0443話:2018年05月24日

◇「メビウスタブレットBETTEN」

一つ次元が変わるわけです。クラウド化するので、ロゴストロンクラウド化と言っていますが、ファイル数も、何十万か入ります。
まあ、雲です。そこに無数のファイルがあって、それが降って、発信してくるような、そして、それが、メビウスで回っているようなもので、それを、「プライベートロゴスチェーン」で、自分のオリジナルの構文や自分が選んだベーシックファイルを選択し入れることが出来て、パブリックなものに、自分のプライベートな構文も組み合わせて発信できると。そして、SIMカードを持っていると常に、受信出来ますので、三次元的な発信機だったものが、四次元時空に場があって、そこから情報が来ると。
それが、上がっていくと、四次元と五次元の境界面まで行くんですよね。話がそこまで行くんで、「時空に浮かぶ石版に、文字を刻印する」とタイトルを書いていますが。
時空に浮かんでいて、そこから落ちることなく、そこに文字を書けるんですよ。それが、各時空に、あるいは、ブレーンワールドとかに降ろしていくというのが、ずっとロゴソロジーとかで言っていた五次元のところを、仕組みとして実現しているということになっていて、すごいものだとな。
それで、キーワードが、”メビウス”で、コイルがメビウスだと思っているかもしれないけど、実は、意志を構文に変えたりすること自体が、メビウスだったり、構文と構文を繋げるのもメビウスだし、繋がったチェーン自体もメビウスで、ロゴストチェーン自体もメビウスで、回っているというのがあるんです。
それは、何故かというか、次元と次元を転換する、次元と次元を繋ぐ所に出てくる、全ての結合であり、結びのところに、メビウスが、必ず、あるんですよ。
そういうことを話していたんですが、そうすると、全ての時空は、繋がっているようで、繋がっていないと。普通の直線ではなくて、メビウスで繋がっているということが、起きているということが、見えてくるんですよ。これは、ちょっとロゴソロジー的になってくるんですが。
そんなことも含めて、お話しまして、その後、杉山さんだったんですが、”真空”の話しだったんですよ。真空って、まさに、次元転換の場なので、そこに、メビウスの次元転換の場が全て入っていて、ゼロポイントエネルギーがあると。
それが、発動して、その発動するためにキーワードとして、メビウスといっているだけなんですが。ロゴストロンから発信するもの自体がメビウスになっているという話をして、意識の最小単位というのが、昨日はテーマだったんですが、毎回、決めているわけではないので、最終的になったという感じですが。
井坂先生も、虚と実の意識のところから、田村さんは、動物とのコミュニケーションについて話しまして、そういう深い話になったのかなと。ライフチェンジで、予約受付開始になりまして、来週から、賛助会員向けに受付開始します。

【七沢代表】

◇中間にあるものとしての「学」

我々は、科学を前提にしてもの言うというか、もちろん、今の社会では、科学も実は、まだ入り口に立った位といいますか。本当の意味で、真理が分かるということとか、科学的思考も、それは、小さな素粒子論や、宇宙、天文学というんですかね、あるいは、人ということの研究においても、まだ入り口に立ったばっかりというところです。
ですから、科学といっても、それを、信仰にしてしまったりすると、色々と問題が出てくるわけです。だから、現実の生活の中で、技術として、それが、まさに、使えないと科学も、いわゆる、妄想とか、観念とか、まだ追求途中のものになるわけですね。
ですから、時々、今の科学というものを観ると、難しく色んな数式や、物理学でも、難しい理論もいっぱいありますが、それを話してみて、それが、神の世界とどう繋がるかということを考えた時に、愕然するんですね。
科学というものが、全然、入り口に立っているかいないかという状況で、こんなことは、口幅ったいことで、「お前ら、何だ」ということになりかねませんけれども。要するに、中間にあるものとしての「学」ということですね。
今、ライフチェンジで、転生自由七科を学ぼうということで、やっておりましたけれども。リベラルアーツも、昔の学問を、今に当てはめて、学んでみるということですが、ほとんど、疑似科学というか、システム科学というものから見たら、みんな疑似的な科学なんだということが、今回、よくわかりましたというかですね。

