0446話:2018年05月28日

◇一対多のコミュニケーションは、なかなか難しい

私も、ずっと探していますから(笑)要するに、コミュニケーションの問題なんですよね。一対一だと合わせやすいのですが、一対多というのは、なかなか難しい。ずっと人類の課題になっているんですね。
コミュニケーション・プラットフォームの問題であり、それは、科学であり、哲学にも繋がるんですけれどもね。その解明には難しさがあると。ジャズのセッションでも、名人だと、だんだんと合ってくるでしょ。一人が合うと、二人、三人、四人と、それは、最初からより良いものにしようという目的があるから、うまく合うんでしょうが、それに今度は、聞いている人達も、共に、共鳴できるようになるというのは、更に、難しいわけです。
武道の名人なんかでも、ほとんど、私も、井上鑑昭(せいかん)さんとか、色んな方を、甲野善紀君と、二十代の頃に、名人の技を、観に行きましたけれども。何人いても、みんな倒れちゃうような、何というか、一つのパフォーマンスみたいなものも、周りが、忖度してね、倒れたり(笑)。それは、それとして、置いておいて。

◇八方睨みという方法

その場合には、宮本武蔵なんかも、二天一流とか、ポイントは、単純なんですよ。一つに意識を集してしまうと、技は上手くいかないんですね。誰をも、注目して見ないというか、空間を見るというか、空中を見ているような目つきになるんですがね。八方睨みという方法なんですね。
私も、若い時は、新宿駅の構内を、絶対にぶつからないで、歩く修行をしてみました。最初は歩きながら、絶対にぶつからないということも、すぐにできるようになるんですけどね。そういう技も、よくやっていたんですが。
要するに、空中を観るんですよ。そうすると、全体の人の動き、様子が見えるわけですよ、どの人がどのように動いたとか。個々に注視して観ると、もう全体は見えなくなるんですね。基本的には、空中を観ているけれども、全ての他者とのコミュニケーションを図るということになると思うですね。だんだんと人が増えていくわけですね、都市になると、その人数も凄いんですが。

◇始まりは片手で数えられるくらいから

人数の始めは、家族ですから、愛する人を探して、そして、結婚して、ということになるわけですよね。民族学でも、その部族の始まりも、だいたい、五部族が、最初の分離して広がっていく時、原初形態になります。片手で数えられるくらいの部族で、広がっていくんですね。
もちろん、三部族の時、三部族というのも、おかしいけれども、単純にいってしまえば、ネグロイド(黒人)、コーカソイド(白人)、モンゴロイド(黄色人種)というふうに、一つからだんだんと増えていきますが。後に、幣立神宮の五色人祭だと、日本の神伝にも昔から色があって、その人達が広がっていったという捉え方もあるんですね。
要するに、始まりは、そんな大きく分かれていないんですね。「あいうえお」の五、それから、「とほかみ」の十とか、まあ、二十五が、進化の基本の数だから、言語も、アルファベットも二十六ですね。四千から五千年くらい前にできてきたんですよね。それが、進化の倍数で、五十音になったり、そして、七十五声(せい)になったり、日本語は、進化学というものをしっかり踏まえているんですね。
そして、言霊百神とか、今は、百二十五というところで、世界の言語を、記述できるのではないかということです。ちなみに今、我々は、アラビア語も、発信しようということで、システムに落とし込んでやっていますが。どんな言葉でも、そんな難しくなく、できるんですけれどもね。そういう進化の過程で、だんだんと増えるということですね。

◇五十の心の音色を理解できると・・・

五十鈴ということは、五十の一つの音色という意味ですね。それは、人の心が、五十くらい分かれているのではないかということで、五十音、神様も、そういうふうに分かれるわけです。そういう五十の心が、それぞれの音色になって、それを理解できると、五十鈴宮(磯宮=五十宮)すなわち、それをイソノミヤと言います。
まあ、音階は、日本音階の五音とか、西洋音階の七音とか、それが、オクターブになっているわけですけどね、そういうふうに増えますが、人間同士が、仲良くするというか、あるいは、コミュニケーションを取るということの数というのが、だんだんと広がっていると。
そういうことが言えるから、武道なんかでも、当然、一対一から、一対多というか、そういう危ない時には、必要性もあると。昔だったら、猛獣に襲われた時に、どういうふうに対応するかということも、色々とあったと思うですが。
少なくとも、人間が、他者とのコミュニケーションを上手くするということを、数式的にも、あるいは、具体的にうまくいく方法論でも、まだ、できていないんですね。しっかりとした、コミュニケーション論は無いんです、一対多の。これは、Tさんに、やっていただいているような異種間コミュニケーションなんて、さらに難しいテーマになるわけですよね。でも、そういうことも含めた、コミュニケーション論の研究を深め広めていくという意味では、おっしゃる通り、大事な意識の持ち方と言いますかね。

◇宇宙に上がっている音色に納める

それを、どこまでできるかというのは、音の数が沢山あれば、良いという訳ではないけども、日本の言葉みたいに、五十音があって、七十五声とか、言魂百神なんて、まだ使えるんですね。今のところ、八十いくつか、ありますけれども、後は、八十七から九十七番までは、清めるというか、整理する音があって、次に、九十八、九十九、百で、言魂百神が完成すると、天照大神、月読命、須佐之男命と。古事記としての神話を持っているということですね。
言葉における神話、あるいは、そういう一音、一音が、人の心の一つの有り様だとすると、”十人十色”なんていいますが、”五十人五十色”という中で、人間関係を作っていくと。
そのために、ちょうど今、我々が、この祝殿は、五十人くらいで、お祓いをあげていて、リミットは、もうちょっとありましょうけれどもね。
あげるということは、それぞれの音色を響かせて、それが、どういうふうに、コミュニケーションできるか、あるいはしているかという、機械的なメトロノームの事例だけではなくて、どう、それができるのかというのが、当面の大事なところだと思いますけれどもね。
いよいよ、ここは、そういうところに、関心を持たなければならなくなったというんですかね。これも、一対多というコミュニケーションというものは、まだ、完成されていないと、人類においては。
その辺りを、共に、やっていくというか、単なる、同じことを、ファナテックにするということではなくて、そういうナチズムのような思想もありますけれどもね。
そうではなくて、どうしたら、みんなが、全く違う存在の音色を、自然に、あるいは、宇宙に上がっている音色に納めることをやろうという、大願ということになると思うんですが、そういうことを、しようということであるわけです。ですから、これができたら、非常にユニークな新しいこととして、人類が仲良く暮らすという意味で、次の時代に可能になると。
そんなことが、今の質問には、含まれているのではないかと思います。その辺りが、テーマであるということと同時に、たぶん、お祓いというのは、最初のみんなの気持ちを上げていく時の内容ですから、ハーモニーを工夫することは、大切な意識ではないのかなと思っておりまして。更に、その辺りを共に学んで、上げていきたいなと思っております。
今日は、宜しくお願いいたします。