0441話:2018年05月22日

◇一音一音が結合して単語になっている

お祓いで気づいたことを言いますと、お祓いもデジタルとアナログという二分していますが、朝はアナログの方をしているわけですけども。デジタルで一音一音を区切ってやるっていうのを、そのままするとちょっと変な違和感を覚えるというかですね。
なぜかというと、「高天原」と言う時、「た・か・ま・の・は・ら」というふうにやるのと、「たかまのはら」というそういう一つの言葉、単語になっているわけですね。
もちろん1音1音で意味があるし、それが一音一音区切って理解する、当たり前なんですけどね。母音を伸ばして、つながっているんですね。もちろん父韻と母音で子音にした上でのことですけども。
今度は、単語になる時には音が、1音1音が、母音と子音と母音が重なってですね、1音+1音+1音というか、要するに、結合しているわけですね。ですから、それを言霊と言っても良いし、結合エネルギーと言ってもいいんですけど、結合して、ひとつの単語になるというかですね。

◇滑らかな運行をする発声

単語になったものの一つのイメージっていうのが出るから、それがひとつの、1つひとつがまた助詞とか助動詞、動詞となって、文法的には繋がっていくわけです。ですから、これからは滑らかな運行というか、そういう発声も学ばないといけないというか、歌もそうですよね。歌も美しく聞こえるということは、それは、全体で繋がっていないといけないんですね。繋がって、しかもそれが今度は、情緒としてというか、それを表現していくということですよね。
情緒が豊かな人がいるわけですが、歌手でもオペラ歌手で、藤原義江さんという人は、五十嵐喜芳さんもそうですけど、自分が感動というか、情緒が出てきて、涙を流すほどの感性をお持ちで、美空ひばりが涙を流しながら歌うのがみんなすごいな、とか言っているんですけども、両人になると、最高峰のレベルになると、自分の涙が枯れるまで歌って、涙が出なくなったら、ステージに立ったと言われるわけです。
ですから、その時は、コントロールというか、情緒のコントロールがいよいよされて、そしてそれが人の感動を呼ぶというんですかね。自分が感動したり、悔しいと思って一生懸命歌うとかないわけですね。だから、いかにも悪役の歌手は憎らしく見えるというのは、それはそういうコントロールができた後の技がすごくあるということですね。

◇感動してお祓いをあげたらいけない

そういうパーソナリティというものを演じる時、徹底的に歌い込んで、自分に感情が、悲しいことだったら、涙を流し抜いてからやることになるわけですね。ですから、やはり、1
つひとつの言葉を出す時、情緒というものをしっかりと伝えるということができていないといけないというかですね。
僕なんか若い頃、20代くらいのころ、奈良先生や小笠原先生にもよく言われました。3人の先生が期せずして同じことを言われたのは、感動してお祓いをあげたらいけないんだと。その程度ではまだまだ(笑)わ~すごいんだ~というか、そういう時もあったんですけど、あげていると注意を受けるわけですね。だからそういう、それくらい、淡々とあげられるようになることを目指す。確かに情緒がなくて、冷たいように思われますけれども。
その時の自分の思いとか、それを転写して、そしてその思いを出すとかですね。あるいは、誰かのことを想ってあげるとかですね。様々なあげ方があると思うんですね、あるいは世界の平和のためにあげるとか、それぞれの違った情緒や、違ったそういう感情が入るわけですね。ですから、自分の辛いという感情を出そうとすると、それはそのまま出てきますけれどもね。その時は、あ、その自分が、その時に、あ、辛い感情があるんだ、ということをしっかりと自覚して、そしてそれを一旦自分に返す。
そういうあげ方をすると、お祓いが役に立つんじゃないかなということを、今日のお祓いの中から感じたんですね。たくさんのみなさんがいらっしゃいますから、色々な思いとか、色々な場面を描きながらあげるわけですよね。
僕なんかは、1つひとつのあげる時は、言葉というよりも、言霊としてどういうふうに捉えたらいいかなということを考えながらあげちゃっているというかですね(笑)。それもあまり良くないですけども。