◇ロゴソロジーは全ての学問の前提になる学び

そういうことからみて、自分自身が、科学という範囲を通して言った時に、すごく薄ら寒いというか、脳が悲しむと言うかですね。全ての概念を技術に落とし込んで、あるいは、システムというところに落とし込んで、それを理解するというふうな、それを“良しとする“というところが、今の時代の中の納得する生き方なのかもしれませんけれどもね。
そんな偉そうなことを言ってもしょうがないんですけれども、だから、それを、我々は、全ての学問の前提になる学びとしてのロゴソロジーという言い方をさせていただいて、その先頭を切らせていただくというか、その上に、実験祭祀学も、宅理学も、一番、古いような言い方でありながら、そういうものを、どんどん喧伝しているということは、一つの心意気というか、そういうものがあるよということを示しているだけかも知れませんが。
ボクシングでも、倒されても、また立ち上がって、ファイティングポーズを取るようなものかもしれないですよね。だから、ちょっと悲壮なところもありますけれども、今の時代が、そこまでで、まあ、もうちょっと経つと変わるんでしょうけれども。でも、知というものが、2045年位で、人工知能というITの進化が起こるということも、言われていますが、まだまだなわけですね。
その辺を、我々が、どこまで知というものを、すなわち、学というものを、みんなの役に立てるような形で、少しでも技術に落とし込んで、その性能というか機能というか、そういうものを社会に、お出ししていけるかということで、色んな機械を、装置を、言うに事欠くというか困って、概念装置なんてね、そういうことも言い出さないと治まらないわけですね。その心は、少しでも、お役に立てればというところなんですがね。

◇どの学が一番役に立つのか

よくよく考えると科学というものが、進めば進むほど、それは、所詮は神の学問には敵わないというか、神学というもので、今回のリベラルアーツの上位概念でもあるんですけどね。神学を学ぶために、リベラルアーツという全ての学びがある、学問があると、あるいは、芸術も、音楽もあるという捉え方を、するわけですね。
そういう中で、学として、それが、どれくらい役に立つのかということが、学の中のどの学が一番役に立つのか、それは神学ですよね。それは、敵わないですよね。人知を超えているものを、神と呼んでいるわけですから、その知恵をいただくというか、知恵を学ぶということの学問が、18世紀には神智学という呼び方のものもありましたけれども。
それを、我々は、さらに、神智覚学と言わせていただいています。知っただけではダメだと。それを五感でもって、感じるようにした学問にしましょうということで、そういう畏れ多いというか、毎日、「お畏れながら」と言ってあげさせていただていますが(笑)
本当に、恐れ多いことかもしれませんけれども、少なくとも、神には、敵わないんですね。やっぱり、どう考えても、科学の一番進んだ部分のことを、自分で何回も、講習で言ってみて、空疎で恥ずかしかったんですね。

◇神の学問をこの手で掴む「神智覚学」

やっぱり、我々は、神の学問を、この手で掴むといっているわけですね。知覚するということをいっているわけですから、それを前提にした学びにならないとしょうがない。私も、死んでも死にきれないですよね、それを知覚学として出さないといけないということが、使命でもあると思っているんですね。
ですから、それは、どういうことかというと、こうして毎日、皆さんと白川を、共にやっていただいていることを、技術として出そうとしている最新はBETTEN(別天:別天津神)とか、メビウスということの概念を、全て、神の学び、あるいは、言霊、あるいは、大祓、祓いということの内容を、そのことの実証をみんなが理解出来るようなことばと技術で表明をしないといけないということなんです。これは、私の役割でもあるし、皆さんも、それを感じていただくということが、すごく大事な部分になっているわけですね。

