0439話:2018年05月21日

ご苦労様でございました。ありがとうございました。
何か、質問はありますか。

●Kさん
私が、島根の出身なんですけれども、荒神谷遺跡(こうじんだにいせき)という遺跡がありまして、うろ覚えなんですが、弥生時代の銅剣と銅矛が、365本くらい、まとめて出土されて、日本でも、他に例がないくらい発見された遺跡があります。
先週、「荒神」ということについて、賢治先生の朝のお話で登場していた時に、その都度、地元の荒神谷遺跡のことを思い出していまして、何か、荒神谷遺跡が、どういう目的で大量の剣とかを集めていたのかが、よく分かっていないと、荒神谷遺跡に行って、資料を見ても書いてあるんですが・・・。何故、荒神谷遺跡が、荒神谷遺跡と呼ばれているのかを、調べようとして、忘れていたのを、今、思い出しました(笑)

●七沢代表

◇出雲の役割

私も、そこに行って見てきました。特に、出雲は、国譲りというか、縄文から弥生にかけて、その精神を受け渡す一つのバトンの役割ではないかと、今の大和王権に渡すための一つの中間体のような存在が、出雲だと思うんです。出雲のルーツは、基本的には、インドあたりから来たと思うんですがね。
海を来たのか、もちろん、海を通らなければ、来れないので、たぶん、氷河期の時に、来ているんですね。だから、四千年前から伝わってきたという出雲の上官家の伝えには、氷山をかき分けて入ってきたと。日本海が凍っていたのか分かりませんが、そういうふうに言われているんですね。
その富家の490代目を受けたという人と、一緒に修行をしていた時期があるんですね。その時、その言い伝えを、随分とたくさん聞いたんですね。作家の司馬遼太郎さんと、489代目は、同じ産経新聞の大阪支局にいたんですね。上官家は、一番古いと。
言ってみれば、石の時代から、青銅器、そして、鉄器とかになっていくんですが、鑪(たたら)もそうですね。出雲の製法、刀の製法も出てくるんですが、銅矛とか、銅の製品から、だんだんと鉄になるんですが、その時に、上官家、四千年の歴史のある家のマークが、荒神谷の剣に刻印されているんですね。各三百本か、何百本か観ると、まあ、全部見たわけではないけど、家紋にあたるマークが付いているんですね。剣を交叉したものが、マークになっているんです。これは、私の説だけど、たぶん、正しいと思いますけれどね(笑)
その関係の神社にも、行ったことがあるですが、その神社の瓦を観ると、剣が大根になっていたんですね。大根が、交叉していて、だから、変えられちゃっているんですね。
出雲の支配者で、縄文から弥生の受け渡しをした、歴史的にはね。これから、諏訪ツアーもありますが、建御名方神もそうですが、当時、政治的には、出雲の王権とは、一番小さな国だと言われていたから、どうしても大きくしようとして、それで、日本全国の神々が、一同に集まるという神話も出来た理由ですけれどもね。各国々に、血縁関係を作らないかということで、広げていったんですね。
その時に、大国主命が、「奴奈川姫(ぬなかわひめ)」というんですかね、新潟の糸魚川にある、王族の姫をめとるわけですね。そこのお姫様を、出雲に連れてくるんですね。大国主は、最後に、国を譲るということを決めたんだけれども、事代主神様は、合意したんだけれども、一番末弟というんですかね、建御名方神は、それに反対して、出雲から出てきちゃうと。それで、今は諏訪に祀られているということになっていますが・・・。

◇出雲と諏訪をむすぶ物語

6月の諏訪ツアーもありますので、諏訪の神様は、どういうことかなということで調べていたら、よく分からない、何も書いていないですよ。
分かったことがあって、ほとんど、祭祀をする時には、翡翠の勾玉を首に付けて、神事をしたんですね、出雲でも。その翡翠を供給していたのが、糸魚川にある、奴奈川姫(ぬなかわひめ)の出身地だったんですね。川も、糸魚川といったら長いですから、糸のように長いという意味でしょうけれども。
だから、出雲の方は、そういう玉造りなんかもありますけれども、それよりも、もっと前のもの、縄文からの黒曜石や翡翠というものを、神事に使うものとして、あるいは、王権の象徴として、そういうものを作っていたんですね。それで、そういう奴奈川の技術が伝わったということになるんですね。
奴奈川姫が輿入れの時に、一緒に玉造の集団が、出雲に行っていたわけです。その後、奴奈川姫が国へ返された。また、それで、奴奈川姫(ぬなかわひめ)は亡くなっちゃうんですが、その玉造の集団に帰って行った先が、諏訪の近くの黒曜石がある地域だったのではないかと。
何で、出雲から逃げた建御名方神は諏訪に来られて、そこに祀られたのかということを解明しちゃったんですけれどね(笑)。そういう物語が、ストーリーが、出来たなと。今回、それを、まだ、行く人も誰も聞いていないのに、先に話しちゃうと。そういうことがあったんですが。それは、たまたま、出雲と非常に関係があると。

