透明だと思うんですね。だから、本当は、分かりづらいというか、見えないと。
ところが、非常に優しい人だと何色とか、オーラではないけれども、出てしまうというか・・・。だから、本当は、五魂の五色が合わさって、透明になっているはずなんですけれども、ちょうど、朝日や夕日は傾いて色が出るというか、その時間によって色になる場合もあるんじゃないのかなと。ですから、魂というものが整ってくると、五魂が、どの色が出ているということではなくて、透明に見えるんだと思うんですが。
だから、そのズレによって、いろんな色、赤色が出てきたり、黄色が出てきたりとか、そういうことで見えてしまうと。
ですから、綺麗に、それを、丁寧に、自分の魂というものを、磨くということが、荒魂、和魂、幸魂、奇魂、精魂ということで、回転させることで、右旋と左旋の両方でもって調整するということで、六種鎮魂というものがあるわけです。
ですから、そういうふうなことを作法によって、魂を丸く調整するということが可能なんだということですね。それをやっていただくということになるかなと。
今、ズレということで、話をしただけですけれども、足りないと思いますけれども、何か、その辺りは、もっとこういうところを聞きたいとか。

●Nさん
ということは、鎮魂をしても、自分の身体が治癒される、病気を持っている人も治ってきたりということも、十分にありえるということで、よろしいでしょうか。

【七沢代表】

◇時に荒魂の生まれる働きが病になる

そうですね。前から言っているように、病気の神様というのは、荒神(こうじん)ですね、荒い神と書きますが。要するに、荒魂というのが、時によって、生まれるという働きで、すごく強いところがあるから、生まれるという働きが、病という働きになっているというのも、皮肉な命名ですけれども・・・。
たぶん、荒々しいということは、一方では、未完成だと、あるいは、丸くなっていないというか。最初に、出てくる時の働きであり、それがまだ、不十分な形で働き出して、終わるというか、そういうこともあるのではないかと思うですが。
ポイントが、五魂と自己の体というか、これもやっぱり、魂の位置と体の位置の違いですよね。その間に、情緒があって、そして、魂があって、神があって、その間に、霊というか、結合エネルギーがあるというわけです。位置関係でも、そういうことが言えるんではないかと。

◇精魂の神、魂の完成形

魂ということは、精神ということですよね。精神ということは、一つの完成されていくというか、それもやはり、一つの被造物といったらおかしいけど、精魂の神と書くんですね、「精神」というのは。
特に、明治以降、精魂も表現されるようになったんですが、元々は、上代語ですが、神経とか、神の経と書いたりとか、色々と翻訳が出て来るわけですが。
その時の魂というものが、一つ完成形として出てくるものが、精魂であり、それが、精神というか。
精神ということは、例えば一つの愛というものが進化して、自己愛や恋愛や家族愛や民族愛や、そういうものから、変わっていった時に、博愛というか、宗教が目指している世界、菩薩の世界、ギリシャ語でいうと、アガペーといって、無償の愛ということになるんですね。そういうものまでの位置に、魂というものの完成形はあるわけですね。
その時に、精神というものが、精魂という五魂で統合されて、一つの精神というか、それを、日本の民族の魂でいうと、大和魂(やまとだましい)という精神になったりするわけですね。それは、もちろん、民族だけのものだと、全ての生き物、生きとし生ける物というところまでいかないと、それが、ジャイナ教や仏教が、到達したところでもあるんですが、そういうものを古神道では、ごく当たり前に、それを精神というところまでいっていた。それは、全てを、魂に結びつくものの存在を、神としているわけですね。

◇感情の動く姿を表現をしている

荒魂、和魂、幸魂、奇魂、精魂という作法をするということは、その全てが、神になるというか、神に結びつく存在であるということですね。
ですから、それは、天照大神でさえも、荒魂、和魂というふうに、神でさえも、そういうふうに分けて、捉えるということもあるんですね。これは、中間体ですね。魂と神との中間体、中性子みたいな存在として、そういう神の荒魂、和魂というくらい、そういう階層世界を結びつけていくことをしようとしているわけですね。
この階層性の中で掴むということの魂というものは、感情の動く姿を色々と表現をしているわけですが、「火の玉のようになっていく」という表現があるように、魂というものが、見えるものか、見えないものか、ちょうど分かりづらいんですね、中間体だと身体のように見えないと。
それで、さっきのオーラのようなこととか、神智学のように身体も、五つの身体になっているんではないのかとか。様々な分け方、感じ方も、中間体として、そういう存在を想定しているわけです。それで、この魂というものを、なるべく分かるようにということで、世界では、探求してきたんですけどね。このところが、やはり、魂も、情緒のような働きになったり、神に近いような働きになったりしたものが、二十も三十もあるんですね。

◇中間体にあるものが「魂」

これは、言葉も、言魂ということで、五十ある、百あるというふうに見立てるわけです。
特に、音波でもって、言葉が聞こえるけれども、言魂というものは見えないんですね。
私なんかは、子供の時の遊びは、心の中で、どういう言葉を言ったかというのを、当てっこするのが、兄弟の遊びだったんですね。そういう世界もあるんですね。見えないというか、聞こえないけれども、言魂というものがあるというところから、この問題は始まっているもんですから、そういうちょうど中間体にあるものが、魂ではないのかなと思うんですね。そのことを掴むことによって、神というものにも、繋がることもできるし、身体というものの世界も、あるいは、宇宙の体というふうなところも、見えるもの、音のあるもの、音波、光波のあるもの、感じることが出来るということが可能になると。
魂ということは、六種鎮魂ということは、非常に、大事なところなんですね。これが、分かるかどうかで、掴むかどうかで、一つの人生が変わるくらい、大事な問題というか。

◇顕と幽のちょうど中間体で、神の働きを捉えていく

この自然の五行の動きも、五魂とも絡んでいるということで、そういう自然が、実は、五魂というもの、魂というものを、知らせてくれる一つの道具といったら失礼ですが、そういうことのために、自然というものもあると。それくらいに、古神道の中では、大事な位置づけですね。これは、あくまでも、今、見えないものの祭りを、幽祭と呼び、はっきりと分かるものは、顕祭と呼んでいますけれども。
ご修行を通じて、顕祭と幽祭の、ちょうど中間体を動きの中で、神の働きを捉えていくということをしながら、もちろん、それが、五魂というものの最初のところとしての自然というものと自分とを、どういう関係があるのかということを感じながら、その魂ということを掴んでいく方法でやると。
そこの科学というのが、大事なところになるのではないかと思っているわけです。見えない世界を、見えるように言うというのは、なかなか難しいんですが、そういうものが、日本の歴史や学びの中にあるから、さらに、これを高めていこうということで、やらせていただているということですね。はい、今日は、そんなところで。
ありがとうございました。