0447話:2018年05月29日

◇場のエネルギーとどう関わるのか

昨日、鎮魂のところをスルーしてしまったというか(笑)集中するということと集中しないという、両だてで話をしてですね、集中しない方法で瞑想の深みに入ることもできるという話をしたかったんですけども。今日は、ひとつの場のエネルギーとどう関わるのかですよね。そのことを少し、言っていたけども。
宇宙というのを、ひとつのエネルギー場で捉えれば、端的に宇宙の運行、右旋と左旋と、それが停止の動きがある。それが移動性の右旋・左旋だと、それが上がっていく、下がっていくという、いわゆる螺旋運動で上がったり下がったりして動くということを、宇宙というのはそんな運動体というんですか。
鎮魂なんかでも、止まっているように見えますが、詳しく言うと、それは心だけでなく、右旋の鎮魂なのか左旋の鎮魂なのか、あるいは止まっている状態なのか、そういう非常にダイナミックに動いているんですね。そういうものを意図的に巡らすことも、色々なことを実験してみたんですけどね。既にもう何回もやって終わっているんですけどもね(笑)そういう、例えばこの場の中でそういうことも可能ということですね。
そういう、作りだすというのか、それがものを作り出すような方向のエネルギー場にするのか、それとも回収して全部元に戻す、それが、右旋と左旋というか、それがパラレルというか、そういうふうに螺旋に回っているということがあるだけなんですけどね。

◇鎮魂も潮の満ち引きのような、まずは動きがある

鎮魂も潮の満ち引きと同じように、ずっと汐の動きで引かれていって、また戻ってくるというか、波のそういう動き、もちろん波というのは色々な動きをしているんですけどね。吐く、引く、という呼吸というものに合わせていくように、吐く息と引く息ではないけども、そういう汐力というんですかね、重力の発生するもとの引力みたいなものをそれで意図的に動かしていくというような、そういう形でのまずは動きがあるわけですね。
それを今度は回転にするか、あるいは右旋にするのか、左旋にするのかというようなことも出てくるんですけども。その時間がちょうど、29分とかね、そういうふうな表現をしているわけです。
だから、意識を集中するということはある面では一番簡単な方法なわけです。
これはインドの様々な修行法でも、何かに集中するというのは一番簡単な方法で、最初にそういうのをやらせる。それは何でもいいんです。例えば、スプーンでも、そこに置いて、それに意識を集中しましょうと。
そういう黒曜石も、それに集中するというようなことで、みんながひとつに集中するということは非常に簡単な方法で、合わせられるということなんですけども。それが、今度は、何もないという状態で集中するということは、エネルギー場というか、そういう見えないものに集中するというようなことにも階層的になるんですけどもね。

◇思考を止めることが次の段階で出てくる

ですが、その見えないっていうものには、集中するっていうことは、なかなか難しいというか、それは神の働きもそうですけども、それは全てに働いているわけですけども、それを見ようとするとなかなか見えないわけですね。
だからその、それを見ようとしないで、判っちゃうということは、心理的には、ちょうど何もしないというか、思考しないということですかね。思考を止めると言うことは次の段階で出てくるんですよね。思考を止めて、ゼロ磁場とか、右旋と左旋のちょうどその間が、それが瞬間止まる時というか。それを、長く伸ばすというような方法もあるわけですよね。
それで息を止めると、右旋とか左旋でもない、そういう止まった状態があるから、インドなんかでは、そういう息を止めるという方法があるんですね。息を止めて、しばらくして、また、吸って、またゆっくり吐きながら止めて、そういう繰り返しをして、そうすると止めるという時間がいくらでも長くできるようになるんですね。29分間のうちの、これは別に無呼吸症候群ではないけども、自然に止まっちゃう。僕もそうなってしまったんで、今度はお祓いをあげるようにして直りました。(笑)
インドの四千年の歴史ということで、その歴史を全部引き継いだ先生方が、ショーシ先生とか、奈良先生がいらして、教えてくださったんですね。いくらでも止められるようになるわけですね。長く止められる人は脳の働きが良いという俗説もありますが、だいたい無呼吸症候群になります、体験上(笑)。それを治すのに、お祓いの、しっかりと、吐く息と引く息を自然にすることで治したんですけどね。それは治ります。

◇数息観という方法

そういう余計なことを言いましたけれど、要するに、止めるということになると、集中できるようになるんですね。それは要するに、一番近いというかね。
その中に、息をはく時と吸う時に、数を数えるというのが、お釈迦様の最終的な呼吸法の、数息観(すうそくかん)という、そういう方法があるんですね。
それは要するに、数を数えるんですね。吸っている時に、5、6、7という風に数えてやるという。そのことでもって、息の中で数を数えながら集中するというかですね。基本的には、要するに、禅もそうですけども、何か雑念が生じて、脳が色々なことを考えちゃうから、それが集中を妨げるわけですね。あるいは、何かに集中するという意味で、私なんかは、黒い紙を貼ってしていました。座禅なんかでも前をみて場所のシミとか、それを集中するなんて方法も、やっているんじゃないかと思うんですけどもね、そういう集中の方法を編み出した。