◇どういうふうに、文明、文化を伝えたか

一つの王権から王権に、縄文から弥生に移行していく間の中間体としての出雲という国があり、そして、大和王権というのが出来るわけですが。そのところが、何を伝えたのかというのが、非常に、大事で、このお国体机なんかも、出雲の神事で使うものですね。
この間、石原くんが、出雲に行った時に、出雲の神官の方に聞いたら、「そんなことは聞いていない」と言われたそうですけれども。だから、大和王権に、王権の神器の印として、渡したんですね。
それを、大中臣、中臣、藤原、それから、白川と伝わってきたものが、こういう形の机ですね。これは、当時、出雲の国でお祭りというか、神事をしていた時の机ですね。
今、我々は、三内丸山遺跡もそうだし、熊野大社もそうだし、淡路島もそうですし、今度の諏訪の祭祀もそうですけれども、少なくとも、縄文から弥生、そして、大和王権と伝わってくる中で、どういうふうに、文明、文化というものを伝えたかというのが、非常に大事なところになるんですね。
旧石器、新石器時代、石の斧や槍があり、そして、青銅器になり、青銅器から鉄器になり、鉄器から様々な剣が作られて、そして、剣も最終的には、日本刀になるわけですね。
武器もそうですが、どういうふうなものを、一万五千年という長い間に、受け継いだのか。
音楽もそうだし、土器もそうだし、食器類もそうですね、実用になり、芸術になっていった歴史というものを、もう一度、それが世界に、どういうふうに役に立つかということが問われているわけですね。ですから、中間体としての出雲というのは、なかなか、忘れてしまうというか。そういう婚姻関係でも、今回、無理矢理に、出雲に送られたりして、ギクシャクしているようなところもあるんですが。

◇平和になるための装置

非常に、難しいところもありますが、長い歴史の中で、何が一番大事なものとして、伝えられたのか。言霊とか鎮魂とか、そういう祓いとか、そういうものも、原型があるものは、もちろん、出雲もあったり、その世界、ユーラシア的には、インドのものがあったり、様々なものが日本に、博物館的に残っていると。
その中で、虫干しではないけれども、もう一度、光を当てて、確認して、それが世界に役に立つものであれば、お使いいただくということで、こういう白川に伝わってきたもので、今まで、出していないものを出していくということですね。
そういう荒神谷遺跡もそうですが、守るというところが、兵器で守るのか、そういう意志というんですかね、「守る」という意志を大事にするのか。そういうところも、また大切な項目になるんですね。そういう意志という項目を入れて、また、考えるということをするというか。
それを実践することが、言魂、言霊であり、その言霊を通じて、それは、一つのテクニカルなものにするということは、それも、また一つの兵器というか、秘密兵器かもしれませんよね。だから、それは、人を殺めるということではなくて、助けるというか、そういう為の守るものというか、そういうものになれば、一番良いと思うんですが。
そういうメカニカルアーツというところも含めたものを、今、我々は、やっているわけですが。一つの兵器も、武器も、平和になるための装置にするというか。
たぶん、何で、埋められていたかというと、たぶん、鉄器と銅器との関係というのは、そういう問題というのか。今も、水爆ができれば、原爆はどっかに埋めて、分からないようにしようというか。今の原子力発電の、劣化ウランも、20万年くらい埋めちゃおうというのもあるんですが、そんなものは地震なんかで出てきちゃうと思うんですが・・・。
そういうことが古い武器ということもあったのかもしれませんね。だから、絶えず、更新されちゃうから、世の中が、新しい兵器を作るということで、不安になっているということだと思いますけれどね。そういうものが、消えるような装置を作るのが、一番良いと思うんですがね。余計なことを言いました。
そんなところで。