◇二回、お辞儀をするということ

大祓なんかは、二回もこう(お辞儀を)するということは、自分の願いこと、祈りごとという個人の問題から家庭の問題ではなく、国の問題、要するに公の国家公用の問題を問うて、そしてそれの回答を得るということをします。
大祓の中で聞くということが可能になるということは、自己自身の情緒あるいは思いが入ったら困りますね。それで、自己というものの徹底的な客観視がどうしても必要となります。このお祓いをあげる中で、それを掴む。
もちろん、ただ、ただただあげていく中で、自分がいつか掴めればいいという考え方もありますけどもね。それはそれで構わないと思いますけども。そういう努力というんですかね、その努力はまだ3倍くらいしても、多分、脳はキャパシティーがあるというかですね(笑)。

◇自分自身の脳に向かってあげる

ですから、先生方によってお祓いが、50代、60代、70代、いつまであげたのかというようなことをいつも思い出すんですけどね。それぞれの先生方が、だいたい60代くらいまであげているんですね。奈良先生はもっと、80代近くまであげてましたけども。わかっているところではですね(笑)
書家とかですね、絵を描く人とか、音楽家など、毎日練習しますけど、そういう意味のお祓いもひとつのトレーニング法であるとすれば、それはですね、相当、みなさんの年齢であれば、まだまだ(笑)。それを、何というか、熱心さというのもおかしいんですけども、それを仕事にしろと言っているわけではないんですけども、多分、まだ3倍くらいされても、ゆとりがあるかなぁというかですね(笑)ひどいこと言ってますけどね。
自分もある時期に、一年中、毎日あげていたというようなことでもなかったんですけど、今でもやっぱりまだやり足りないし、そしてそれが要するに自己自身の進化につながる、それは自分自身の脳に向かってあげるというか、上津玉積神(うわつたまつみのかみ)、上筒男命(うわつつをのみこと)というのは、高濱浩先生はいつもニヤニヤしていたんですけども、上津玉積(うわつたまつみ)、要するに頭に宇宙があるような、もちろん今は小腸とか心臓の時代もありましたけれども。脳というものは、唯脳論ではありませんけども、必ず進化するというか。
最近のニュースでは、痴呆症というか、あるいは認知症、あるいはアルツハイマーになっても、よりよく生きるための進化というか、あるいは脳のある部分がまた働き出すというんですかね、あるいは新たに働き出していくというか、そういう機能があるんじゃないかということが言われはじめていますけども。多分、脳が進化するんじゃないのかなと。

◇お祓いの循環で脳に刺激を与える

海馬だけではなくて、記憶を補助するものや、あるいはそういう思考、あるいは新しいアイデアを引き出す、直感とか、生きる意志ですね。生きる意志というか、そういうものをまたさらに引き出すというか、そういう脳の働きがまだまだ生きるということの中で働いているというか。
ですからそれは、発声して、朝、お祓いの中から、そういう循環を脳にそういう刺激を与えることはいいんじゃないのかなと。
もちろん今、我々、特に日本人はカルマヨーガというか、仕事ということを非常に大切に、それを修行の一つの方法として、それが当たり前のように考えていますけども、これは仕事というものを、ですからそういう意味の、自己自身の進化というものにつながるような、もちろんそのことは当然、今、皆さんにもお伝えしてありますけども、そういう自己の進化をする、それは年を取っても関係なく、それは我々の、今までの、定年してからまた一緒に仕事してもらうということも、ごく普通にやっておりまして、皆さま方が、100%進化しているということが、脳がですよ、体は少し衰えますけどもね、脳は進化するんだということを確認しているんですね。

◇進化するための仕事

その辺が非常に、ここの、ですから仕事を通じてもいいんだ、いけるというかですね。
決してリタイヤした後の余生の仕事じゃない。もうその、進化するための仕事というような捉え方ができるんじゃないかって。
もちろんそれはそういう朝のお祓いの中から、脳の進化を促していくというところで、そしてその自己自身というものを客観視したり、そしてその進化させるための自分自身の働きというものをさらにすると。それは人のキャパシティーというか、多分まだ3倍くらい努力するということの中で可能じゃないのかなと。
決して、ブラック企業どころかダークマターの企業(笑)なんて言われないようにしたいと思っていますけれど。でもそれは、全然大丈夫というか、そのためのあらゆる手立てを作って、みんなで進化しちゃうというか。それが今の時代のフレキシビリティというか、脳をフレキシビリティにして、そしてみんなでもって、終の住処で一緒に終えていくような、そのくらいの世界を実現していきたいと思いますので、どうかよろしくお願いしたいと思います。
今日はありがとうございました。