0444話:2018年05月25日

◇一つの個の死は避けられないことになった

まあ、死の三部作みたいな話ですね(笑)我々の構文の中に生前供養というのがあるんですよ(笑)。死ぬ前に、生前の自己の過ちとか、死後の苦とか色々なうっ滞を供養してしまうというか、それを体験しちゃうというか、そういうことがあると、だいぶ、死ぬのが楽になって、生前に体験できるということですが。
人類というか、有性生殖で、種を繋げるということになった時、それは、一つの個の死というのは、当然、どうしても、避けられないことになった、そのため、自己意識を持つと、不安とか恐怖とかを感じる。そういうことが死ぬまでテーマになる。そして、死に立ち向かっていくことになる。哲学でも死に関して色んな説明の仕方がありますけれどもね。
死に向かっていく、死への道、それが哲学であると、ある意味では、理想の死を追求したりしますけれども。
今の3名は年齢からすると、結構、早く亡くなったということですよね。正岡子規も、宮沢賢治も、三島由紀夫もそうですよね。
人間の死というのは、心理学的には、全て自殺だというくらい、極端な心理的論説まであるんですが、白川では、病気という神の総称の呼び名を荒神と言います。荒神がいれば、必ず、病になると。
元々、荒神がいるということは、病気の神がいるということであり、それは一種の必然みたいな部分もあるわけですね。それでも、病気というものにかからないように、荒神という神を荒神祭として祀った。
今のようなウイルスとか細菌の発見のような、あるいは、DNAのクローンなんてことを考えるような時代にならない頃は、結構、そういう問題が、命に差し迫った問題としてあったと思うですね。

◇宗教に関わるような生き方

どちらかというと、今の話は、文学として、何かを捉えるのか、それとも生き方を宗教を通して捉えるのか、あるいは、自己がどう主体的に生きるのか、社会をどう変革しようとしたのかと。
それぞれのことが絡んでいるか、今の話のマトリックスを、頭の中で考えていると、だいぶ複雑系のマトリックスが出てくるんですけれどもね。面白いテーマでもあると、一つは、俳句の時もそうだし、短詩系の文学だから、第二文学といって、俳句とか短歌もそうですけれどもね。
あまり、小説やヨーロッパの文学からみれば、重要視されていなかったから、明治の時に、正岡子規なんかは、苦しい時もあったんですよね。本当の意味で、どれが文学なのかということも、あろうかと思いますが。
今日、一遍に、全部をやると文学論と宗教学と社会学になっちゃうから、ちょっとだけ触りのところでいうと。文学というよりも、宗教に関わるような生き方というものの意味合いが、どうも三人の中にあるという、共通項の中で捉えられると。

◇俳句でもって悟りの境地を得る

正岡子規という人は、そんな宗教的に、何か信仰していたわけではないですね。凄い数の俳句を作っているんですが、それは、どちらかというと、江戸時代の文人墨客(ぶんじんぼっきゃく)ではないけれども、与謝蕪村とか、俳句の始まりの松尾芭蕉とか、そういう正統派を意識していると思うですね。その中で、俳句の改革をしようとしたということなんですが、心を自由にしたいというテーマで、だから、後、死の問題も絡み合うんですけれどもね。その時に、正岡子規は、一つの悟りのようなところを、表現できないかということを、たぶん、色々と表現の中でやってみたと思うですね。
何せ、結核ですから、血を吐いたり、咳が出たり、苦しかったと思うんですが、そういう中で、なかなか難しいですね。これは、白隠慧鶴(はくいんえかく)さんも、250年祭をやっていますが、やっぱり、結核になっちゃうんですね。病として、自尊心のお強い方は結核にかかりやすい、とくに禅修行の場合は、栄養価が低くて、荒行になりますから、そういうことで結核になりやすいんですが。その白幽さんという仙人に、習うんですね、軟酥(なんそ)の法というものを。頭の上に、バターのような薬を置いて、それが身体に、ずっと染み渡っていくということを想像しながらやるんですが。なかなか、宗教をやっているからといって、身体のことが、上手く解決するとは限らなく、悩むことも、非常に多かったんですね。
だから、いわゆる、明治の時に、宗教もなく、歩むというんですか、そういう悟りのような境地でもって、日々を生きるというのは、非常に大変だったのではないのかなと思うですね。表現が、俳句で、五・七・五の十七文字で、表現するという方法は、短いけれども、本当に必要な文字で言い表すようになっているわけですね。そういう意味では、俳句でもって、悟りの境地を得るというのは、一つの方法としてはあるということですね。