◇禅天魔の状態

あとは、だんだん慣れてくると、全ての空間が、何もなくなるというか。何もないところを見ているという感覚になったりします。
そうなると、真っ暗闇でもあるけれども、目は開いているけども真っ暗闇にもなる。逆に今度はそれがさらに進むと、突き通して反対側が見えちゃう。壁を見ているんだけど、壁の先が見えてくる。
あるいは、これは禅でいうと、禅天魔というような言い方で、魔に魅入られたというような言い方で、自分の体がずっと浮いていって、自分を上から見ているような状態になってくる。それをやってはいけないということで禅なんかは言ってますけども、そういうこともごく当たり前に起こるわけです。だんだん、そこにいながら、今度は全てが見えるように。宇宙の様子も見えるようになってくると、ヒマラヤの聖者と呼ばれるようになっていくんですね。そういう世界もある。

◇白川は動と静と両方を行じながら・・・

一方で、白川というのは、そのところを、動く、逆にご修行でやるわけです。ですから右旋と左旋からというか。自分の体が猛烈に動きながら、右旋しながら止まってまた左旋になっていくんですけども、そういうトレーニングが、まず最初に、五行というんですけどね、水の行の中で始まるということになるんですね。次に、色々な行があるんですけども、それが今度はだんだん、国津神・天津神のご修行で、宇宙創造の動きと一つになる。
そういう神の動きですね。それがさらに進むと、ほとんど止まっているんだけども、全てを見る、日本書紀では宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこじのかみ)なんていうのは、そういう、国之常立神(くにのとこたちのかみ)から2番目に生まれた、古事記だと4番目の神様ですね。
それは、止まっていながら全てが見える、あるいは全ての働きが判るというような神の働きになってくるというかですね。基本的にはそういう様々な、白川に残っている、いわゆる国生みとか、星を生んだりするというような神の行にいくときの一つの過程の中で起こる、ひとつの行体験ですね。
ですから動と静と両方を行じながら、そういうものを掴んでいくというのが、我々が鎮魂という行と、それからご修行というものがある理由ですね。どちらからでも、抑えよということで、統合しているということですかね。

◇神と魂の間も総覧する

それを、もちろんお祓いの詞という言霊というもので、それを動かすというんですか。ですから、回転力というんですかね、右旋・左旋・止めるというのは、その言葉というもので、それを行う。ですから、巡り方が色々あるんですね。お祓いのあげ方も、右回りでも左回りになっていますけどね。それで、どの神を迎えるかというようなことまで、そういう言葉によってできているというか、色々あるんですね、ご修行というものはですね。
ですから一対多というコミュニケーションも、要するに、人と神という、この関係のコミュニケーションを、我々は一番、そういうのを前提にして、コミュニケーション論というのを学んでいるわけですね。
ひとつは自然とかね。人と人、人と動物、対もの、とか、そういうものの、全体をコミュニケーションとしてやっていく時の、それは当然中間に位置するものもあるわけでしょ。もし自然だったら、風とか空気とか、そういうものが電子と陽電子でもそうだし、意識の最小単位的にみれば、それは父韻とか母音となったりということですね。
そういう物としてもできるし、機械としてもできるし、その間にあるものは電磁波であったり、重力であったりというんですかね。
それを我々は特に、結合力としての、結合エネルギーとしての、五霊というんですかね、産霊の働き、生産霊・足産霊、玉留産霊・高御産巣日・神産霊という、そういうエネルギー場で、間に入る、神と魂の間にありますというような、そういうものが、ちょうど中間のあたりに存在するということですね。それもまた掴みましょう、ということで、総覧するというんですかね。

◇「和学」振興の事業構想もある

全てのものを含み込んだものが、こういう統合した古神道の日本学というか、和学というものなんですね。和学というものを通じて、学びとしてはそれを、いよいよ我々が明らかにしていこうというのが、今の、皆さんと一緒にやっている一つひとつの実証方法だというような捉え方を持っていただくと良い。ですから、さらに、精緻に自分の思ったこともお答えしたり、宣言しなくてはいけないところもあります。
そういう、学びとしての、和学というものを振興させるというようなことを、財団としてもやろうというわけです。構想として、事業構想としてはあるんだけども、なかなかそれが具体的には進まないから、皆さんにもそういう肝心な修行のところでもって、色々と実践していただいちゃって申しわけないと思ってはいるんですけどもね。その辺りも含めて、これからはどんどんお出しするようにしようと思って。
今、だから、石原さんを通じて、鎮魂の、デジタルメディテーションということで、大島さんもそうですけども、そういうものも、できるだけ提供しようということでやっていますけども。もうちょっと時間をいただければ、さらに詳しいものが、もっと簡単に、今までの歴史の中の、修行方法のところも、それが実は専門ですからね、ここのね。それもいくらでも差し上げることはできると思うんで、もうちょっと、研究の成果を待っていただきたいところもあるんですけど。
そんなことでございます。ありがとうございました。