◇「メビウス」という今の時代にあった表現で・・・

どういうことかというと、大祓の中に、メビウスがあるんですね。言語もまさに、メビウスでもあるし、その宇宙論も、今は、メビウスという概念を前提とした、そういうふうな数学や物理学もそこに入ってくるかもしれませんけれども。そういうものが、古神道の一番の根っこにある、畳む、包む、結ぶというふうな、それを神の働きとして、我々は、それを受け止めようとしているわけですが。
そのメビウスの畳むということの概念を、この祓いの言葉と言霊というもの、まさに、それを我々は、ロゴソロジーというふうにして、学びましょうと。
今の時代に、一番あった表現方法を、あるいは、概念装置を作りましょうということで、メビウスというもの、あるいは、BETTENと。
要するに、古事記神話の最初の五神ですよね。宇宙造化の五神、我々が、原始太陽といった時は、それは、九八番目の神様の働きだということが、科学でこれから問題になるようなことですよね。ビッグバンなのか、それとも、原始太陽なのかということが、また、蒸し返されるわけですが。まだ、それくらいの段階なんですね。もちろん、それを、我々は、知覚の中で学ぶということが、鎮魂ですよね。
宇宙造化の始まりのところを、この目で、この耳で、あるいは、この手で、感じてみましょうというのが、六種鎮魂ですよね。
だから、鎮魂というのは、ある面では、メビウスを理解しようとしているとも言えるわけです。そのメビウスは、ものを生み出す働きでもあるし、それを全て、畳み消すという世界でもあるわけです。それを、まさに、二次平面で、魂を、要するに、空間を、立体を創り出すということの意味でしょ。それを、回転でやっているわけですね。人体も、まさに、そういう営みをしているんですね。メビウスをやっている存在なんだと。

◇我々の科学的態度

だから、我々が、少なくとも一つの装置を出すということは、そういう知の巡りの中で、納得して、そして、それを形にし、あるいは、物にしていくということを、通じて実践していくことが、我々の少なくとも、科学的態度ということですね。
色々と、今の社会では、科学的という態度だけではなくて、スタンスだけではなくて、本当に、科学かどうかということを、純粋科学、あるいは、人文科学、社会科学という全ての科学で問われるわけですね。
そういうものに問われても、決して恥ずかしくないようなものとしての学びをしているんだと自負を持つということ、しかも、それは、神という概念が、人類に出来たのは、相当古い概念だと思うんですがね。魂とか、色んなものが途中で色々とありましょうけれどもね。
それを、結ぶあるいは、神と人を結ぶ存在、そういうものの働き、少なくとも、それは、ある面では、それもメビウスですよね。霊というものが、つなげて一つのメビウスになって、それが、三次元、四次元、五次元の境界面にそれが、これも、科学なのかどうかと問われかねないことですが、それに、アカシックレコードのように、溜まっているということですね。それが、また出て来ると、瞬間に、永遠のもの、一番古い過去のものが、今、また、バッと出るということが、宇宙の働きなのかもしれません。

◇メビウスをきっかけに、新しい生き方を表明する

それを、メビウスという言い方をして、それを、個人のミクロコスモスから、マクロコスモスまでの宇宙というものを、メビウスという概念で、理解しようということを、きっかけにして、新しい生き方を表明しようとしているわけですね。
そういう作り方として、当然、言語というものが、一番根っこにあって、それを、行っていると。それを、ロゴス、言霊といっているわけです。
そのところを、さらに、言霊を、言魂という中に、階層的に落とし込んでいくということもしながら、あるいは、また、魂を、言霊にお返ししていくということを、自在にしていくということを通じて、我々の普段の動き、お祓いの中で、それを体感するようなことが、少なくとも、我々の実践なんだと、証明方法なんだということが、だんだんとこれが、分かっていただけるような説明知をもってお出しする時が来ているんだなと。
昨日も、七沢研究所とは、一体何なの?という話も出ましたが、そういうあらゆるところに、好奇心を広げておいて、そして、それを一つひとつ役に立つものとして掴んで、そして、それを体感して、そして、それを、皆さんにお譲りするということが、一つの大きな使命なんではないのかなというふうに思うんですね。そんなこともありますけれども、今日、我々が、空想で、あるいは、想像でいくらやったって、それは、詮無いことであって・・・。
これは、本当の創造、クリエイションのところに、自分の技が、それは、音楽家も芸術家も、みんなそうだと思うんですよ。物理学者でも、そうだと思うんです。
本当に、素晴らしいものを、それは、神からいただいた、あるいは、神を迎えた、そういう神智の学びをお出しするというのが、やっぱり、まずすべきことになるんじゃないかなと感じたんですね。
それが、我々の一番の満足というか、喜びとしていければ、それが、納得した生き方への一番の早道なのではないのかなということを、感じた次第であります。
今日は、この辺で。