◇どういう生き方か、ということが一つの表現

一方で、宮沢賢治は、国柱会という法華経を中心とした仏教の教団に居たんですね。それで、あのような作品を作るんですが、熱心な信者だったんですね。それは、信仰することによって、そういう世界を自分で感じ取ったということで、それを文学にしたということになるんですが。
何というか、いわゆる、三島由紀夫だと、神憑りの神道天行居(しんどうてんこうきょ)とか、審神者、神代の話で、”英霊の聲(こえ)”で、初めて、小説にするんですが。私が、ちょうど、高校の三年くらいの時で、文藝という雑誌に出た時に、読んでみたんですが、それは、やはり、二・二六事件の時に、反乱軍になった人達ですよね。
磯部浅一という人が、「などて天皇(すめろぎ)は人間となりたまひし」というですね。これは、戦後のところと合わせて、二・二六事件と戦後、天皇が人間宣言したということの両方を、霊が嘆いて、そういう神がかりを審神者が聞き出した小説です。それが「英霊の聲」という作品であるんですね。
彼は、ノーベル賞を取りませんでしたけれども、川端康成の一番の弟子のような存在ですから、どちらかというと、耽美派というか、この一派は非常に、日本的な世界を表現したというんですかね。その世界を、三島は、渡辺崋山という、日本の国学の学びをしたものが、
先祖に居たんですね。ですから、非常に、国学的な世界でもって、市ヶ谷で、割腹自殺をするわけですが・・・。
やはり、国学が宗教とは言いませんけれども、そういう根っこにある、哲学とか、生き方ですよね、それがあった。生き方が、どういう生き方かということで、その一つの表現が
出てくるんじゃないのかなと思うですね。どれが良いというわけではないんですが、少なくとも、日本の様々な道を求める時の幅があるんですね。仏教であったり、神道であったり、あるいは、文学であったり、あるいは、歴史の中でもって、そういうものを掴もうという様々な方法があるわけですね。

◇「生きる」ことの中で、もう一度試してみよう

そういう中で、我々は、いつも、我田引水するんですが(笑)神道というものの中で、今まで、白川の、あるいは、鎮魂のところ、あるいは、大祓の極意が、一度も、問われていないというんですかね。それこそ、学びが一子相伝のような形で、ごく少数の人達が、伝えてきたということで終わって来たんですね。
その中で、特に、真伝というか、その伝えをもって、伝えてきたものが、特に、白川を中心とした、三つの鎮魂と祓いと言霊というものが、非常に、それを、今の生きるという事の中で、もう一度、試してみようという意味もあるんじゃないのかなと。
そのことを、長い間やってきて、その成果があるから、それをお出ししながら、みんなとこれを、命も死も、死後の世界も、あるいは、今をより良く生きるということも、三世に渡って生きるということのより良い生き方というものを、今は、メカニカルアーツも含めたもので、もう一度、問うてみると。「やってみましょう」ということが、今、我々の課題ということで、いつも、同じことを言うんですが、それがあると。
ですから、文学にしろ、宗教にしろ、全て、既に、出ているものは、それを、綺麗に、マトリックスにして、良いと思うんですけどね。その辺りが、これ文学の中でも宗教の中でも、歴史の中でも、どんどん、されていくと良いんじゃないかなと。
俳句、短歌、それから、詩とか、小説とか、そういうものを、もっともっと盛んに、先程の石川啄木も、短歌ですけれども、宮沢賢治も。日本で、一番本が売れる所は、盛岡、岩手県だと、今日のニュースでやっていたんですけどね。
そういう松山も、今も、俳句の盛んなところですが、そういう人達が、俳人の飯田蛇笏(いいだだこつ)とか、太宰治とか、山梨でもって、結構、暮らしていらっしゃった方もあって、山梨県立文学館にも、色々と作品が残っていますが、もうちょっと、本を読むということ、文芸というか、文学というものが、盛んになっても良いのかと思っているんですけどね。そんなところで。